私の生き様、見ていてくれる?
女神アウロラの死を以て、初めて判明したことが幾つか存在する。
一つは、異世界転生者の持つ異能が、女神の落命によってその効力を失うということだ。
物珍しい力を使って人助け、或いはその逆のことを行っていた者達が、いきなり凡人に成り下がってしまったという話は、人混みに入ればいつだって耳にすることができる。
また、この影響によって、不可解な死を遂げる者も極稀に現れるようになった。きっと、葉月のような勇気とも無謀とも取ることができる勇ましい力の使い方をしていた者が、摂理に従って望まぬ死を迎えてしまったのだろう。
もう一つは、人間には祈る神という心の拠り所が必要不可欠であるということだ。
人々は、天に向かって祈ることに慣れてしまっていた。それを、今日から行わないようにしろと言っても無理な話だ。
人々は、更に三つの勢力に分裂してしまった。
アウロラという故神を、今なお信仰し続ける者。
アウロラではない、別の神に願いを託すようになった者。
神に手を合わせることをやめ、自分達の力で困難を乗り越えるようになった者。
これらの三勢力が相容れることは決してなく、フリティラリアの内だけで勃発していた小さな戦争は、更に勢力を増して世界中へと伝染してしまった。
それこそが、神の意志に反した行動であるということにも気付かずに。
そういった戦場には、必ずと言っていいほどの確率で天使が舞い降りた。
天使の残す神託はとても有り難いものとされ、未だ神を信じる者達から、たちまち闘争心を取り除いた。
その甲斐あって、ゆっくりとした速度ではあったが、世界は平和の色に染まり始めていた。
誰も知らない森の奥に、ぽつりと佇む一軒家があった。
その場所でティータイムを楽しむ少女達は、小鳥の歌に耳を傾け、そよ風が頬に触れることを心地よく感じていた。
「たっだいまー!」
空色の髪の少女が、右手を高く上げながら朗らかな挨拶した。
「おかえり」
「おかえりなさい……!」
返された声は二つ。どちらも、十代半ばといった若い乙女特有の甘い音色をしていた。
「いやー、買った買った! これだけあれば、一週間は生活できるんじゃない?」
大きな紙袋を片手に一つずつ抱え、シャルルは意気揚々と口を動かした。
「五日……いえ、四日分ね」
「頑張って持って帰ってきたのに、たったの四日分!? まぁ、三日分じゃなかっただけよしとしよう」
食材諸々を家の中に持ち込んだシャルルは、手を自由にして外へと戻ってきた。
それから、空席に座って、幼子のように催促を始める。
「ねぇねぇ、私の分の紅茶は? 甘いお菓子は?」
「あっ、はい……ちゃんと残してありますよ……!」
そう言って、ヴァイオレットは手際よくシャルルの分の紅茶とマカロンを準備した。
「わーい!」
万歳をして大喜びするシャルルを見ているうちに、二人も自然に笑みを溢してしまう。
「いっぱい食べてくださいね……!」
ヴァイオレットが自分の席に戻るタイミングを見計らって、オブリエルが潤った唇を開いた。
「今日は、二人の武勇伝を語ってもらおうじゃない」
週に一度のティータイムには、決まってフリティラリア陥落の日の話をする。
湿っぽい内容になることも少なくないが、あの戦いを生き抜いた英雄達の伝説は聞いていて飽きることがない。紅茶の肴としては充分過ぎるほどだ。
「じゃあ、まずは私から!」
進んで挙手をしたシャルルは、自分が暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》を解除したことを得意気に話した。
その会話の節々には当人にしか知り得ない情報も埋没しており、途中まで一緒にいたオブリエルも、驚愕の事実に目を丸くしていた。
「上空で体力が尽きたのに、よく地上まで下りてこられたわね?」
「実は、下りたと言うよりは落ちたって表現した方が適切なんだよね……」
暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》を消失させたことにより、シャルルの体力は完全に底を突いてしまった。
