死んでしまっていたらごめんなさい

 少し広めの寝室程度の部屋に、若干窮屈に思える数の人が集まっていた。

 今は空き部屋となっているので、何とかパーソナルスペースは確保されているが……もし、この部屋が誰かの所有物だった場合、物に場所を取られて、それすらも与えられていなかったかもしれない。そのくらいの人口密度だった。

 人々の配置は散漫なようだが、実際はよく考え込まれている。

 絶対に葉月には手出しをさせない。その覚悟が、一番危険な部屋の中央──最初に敵と遭遇する位置に立つニコラから、ひしひしと感じられる。

「準備は整った。いつでもいけるぜ、葉月ちゃん!」

 ギリギリ葉月に届く程度の声で、ニコラが作戦の開始を促す。

 葉月は頷き、踵を返した。

 それから、閉じられていた窓を開け、羽根の形をした銀色のネックレスを両手で握り締める。

 このネックレスは、オブリエルの信者が身に付けるものだ。

 彼女の気高き双翼をイメージして作られており、『オブリエル様は常にあなたの側にいる』という意味が込められている。

 人々は窮地に陥った時、脅威に対して果敢に挑み続けたというオブリエルの戦記を思い起こす。勇敢な彼女が、今は自分に寄り添ってくれている──そう信じることで、勇気と冷静さを手に入れるのだ。

 そのため、羽根のネックレスを身に付けることは、自身が保守派であるということを一目で分からせる術となるのだ。

 葉月は、空に浮かぶ満月を、羽根で触れるように優しく見つめた。そして、心にもない祈りをオブリエルに捧げた。

「ああ、オブリエル様……あなたの勇気のおかげで、私は今生きております。今宵もこうして、月を見上げられています。全ては、オブリエル様のおかげです……!」

(あの子がそんなに凄い人だったなんて思わなかったな……もしかして、あの子の力なら私を殺せたりするのかな!?)

「オブリエル様……差し支えなければ、明日も私をお助けください。私にも、あなたのように……人々に救済の手を差し伸べさせてください」

(神にも等しい存在を、あそこまで追い詰める人斬りかぁ……どんな人なんだろ)

