第四章
自分探しの旅……かな
兵舎の屋上で惨殺された姉の話を聞かされた妹は、微睡みを捨ててすぐに兵舎の医務室へと駆け込んできた。
ベッドで寝かされている赤紫色の髪を生やした少女は、紛れもなく妹が幼い頃から同じ時を過ごしてきた相手だ。
そんな人物の落命を目の当たりにした妹は、力なく地面にべったりと座って、感情を剥き出しにした泣き声を重苦しい空気が漂う医務室内に反響させた。
「お姉様……お姉様ぁ……!!」
絶叫に絞殺されてしまうのではないか。二度と声が出せなくなってしまうのではないかと心配になってくるほど喉を酷使した声──取り巻く騎士と天使には、『こんな声も出せるのか』などと感心をする余裕などあるはずもなかった。
むしろ、聞くに堪えない心からの叫びに、自責の念を感じる者の方が多くいたことだろう。
(私か側にいながらっ……!)
固く握られたオブリエルの拳から流れ出す、マジェンタが感じたそれの十分の一にも満たない痛みと赤い涙。
(親友一人守れないで、何が最強よ……何が天使よっ……!!)
オブリエルが惨めに感じているところは、もう一つ存在していた。
彼女は、人目も気にせずに涙を流し続けるヴァイオレットに、自分の無力さと惨めさが混合する瞳を向けることができなかったのだ。
それは、心の弱さの象徴であり、オブリエルの弱さの証明だった。
(このままじゃ……ダメよね)
それでも、オブリエルは人間族で最も神に近い存在──つまり、オブリエルの敗北は人間族の敗北を意味し、オブリエルの断念は人間族を見捨てることに直結してしまう。
だから、何が起ころうとも絶対に逃げてはいけない。
現状に向き合い、誠意を見せることこそが、天使に課された使命なのだから。
オブリエルは、移動し、ヴァイオレットの正面で立ち止まった。
「オブ、リエル……さん……?」
顔を上げたヴァイオレットは、嗚咽混じりに天使の名を呼んだ。
逆光によって黒になったオブリエルの顔は、一体どんな表情を見せていたのだろう。その答えはきっと、神ですら知らない。
オブリエルは、何も言わずに膝を曲げ、ヴァイオレットと目線を合わせる──いや、そこに留まらない。
そこに、後光差す天使の面影はなく、あるのは人間の少女の姿だけだった。
少女は腰を折り、大地に額を擦り付けて口を開く。
「本当にごめんなさい……!」
突拍子もないオブリエルの行動によって、ヴァイオレットの体内に設置されたダムは本来の役割を思い出した。
「あなたの姉を、大切な人を守れなくて──ごめんなさい……」
偽りの関係であっても、ヴァイオレットはマジェンタを愛していた。
姉を哀れんだ叫びが、その全てを物語っていた。
ヴァイオレットがこんなにも大切にしていた人を、自分の過ち一つで台無しにしてしまった事実に、オブリエルはひたすら頭を下げ続けることしかできないでいた。
「──オブリエル様が謝ることでは……ありませんよ……だから、どうか頭を上げてください……」
「ありがとう。ごめんなさい……」
捨て犬が如く弱々しい表情をした顔を上げて、オブリエルはもう一度謝罪の言葉を口にした。
「私にできることがあったら、何でも手伝うわ。ううん。手伝わせてほしい」
「オブリエル様は、お姉様とお話をしてくれていたんですよね……? 私のこと、何か言っていたなら教えていただけませんか……?」
オブリエルは強く頷き、本当は思い出したくない過去を顧みて、マジェンタの発言を一つでも多く思い起こした。
オブリエルは、マジェンタが立ち去る直前に発した言葉を纏めて、繋ぎ止めて、ヴァイオレットに贈る。
「ヴァイオレットは大切な妹だから、絶対に守り抜くって。これからも、精一杯姉としての役割を全うするって……そう言っていたわ」
ヴァイオレットの瞳が、ちょうど今浮かんでいる月のように光った。それから、支えきれなくなった欠片を大地へと流した。
「うっ……お姉様っ……!」
頬を伝う流星群が、医務室に敷かれたカーペットに星座を作っていく。
