私達が友達であることに変わりはないでしょう
拠点に戻った葉月は、ずっと椅子の上で蹲っていた。
初めて目撃した人の死。身体に刃物が通る感覚。そして、肉体の再生……普通の女子高生では体験することのない経験を、一度に三回。
その心的負担は相当なもので、温室育ちの彼女には荷が重すぎたようだった。
そんな葉月に気を遣ってそっとしておいてあげていたニコラだったが、丑三つ時が近付いてきたこともあり、そろそろ家に帰してあげなければならないと考え始めていた。
それ故、ニコラは控えめな様子で葉月に話し掛けた。
「葉月ちゃん、王都に戻る準備はできているか?」
「……はい」
葉月は、存外あっさりと返答した。ただし、身体の方はそう素直ではない。
意欲的に動こうとしない肉体に無理を言ったせいだろう。葉月は、ゆらゆらと揺れながら立ち上がった。
「……辛い思いをさせちまったな。騎士として恥ずかしく思うよ。申し訳ない」
ニコラは、どこを見て自分が辛い思いをしていると感じたのだろう……彼の感情の出処を知りたくなった葉月は、両手で己の顔に触れ、全てを察した。
「はは……酷い顔をしていたんですね、私」
渇いた笑い。口だけの笑い。心から笑いたくなるような醜悪な表情だったのに、外にはそんなものしか出てこない。
葉月の神経は、そんな領域にまで達してしまっていた。
「もう大丈夫です。帰りましょう」
本音を隠して、葉月はニコラよりも先に拠点を出た。
そんな彼女を、満天の星と月が迎え入れる。
夜空は、ずっと心に残しておきたくなるほど美しい。だが、葉月は今日という日を思い出にはしない。
手招く空のカーテンから視線を外し、葉月は淡々と馬車に乗り込んだ。
慌てて付いてきたニコラの指示を受け、馬車は大地を走り始める。
闇の王都は、日中の活気付いた様子と違って、神秘的でロマンチックな装いをしていた。
僅かな光によって照らされた“ファーストレイ”の看板。
日付が変わってしまいそうな時間だというのに、服飾店の店主はまだ仕事を続けているらしい。
「またな、葉月ちゃん」
馬車の外から見上げる葉月に、ニコラは手を振って挨拶をした。
「さようなら、ニコラさん」
『また会おう』とは告げずに、葉月は走り去る馬車の背中を見送った。
踵を返し、恐る恐る“ファーストレイ”の扉を開けた葉月を、アランが苦笑しながら迎え入れる。
「……おかえり」
「……ただいま、です」
申し訳なさそうに頭を下げる葉月の右耳が、落下音を捉える。
その方向には、呆然とした様子で葉月を見ている白い影があった。
オブリエルは、素早い動作で杖を拾い上げ、葉月よりも早く移動を始める。
上下にも左右にも揺れる、壊れる寸前の玩具のような身体。雨垂れが石を穿つような音を放ちながら地面を叩く杖。
今行える最高の移動方法で歩んできたオブリエルは、葉月の目の前でバランスを崩して転倒してしまった。
葉月は、本能的にしゃがんで、手を差し伸べようと腕の筋肉に力を込めた。
しかし、オブリエルが先手を打ったことによって、その動きはぴたりと止まってしまう。
もう二度と失いたくない。目の前から、消えてほしくない──そう告げているかのような、力強い抱擁。
突然の事態に困惑する葉月は、何故か嗅覚を働かして、オブリエルの放つ少女の香りを感じ取った。
その匂いを分析した葉月の脳は、『懐かしさ』という回答を導き出した。
「もう会えないかと思った……! 酷いことを言ってしまったかもしれないって、ずっと後悔していた……!」
涙と共に溢れ出てくる言葉の数々。
その一つひとつに、最大級の感情がぎっしりと詰められている。
「せっかく出会ったのに、もう離ればなれになってしまうかと思った……!」
震えるオブリエルに、葉月は真っ直ぐな声で返答する。
「心配してくれたのは嬉しいし、心配を掛けたことは悪いと思うけれど、どうしてそこまで……? 私達、初対面だよ……? それに、数分会話しただけ……」
オブリエルは、留まるところを知らない涙には目もくれずに、葉月の目を見て発言をする。
「共に過ごした時間の長さなんて関係ないわ。だって、私達が友達であることに変わりはないでしょう──?」
「友……達──」
それは、失う恐怖を植え付けてくる邪悪。葉月にとっては、何よりも不要な存在だった。
「……何にせよ、無事に帰ってきてくれて何よりだわ」
落ち着きを取り戻したオブリエルは、葉月から離れて、指で涙を拭った。