 そのような一人芝居を数分行っていると、初めて窓の下に見える道に人影が通った。

 あの人が『鎌鼬の辻斬り』だという直感を信じ、葉月はますます気合を入れて演技を行う。

「ああ、オブリエル様! 一度でいいのでその翼に触れてみたい! そのお声で話し掛けられてみたい! オブリエル様に我が愛を!」

 もし、下を歩く人物が『鎌鼬の辻斬り』ではなかったら、死にたくなるほど恥ずかしい。葉月は、『あの人が、どうか辻斬りであってください』とオブリエルに祈った。

「……今宵の月は大きいな。君もそう思うだろう?」

 その願いが届いたのか、人影は葉月のちょうど真ん前で歩みを止めた。

 月明かりしか頼るものがないもどかしさを感じながらも、葉月は通行人の姿をじっくりと確かめる。

 声は男性のものだが、腰まである長い髪と線の細い肉体は女性のそれに近い。

 それに、手にも腰にも、刃物らしき光はなかった。

 それに、彼はとても穏やかだ。殺人を犯すような人物には見えない。

 葉月が、男性から感じた印象は以上だった。

 とりあえず、無視をして怪しまれることは避けたいと思った葉月は、適当に会話を弾ませることにした。

「そうですね。まるで、オブリエル様が私を見下ろしているかのよう……!」

「ははは! 先刻から、オブリエル様を褒め称えていたのは君だったか!」

「ええ! オブリエル様は偉大なお方ですもの!」

「そうだな。王都が、今もこうして月の下にあるのは、紛れもなくオブリエル様のおかげだ」

 犯人は、オブリエルを敵対視する組織の一員だとニコラは言っていた。

 であれば、オブリエルのことを知り、その勇姿を称える彼が、『鎌鼬の辻斬り』である可能性は極めて低い。

 葉月は、警戒心を完全に切って、辻斬りがやってくるまでの時間を彼で潰そうと考えた。

「お兄さん、お名前は?」

 窓から身を乗り出し、あたかも興味があるように装う葉月。

「リヒトだ。君は?」

「葉月です! あの、リヒトさん。よかったら、私のお部屋にきませんか? 月がよく見えるし、お茶とお菓子くらいなら出せますよ!」

「月見酒ならぬ月見茶か……なかなか風情があるな。しかし、肴になるのは月ではなく、俺の方なんじゃないだろうか? なぁ、騎士様方よ?」

 次の瞬間、リヒトの姿が闇に溶けてなくなった。

「『鎌鼬の辻斬り』か……!」

 逃げられることを恐れた葉月は、深く考えもせずに窓から飛び降りてしまった。

「ぐっ……!」

 着地と同時に、足が痛みと痺れを訴え始める。

 葉月の足が放つ悲鳴は大きく、すぐに全身を支えることができなくなってしまった。

 しかし、葉月が尻餅を付いた時には、痛みも脱力感も綺麗さっぱり消滅していた。

「立てる……よし!」

 理由なんて何だっていい。葉月は立ち上がり、閉じられていたはずの空き家の扉から中を覗いた。

「これは驚いた。まさか、窓から登場してくるとは……!」

 今度は、リヒトの整った顔立ちもよく窺うことができた。そして、やはり刃物らしきものをどこにも武装していないことが分かった。

「突撃ー!」

 建物の陰に潜んでいた騎士達が、一斉に扉の中へと吸い込まれていく。

 上手くリヒトの虚を突き、優勢を獲得できたかのように思われた。だが、流石は『鎌鼬の辻斬り』と言うべきか、蟻地獄に吸われていった騎士達は、あっという間に胴体を真っ二つに両断され、血飛沫と内臓をぶち撒け始めた。

「ひっ……!」

 にわか雨が降り始めた時のように、ぽつり、ぽつりと葉月の顔に液体が付着していく。その正体が何であるかを知っている彼女は、短い悲鳴を上げた後、一歩二歩と後退を試みた。

 だが、恐怖によって足が上手く動かず、絡まってその場で転倒してしまう。

「葉月──ここ城下町は、君のように恵まれた少女が訪れてはいけない場所なんだ。この瞬間だって、都落ちした人間や、王都に住まいを築けないコンプレックスを抱いた狂犬共が、牙を研ぎながら叛逆の時を待ち望んでいるんだぞ?」

 転がり落ちるように階段から下りてきた騎士を、目で見るよりも先にリヒトが切り捨てる。

 たった今まで動いていた人間が、一瞬にして肉塊へと変貌する瞬間──何もかもをばら撒き、人が人でなくなる瞬間は、この世に存在するものの中で最も醜く恐ろしい時間だった。

「葉月ちゃん、逃げろ!!」

 足の踏み場が見当たらず、已む無く死体を踏んづけて一階へとやってきたニコラが、葉月を救うために声を荒げた。

 その獅子のような咆哮が、固まっていた葉月の思考と筋肉を柔らかくする。

 ニコラが、時間を稼ぐために剣を振り下ろす。しかしながら、それは何かに遮られたかのように空中で静止してしまった。

 その際、一瞬だけだったが、空気中に青白い陽炎のようなものが浮かび上がったのを葉月は見逃さなかった。

「透明な剣……!」

「ご名答! よもや、葉月には分かるまいと高を括っていたが……俺は君を甘く見すぎていたらしい」

「武神のようなオブリエルを負傷させるなんて、一体どんな手品を使ったんだと思っていたが──確かにその得物だったら、不意打ちの三つや四つ行えても不思議じゃねーな……!」