その一つひとつが大きくて。込められた感情が濃密で……オブリエルは、このままヴァイオレットが消えてなくなってしまうのではないかと、溢れ落ちる涙を見てそう感じていた。
そんな理由もあって、天使は人間を羽のように柔らかい手で優しく包み込んであげた。
「うっ……うわぁぁん……!」
ヴァイオレットに釣られて、オブリエルもまた、一粒だけ涙を落とした。
これ以上の悲しみを排出してしまわないように、オブリエルはそっと目を閉じて揺らぐ心に意識を集中させる。
もう二度と、自分の目の前で誰かが消えゆく瞬間を見たくない。
もう二度と、突然の別れによる涙を流したくない。
そのために、オブリエルは強くなることを未来に誓った。
マジェンタが戦死した日。『鎌鼬の辻斬り』が脱獄した日。死体安置所が襲撃されたとされる日。そして、異世界転生者三碓葉月が消息を経った日から数えて、三度目の朝が王都に訪れた。
目覚まし時計の
オブリエルは、頭の回転速度をじわじわと上げて、
(眠い……けれど、ゆっくりはしていられないわね)
王都の葬儀は午前中に執り行われる仕来たりなので、この日の朝はいつものようにゆったりとした時間を過ごすことはできない。
オブリエルは、早速ハンガーからワイシャツを引ったくってバスルームへと直行した。
正式な鎧を纏った騎士と、黒一色のワンピースを着ているそれ以外の参列者に見守られながら、マジェンタの入れられた棺が地中に埋められていく。
フリティラリアの葬儀では、如何なる感情も露呈させてはいけないという決まりがあるため、オブリエルもヴァイオレットもそれ以外の人々も、心を無にすることに尽力していた。
やがて、棺の姿が完全に見えなくなって、葬儀屋の男性四名がマジェンタの名前や出生日などの刻まれた白い石を掘って埋められた土の上に配置した。
故人が一般人であるならば、次に花を添えるという行程が入るのだが、マジェンタは騎士の一員として扱われていたので、代わりに模造の剣を石の手前に突き刺すという行動が追加される。
この変化は、騎士にとっては剣も肉体の一部という考えに基づいて発生していた。
「祈祷!」
ホープネス大聖堂のシスターが透き通った声でそう言うと、参列者達は各々所持している羽の形をしたアクセサリーを両手で握って瞳を閉じた。
以上をもって、オブリエル信者による葬儀は終焉を迎えるはずだった。
「マジェンタが──亡くなったの……?」
明らかに動揺を含んだ声が、オブリエルの鼓膜を揺らした。
覚えのある音に振り返るオブリエル。その目が捉えた人物は、失踪していたはずの異世界転生者だった。
「葉月──!?」
制服の所々に砂が付着していることから、葉月は失踪期間中然程いい生活をしていなかったことが見て取れた。
何故失踪したのか。今まで何をしていたのかなど、葉月の姿を目撃したオブリエルの脳内には星の数ほどの質問が浮かび上がってきている。
だが、今はそんなことを尋ねる時ではない。
何よりも先行して表舞台に現れた感情は、オブリエルの脳を操作して、彼女を葉月に抱き付かせた。
「今までどこにいっていたのよ!」
怒り一歩手前といった強い口調で、オブリエルは葉月を問い質した。
「自分探しの旅……かな?」
無断で。無言で。一人で。今時、子供だってしないような身勝手過ぎる行動に、オブリエルの腸は温まってきていた。
しかしながら、それを沸騰させることはこの場に相応しくない行為だ。だから、オブリエルは咳払いと一緒に一途な感情も払い飛ばした。
「私は、まだマジェンタに祈り足りないの。だから、もうしばらくはお説教をしないでいてあげる」
「……途中参加ができるなら、私も一緒に祈らせてほしいかな」
二人は、並んでマジェンタの冥福を祈った。
朝日は、微笑むような優しい光で友人達を包み込んでいた。
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