もはや自分すら支えきれなくなったシャルルは、死を覚悟して重力に身を任せた。
「そこから先は、私の口から説明した方がよさそうですね……」
ヴァイオレットの提案には、シャルルも納得した様子だった。
話に割って入る了承を得たヴァイオレットは、軽く脳内で内容を纏めてから、それを言葉にして二人に伝えた。
「暗幕に閉ざされた劇場 《ブラックアウト・シアター》が空を覆うのを見て、すぐに兵舎を飛び出しました……それから、彼──姉の仇と遭遇した私は、刺し違えてでも殺してみせると覚悟を決めて、無我夢中で刀を振るい続けました……斬っても、裂いても、抉っても、彼の肉体はすぐに再生して……気付いた頃には、私の全身が得体の知れない重力によってその場に縫い付けられてしまっていました……」
「マジェンタが報告してくれた、重力の能力のことだね」
シャルルの発言に肯定の素振りを見せたヴァイオレットは、真剣な面持ちで話を続ける。
「何とか影に潜ることで脱出できたのですが、一瞬だけ隙が生まれてしまったみたいで……多分ですけれど、何ヶ所かの骨が割れて、右肩が脱臼していたと思います……」
「でも、今はすっかり元気よね?」
「はい……痛む全身、差が開く一方の戦局……私はもう、一分と持たない──そう思ったまさにその時、これぞまさに、青天の霹靂というものでしょうか……! 空に青が戻ったんです……!」
(この子、いつになく興奮しているわね……)
ヴァイオレットが語った現象は、奇跡でも何でもなく、シャルルによって物理的に変動させられたものだ。ここでその場面が登場したとなると、彼女の話もいよいよクライマックスに突入するのだろう。
「青空によって、彼が弱体化したこの刹那の時を見逃すわけにはいきません……! 空に雷がないのならば、私が霹靂となってご覧に入れましょう……! 彼の影に潜り込んだ私は、即座に背後へと回って、その首を切り落としました……! ですが、彼は口内に、ペーストされた姉の心臓の入った瓶を隠し持っていました……」
「うん。オブリエル、次回からはあの日のことじゃなくて、もっと明るい思い出について語り合うことにしよう」
「奇遇ね。私も今そう考えていたところよ」
小動物のように首を傾げるヴァイオレットだったが、気にせず過去のことを顧みる選択をした。
「彼に姉を食させることだけは絶対に避けなければならない──私は、当初の予定通り、身を犠牲にして彼に斬りかかりました……この判断が、未来を好転させたと言っても過言ではないでしょう……」
「ということは、ヴァイオレットは無事にウォーカーを倒すことができたんだね?」
「舌を切り落とし、姉の形見を取り戻してから、彼の脳を一気に貫きました……彼は笑みを浮かべていましたが、灰になったので、裏があったというわけではないと思いますが……」
対ヴァンパイア戦では、相手の死に際までしっかりと視認しておかなければならない。
彼らは死んだフリが大得意であるため、ヴァンパイアの灰になる性質を知らぬ者は十中八九術中に嵌ってしまうことだろう。
「仇を討ったその安心感が、私に休息を求めてきました……要求通り、血のベッドにて眠りに就こうとしたその時、お姉様の声が聞こえた気がしたんです……『ずっと側におるで』という声が──」
「……うん。きっと、それはマジェンタその人の声だったんだろうね」
「せやで」
「「……ん?」」
「せやで」
聞き覚えのある訛った発音。しかしながら、声はヴァイオレットのものだ。
義理のようで義理でない姉妹のため、別に妹が姉の発音で喋れてもおかしくはないのだが……
「おっ、その顔は見たことあるで。ぽかーんってやつやろ? ウチのことが知りたくて堪らんやつやろ? オーケー。ウチの憶測を語ったるわ。ちなみに、ウチは親愛なるヴァイオレットじゃなくてマジェンタの方やで!」
「突然流暢になり過ぎやろー!」
