僕はまた、武器を取らなければいけないらしいよ

 もぬけの殻となった室内を見て、葉月の中には様々な憶測が飛び交い始めた。

 その中でも最も有力な説は、何らかの意図を持っためふぃすとが窓から外に出たというものだった。

 悩んでいる時間はない──葉月は、すぐさま一階に下りてめふぃすとの失踪をシャルル達に話した。

 それを聞いて大声を上げたのは、以外なことにアランの方だった。

「何だって!?」

 男性の野太い叫びに慣れていない葉月は身体を跳ねさせ、目を瞑りながら首を引っ込めた。

 アランは、作りかけの服をテーブルの上に置いてから葉月の眼前まで出てきて、彼女の肩をがっちりと掴みながら情報に誤りがないか問い掛けた。

「ま、間違いないよ……」

「何ということだ……!」

 頭を抱え、アランは奥の部屋へと姿を消した。

「……勿論、探しにいくんだよね?」

 シャルルは、葉月が答えるよりも先に席を立って“ファーストレイ”の出入り口付近まで移動した。

「当たり前だよ」

 背後に立つシャルルと目を合わせることなく、葉月がそう断言をする。

「私も同行するよ。任務もあるしね」

「ありがとう、シャルル」

 駆け抜ける騎士。飛び交う怒号。

 葉月は、緊迫した外の空気感に恐怖心を抱いていた。

 それでも、今は勇気を出して戦わなければならない時なのだ──と、覚悟を決めるしかなかった。

 渇いた喉が、存在しない唾液を飲み込む。

「出よう──!」

 踵を返し、葉月は王都せんじょうへと赴いた。


 アランは、一階にある自分の部屋にいた。

 服を着替え、整理された書斎の上に置かれた写真立てを顔の前に持っていく。

「セレナ、マリー──僕はまた、武器を取らなければいけないらしいよ……」

 収納された写真には、アランと妻セレナ、娘のマリーが映されていた。

 アランとセレナはどちらも騎士であり、同じ騎士団の仲間でもあった。

 同年代ということもあり、比べられることが多かった二人は、互いに互いを高め合うライバル同士だった。

 十年前、ヴァンパイアの生き残りとの戦闘によって重症を負ったアランは、治療による撤退と同時に騎士の引退を促されてしまう。

 だが、彼は戦場を離れるつもりはなかった。

 まだ、セレナが戦っている──その事実が、アランを騎士という場所に繋ぎ止めていた。

 しかしながら、アランの身体はもう戦闘に耐えられないところまで追い詰められていた。

 何とか彼を辞めさせなければ。上司達が頭を悩ませている中、セレナが一肌脱いだ。

 アランがいないと張り合いがない──そんな動機で、セレナは騎士を退職した。

 もっとも、その言葉が真実だったのかどうかはもう誰にも分からない。

 セレナの辞職を受け、自身も騎士を辞めたアランは、もう一つの夢だった服飾店を二人で経営していくことにした。

 時が経つにつれ二人の距離は縮まっていき、やがてアランとセレナは結ばれた。

 そして、娘のマリーが誕生した。

 セレナと同色の燃えるような赤い髪。無邪気で元気な性格……マリーは、沢山の愛を受けてすくすくと成長した。

 “ファーストレイ”の経営も順調で、娘の成長という楽しみも獲得したアラン達は、まさに幸せの真っ只中にあった。

 そんな家族を襲ったのは、革命派を名乗る同じ人間族だった。

 王都の住民を斬り殺し、民家に火を放ち、女を犯すといった暴虐非道の数々を行っていた革命派は、たまたま外出していたアランの一家も標的の一つとして数えていたのだ。

 武器を振り回しながら接近してくる革命派を次々と気絶させていくアラン。

 引退した身ではあったが、彼の身体に染み付いた戦闘技術はまだ失われていなかったのだ。

 それはセレナも同様であり、二十名ほどで固まっていた革命派を僅か数十秒で対処し終えた。

 見渡す限り敵影はなく、もう大丈夫だと娘の方を振り返った二人。

 その瞳は、優しく微笑んだのではなく大きく見開かれていた。

 近くの民家に潜んでいた革命派が、マリーを人質に取っていたからだ。

 娘の危機に気を奪われていた両親は、背後から迫る第二部隊の影に気が付かなかった。

 後頭部を殴られ、アランは力なく地面に倒れ込んだ。

 血液によって濁っていく視界には、妻と娘が服を剥がれ、蹂躙される光景が浮かんでいた。

 娘の悲鳴。妻による娘には手出ししないよう懇願する声。

 塞げない耳は、聞きたくもない音声を延々と拾い続けた。

 大勢の命を奪ってきた腕も、遠征によって鍛え上げられた脚も、必要な時に限って痺れて動かない。

 やがて、アランは意識を失った。

 彼が二人の家族の死を知ったのは三日後のことだった。

「……よし」

 亡き妻と娘に祈りを捧げ、アランは写真を元あったところに戻した。

(今度は、絶対に守り抜いてみせる……!)

