あなたは私を殺せますか?

白鳥リリィ

第一章

そのまま死なせてほしかった

 とある病室に、不治の病に侵された少女がいた。

 彼女の名前は三碓葉月みつがらすはづき。十六歳の高校一年生だった。

 葉月は利他主義的な性格をしており、困った人がいれば一緒に頭を抱えてくれる優しい少女だった。

 加えて、葉月は才色兼備だった。しかも、それを一切飾ろうとはせず、葉月と関わった者は皆、彼女のことを好きになっていった。

 なので、葬儀には大勢の人が集まった。また、その死を心の底から哀れんでくれた。

 葉月は今、死後の世界にいる。ただし、その場所は天国でも地獄でも、ましてや無でもなかった。

 雲一つない青空に、鬱蒼と生い茂る緑。白い花が光を求めて咲き誇るその空間は、神の領域だった。

「三碓葉月さん──誰よりも人を愛したあなたには、幸福になる権利があります」

 女神アウロラ。その名の通り、オーロラのような美しい髪と美貌を併せ持った女性だ。

 葉月の死を哀れに思ったアウロラは、神の特権と呼ばれる力を行使して、彼女を異世界に転生させてあげようと考えていた。

 何故、現実世界ではなく異世界なのか。その答えは、アウロラの力の特徴にある。

 女神の力では、魂だけを転生させることができない。また、生まれたての命に転生者の記憶を上書きし、別人として第二の人生を歩ませるといった芸当も行えない。

 とどの詰まり、アウロラの力は死者を生き返らせるという内容だったのだ。

 現代に三碓葉月という人物が二人存在してしまうと、世界に矛盾が発生し、非常に不安定な状態となる。故に、三碓葉月の存在しない異世界に白羽の矢が立ったというわけだ。

 アウロラは、己の行動に一片の悪意すら抱いていない。そして、表情もまた同じ様相をしている。

 全身が善意で塗り固められた女神の発言に、葉月はこう怒号した。

「余計なことをしないでください! 私は──私の人生は一つだけなんです!」

 一度たりとも拒絶をされたことのなかったアウロラは頭を真っ白にして、目と口を大きく開くことしかできなくなってしまった。

「大きな声を出してしまってごめんなさい。でも、その贈り物は受け取れません」

 自分の犯してしまった過ちに気付いた葉月は、深々と頭を下げながら、そのような謝罪の言葉を口にした。

「い、いえ……わたくしの方こそ、身勝手な行動を取ってしまって。申し訳ございません……」

 互いに頭を下げ合う二人の姿は、まるで鏡のように瓜二つだった。

 ともあれ、アウロラと意見を一致させた葉月は、これで自分は死ぬことができると安堵の吐息を漏らした。次の瞬間、絶望的な宣告をされるとも知らずに。

「──ですが、一度行使した神の特権は撤回することができません」

 大層バツが悪そうに、アウロラは葉月から視線を背けながらそう呟いた。

 そんな女神に、人間は再び激昂する。

「また生きるなんて絶対に嫌です! どうにかしてください!!」

「……何故、あなたはここまで生を拒絶するのですか?」

 人間は、可能ならばより長く、より幸福な人生を歩みたいと願う生き物だ。単純計算で二倍のそれを手にできるチャンスを全力で拒絶するなど、普通の反応ではない。

 その異常さの根底を、葉月は震えながら語り始める。

「私はもう、死にたくないんです。明日死ぬかもしれない。これが、家族と話せる最後のチャンスかもしれない。もう、友人と楽しく笑い合えなくなるかもしれない……老いることが、弱っていくことが、怖いんです。そして──失うことが何よりも怖いんです……!」

 生と死は隣り合わせだ。片方を受容するということは、同時にもう片方も受け入れなければならないということに他ならない。

 いくら前者が魅力的であっても、後者がそれ以上に恐ろしいものであれば首を縦に振ることなどできるはずもなかった。

「……わたくしは、何という罪を犯してしまったのでしょう」

 自分の優しさが、他者を傷付けてしまうこともある──アウロラが、初めて相反する両者の関係性を知った瞬間だった。

「自責は結構です。転生したら、すぐに私を殺してください。私が、恐怖を感じるよりも先に」

 神の特権は、あくまで葉月に第二の人生を与えるというものだ。だったら、それを受け取った後に潰滅してもらうことは可能なはず。

 実際、アウロラの用いた神の特権ではそれが可能だった。だったのだが、善意あくいは、そこだけに留まってはいなかった。

「……神の特権の一つ──神の長命を授けてしまいました。故にあなたは、少なくとも若いうちは落命することができません」

 それはつまり、しばらくは死を享受することがないということを意味している。そして、こういう意味も孕んでいた。

「私に、逃げ場のない恐怖を味わい続けろと……!?」

 死がトラウマとなってしまった葉月にとって、を閉ざされてしまうことは何よりも避けて通りたい事柄だった。

 アウロラも、葉月のそんな思いには既に気が付いている。だが、それが避けられない事実となってしまったのであれば……選択肢は、葉月に生の喜びを知ってもらうというものしかない。

「わたくしの口から語るべき内容ではないのかもしれませんが……救済と幸福の女神として、一言物申させていただきます。あなたは、もっと前向きに生きるべきです。それこそ、生前のように──」

