人を殺しまくってる人間と、善悪不明の人間がおるとする

 ケーキを食べた後のように自身の唇を舐めているメイドに、葉月は反論を開始する。

「大胆なのはそっちでしょう!? ここは“ファーストレイ”というお店で、私が貸してもらっている部屋なんだけれど!?」

 正論で塗り固められた言葉の攻撃を受け、メイドは葉月から窓の外へと視線を移した。

「もっともな言い分やなぁ……せやけど、これがウチのやり方やから」

 そういう方針であったとしても、不法侵入は立派な犯罪だ。何を言おうと、それが覆ることはない。

 しかしながら、メイドはそのような事実に一切目を向けてはいなかった。

 忘却の彼方へと追いやっていた記憶を呼び起こし、彼女は再び葉月の方を向き直る。

「自己紹介がまだやったな。ウチはマジェンタや。ニコラ騎士団に所属しとる」

「私は三碓葉月──って、ニコラ騎士団!? あなた、騎士なの!?」

「せや! どや、凄いやろ!」

 マジェンタは両手を腰に当て、一〇〇点のテストを自慢する小学生のように胸を張った。

 一方、葉月は母親のような温もり溢れる包容力を見せることはしなかった。

 むしろその逆──言うなれば、カンニングをして満点を取った友達に向けるような、冷ややかな視線をマジェンタに送っていた。

「騎士だったら、尚更こんなことをしちゃダメでしょ……」

「う、ウチは潜入担当やから!」

「そんなの知らないし……ってか、そろそろ足の上から退いてくれないかな?」

 重さだけでなく、痺れまでも訴え始めた太腿を気遣って、葉月はマジェンタにそのような提案を投げ掛けた。

 だが、それもすぐに棄却されてしまう。

「まだや。まだ取引が済んでない」

 取引──その単語に心当たりがない葉月は、訝しげにマジェンタを睨み付けながら概要が告げられるまで沈黙を続けた。

「王都の北に、アイスストーンの鉱山があるんやけど……今そこで、異常な現象が発生してんねん」

「それで?」

「ほら、アイスストーンって王都の貴重な資金源やん? だから、その鉱山でトラブルとかがあったらまずいわけや。んで、その騒動を解決するためにウチが派遣される」

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃいじゃないわ! 葉月も同行するんやで!?」

「何で!?」

 昨晩、葉月は騎士の作戦に協力した。しかし、断じて騎士団に肩入れしたわけでも、入団を希望したわけでもない。

 それに、軽い気持ちで任務の同行を求められるほど、彼らと密接な関係を構築しているとも言えない。

 強引な招待の域を脱していないこの話に、葉月が頷くわけがなかった。

 しかしながら、そのことはマジェンタも承知の上だ。だから、脅迫にも似た交換材料の呈示を欠かさない。

「葉月って、神の特権を授かってるんやろ? ウチ、それのこと知ってんで」

 耳元で囁かれた魅力的な言葉に、葉月の心は寝返りを打った。

 葉月の顔付きの変化と、明らかに大きくなった瞳を見て、マジェンタは勝利を確信したように口角を上げる。

「この任務に協力してくれたら、ウチが知ってることを教えたる。おまけに、もっと詳しい人も紹介したるわ」

 そもそも、この世界の人々は神の特権についてどこまで認知しているのだろうか。

 葉月の狂気を目撃した騎士達が、一人としてその名を口にしていない辺り、そこまで知られてはいないと推測するのが妥当なところだろう。

 であれば、一発で神の特権の所有者であると言い当てたマジェンタが、何か特別な情報を持っていてもおかしくはない。

 不本意でも、不満があっても、葉月は彼女の提案を承認するしかなかった。

「……いつ出発するの?」

「……午前十時。一時間半後や」

 葉月に跨がるのを止め、ベッドからマジェンタが下りる。

「正門の前で待っとるで~」

 葉月に背中を向けたまま手を振るマジェンタは、陰のある含み笑いを浮かべていた。


 肩に霊でも取り憑いてしまっているだろうか──葉月は、身体がずっしりと重みを増しているような錯覚に陥っていた。果たして、重いのは気なのか荷なのか。

「おー、きっちり五分前やなー!」

 門の外で大きく手を振っているマジェンタは、メイド服から正式な騎士の装備へと衣を変更していた。

 マジェンタの鎧とシャルルのそれは、似ているようで少しデザインが違う。

 シャルルは、守りは最低限に抑えて可愛さを最重視していたのに対し、マジェンタは腹部を含む数ヶ所に硬いプレートを追加していた。また、スカートの丈も膝下まで伸びており、色も赤と赤紫に変わっていた。

「こーへんかったら何したろかって考えてたんやけど……無駄に体力を使っただけやったわ!」

「あれだけのことをしておいて、まだその可能性を捨ててなかったんだ。私って、信用ないのかな……」

「この世に絶対はないんやで」

 門番に軽く会釈して、葉月も門外に出る。

「ほな、いこかー!」

 何度も腕を振り上げながら、マジェンタはご機嫌な様子で城下町の道を通り抜けた。

 二つ目の門には、門番も鍵という鍵もなかった。誰でも入れ、誰でも出られる──葉月はこの門に、簡易的かつ開放的で、安っぽい作りという印象を受けた。

 マジェンタは、黒光りする門を開け、葉月に先行するよう告げる。この時、門が不快な金属の擦れる音を奏でなかったことから、管理の手は行き届いているということを察することができた。