「オブリエルは、ついさっきまで街中を探し回っていたんだぞ」
「本当!?」
オブリエルは、恥ずかしそうに顔を横に向けてボソボソと呟く。
「だって、心配だったんだもの……」
「心配にも限度があるよ、もう……」
まともに歩けないほど深い傷を負った身体で、人通りの多い王都を歩き回る。それは、困難を極める愚行だった。
葉月は、異常さすら感じるオブリエルの行動から、彼女が信仰される理由を少しだけ理解した。
そして、そんなオブリエルに好感を抱き始めていることを気掛かりに思っていた。
「ごめん。今日は色々あって疲れちゃった。もう寝るね」
葉月は逃げるように立ち上がり、誰とも目を合わさずに階段を上った。その背中に、アランの低い声がぶつけられる。
「一番奥の部屋だ」
語られることのなかった主語は、ちゃんと葉月に伝わっていた。
葉月が階段を上る足音が完全に途絶えてから、アランがオブリエルに視線を向け、口を開いた。
「もう夜も遅いし、今日はオブリエルも泊まっていくといい。一階のベッドを貸そう」
「そうさせてもらうわ。ありがとう」
二階にも幾つか空き部屋があるというのに、アランはわざわざ一階という指定をした。オブリエルの怪我に気を遣ったのだ。
対するオブリエルの方も、気遣いは慣れっこだった。
負けず嫌いで、何でも自分でやろうとするオブリエルでも、この点はしっかり弁えていたのだ。
カウンターの奥の壁に掛けられていた時計が、一回鐘を鳴らした。新しい一日が始まって、既に一時間が経過していた。
「危ないところだったー……」
葉月は、ベッドに置かれていた枕を抱き締め、天井を見上げながら細い声を漏らした。
(私は、空のようになってはいけない)
部屋に光を射し込んでくる月と、射し込んでこない星。光量は違えど、輝きを放ち続けるその様は、まさに人生を謳歌する人間そのものだ。
一度目の人生でその恐ろしさを学んだ以上、葉月がその眩さを求めることはない。
(私は、この天井であり続けなければならない)
誰の光も目に映らず、己が輝くこともない。
それはとても寂しいことだが、喜びを知るよりはずっとマシだと葉月は考えていた。
(オブリエルはいい子だし、友達になったら毎日が楽しそうだけれど……だからこそ、求めちゃダメなんだ)
強引に、揺れる心を固める。ただの上塗りでしかないが、それで自分を騙せるのならば文句はない。
「よし。寝よう……」
起きていれば、よからぬことや余計なことを考えてしまう──就寝の直前にのみ発生するこの悪癖は、生前の葉月の悩みのタネでもあった。
葉月が言い訳として放った『今日は疲れた』という発言は、結果的に嘘から出た真となった。
星が瞬くよりも先に、鮮明だった意識が薄れていく。
こうして、葉月の世界が無に帰していった。
──オブリエルが、葉月の肉体から心臓を切り離した。
核を失った器は、力なく、そして力一杯倒伏するだけだった。
オブリエルは泣いていた。葉月の姿を、視界の端にすら入れることなく。
──これは未来予知なのか、それとも死を望む者へ与えられた罰なのか。
葉月は、訳の分からない映像によって叩き起こされてしまった。
がばりと身を起こし、それが夢であったことに安堵する。
(言行齟齬しているぞー、私ー?)
額を流れる汗を拭こうと、右腕を持ち上げた葉月。その手の甲が、柔らかくも硬度のある何かと接触した。
「んぐ……?」
葉月の脳は、その物体が何であるかを考えるよりも先に、下半身に重圧が掛かっていることを認識した。
次に、マスクをしている時のような息苦しさを。
そして最後に、物体Xが人間の顎であったことを理解した。
「んん~!?」
塞がれた口で行う絶叫は、もはや叫びの体を成していなかった。
死んで初めて──生まれて初めて体験するキスの味。その柔らかさや温かさは、ここでしか味わえない希少かつ甘美で、おまけにモヤモヤする不思議な感覚だった。
相手は、初めて見るメイド服の少女だった。
赤紫色のボブカットの髪とアメジストと同じ色をした瞳を持つ、何の変哲もない一般的なメイド服を着た少女。彼女は、引っ付いていた唇を離して、艶めかしく微笑した。
「大胆な子やなぁ」
違和感のある発音──詰まるところ、メイドの言葉は訛っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます