偶然だね。私も悪い人間なんだ
一人取り残された葉月の近くに、見覚えのある影が浮かんできた。
「……遅いよ」
地面に浮かび上がった黒は、だんだんと大きくなってきたのではなく、地面から生えるような動きをしていた。
そのような挙動をする人物──能力を知っていた葉月には、振り返らずとも相手の正体を認識することができた。
「もう、諦めてしまうんですか……?」
声の主であるヴァイオレットが、真剣な声色で葉月に質問する。
「そう、だね……」
あくまでも内向的な姿勢を貫こうとする葉月に、ヴァイオレットは説得を試みる。
「嫌われたからですか……? それとも捨てられたから……? 理由は何でも構いません……重要なのは、それがやめもいい理由になるのかどうかです……」
葉月が後ろを振り返り、怒号を放つ。
「ならないよ! ならないけれど、私にはどうすることしかできないんだもん……」
何を言われようと、めふぃすとが葉月の大切な人であることに変わりはない。
頭ではそう分かっていても、身体が言うことを聞かなければ動くことができないのだ。
葉月がどれだけ言い聞かせても、彼女の手足はもうめふぃすとのことなどどうでもいいと思っていた。
戦場のど真ん中で脱力するそれらは、まるで葉月の死を待っているように思えた。
「では、葉月さんはもうめふぃすとさんのことが嫌いになったんですか……?」
発言した直後、ヴァイオレットは蒸発するように姿を消し、襲ってきた革命派の男の背後に回って短刀を彼の腹部に突き刺した。
「ぐあっ……!」
ヴァイオレットが得物を引き抜くと、男はその場で倒れ込んだ。
再び視線が交わって、葉月は咄嗟に視線を横にずらした。
「嫌いになるしかない……よね。めふぃすとは、私のことを嫌っているみたいだから」
葉月の発言を聞いて、ヴァイオレットは心底ホッとした。
膝を曲げしゃがみ、同じ目線に立って葉月に提案をする。
「じゃあ、嫌われるようなことをしなければいけませんね……! 例えば、めふぃすとさんを連れ戻しにいく──とか……!」
人が人に嫌忌されるためには、相手のしてほしくないことを自分がすればいい。
つまり、あんどらすと行動を共にしたいと思っているめふぃすとを、葉月が連れて帰ればいいわけだ。
葉月の願いを一度に二回も叶えてしまうヴァイオレットの案は、まさに完璧そのものだった。
「ありがとう、ヴァイオレット!」
気力を取り戻した葉月は、自分の影にヴァイオレットを収めてめふぃすと達が去っていった方向へと歩み始めた。
葉月とヴァイオレットがめふぃすとらを追いかけ出した頃、追われる側の二人は人気のない路地裏にいた。
路地裏は横に広がって歩けない幅をしているため、めふぃすとがあんどらすの後をいく形となっている。
そのため、めふぃすとは急に立ち止まったあんどらすに対応することができず、彼の背中に倒れ込むように衝突した。
「おっとっと、すみませ──」
めふぃすとの謝罪が終わるよりも先に、あんどらすの裏拳が彼女の頬を叩いた。
突然の攻撃に受け身を取ることができなかっためふぃすとは、頭を強く壁に打ち付け流血してしまった。
「僕に触るな叛逆者が!」
ツバを飛ばしながら怒号するあんどらすに、すかさずめふぃすとが頭を下げる。
「ご、ごめんなさいっ!」
頭を垂れるめふぃすとの腹部に、あんどらすは蹴りを入れて追撃した。
「がっ……!」
僅かに身を浮かせ、めふぃすとは背中からレンガの道にダイブした。
痛みに呼吸がままならないながらも、めふぃすとはあんどらすに行動の理由を問い質す。
「ど、どうしてこんなことをっ……!?」
「決まっているだろう。僕はお前を殺すために派遣されてきたんだぞ?」
喋りながらめふぃすとに馬乗りするあんどらす。
彼は、めふぃすとが身動きできないようにしてから一方的に拳を振るい始めた。
右、左、右。交互に繰り出される拳は硬く、着々とめふぃすとのシルクのような頬に痣を刻んでいく。
「死ぬまで僕が可愛がってやるよ! 愛玩機巧のお前にとっては、これが本望だろう?」
簡単には殺さない。じっくり痛め付けて、しっかり屈服させて、僅かな希望の光を灯してから絶望の淵に叩き落とす。
戦闘に重きを置いた設計のあんどらすにとって、相手を甚振る瞬間は至福のひとときだった。