「イントネーションが違うわシャルル──って、そんなことはどうでもええねん。端的に言うとやな、ヴァイオレットがウチの心臓を飲んだ時に、ウチの魂も呼び戻されたみたいなんやわ。遺伝子の近い姉妹故に、魂管理委員会が生き返ったもんやと勘違いしたんかもしれんなーってウチは考えてる」
ジェスチャーどころか瞬きすらも行わず、ただ口だけが動くその姿。そこから明かされていく衝撃の事実の数々。
オブリエルとシャルルは、何が何だか分からないまま、聞き流すようにヴァイオレットの声を耳へと通していた。
「もー、お姉様……! 突然出てこられては困ります……! こほん……つまり、私達姉妹は、満を持して二人で一つになったということです……」
「全然分からん! 若いうちにもっと勉強をしておくんだった!」
「安心なさいシャルル。私も理解できていないから」
「そ、そんな~……」
「とにかく、今聞きたいのはそのことじゃないの。ほら、シャルル生存秘話の続きを聞かせなさい?」
脱線してしまった会話を、オブリエルがしっかりと正す。
「こほん……重力に身を任せて落下し始めた私は、駆け付けてくれたヴァイオレットによって一命を取り留めた」
「力尽き、姉を胸に抱いて永遠の眠りに就こうとしていた私の目に、シャルルさんの姿が映ったんです……何故落ちているのか。どうして能力を使わないのか──疑問は絶えず湧き出てきましたが、全て無視して、一つの結論だけに目を向けることにしました……その内容が、シャルルさんを助けるというものだったんです……」
二人の視点から語られる物語を繋ぎ合わせ、オブリエルは事実というお伽噺を組み上げていった。
「話が見えてきたわ。つまり、シャルルを助けたいと思ったヴァイオレットは、マジェンタの心臓を飲んで傷を治し、駆け付けたというわけね?」
「手っ取り早く言えばそうなります……」
「じゃあ、私は実質マジェンタ姉妹に助けられたことになるんだね。遅くなっちゃったけど、あの時は私の命を繋ぎ止めてくれてありがとう!」
にっこり微笑むシャルルに、ヴァイオレットは臆病ながらも愛らしい笑みを返した。
「困った時はお互い様ですよ……!」
これで、胸中に渦巻いていた疑惑が晴れたわ──オブリエルの唇がその形に動こうとしたその時、背後から生えてきた二本の腕が、彼女の肩の上に輪を作った。
「わたくし達がせっせと働いている間にティータイムですか。いいご身分ですわね?」
耳を擽るクスクス笑いに、オブリエルは身震いを起こす。
「りりす! 普通に現れなさいっていつも言っているでしょう!」
りりすは、何も言わずに笑い続けるだけだった。
こうして話を切り上げたりりすは、机に腰掛けて要件を告げ始める。
「報告です。王の城の捜索が無事に終わりましたわ。例の如く、生存者はゼロ。ただし、物品の破損も同様にゼロでした。やはり、的確に生き物だけを救済する能力だったと見て間違いないでしょうね」
「そう……」
王城の壁は厚く、人の数だって多い。
一人くらいは生き残っていてもおかしくないという希望的観測をしていたオブリエルには、正確無比なりりすの見立てが酷く恐ろしい言葉のように思えた。
「悲しむのは、全てが終わってからでも遅くありませんわ。きっと、奇跡によって救われた子もいるはずです」
「……あなたの口からそんな言葉が聞けるなんて思ってもみなかったわ」
「あら……わたくし、結構人間思いなんですのよ?」
「嘘をおっしゃい。この前、『王都の人間が全滅してくれたおかげで、博士の理想郷が完成しましたわ。クスクス……』って言っていたばかりじゃないの」
「そうだったかしら? そんな記憶は、いつかの晩ご飯のメニューで上書きしてしまったかもしれませんわね」
りりすは立ち上がり、ちゃんと顔を見合わせながら三人にこう述べる。
「ミニりりすだけでは手に終えない事態に陥ったようですわ。わたくしは、これにてお暇させていただきます。次回は──わたくしの分の紅茶も用意しておいてくださいましね?」
風のように現れたりりすは、これまた風のように去っていった。
クスクスという音だけを残して。
「……手伝ってあげられればいいんだけどね」
