どうしてそんなに血塗れなんですかっ
めふぃすとの首には、今もしっかりと短刀が突き刺さっている。
その痛みとショックは尋常ではないし、もしかしたら呼吸すらままならない状態である可能性もあった。
そんな落命必至のめふぃすとが意識を取り戻すなど、それこそ神の特権でも与えられていない限りあり得るはずがない。
だが、実際にめふぃすとは瞬きをし、ヴァイオレットの足の上から自力で起き上がっている。
葉月は、目の前で起きている光景を神の特権が見せた幻覚か何かであると錯覚しそうになっていた。
「いててっ……わわっ、これは大変なことにっ!」
めふぃすとは、両手で短刀の柄を握って何の迷いもなく腕を前方へと動かした。
異物がなくなり、公になった傷口から少量の血液が流れ出す。
「大丈夫、なんですか……?」
恐る恐る、ヴァイオレットがめふぃすとに語り掛ける。
「首を貫かれたくらいで、機巧人が機能を停止することはありませんよっ! 斬られてしまえば、流石にシャットダウンしてしまうと思い──」
葉月の抱擁が、めふぃすとに温もりを与えた。
「よかった……本当によかった……!」
肌と肌が触れ合う感触。生きている証である体温。葉月は、そんな当たり前のことに涙を流した。
「もうっ、苦しいですよ葉月さんっ! って、どうしてそんなに血塗れなんですかっ!?」
「へ?」
めふぃすとの発言の意味を悟れなかった葉月は、相手に抱き着くのをやめて自分の手と服を見て唖然とした。
「何、これ──?」
「覚えていないんですか……?」
葉月は、視線をヴァイオレットの方へと移して主語が明かされる時を待った。
ヴァイオレットの方も葉月の思惑を悟っていたので、焦らさずにほんの数分前に起こったことの詳細を当人に伝えてあげた。
「私が、素手で二人を──?」
殺したと言われても、真っ当に生きてきた少女にはいまいちピンとこなかった。
「全く覚えていないの……ねぇ。私、どうなっちゃったのかな……?」
三碓葉月ではないヴァイオレットに、その問いの答えを導き出せるはずもない。
その沈黙が、更に葉月の精神を疲弊させていく。
「どうして? どうしてなの、私……? 分からない……分からない!」
「お、落ち着いてください……! また、オブリエルさんに聞きにいきましょう……」
「そ、そうだね。ごめん……」
自分の手で人を殺めてしまった──葉月には、その現実を直視することができなかった。
だから彼女は、全ての責任を神の特権に擦り付けた。
そうすることで、心にゆとりを生んだのだ。
この心境の変化も、ある意味危機的状況から脱出する術を授ける神の特権の効果であると言えるのかもしれない。
何であれ、葉月に平静を取り戻させたヴァイオレットは、ここに遺体を放置してはおけないと言って懐から光る球体の物体を取り出した。
彼女がそれを優しく撫でると、球体は鳥の形に変貌した。
鳥がヴァイオレットの手の上で大人しくしているうちに、彼女はもう片方の手で黄色いリボンを取り出して鳥の足にそれを結び付けた。
「よろしくお願いします……!」
ヴァイオレットが手を空に近付けると、止まっていた鳥が勢いよく羽をばたつかせて遠くの空に溶けていった。
「これで、担当の方が清掃をしてくれるはずです……」
「座標などの位置を特定する情報が記されていないように思えたのですが……本当にきてくださるんですかっ?」
「問題ありません……あの
騎士の間では、余裕があれば紐に情報の書き込みをすることが望ましいとされている。だが、ペンを持っていなかったり座標が分からない時などは、記入ができないため行程をスキップしても構わないという決まりも存在していた。
「賢い鳥さんなんですねっ」
めふぃすとの感想を最後に、騎士が用いる鳥と紐の話は切り上げられた。
「ここに留まる必要はなくなりましたし、私達はどうしますか……?」
戦場に赴き、被害を最小限に抑えるか、オブリエルに葉月の能力について質問しにいくか。
葉月は、少し考えてから自分で第三の選択肢を作り、それを選んだ。
「オブリエルを連れて、戦いの手助けをしてもらおう!」
負傷したオブリエルはまだ肉弾戦を行えないかもしれないが、別の方法での解決策は持っているかもしれない。
オブリエルの神性は常識を覆すほどのものであるため、きっと何か手立てがあるはずだ、と葉月は考えていた。
それに、この選択をすれば他の二つの道をどちらも解決することができる。
「では、向かう先はホープネス大聖堂ですねっ!」
「道中、何度か戦闘に巻き込まれるかもしれません……気を引き締めて向かいましょう……!」
そう言って、ヴァイオレットは葉月の影の中に入っていった。
それは、自衛のためではなく、確実に葉月達を救うために取られた行動だった。