「死ね! 死ぬなよ? 早く死ね! まだ死ぬなよぉ?」
矛盾した言葉を繰り返すあんどらすの声など、既にめふぃすとの耳には届いていなかった。
これでいい。これで、全てが終わる。葉月も──誰もこれ以上傷付けずに済むのならば、自分はどうなってしまっても構わない。
めふぃすとは、もう死ぬ覚悟を終えていた。
だが、不幸なことに、めふぃすとの平然とした態度があんどらすの癇に障ってしまった。
「澄ましやがってこのポンコツがっ! 愛玩機巧は愛玩機巧らしく誰かを愉しませていればいいんだよっ!」
振り上げられた拳が向かう先は、めふぃすとの顔の中央部分。あんどらすは、めふぃすと鼻を折り、歯を砕き、目を潰そうとしていた。
「壊れちまえっ!」
人体に、硬い何かが接触する音がした。
「んがっ……!?」
頭の後ろに痛烈な衝撃を受けたあんどらすは、飛べるはずもないのに宙を舞った。
めふぃすとの上を通り過ぎていき、大地と服の間に摩擦を起こしながら静止したあんどらす。
状況を理解できていない彼は、一見によってその不足分を補おうと身体を半回転させる。
「お、お前はぁ……!?」
あり得ない、とあんどらすは思った。
年端もいかない少女が、決して細身ではない自分の身体を蹴り一つで吹き飛ばしてしまうなど世の理に反している、と。
「あなたには──誰も殺させない!」
己を睨む二つの眼。ただの少女のものなのに。所詮は人間のものなのに。
あんどらすは、自分は今までどれほど甘やかされた環境で育ってきていたのだろうと己の過去を振り返った。
それほどまでに、人間の少女の眼光が新しく、また恐ろしく感じられたからだ。
「ま、待て! 愛玩機巧は返してやるから、それ以上僕に近付くんじゃない!!」
恐怖に歪んだ顔で捨て台詞を吐きつつ、あんどらすは思うように動かない足でふらふらと通りの方へ向かった。
それから、左方へと曲がって葉月の視線から逃れた。
逃走したあんどらすを追跡するか否か迷った葉月だったが、もう目的の条件を満たしていたため深追いはしないことに決めた。
「葉月──さんっ……?」
衰弱した小動物のようにか細い声で、めふぃすとが葉月の名を呼ぶ。
「めふぃすと……私達、もう一度やり直そうよ?」
葉月はめふぃすとの上体を持ち上げ、自分の膝の上に頭を置いた。
レンガ製の道は葉月が思っていたよりもデコボコしていて、膝に継続的な痛みを伴っていた。
しかし、葉月はそんなものには屈しない。
自分が支えてあげることでめふぃすとが楽になるならば、選択に迷ったりしない。
葉月は、時が経つにつれ生前の性格を取り戻してきていた。
「──それはできませんっ。私、葉月さんに酷いことをしてしまいましたからっ……」
葉月を守るためとはとはいえ、突き放すような発言をしてしまっためふぃすとが素直に頷くことなどできるわけがなかった。
めふぃすとは、自分のしてしまったことを深く後悔し、じわりと瞳を潤わせた。
「私は、人間を欺こうとした悪い機巧人ですっ。そんな私なんかが、優しい葉月さんの側にいていいはずがないですっ。どうか、私のためを思ってここに置いていってくださいっ……」
こんな時でも、自分はプログラム通りの言葉を選んでしまう──めふぃすとは、他者の頼みを断れない葉月に効果的な、懇願という形で思いを告げた。
自己嫌悪感こそあれど、これで葉月ときっぱり別れることができる。
ツァーフ博士による完璧な設定を妄信していためふぃすとには、それ以外の未来が視えていなかった。
「偶然だね。私も悪い人間なんだ」
葉月が、白い歯を溢して微笑んだ。
「だから、めふぃすとの嫌がることをするね」
影に覆われていた第二の選択肢が浮上し、めふぃすとは唖然とした。
そして、その意味を理解すると同時に目から涙が流れてきた。
葉月は、そんなものはお構いなしといった風に、ポケットからピアスを取り出してそれをめふぃすとの眼前にちらつかせた。
「これ、落とし物。次は気を付けてよね!」
「……はいっ!」
泣いて、笑って。機巧人の少女はもう、立派な人間になっていた。
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