 成長した娘のような少女を、若かりし頃の妻に似た少女を、失ってしまった愛を取り戻す青年の戦いが今始まる。


 道中、民間人の姿が見当たらないことに疑問を抱いた葉月は、騎士にめふぃすとの所在を問うついでにそのことについても質問した。

 彼は、自分は民間人に外出しないよう告げて回っている身であることを告げた。

 どうやら、騎士の中でも格が低い者がその役を担っているらしい。

 葉月は、情報提供をしてくれた彼にお礼を言い、上位の騎士の進軍に従って戦場である噴水広場へとやってきた。

 王都内には五つの広場が存在しており、ここはフリティラリアの中央に位置する最も巨大な憩いの場だった。

「今こそ天使を討つ時だ!」

「蛮族共を始末しろ!」

 落ち着いた雰囲気を漂わせていた中央広場は、鉄の臭いと汚い言葉によってすっかり支配されてしまっていた。

 加えて、あちらこちらで金属同士がぶつかり合う音が響き渡っており、この空間で棒立ちしているだけでも気分が悪くなってしまいそうなほど異質な空気感が充満している。

「うっ……」

 凄惨の二文字を五感全てが捉えてしまい、葉月は怖気付いてしまう。

 そんな彼女を励まそうと思ったのか、はたまた圧力を加えようとしたのか。シャルルは、どちらとも取れる発言を葉月に浴びせた。

「葉月、これが戦だよ。これが──殺し合いだよ」

 数回とはいえ、葉月自身も命を懸けた修羅場を潜り抜けてきた。

 しかしそれは、神の特権の一つによってゾーンに突入した時の話であり、素の葉月が目の当たりにしてきたわけではない。

 シャルルは、葉月の判断を待った。

「……ここに、めふぃすとがいるかもしれない」

 呆れるように大きな溜め息を吐いたシャルルは、打って変わって口角を上げ、葉月の肩に腕を回して彼女の身体を引き寄せた。

 そして、耳元でこう呟いた。

「──死ぬなよ」

 直後、シャルルは禍々しいオーラの中に突っ込んでいって、走る勢いを保ったまま落ちていた剣を拾い上げた。

「ニコラ騎士団所属、シャルルマーニュ=ヴァル・ド・ロワール──推して参るっ!」

 何故、いつもの鉄球を召喚させないのだろう。葉月は一瞬考えて、すぐに答えを導き出した。

 大は小を兼ねるという言葉があるが、この状況ではそう上手く事は運ばない。

 小さな民家程度の大きさを誇る鉄球では、敵だけを倒すという繊細な作業をこなすことができなかったのだ。

 そんなものを振り回せば、味方や街そのものを破壊しかねない。

 シャルルが、王都内での鉄球の使用を禁じられていた理由がまさにそれだった。

「どうした!? お前らの実力はそんなものか?」

 シャルルの剣技は、とても普段の様子からでは窺えない迫力と品が備わっていた。

 舞うように──と喩えられるほどではないが、サッカークラブに所属している少年が、体育の授業で実力を遺憾なく発揮しているような存在感があったのだ。

「格好いい……!」

 葉月の口からは、自然とそんな言葉が漏れ出していた。

 同時に、彼女の胸中には自分も頑張らねばという覚悟も芽生えていた。

(脇道にいれば、私が傷付けられることはない……でも、ここまできたんだ。そんなことを言っていたらダメだよね)

 残り一割の不安感を消し去るために、葉月はそう自身に暗示を掛ける。

 そんなことをしなくとも、すぐに消し飛んでしまうとも知らずに。

「めふぃすと!?」

 葉月は、噴水の前に赤い髪の少女が立っていることに気が付いた。

 めふぃすとはあんどらすと並んで立っており、とても両者が対立した関係にあるようには見えなかった。

「葉月さんっ……!?」

 めふぃすとも葉月を認知したようで、驚愕の籠もった声で相手の名前を発言した。

 正義と正義の激しい駆け引きの合間を縫って、葉月は二人の機巧人に接近した。

「早く帰ろう? 危ないよ?」

 死なない者が、死なない者に命の危険を知らせる。

「……それはできませんっ」

 目を伏せ、めふぃすとが首を振る。

「ヒャヒャヒャヒャハァ! ほぅらめふぃすと、お前の口からはっきりと言ってやれよぉ!」

 ニタニタと笑いながら、あんどらすがめふぃすとを囃し立てる。

 二秒の間を開けて、めふぃすとが口を開いた。

「私は、あんどらすと共に歩みますっ。だから、葉月さんとはもうお別れですっ!」

「え──?」

 葉月の時間が完全に停止した。

「ヒャヒャヒャヒャハァ! フラレてやんの! めふぃすと、お前も笑ってやれよ! せっかく身体を張って笑わせてくれているんだ、真顔だと可哀想だろぉ?」

「──そうですねっ」

 めふぃすとは笑った。

 機械で作られたように完璧な笑顔を浮かべた。

 それは哀しみも未練もない、本心による微笑みだった。

「こいつは、お前の力なんて信用していなかった! だから、こいつにとってはお前と過ごした時間に意味なんてなかったんだよ! ぷぷぷ!」

「嘘──だよね?」

「……嘘ではありませんよっ! それが、我々機巧人ですからっ!」

 子供のように純粋な声が、葉月の心に突き刺さる。

「もういいですかっ? 私、いかなければならないところがあるのでっ……」

「待っ──ううん、もういいよ」

 葉月は、思い出も覚悟も、決意さえもゴミ箱に投げ込んだ。

「私がバカだった。信じた私がバカだった!」

 自責の念に駆られる葉月に追い打ちを掛けるように、めふぃすとが自分の耳に付いていたピアスを俯く葉月の真下に置いた。

「さようならっ!」

 場違いに明るい声が、戦の庭を通り抜けていった。

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