ルナ達と戦うまでは、広場でしか戦闘は行われていなかった。
しかし、時間が進むに連れて人数が増加し、多くの住民が住まう通りにまで戦火が及んできていた。
そのせいで、葉月ら三人にも嵐のような激闘が襲い掛かってくることになる。
「革命派は邪魔だって言って押し退けてくるだけだけれど、保守派──特に騎士は敵と見分けが付かないから斬りかかってくるのが厄介だね……」
ひとまず路地裏に隠れた葉月は、ヴァイオレットとめふぃすとに向かって自分の感想を述べた。
革命派が住民と同様の服を着ているため、騎士ではない葉月達は彼らの仲間であると思われているようで、味方であるはずの騎士から攻撃されるという非常に厄介な立ち位置にいた。
「住民への避難勧告は、命を守ると同時に敵味方の分別をするという目的もあったみたいですね……」
ヴァイオレットが、堪らず影から飛び出してきてそう口にした。
彼女は、問題点だけではなくその解決策も提示してくれた。
「ここからは、演技をしながら進んでいきます……二人は、私に護衛してもらっている人を演じてください……」
騎士の中では顔の知れたヴァイオレットが私服の人間を連れているという状況で、葉月達を革命派の者だと思う騎士はまずいない。
十中八九、保守派の民であると考えるだろう。
それに、騎士が抱く『保守派を危機から防衛、或いは救う』という信念の基、攻める戦いから守る戦いにスタイルを変更してくれる可能性もあった。
その間、ヴァイオレットが戦力にならなくなるというデメリットこそあったが、この手の他に道がない以上拒否をするわけにもいかない。
三人は、早速作戦を決行することにした。
まず、ヴァイオレットが路地から顔を出して、安全を確認するように首を左右に振る。
「今です……急いでください……!」
次に、建物の影にそう囁いてもらい、怯える素振りを見せる葉月とめふぃすとを壁伝いに誘導する。
一瞬、革命派と保守派の視線が三人の方を向く。
前者は、好機を悟って騎士を振り切ろうと奮闘し始める。
対する後者は、今まで以上に集中力を増加させ、革命派の太刀筋を完全に読み解いて弾き、剣を振るう盾となった。
「クソったれが!」
「ここは絶対に通すものかっ! へへっ……後で何か奢ってくださいよ、ヴァイオレットの姉御!」
「あ、ありがとうございます……! 奢りですかー……困りましたねぇ……」
眉を下げ、本当に困った表情でヴァイオレットはブツブツと独り言を呟き始めた。
「ちょ……不吉なオーラが見えているから、そのお経みたいな独り言はやめてもらえないかな!?」
「私も、この戦いが終わったら皆さんに何かお返しをしないといけませんねっ……どれくらいお金を持ってきていたでしょうかっ……ここを生き延びても、すぐに餓死してしまうかもしれませんねっ……」
「もう、めふぃすとも悪ノリしないで!」
緊張感が皆無な二人に、葉月がツッコミを入れる。
一抹の不安が葉月を過ぎったが、どうやらそれは取り越し苦労だったらしく、多少の困難こそあったものの、一行は無事にホープネス大聖堂へと辿り着くことができた。
フリティラリアの中でも奥まった土地に建てられた大聖堂付近は静かで、爽やかな風が吹いていた。
そよ風に撫でられた髪を整えた葉月の視界に、一つの人影が映る。
扉の前に立っている人物は少女の形をしており、また、その人物は独特な気品さを纏っていた。
天使──彼女を、そう見紛ってしまうのも無理はない。
何故なら、その少女は西洋人形のように美しい姿で造られた人間だったのだから。
「これはこれは。変わった人達とこんな場所でお会いできるなんて、わたくしは幸運ですわね」
少女は、クスクスという聞き覚えのある笑い方をした。
「りりす!?」
外部からやってきた機巧人が、何の用でホープネス大聖堂を訪れているのか。
葉月の疑心は膨れていくばかりだった。
「もしかして、あなた達も天使を訪ねてこられたのかしら?」
「……もしかして、りりすも?」
りりすはクスクス笑いをした。
「でしたら、とんだ無駄骨でしたわね。もう、ここに天使はいませんわよ」
葉月は、りりすの周辺に殺気のようなものが溢れ出しているように感じた。
「まさか──!」
葉月が意気込むや否や、りりすはその頑張りを否定した。
「いいえ、と答えて差し上げますわ。わたくしが訪ねた頃には、既に天使の姿はここにありませんでした」
「そ、そうなんだ……」
食い下がった葉月に代わって、めふぃすとが核心を突く質問を投げ掛ける。
「りりすさんは、どうしてオブリエルさんのところにっ?」
「ん。邪魔だったので、排除しにきただけですわよ?」
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