 話し終えると同時に、ニコラが剣に込める力の量を増やす。

 自分が押され始めていることを察したリヒトは、透明な剣を握る腕を動かして、ニコラの攻撃を空中に発動させた。

「流石に、騎士様と真っ向勝負をするのは骨が折れるな……!」

 態勢を立て直すために、リヒトは再び道へと飛び出した。

「動くな。少女の首が飛ぶぞ?」

 リヒトは、ニコラから離れることと、葉月を人質にするということの二つの目的を一度に達成させた。

 追い詰められた葉月はもう、希死念慮をする余裕すら持ち合わせてはいなかった。

「くそがっ……!」

 動くことを封じられたニコラが、威嚇をする犬のように顔をしわくちゃにしながらそう唸る。

「気配を遮断しているつもりのようだが、背後の家に潜む二名も動くんじゃないぞ」

 リヒトには、近くにいる人の存在感を察知する能力が備わっていた。

 家の壁程度ならば簡単に透過できるほど高性能な力は、夜間の辻斬りとの相性が抜群にいい。

 それが、彼の名を王都中に轟かせる役割の担っているということは言うまでもないだろう。

「さて、俺はこのまま撤退させてもらうよ。冷静な判断を頼むぞ、騎士団長?」

 刹那、勝ちを確信してほくそ笑んでいたリヒトの顔が、驚愕とも恐怖とも取れる歪な形に変化した。

「あなたは私を殺せますか?」

 葉月が、剣を握ったリヒトの腕をがっちりと掴んで、それを手前に引き寄せたのだ。

 この時の葉月には、理性というものが失われていた。

 その喪失は、ある種の防衛本能であり、葉月の願望の具現化でもあったのだろう。

「か、はっ……!」

 注射器の押子が沈んでいくような速度で、剣が葉月の喉へと沈んでいく。

 そのゆっくりとした動作が、リヒトを更なる恐怖へと陥れた。

「や、やめろ!」

 次の瞬間には、自分の胴体にも刃が刺さっているのではないかという懸念を抱いたリヒトは、剣を葉月の首から引き抜き、彼女の身体を突き飛ばした。

 立ち上がったリヒトが次に起こしたアクションは、畏怖の払拭──葉月の殺害だった。

 葉月の右肩から左の腰辺りに掛けて、一筋の光が通る。

 胴体を二つに割った葉月は、鉄の臭いを撒き散らしながらうつ伏せで眠るように倒れた。

「お前ぇ!」

 絶望に顔を歪ませていたニコラは、葉月の死を認識した途端、鬼のように怒りを剥き出しにして絶叫した。

「ち、違う! わざとではない!」

 打って変わって、リヒトは泣きじゃくる子供のように顔のパーツを下向きにした。

 駆け寄るニコラが剣を振り上げ、リヒトを斬り殺そうとしたその瞬間、身体を再生させた葉月が、彼の一撃を文字通り片手で防いだ。

 腕が──骨が縦に切断されているというのに、葉月は激痛を訴えることも、喚き散らすこともしなかった。

 俯き加減の顔からは、表情なんて読み取れない。しかし、唯一見える口元は、楽しそうに、そして嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

「ダメじゃないですか、ニコラさん。『鎌鼬の辻斬り』は殺害するんではなく、確保するんでしょう?」

「あ、あぁ……!?」

 この場に存在する誰よりも落ち着いた口調で語られる正論に、ニコラは壊れたラジオのように意味のない言葉おとを垂れ流すことしかできなくなってしまう。

「あのー……感覚が気持ち悪いので、早く剣を抜いてくれませんか?」

「え、あぁ、そうだな……」

 異物が排除された葉月の左腕は、服だけをそのままにし、骨と肉を美しく再生させてみせた。

 元通りになった腕を下ろし、葉月がリヒトに語り掛ける。

「あなたでは、私を殺すことができないようですね」

 葉月は、勢いよく立ち上がってリヒトの首を両手で絞め始めた。

「ぐ……!」

「殺しはしません。ちょっとの間だけ、意識を失ってもらうだけですよ」

 最初こそ、地面から離れた足を元気よく揺らしていたリヒトだったが、彼が泡を吹くと同時に、それもぴたりと止まってしまった。

「目標沈黙。死んでしまっていたらごめんなさい。何分、素人なもので」

 リヒトをそっと地面に寝かせて、葉月は困惑と笑顔が共存する表情を浮かべながらニコラに許しを請うた。

「葉月ちゃん……お前、何者だ?」

「さぁ? 私にも分からないです」

 小さく首を横に振る少女の中にはもう、憂虞も切望も残ってはいなかった。

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