「前向きに生きた結果があの大往生です。私はもう、充分幸せになりました。だから、そのまま死なせてほしかった──!」

 責められる覚悟を持って発したアウロラの説得も、葉月の心には指先すら届きはしなかった。

 もう、過去をやり直すことはできないし、葉月を納得させることも叶わない。そう悟ったアウロラは、せめて葉月が、また生前のように笑顔で人生を歩めるように──それだけを願って、いくつかの贈り物と言葉を与えた。

「もう、時間です。どうか、あなたはあなたのままでいてください──」

 アウロラが目を閉じ、両手を横に広げた瞬間、葉月は死ぬように意識を失った。


 肌が懐かしい温もりを得た時、葉月は確かな生命を実感した。

 燦々と大地を照らす太陽とは逆に、異世界転生者は雨雲よりもどんよりとした感情に全身を侵されていた。

 葉月は、胸に手を当てて己の心臓の音を聞く。止まったはずのそれは力強く脈打ち、葉月の血管に血液を送り続けていた。

 そして、脳も活動を再開し、葉月に悲観すべき現状を認識させている。

(ああ、何という絶望なんだろう……)

 心臓なんて動かなくてよかった。血液は止まっていてよかった。思考は、意識は、失ったままでよかった。

「死にたい。死にたくない──!」

 そんな思いに比例して、葉月の脈はどんどん速くなっていった。

 色付いた世界が、開閉される扉の音が、芳醇な果物の香りが、五感を刺激する全ての感覚が、葉月を苦しめる。

 どこにも逃げ場はない。助けもこない。葉月が恐怖を耐えきるためには、その場で蹲り、時間が解決してくれる瞬間を待つしかなかった。

「ちょいとそこのお姉さん。具合でも悪いのかい?」

 自らも腰を下ろして葉月に話し掛けたのは、水色をしたショートヘアの少女だった。

 急所などにはきちんと鎧が宛てがわれているのに対し、それ以外の部分は高級そうなただの洋服というちぐはぐな装い。中でも、太腿が露出するほど短いスカートは防御性能が皆無だ。

 布の生地は現代に存在しない材質で、青や緑を基調とした妖精の翅のようなデザインに仕上がっている。

 宿った儚さと彩りから、葉月の瞳には、その服が空にできた虹のように映っていた。

 背中に手を当てられている触覚を感じていた葉月だったが、今はそれどころではなかったため、顔すら上げることができずにその場で固まったままだった。

「これは重症かも……」

 空色の髪の少女は、おもむろに立ち上がって、近くの建物の扉を開けて店主を呼び出した。

「この子なんだけど……」

 少女は、続けて状況の説明にフェーズを移行した。

 一頻り説明が終わると、店主は彼女に葉月を運ぶよう命令して店の中へと戻っていった。

「二階、使っていいってさ! もう少しの辛抱だからね。頑張ってね……!」

 直後、少女は葉月を浮遊させた。

「きゃっ……!?」

 今まで経験したことのない感触に、葉月は丸くなっていた身体を大きく広げた。伸びる四肢は、反射的に暴れ始める。

「おっ、可愛い顔──じゃなくて、心配いらないから、大人しくしてて? ね?」

 頭では分かっていても、身体がそれに従うとは限らない。葉月は、全身に力を込めて無理矢理肉体の暴走を押し留めた。

 無重力とはこんな感じなのだろうか、と思考しているうちに、葉月も店主が待っている建造物の中に連れてこられていた。

「下ろすよ。体勢を整えてー……」

 しゃぼん玉が割れるような勢いで着地した葉月は、明るい内装と飾られた商品を見渡して、ここが服飾店であることをすぐに把握した。

「ようこそ、ファッションハウス“ファーストレイ”へ! 私はシャルルマーニュ=ヴァル・ド・ロワール! 言いにくいって評判だから、シャルルでいいよ!」

 早口言葉のような横文字を聞き、葉月は自分が本当に異世界にきてしまったのだと絶望した。

 現実逃避をしたいところではあったが、これが夢でないことは既に身体が教えてくれている。

 シャルルの元気な挨拶が終わり、次は店主の順番となった。

 店主は、落ち着いた雰囲気を醸し出しながら、低い声で自己を紹介する。

「僕はアラン・リヴィエール。ここのオーナーを任されている」

 ブロンドのカールした髪、女性のように美しい肌、整った顔立ちに高い背丈……服飾店をやっているのもあって、ファッションセンスも申し分ない。とどの詰まり、アランは欠点のない好青年だった。

 彼は口数が多い方ではないらしく、必要なことだけを言って、その後は唇を閉じたままだった。ただ、目は口ほどにものを言うという諺もある。彼の目は、ここにいる誰よりも葉月に名乗るよう促していた。

 瞬きすらしない真っ直ぐな瞳に怖気付いた葉月は、一歩後退してから自己紹介を始める。

「わ、私は、三碓葉月……です」

「……今のが名前?」

 シャルルの質問を受けて、葉月は彼女らの名前と自分の名前が明らかに他の国のものであるということに気付いた。

 だが、時既に遅し。一度口にしてしまったことは取り消すことができない。たとえ、両手で口元を覆っても。

 どうせ隠し通せないのだったら、無理に隠す必要もない。必死に弁解の言葉を練っていた葉月は、最後にその結論を導き出した。

 そして、その答えを導き出したせいで、葉月は過剰なまでの言葉を並べてしまうことになる。

「三碓葉月、十六歳。《》異世界からやってきました》》」

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