何度でも助けてあげるよ

 キューティクルを保った髪、水気を帯びた目、キメが整った肌……どこかに、決定的な機巧人要素はないものか。葉月は、向かいに座っためふぃすとをまじまじと見つめていた。

 目を逸らそうと見つめ返そうと、一向に動く気配のない視線に困惑しながらも、めふぃすとは自己紹介を続けた。

「私は、ツァーフ博士によって作られましたっ」

 異世界げんだいの技術の遥か先に到達した博士、ツァーフ。

 機巧人を製造できるくらいの技術があるならば、有名人となっていてもおかしくはないのだが、アランやシャルル、ヴァイオレットは、皆唸ってばかりだ。

「機巧人は、君以外に存在しているのか?」

「しています。先述の通り、まだ愛玩機巧しか完成していないはずですがっ」

 声質、呼吸音、滑舌……口の動きも、人間のものと言って差し支えない。

「何のために作られた?」

「世の中には、神に見放された寂しき人間がいます。そんな人達を救済するために私達は製造されましたっ!」

「神に見放された寂しき人間って……具体的に、どんな人のことを指すのさ?」

「基本的には、独り身の人を対象としています。子に恵まれないこと、配偶者に先立たれること……理由は様々ですが、どれも神の怠惰によって招かれた悲しき事柄ですっ」

(神様……私のために頑張るくらいなら、他の人を一人でも多く救ってあげてよ……)

 神に愛されてしまった葉月は、力の入れどころを誤っている創造主に向かって不満の感情を物申した。

「あくまでも、神は創造するだけでしょ? それからどうして、どうなっていくのかは担当範囲の外に当たるんじゃない?」

「創造には責任が伴います。育児放棄は罰せられますよねっ?」

 人間は神の子。この世界では常識だ。

 葉月だって、言ってしまえば子の一人に含まれている。

 葉月の前世では、それとこれとは全くもって別問題だと指摘できるほど飛躍した両者の関係だったが、こちらでは否定できない強固な正論として扱われていた。

「とどの詰まり、ツァーフ博士は神様がお嫌い……ということになるのでしょうか……」

「それは分かりませんっ! ごめんなさいっ!」

 机に額をぶつける勢いで頭を下げるめふぃすとに、ヴァイオレットは猫の鳴き声のように短い悲鳴を上げた。

 機巧人であるめふぃすとは答えられなかったようだが、人間の葉月ならば答えられなくはない。皆が納得できるかどうかは別として、葉月は、思い切って自論を展開してみることにした。

