許さない

「ところで、さっきの彼を追うかどうかについて、めふぃすとからの意見はある?」

 自分の力だけで座ることができるようになっためふぃすとに、葉月がそう尋ねる。

「追うべきだと思いますっ。あんどらすは、口が達者な労働機巧ですっ。今逃してしまったら、また明日にでも次の戦力を整えて私達を襲撃してくるでしょうっ!」

 めふぃすとの頼りになる情報を受けて、葉月は非常に助かると感じると同時に違和感を覚えた。

「……詳しいね?」

 ばあるのこともりりすのことも存じ上げていなかっためふぃすとが、何故かあんどらすのことは細部まで認知している。

 これは、今まで得体の知れない機巧人達と対面させられてきた葉月だからこそ容易く指摘できた点だろう。

「そ、それは……実は、私に様々な情報をくれる方がいらっしゃるんですっ。あんどらすの情報源はそこにありますっ」

「そっか。教えてくれてありがとう!」

 相手が誰であれ、助けてくれるのならば必要以上の問い掛けをする必要はない。

 葉月は、民家の壁を利用して綺麗な三角飛びを見せた。

 めふぃすとを飛び越えた葉月は、後ろを振り返って座り込んだ機巧人の少女に手を差し出した。

「立てる?」

「はいっ!」

 手を取っためふぃすとが自立したことを確認した葉月は、前に進むことをめふぃすとに伝えて歩き始めた。

 じめじめした路地裏は前進するにつれて少しずつ渇いていき、やがて通りに出る。

 ヴァンパイアの方はオブリエルにどうにかしてもらおうなどと考えていた葉月の脳は、次の瞬間身を切って辺りに飛び散った。

 葉月の頭部を破壊したもの、それは、この世界には存在していないはずの銃だった。

 その引き金を引いたのは──

「ヒャヒャハァ! 不意打ちせいこー!」

 気が狂った猫のような奇声──そんな声を出せるものは、あんどらすを除いて他にいない。

「はあっ!」

 すかさずあんどらすの影へと移動して、背後から彼を刺し貫こうと試みるヴァイオレット。

 だが、もう一人の刺客によってその攻撃は防がれてしまう。

「おはまーす、影女! 陰キャラらしい根暗な攻撃ねぇ!」

 隕石のような勢いで落ちてきたルナは、素手でヴァイオレットの短刀の刃を掴んで勢いを相殺していた。

 手のひらからの出血もあるというのに、彼女が元気よく挨拶をしている余裕を持っている。

 理由は、暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》による回復効果だ。

 空をコウモリが覆っている限り、ルナという名のヴァンパイアは死という概念を超越する。

 神の特権にも等しいこの能力に、現代人は為す術を持たない。

「アタシがいる限り、あんたらにはガチ目に勝ち目はないわ。降参するなり後悔するなり、自由に諦めなさい? ま、土下座をしようとも靴を舐めようとも、結局は死ぬ運命なんだけれど! あはっ、ウケるー!」

「仕方がありませんね……!」

 ヴァイオレットは、ナイフから手を離してめふぃすとの影に入った。

 そして、入った直後に姿を現し、あんどらすの右手に全力の蹴りをお見舞いする。

 痛みと衝撃によって反射的にあんどらすの握っていた指が開いてしまい、銃が地面への落下を開始する。

 ヴァイオレットは、重力に引き寄せられるハンドガンよりも素早いスピードでそれが持った影に侵入し、イルカショーのイルカのように飛び出してきたかと思えば、銃を口で咥えて再びめふぃすとの影へと戻っていった。

