せめて、お話でもしませんかっ?

 服を着て、食べ歩きして、武器に触れた葉月。

 各ラウンドの冒頭で、葉月とめふぃすとは拒絶からの説得という同一のやり取りを繰り返していた。

 そのせいもあって、通常時よりも疲労を溜めることになってしまった葉月は、近くにあった椅子に落下するような勢いで座り込んだ。

「もう一歩も歩けないよ……」

「あはは……お疲れ様ですっ」

 機巧人にも体力というものは存在しているが、人間とは比べものにならないほどの量を有しているため、滅多に疲れを見せることはない。

 その証拠に、めふぃすとは眩しい笑顔を浮かべたままだ。

 そのことについて葉月が言及しようと口に力を入れたその時、空を見上げていたシャルルが深刻な表情で語り始めた。

「ごめん。ちょっと用事ができたみたい」

 シャルルが見ていたものは、特別な意味を与えられた鳥だった。

 この鳥は一部の騎士にしか飛ばすことができず、足に結ばれた紐の種類によって命令の内容が変化する。

 現在飛翔していた鳥がたなびかせていた赤いリボンは、王都内に人の手が加わった遺体が発見されたということを騎士に伝えていた。

 返事も待たずに去っていったシャルルの背中を眺め、疑心を持つ葉月だったが、気にしても仕方がないことだと割り切って自分の抱えている問題の解決に尽力することにした。

「ねぇ、めふぃすと。シャルルとお別れしたことだし、私達も“ファーストレイ”に帰らない?」

「うーん……今帰ると、お店の修繕を手伝わされたり、お説教をされるかもしれませんよっ?」

「……それは勘弁願いたいものだね。それじゃあ、日が落ちるまで日向ぼっこでもしていよっか」

「それはそれでつまんないじゃないですかっ!」

「じゃあ何がしたいの? 言っておくけれど、私はもう歩けないから!」

「せめて、お話でもしませんかっ?」

 めふぃすとの提案は、葉月にとってまたとない機会だった。

 機巧人という新人類の過去はまだ、これっぽっちも学んでいなかったからだ。

 それに、葉月にはめふぃすとに聞きたかったこともある。

 断る理由など探しても見つからない葉月は、二つ返事で提案を飲んだ。

「いいよ。何が聞きたくて、何を話してくれるの?」

 他人の人生を語ってもらう対価として、相手の希望する話を返すのは当然のことだ。葉月は、そのことを前提としてめふぃすととの対話に臨んだ。

「まずは、私からお話させてくださいっ! 葉月さんは、どんなことが知りたいですかっ?」

 まるで、世界の理を全て理解しているような口振りだった。何を問うても答えてくれそうな……そんな言い方だった。

「機巧人って──死ぬの?」

 葉月が一番知りたくて、それでいて、一度は口を噤んだ質問だった。

 どうせ、死ぬまでの命なのだ。失ってしまいたい今だったのだ。それなのに葉月は、あろうことか第二の人生において人目を気にしてしまっていたのだ。

 めふぃすとは、問い掛けの内容に反して楽しそうに答えた。

 めふぃすとにとっては、今葉月と話をしているという事実が手に入ればそれでよかったからだ。

 概要なんて問題ではない。めふぃすとは最初から、知りうる限りのありとあらゆることについて笑顔で応答するつもりでいた。

「機巧人に、死という概念は存在していませんっ。ですが、それに近い状態に陥ることはありますっ」

「と、言いますと?」

 めふぃすとは、まるで人間のように胸に手を当てて、脈打たない心臓を温かく包み込んだ。

ブレインの崩壊ですっ。頭部から分離してしまった身体は、決して動くことはありませんっ。ですが、再度頭部と結合することによって、指令を受理できる状態に戻すことができますっ。ただし、ブレインが破壊されてしまうと、それができなくなってしまう。二度と、動くことができなくなってしまうんですっ」

 めふぃすとは、あたかも機巧人にも死に類する状態があるという風に話した。

 だが、この話には誤謬を招く罠が仕掛けられている。

 頭部と胴体の乖離が修繕できるように、彼女らの思考を司るパーツもまた直せてしまうのだ。

 故に、機巧人には限りなく死に近いものが存在するが、それを乗り越える力も備わっているということになる。

 果たしてそれは、死と呼べるのだろうか。

 人間が、死という病を治療してしまっても問題はないのだろうか。

 葉月は憧憬する。

 どれほどの幸福を獲得しても、決して失うことのない世界を。

「私も、機巧人になりたかった──」

「えっ──?」

 葉月は、急いで口を塞いだ。

(こんなこと、言うつもりはなかったのに──!)

 機巧人の少女が初めて見せた驚愕の表情は、うっとりするほど美麗で、不安になってくるような混沌さを纏っていた。

「ご、ごめんなさい! びっくりさせちゃったよね……!」

(分かっている。こんな言葉、ただの言い訳に過ぎないってことくらい。言い訳が、何の効力も持たないってことくらい──)