「人間を作り出すという神の仕事を、ツァーフ博士は人間でありながら成し遂げてしまったんだよね? それって、神とそのやり方を否定しているってことになるんじゃない?」

 人の身でありながら、神様紛いの創造をしてしまう。人間が、その手で人間を作り出してしまう。

 それが物であったら。手ではなく、出産によって誕生させていたら──ツァーフ博士は、全てにおいて選択を間違ってしまったのだと言わざるを得ない。

 反論しようとしたのだろうか。それとも、別のことを言おうとしたのだろうか。

 開かれためふぃすとの口から、言葉が溢れ出してくることはなかった。

「何だっ!?」

 稲妻が落ちたように、上空から何かが降ってきた。

 ずっと大人しかった風は荒れに荒れ、眠っていた音は叩き起こされた怒りで空気を振動させた。

 衝撃よりも先に、音よりも速く、その物体はテーブルを肉のように切り裂き、床にも細長い切り込みを刻んでいた。

 黒いコートに身を包んだ銀髪の少年は、ゆらりと立ち上がって言う。

「見付けたぞ、愛玩機巧──!」

 赤い瞳が夕日のように煌めいた瞬間、少年の姿が蜃気楼のように消え去った。

「一体何──」

 アランが感情の籠もった声を発したその時、今度はめふぃすとの座っていた椅子が二つに裂けた。

 先ほどと同様に、自然界に存在するもの達がその後に続く。

「……避けたな?」

 床を転がり、少年の攻撃を回避しためふぃすとの動きは、まるで未来が視えているかのように神業めいていた。

 少年が消滅したのを見計らって、めふぃすとは“ファーストレイ”の外に飛び出した。

「待って──!」

 葉月とその影が、めふぃすとを追い掛ける。

 めふぃすとが前方に飛び込み、地面が割れる。それから、少年が出現する。

「ちっ……!」

 少年のいた場所には、舌打ちの音だけが残されていた。

「早く! こっち!」

  通り抜けざまに、葉月が転倒したまま動けなくなっていためふぃすとの手を掴む。

 その勢いに乗せられためふぃすとは、立ち上がると同時に駆け出し始めた。

 当てはなく、考えもない。ただ、奇跡的に人通りの少ない道に出ると信じて、葉月は王都を縦横無尽に走り抜けた。

「きますっ──!」

 脇道から本道に飛び出したまさにその時、めふぃすとが空に顔を向けながら大声を出した。

 しかし、その声が葉月の耳に届くには、少しばかり時間が掛かりすぎた。

 絶対に避けられない──本能がそう告げている只中に、玉を砕くような爆音が周辺にこだました。

 音色の発信源は、少年の大剣と巨大な鉄球の間にあった。

「シャルル!」

「私の街で、好き勝手しないでもらえるかな?」

 接触の衝撃を殺し、少年は宙を翻って着地する。それから、鋭い眼光をシャルルに向けた。

「ちっ……騎士もいたのか」

 苦虫を噛み潰したような表情を見せた途端、少年は文字通り風のように去っていった。

「た、助かったぁ……!」

 充満していた殺気が消え、葉月は安堵のあまりその場にへたり込んだ。

「死にたいんじゃなかったの?」

 そんな彼女に、シャルルはからかうような発言をする。

「死にたいけど、やっぱり怖いよ」

「怖くない死なんて存在しないと思うけどなー」

 シャルルの言う通りだ、と葉月は納得した。

 そもそもの話、死という存在そのものが恐怖の対象だ。そこに、恐れが追随しないわけがない。

 葉月は、矛盾した己の欲望の飼い方が分からなくなってきていた。

 どうすれば楽に生きられるのだろう。何をすれば瞬時に逝けるのだろう。

(好きなものが見付かる前に死にたいのに、その術が見つからない……)

 葉月にはいずれ、生と死のどちらかを諦めなければならない時がくる。どちらかの恐怖を受け入れなければならないその時が──

 考え込んでいる葉月の眼前に、めふぃすとの人間らしい面が舞い降りてくる。

「助けてくれて、本当にありがとうございますっ!」

 めふぃすとは、人間よりも人間らしい笑みを浮かべていた。

 彼女の笑顔に免じて、今は精一杯生きてみよう。揺らぐ葉月の心が、一定に収まっていく。

 何とか一つの難題を乗り越えた葉月の前に、他の疑問が立ち塞がった。

 まともな思考回路を取り戻した葉月の頭が、それを紡いで言語を構成していく。

 そうして、立派な疑問文が完成した。

 しかし、それは今言うべきことではない。

 葉月は、場の空気を読んで別の声帯の震わせ方をした。

「何度でも助けてあげるよ──!」

 誰であろうと、どんなことであろうと、この少女は親身になって対応してくれる。

 それが、自分にも解決できそうなことだったら、そっと手を差し伸べてくれる。

 挫けた心を立ち直らせ、挙句の果てに道を先導してくれる。

 三碓葉月という人間は、女神に見初められるほどのお人好しだった。

「ところで、シャルルマーニュちゃんにはお礼とかないのかなー? ほしがってそうなんだけどなー?」

 あたかも他人であるように装うシャルルに、めふぃすとはうっかりしていたと両手で口元を押さえてからお礼の言葉を述べた。

「えと……命を救ってくださって、とても感謝していますっ!」

 命──機巧人の口から発せられた三文字が、葉月の脳内をずっと彷徨い続けていた。

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