「何だコイツ……!?」

 予測ができない一連の動作に惑わされ、あんどらすは現状を理解できなくなっていた。

「はっ、銃がないっ!?」

 あんどらすは、手の鈍痛ど同時にようやく自分の身に起こったことを把握する。

「くそったれが……! おい、ヴァンパイア! こいつら全員始末しちまえ!」

「言われなくてもそのつもりだっての!」

 羽を使って空を飛び、鷹が獲物を捉えるが如く下降をしてめふぃすとに襲い掛かるルナ。

 彼女の胴体がめふぃすとの影の上に差し掛かった時、ヴァイオレットが先刻失ったものとは異なる種類の短刀を上に向けながら影から飛び出した。

「読め読めの読めなのよっ!」

 ルナは、最初からめふぃすとではなくヴァイオレットに牙を剥くつもりでいた。

 即ち、ヴァイオレットが姿を現すことを予見していたのだ。

 くるりと身を翻したルナの足が、めふぃすとの肩を捕らえる。

 そして、足を引いてめふぃすとの身体を一歩前に出させた。

「しまっ──!」

 ヴァイオレットの刺突が、めふぃすとの首を正確に射抜いた。

 傷口からは美しい鮮血が溢れ出し、あっという間にヴァイオレットの顔面を朱に染めた。

「違……違うんです……!」

 幾千もの悪人を葬ってきたヴァイオレット。

 奪った命は数知れず。だが、彼女が味方を傷付けたことなど一度もなかった。

「ごめんなさい……ごめんなさいっ……!!」

 ヴァイオレットが、倒れてくる機巧人に何度も何度も謝罪の言葉を述べる。

 それでも時は動き続け、彼女の足の上には意識を喪失しためふぃすとが眠るように覆い被さっていた。

「あ、ああ……!」

 言葉も出ないほど精神をやられてしまったヴァイオレットの姿を見物していたルナは、今時お嬢様でも出さないような高らかな笑い声を発した。

「おーっほっほ! 無様このザマアタシはルナ様ザマス!」

「ゲヒャヒャヒャ! あんどらす&ルナのコンビに勝てると思うな!」

「おーっほっほ!」

「ヒャーヒャー!」

 ルナ達は勝ちを確信して、今まで我慢してきた笑いの全てをぶち撒ける。

 女声の高音と男声の低音によって織り成されるそれは、あたかも合唱のようだった。

「何よ、もうっ……!」

 ようやく再生を終えた葉月が、頭を押さえながら身を起こす。

「普通の弾丸じゃないね、これ……!」

 葉月は、一つだった銃弾が脳内で分裂する感覚を味わっていた。

 意識が戻る速度が遅かったのは、複数個ある破片を処理する作業に時間を取られたためだ。

 まだ、追い詰められていることに気が付いていない葉月は、苦笑混じりに仲間達に話し掛けた。

 だが、彼女がそのことに気付くのも時間の問題だった。

「……ああ」

 勝ち誇った相手に、血に塗れたヴァイオレット。そして、瞳を閉じているめふぃすと。

 葉月は、仲間を傷付けたルナとあんどらすに、二人を守れなかった自分自身に激昂した。

「ああああ!!」

 満月の夜に狼男が発しそうな咆哮。しわくちゃの顔。隠れる気のない殺意。

 葉月は、落ちていたナイフを自分の左胸に突き刺した。

 血が沸き立ち、葉月は身体の内側から火傷してしまいそうになる心境に至る。

 血液を送り出す心臓ポンプは、血管ホースを破る勢いで脈打ち、熱の籠もった血を全身へと送り届けようとしている。

 葉月の周りに極限まで高められた防衛本能が、色と形を得て現界する。

 黒い霧に赤いオーブが舞っているような容姿をしたそれを瞳に映したルナ達の脳裏に、自分の死後の姿が浮かび上がった。

「何よ、今のは──!?」

 何故か、全身から滝のような汗が噴き出してくる。ここまで生き長らえてきた遺伝子が、子孫を生かすために全力の逃走を促す。

 しかし、自分は人間の射程外にいるという慢心から、ルナはそれに逆らった。

 それが、不死身のヴァンパイアの最後の過ちだった。

「許さない」

 視野内にいたはずだった少女の声が、背後から聞こえてくる。

 聞こえたと思ったら、胴から誰かの腕が生えている。

 ルナの脳みそは、ただ起こったことを記録しているだけで他の仕事を何一つこなしてはいなかった。

 いや、働くよりも先に次の仕事が与えられている状態にあった。

 気付かないうちに地面に埋まっている身体。

 ルナは熟考するのをやめて、ただ一つ──暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》がある限り、自分が無敵であるということだけを思うことにした。

 しかしながら、勝利の女神がルナに微笑むことはなかった。

「嘘──」

 コウモリ達が、雲のように去っていく。

 主を置いて、自分達だけで逃げていく。

 ルナにとって最悪のタイミングで、遠く離れた場所にいたオブリエルが動き始めたのだった。

「くそっ……くそがっ!! 人類に呪いあれ! 全員纏めて苦しんで死──」

 ルナの辞世の句が読み終わる前に、葉月の腕が振り下ろされた。

「ごふっ……!」

 胸部から股に掛けて肉体を断たれた吸血鬼は、あちらこちらから大好物の血を流しながら地に伏し、灰となった。

 風に乗って飛んでいくそれを、恐怖に歪んだ表情をしたあんどらすが凝視──ではなく、そこから目が離せなくなっていた。

「あ、ああ……!」

 穴という穴から出てくる体液が止まらない──その不快感すら忘れてしまうほど、あんどらすは窮地に陥っていた。

「落ち着け、落ち着け……! 僕は、負けたままの人生を歩みたくはない……この人間にさえ勝利すれば、僕の未来は明るいものになるんだ……!」

「何をブツブツ喋っているの?」

 少女のウィスパーボイスが、あんどらすの耳をくすぐった。

「ハヒャア!?」

 あんどらすは後方に向き直り、蜘蛛のような動きで葉月との距離を開ける。

 しかしながら、その後退は一定のところで家によって遮られてしまう。

 すぐさま間隔を詰めた葉月に、あんどらすが命乞いを持ち掛ける。

「わ、分かった! フリティラリアの王を誑かして、お前を一生安泰の地位に就かせてやろう! ほしいものがあったら、僕が手に入れさせてやる! 殺してほしい奴がいたら、僕が殺させてやる! だから、どうか殺さないで……!」

「やだ」

 文字通り、葉月の手刀があんどらすの首に線を刻んだ。

 彼の頭は勢いよく吹き飛んで、身体は鉄臭い液体を誇らしげに噴出させている。

 これでもう、葉月の前に立ち塞がる者はいなくなった。

 葉月は、胸に刺さったナイフを抜いて、それを足元に落とした。

 こうして、全ての敵を排除した葉月の胸中には、物理的にも精神的にも虚しさ以外の全てがなくなってしまった。

 もうあんどらすに対する興味すらも失った葉月が、ヴァイオレットとめふぃすとのいる後方へと歩みを進める。

 葉月が近付いても、顔を覗き込んでも微動だにしないめふぃすと。

「ごめんね……」

 葉月は、下唇を強く噛んで悔しさを露わにした。

 戒めとして、永遠に刻んでおきたいその傷をも完治させてしまう神の特権に、葉月は酷く苛立ちを覚えた。

「……待ってください!」

 葉月が目を伏せようとした時、ヴァイオレットが柄にもない大きな声を出した。

「ん、うぅっ……」

「めふぃすとさんが──目を開けました!」

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