「レディーファーストってやつやな」

「あなたも女の子でしょう……」

「騎士様は格好よくて強いんやで。まるで男の子みたいやろ?」

「どう見ても女の子ですよ」

 門の外には美しい材質の礼装に見劣りしない美男美女が多数おり、停まっている馬車に乗り込んでは動き出す……と、景色がとても煩かった。

 ひっきりなしに出入りする馬車をよそに、マジェンタは他の馬車よりも色や装飾が派手なそれの御者に一言二言話し掛け、葉月のところまで戻ってきた。

「ほな、乗り込もか」

 欠伸をする御者にきちんと挨拶をして、葉月とマジェンタが客席に座る。

 その様子を目視していた御者は、出発を告げると同時に馬を走らせた。

 蹄鉄を履いた馬が大地を駆ける音は、一定かつ心地いい音程であり、目覚めて間もない葉月でさえも眠りの世界に誘ってしまいそうだった。

 こんなところで意識を途絶えさせるわけにはいかない。葉月は、眠気覚ましに他愛ない会話を楽しむことにした。

「正門って、こんなに往来が激しかったんだね」

「何や、こっちは初めてか?」

「そうみたい」

 葉月が昨日シャルルに案内された門は、もっと細くて日光の当たらない道の途中にあった。当然、活気も人の気配も数えられる程度しかなく、王都の闇──見てはいけないものを見てしまったような雰囲気をしていた。

「やっぱり、ここは王都なんだね」

 シャルルも、王都には光と闇が備わっていると発言していた。彼女の英雄像は、闇の部分に光を与える人という意味を孕んでいたのかもしれない。

「フリティラリアは正しく王都。世界一安全で、世界一危険な街や」

「騎士がいっぱいいるから安全っていうのは分かるけれど、危険な街っていうのはどういう意味?」

「もう忘れたんか? 昨日死に掛けた……というか、死んだばっかりやん」

 革命派が早急に排除すべき癌であり、檻を抜け出したライオンのように危険な存在であるということは紛れもない事実だ。だが、世界には今も戦争を続けている国が沢山ある。少なくとも、生前の世はそうだった。

 この世界もあの世界も、さしたる相違点は見当たらない。

 故に、きっとこちらにも紛争地帯は存在している。

 王都の内戦と国同士の戦争……死傷者の数も規模も、比較するだけ時間の無駄。どこを取っても、フリティラリアが世界一危険な街という見解が誤解であると分析できる。

「しゃーないから、もう一つヒントをやるわ」

 未だに答えを導き出せていない様子の葉月に、マジェンタが蜘蛛の糸を垂らす。

「人を殺しまくってる人間と、善悪不明の人間がおるとする。葉月は、どっちかの人間と一緒の部屋で一日を過ごさなあかんとしたら、どっちを選ぶ?」

「後者。考えるまでもないよ」

「実は、後者も殺人鬼やったんや。隠された情報を明かしたところで、改めて聞かせてもらうで。葉月はどっちの人間を選択する?」

 過程が異なるだけで、結果はどちらも同じ……であれば、判断基準として使用できるのは過程の部分に絞られる。

 悪人であることが明瞭な人間であれば、背中を向けない、眠らないといった対策を取ることができる。

 逆に、本性を隠している罪人にはそういった対応をすることができない。それどころか、言葉巧みに操られてしまったり、疑念を晴らされてしまえば容易く気を許してしまうかもしれない。

「前者……かも」

 条件が一つ増えただけで、選択が変わってしまう。しかも、悪手であるように窺える方を選ばされてしまう。

葉月は、ようやくマジェンタの言いたかったことを悟った。

 。考えただけで、身体が震えてきてしまう恐ろしさだった。

「表裏一体って、ほんまに恐ろしい摂理やな~」

 マジェンタは、伸びをしながら重苦しい話を軽く流すようなことを言った。

「肌寒くなってきたなぁ。そろそろ着く頃か」

 マジェンタは、隣に置いてあったナップサックから獣の革を使ったコートを取り出した。帽子やボタンまで備え付けられているため、防寒性は極めて高い。

「二つ持ってきてあるから、遠慮せずに受け取ってな」

「……ありがとう」

 妙に紳士的というか、気が利くところは理想的な男性像に求められる一要素だ。

 存外、マジェンタの自称は的を射ていたのかもしれない。

「少し傾きますよ。しっかり手摺に捕まっていてください!」

 慌ててコートを羽織った葉月は、御者のアドバイスに従って椅子の端をがっちりと握り締めた。

「嘘やろ!? 早すぎる~……!」

 判断の遅れが生じたマジェンタはというと、膝の上にコートを置いたままその時がくるのを黙って見ているしかない状況だった。

(……まだ傾斜は浅い。今なら!)

 葉月は、跳ぶように対面する椅子の方へと駆け出した。

 一度大地を蹴って、勢いを生かしたまま身を翻す。タイミングを見計らって、一気に腰を下ろす。

 見事、マジェンタの隣の席を勝ち取った葉月は、己がコートとなるかのように震える騎士に抱き付いた。

「葉月……!?」

 頬を薄い桃色に染めるマジェンタ。そのすぐ側で、葉月はニッコリと微笑む。

「コートのお礼! 恥ずかしいかもしれないけれど、我慢してね」

 女神に見初められるほどの善人──葉月の根底は、変わらず生前のままだった。

 きっと、この世から死という概念が消え去ってしまえば、少女は死ぬ前と同じ笑顔を取り戻すのだろう。

 しかしながら、究極のあくである世界が、そのような変革を起こすわけがない。

 無慈悲な世界は、数時間後に大量の死体を作り出す。

 モップを、流れた血液で染め上げるメイドが近い未来に必ず現れる。

 そのメイドは、「やっぱりここは寒いなぁ」と独り言を漏らすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る