他でもない私のために

 仮に、もしりりすが戦闘機巧なのだとしたら、自分達は窮地に陥っているのではないか──葉月は、語られた話の節々を繋ぎ合わせてこの結論に至った。

「りりす──あなたは私を殺めにきたのですかっ……?」

 怯えるのではなく、怒るのでもなく、悲観しながら、めふぃすとは既視感のある台詞を述べた。

「こんなに面白いお話を、序章で終わらせてしまうなど論外中の論外ですわ」

「でも、それじゃあ博士の勅令に背くことになるんじゃっ……」

「それが何か? これはわたくしの人生なんですから、全てわたくしが決定致します」

「……たとえそれが、叛逆とみなされてもですかっ?」

 博士の命令は絶対。機巧人界隈の常識だった。

 その禁忌を犯してまで自分の快楽を求めるという行いは、無謀であり蛮勇に他ならない。

 何故なら、その道の先には、感じてきた悦びの遥か上をいく苦痛が待ち望んでいるのだから。

 危機感を遺伝子レベルで刻まれた機巧人であるりりすだったが、彼女は躊躇することなく頷いてみせた。

 力強い意志の宿った肯定を、めふぃすとは否定できない。

「……もう立ち去りなさい。今日はばあるも他の機巧人も、攻めてはこないでしょう」

 邪魔者を追い出そうとするように、りりすが葉月達との距離を詰めていく。

 互いの靴と靴がキスをしてしまうほど接近されて、ようやく三人は出ていく準備を始めた。

「しばらくは、ここに滞在させて頂きます。わたくしの顔を拝みたくなったら、いつでもいらっしゃってくださって結構ですわよ」

 日の下に放り出された葉月は、背後から聞こえてくる奇妙な笑いに耳を傾けながら空き家を後にした。


 三人を取り囲む舞台は、再び賑やかさを取り戻した。

 パンの香りが漂うベンチ──ここは、以前葉月が訪れたことのある場所だった。

「しっかし、まさか空き家まで占拠されちゃうなんて思ってもみなかったよ」

「シャルルの秘密基地だったのにね」

「……くれぐれも内密にね」

 シャルルが漏らしてほしくなかった情報は、自身の方かりりすの方か……十中八九前者なのだろうが、真意は当人にしか分からなかった。

「さて──」

 ベンチから立ち上がったシャルルは、おやつとして買ったパンの袋を丸めてゴミ箱に捨てた。

 それから、両手でガッツポーズを作って次のような発言をした。

「それじゃ、観光でもしますか!」

「……は?」

「は? じゃなくて観光だよ! 葉月もめふぃすとも、フリティラリアのことを全然知らないでしょ? だから、色々見て回ろうと思ったんだ~!」

 他人を疑う心を持たないシャルルは、命の危機に直面しているこの状況よりもりりすの発言の方が上位の存在であると考えていた。

 故に、シャルルの脳内では、日が沈んで昇ってくるまでは安全だという方程式が完成していた。

「いい提案ですねっ!」

 愛玩機巧のめふぃすとができる精一杯のお返しは、相手に笑顔を届けること。

 精密にプログラムされた愛玩機巧の思考能力が、めふぃすとに同意の意志を表明させる。

「めふぃすとまで……私はここにいるから、適当に回ってきたら?」

「えー。葉月さんも一緒に遊びましょうよっ……!」

「私はいいの!」

 葉月には、そうできない理由があった。

 もはや語るまでもない、いつものあれのせいだ。

 葉月は、過度な交流を望まない。思い出を作ることを良しとしない。

 全ては、躊躇わずに死ぬための布石だった。

 だが、そんなものはめふぃすとには関係がなかった。

 席を立っためふぃすとは、両手で葉月の片腕を持ち上げて言う。

「葉月さぁん、一緒にいきましょうよっ! ほらほらっ!」

「いかないってば!」

「やですっ! 葉月さんに拒否権はありませんっ!」

 愛玩機巧は、喜びから悲しみまで、全ての人の心を知っている。

 何度か言葉を交わせば、この人物はどうすれば心を動かされるのか……といった個人の対応もできるようになる。

 葉月も例外ではなく、強引に押せば勝てるということをめふぃすとは既に把握していたのだ。

「他でもない私のために、三人で楽しみましょうっ!」

 普通の日常という舞踏のお誘いを意味する差し出された手。

 取りたい気持ちとそうではない感情の双方が渦を巻く。

「……付いていくだけだから!」

 先導は全てめふぃすとに委ね、自分はただ踊らされるだけの人形となる……葉月自身ととめふぃすとの希望を叶える唯一の方法がそれだった。

「それでは、まずはお洋服を見にいきましょうっ!」

 気分が高揚した少女の腕力は侮れるものではなく、葉月とシャルルは馬に牽かれる馬車のように釣られて足を動かし始めた。

「ちょちょちょ、それはまずいって!」