王都には、今なお葉月の刻んだ爪痕がくっきりと遺されたままだった。
その場所に生物が立ち入ると、じわじわ身体を蝕まれて、終いには落命をしてしまう。とても、人が住めるような環境ではない。
だが、機械の人間は別だった。
放射能にも耐え得る設計を成されているためか、機巧人は王都の腐敗した環境に一切の不具合を示さなかった。
その性質を活かし、王都の復興を任せてほしいと立ち上がったのがりりすだ。
どうやら、ツァーフの望んだ世界を想像のものに留めておくのは勿体ないと考えての行動らしい。
作業自体はそこそこ楽しめているらしく、苦言や弱音の類いは一度も報告されていない。
量産型の機巧人達も成長してきているようで、遂に感情を手に入れたとりりすは言った。
そのおかげで、現場は賑やかな様相を呈しているようだ。
「せっかく夢が現実になったんですもの。りりすが弱音を吐くまでは、好きにさせてあげましょう」
シャルルは、まだ少し不安を胸に抱えているようだった。
しかしながら、それを口にすることはなく、しっかりと正しいことを理解した上で次のように返答した。
「……そう、だね」
誰も知らない森の奥に佇む家の隣に、木の葉の届かぬ明るい空間があった。そこには、職人によって磨かれた美しい石がある。
テーブルのように平らなそれには人の名前が刻まれており、そこが死者の家であることを知らせていた。
オーダーメイドで作ってもらった窪みの上には透明な硝子が貼られており、中に入れられた二つのイヤリングを雨風から守る役目を果たしている。
石の前には短刀が突き刺されていた。これは、フリティラリアに伝わる風習で、英霊に対する敬意を意味している。
そんな石を、シルクのような手で撫でる人物がいる。
真白き双翼を生やした彼女は、この
「葉月──あなたは私に会いにきてくれないのかしら?」
妹と同じで、彼女もまた転生者の心臓を食らった者の一人だ。
もし、降霊の条件に血縁が関係していないのなら、一度でいいからあなたに会いたい──天使は、そう願わずにはいられなかった。
だが、天使は知っていた。
この異世界転生者は、仮に降霊の条件を満たしていたとしても、決して会いにきてはくれないということを。
だから、これ以上の懇願は避けた。
伝えたいことは山ほどあるのだ。何も、一つのことに拘る必要はない。
「やっぱり、人は生きてこそ輝くものよ。勿論、あなたの言った通り、辛いことや苦しいこともいっぱいあるし──むしろ、幸せなことよりも多くあるかもしれないけれど、それでも、生きることは楽しい」
一度の落命で諦めたくないほどに。二度目の命を神に感謝したいほどに。生きることには喜びが満ち溢れている。
幾度の別れの痛みを経験してなお、出会いの温もりを求めて未来へと歩んでいく天使が言うのだから間違いない。
「だから私は、皆にもこの喜びを知ってもらいたい。一人でも多くの人に、希望を与えていきたい」
人々の心から、恐怖と悲しみを取り除きたい──そんな葉月の意志を、忘却の天使はしっかりと引き継いでいた。くどいほどに聞かされたその言葉を、ちゃんと覚えていた。
「私の生き様、見ていてくれる?」
それはきっと、長く永い物語となる。
退屈で、時には目を背けたくなるようなこともあるだろう。
そんな、とても純白とは言えない正義を。足掻き、藻掻き続けるみっともない姿を。他でもない、葉月に見守っていてほしい。
天使は、葉月がよくしていたように空を見上げた。
木々の隙間から覗く青空と、宝石のように光る木漏れ日が、心に、世界に平穏を与える。
そんな天使の視界内を、鳥の影が一つ横切った。
落ちてきた羽根を見て、天使は飛び去ったものが鳥の影ではなく、影色の鳥であったことを理解した。
何物にも染まらない、艶やかで麗しい黒。光よりもずっと眩しく煌めく、三碓葉月のような羽根だった。
─あなたは私を殺せますか? 完─
あなたは私を殺せますか? 白鳥リリィ @lilydoll
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