「流石に怒られると思うよぉ!?」

 “ファーストレイ”の常連と居候は、所謂ライバル店に入店することに危機感を覚えていた。

 特に、葉月は今後の食事や寝室といった生活面での問題が生じる可能性があるため、反抗する力がシャルルよりも上だった。

「心配いりませんってっ! レッツゴー入店っ!」

 力及ばず扉の中を潜り抜けた二人を待っていた景色──見慣れない材質の布地で作られた、人間の胴を象ったコスチュームの数々。

 貴族を標的とした、高潔で手間の掛かった“ファーストレイ”の服と違って、ここのものは動きやすさと少しのお洒落さをテーマにした庶民的な形状をしていた。

「ここの洋服、私の世界で売られていたものに近いかも……!」

 葉月が目を付けたのはワンピースだった。

 簡易的なドレスといったデザインをしているため、王都でも目立ちにくく、店のテーマも満たしているというフリティラリアらしいデザインが、十代の女性に好評だと店主が語る。

「……どうです。今ならお安くしておきますよ?」

「いえ、今は遠慮しておきます」

 軽く頭を下げ、葉月は逃げるようにめふぃすとの方へと移動した。

 それは雑談をするためではなく、自分が外に出ようとしていることを伝えるためだった。

「私、興味がないから外で待っているね」

 過去の思い出を呼び起こし、未来に掛け替えのない時間を生み出してしまう──これ以上この場に留まるということは、葉月にとって苦痛でしかなかった。

 耳打ちを済ませた葉月は、そそくさとその場を後にしようと踵を返す。

 だがしかし、その手をめふぃすとの手が取ってしまう。

「三人で、ですよっ?」

 悪役が見せそうな嫌な顔をした葉月に、めふぃすとがもう片方の手で持っていた服を押し付ける。

「これ、葉月さんに似合うと思うんですよねっ。ちょっと、試着してみてくれませんかっ?」

「お断り──って、背中を押しているじゃん! 最初から私に拒否権なんてなかったんだね!」

 個室に押し込まれ、ピンク色のカーテンを閉められる葉月。

 室内にいる人間は、葉月と鏡の中の葉月だけだった。

 こうして、自分の顔を見るのはいつぶりだろう──向かい合う二人は、お互いにお互いを他人のように感じていた。

「お前は誰だ?」

 ふと、葉月は前世で噂されていた自我を崩壊させる呪文を口にする。

 すると、もう一人の葉月も同様の問い掛けをしてきた。

(私は誰──?)

 三碓葉月わたしは死んだ。では、今ここにいる私は何者なのか。

 それは紛れもなく三碓葉月であり、私だ。

 そんな、無意味で時間の無駄でしかない自問自答を止め、葉月は唯一ここにある葉月ではないものに着替えることにした。

 丈の短いワンピースは、胸元だけ砂糖のように白く、それ以外はココアのようなブラウンに染められていた。

 付属のマントは、クリーム色にホイップクリームのような装飾を施されており、手軽にシックさを補えるマストアイテムの役割を担っている。

「……私には似合わない、かな」

 スカートの裾を持ち上げてみたり、クルクルと回転してみたり、色んな角度で目視した葉月は、最終的にそんな感想を持った。

(兎にも角にも、自分の殻に閉じ籠もっていては埒が明かない……か)

 社会は他人でできており、自分もまたその一部でしかないのだから、自己評価など生きていく上では不要なものだ。

「さようなら」

 社会に帰る前に、葉月はもう一人の自分に別れを告げた。

 そして、世界へと繋がる扉を開く。

「わわっ、すっごくお似合いじゃないですかっ!」

 葉月と再会する時をずっと待ってくれていためふぃすとの第一声。それは、葉月の思考を鏡に映した内容をしていた。

「うん。私も、葉月はそういうファッションの方が似合うと思うよ!」

 少し離れたところにいたシャルルも駆け足で集まり、めふぃすとの意見に同意する旨を伝えた。

「えー……」

 甘ったるくて、陽気で、とても死にたがりの少女が着ていそうにないこの服が、葉月には似合っている。周りの目がそう言っている。

反転していたのは、世界ではなく葉月自身の方だ。精一杯生き抜いた少女が全力で死を求めているのだから、考えるまでもない当たり前のことだった。

「店員さーん、この服買いで!」

 大声で店員を呼び、あまつさえ購入を決意したシャルルの言葉に、葉月は困惑した。

「か、買わなくていいから! もう着替えるね!」

「そう? 本当に似合ってるんだけどなぁ」

 再びカーテンを閉め、外界との通信を途絶した葉月は、鏡に映る自分の姿を見てますます死にたくなってしまった。

「私、顔真っ赤だよ……」

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