 両手を動かし、動的に言の葉を探す葉月に、めふぃすとはちょっぴり切ない苦笑を浮かべて言った。

「謝ることなんて、何もありませんっ! ですが、お返しはさせてもらいますねっ!」

 めふぃすとは、すぅっと息を吸って、母性溢れる微笑みを浮かべて、葉月にんげんに向かって、思いのままに言葉を綴った。

「私は、人間になりたいですっ」

 常識、人間関係、無知、敗北感、死──数多の負の柵に繋縛された人間になりたいと、機巧人は言った。

 それでも、命がほしいのだと機巧人は望んだ。

 持たぬ者にしか理解できない感情──プログラムの域を越えた、機巧人にしか抱けない思い。

 無垢を語る機巧人の姿に、葉月は感銘を受けた。

「私、決めたよ」

 今日も青い空を見上げて。色とりどりの屋根に目をやって。各々苦悩して、精一杯今を生きている人々を視界に捉えて、最後はめふぃすとを真っ直ぐな瞳で見据えながら、葉月は告白する。

「あなたが人間になれるその日まで、絶対に死んだりしないって!」

 この瞬間、葉月は生前の三碓葉月にもどった。

 誰かのために生きて、沢山の幸せに包まれた日々を取り戻すことを誓った。

 転生をした少女は、もう一度天を見上げる。

(女神アウロラ──言いそびれた感謝の言葉をここに。第二の人生をありがとう。この世界でも、頑張って生きてみようと思います)

 葉月が何を思っているのかは認知できないはずのめふぃすとも、彼女と同一のところを見ながらふっと笑みを溢した。

「話は聞かせてもらった。その夢、ゆめゆめ叶いはしないわ!」

 声がした直後、空をコウモリが覆い尽くした。

 その数は数百数千に留まらず、巨大で強大な太陽の光をほとんど遮断していた。

 一瞬にして夜の帳が下りた王都に、引き摺る鎖の金切り声が響き渡る。

 人の形をした物体を先端に結んだ鎖を握る人物は、噴水の前で立ち止まり、高らかに宣誓を始める。

「聞け、俗物よ! アタシはルナ──ヴァンパイアの末裔だ! 今からアタシ達は、殺戮を行う! 一人残らず全てを喰らい尽くす!」

 その隣に、うねった長い髪を持った男が並んだ。

 彼は『アタシ達』の『達』の文字に含まれる人物であり、ルナに手を貸す者の一人だった。

「瞬きでもしてみろ。二度と目は開かないぞ」

「ヒャヒャヒャハァ! 狩りの始まりだァ!!」

 瞳孔を限界まで見開き、さぞ楽しそうに口角を上げながら男が絶叫した。

 そしてその声は、舞踏会の始まりを知らせるファンファーレだった。

 背中から大きな羽を取り出したルナは、右方に向けて滑空する。

「う、うわぁ!!」

 悲鳴を上げながらルナとの距離を離そうとした男性は、ヴァンパイアが持つ最悪の武器に叩き潰されて肉片と化した。

「逃亡しろ! 投降しろ! アタシの横暴から逃れてみせろ!」

 一方その頃、男はトマトのように潰れていく人間を鑑賞しながら腹を抱えて笑っていた。

「ヒャヒャヒャハァ! お前は違う! お前も違う! でも面白いから死ね! グギャギャギャハァ!」

「あんたの言った通り、支配者殺しは楽しいわ! 感謝しているわよ、あんどらす!」

 男も女も老人も子供も人間に他ならない。ならば、ルナの狩猟対象だ。

 王都のような人通りの多い場所で無差別殺人を繰り返す──そんなことをすれば、血の海などものの数分で完成してしまう。

「アタシは人間を許さない! ヴァンパイアを惨殺したお前らを許さないっ! 次は──お前達だぁ!」

 地獄絵図が作られていく様を呆然と眺めているしかなかった葉月達に魔の手が迫る。

「めふぃすと、逃げてっ!!」

「逃げませんっ!!」

 機巧人の前に立ち塞がる人間と、人間のために作られた機巧人の鬩ぎ合い。

 場違いな争いは希望を浪費し、手遅れを招いた。

 ルナが振り上げ、叩き付けるのはまだ意識のある機巧人。人よりも頑丈な人だった。

「……あらあらあらら?」

 対象がぐちゃぐちゃになっているはずの時間だというのに、目の前にはまだ少女が生きている──目が霞んでいるのかと思ったルナは、手の甲で眼球を擦った。

「……変わりなし。でもいいわ。おかわりをあげるだけだもの──え?」

 掲げた武器の軽さに気付いたルナは、視線を下げて拾った機巧人の方を見た。

「……何をした? 狩りをした?」

 ルナの視線の先には、四肢を分裂させ、胴をも二つに分かち合った機巧人の姿があった。

 刹那、自身の胸部に向いた殺意の刃をルナが察知した。

「ぐっ……!」

 短く持った鎖を両手で引き伸ばし、反発力を下げる。

 盾のような防護性を手に入れたチェーンの穴からは、金属製の杭が牙を剥いていた。

 すんでのところで刺撃を防いだルナは、一体誰がこんなことをしてきたのかと相手の顔を見る。

 騎士の正装を身に纏い、青紫色の長い髪を持った少女。そのマジェンタ色の瞳が、怒りを滲ませて自分を睨み付けている。

 ルナは、ごくりと唾と緊張を飲み込んでからヴァイオレットを煽った。

「今までどこにいたのかしら? 神出鬼没なハエみたい!」

 いつものヴァイオレットからは微塵も感じられない冷酷な威圧感。

 何も言わなくても伝わる、何も言う気はないという意志。

 ルナは、ヴァイオレットが足を動かすと同時に杭から鎖を引き抜き、その勢いで後退した。

 大地を蹴った足が再び地面に触れるのを感じるのと同時に、ヴァイオレットの刺突が差し迫る。

 二度も同じ手は通じない──そう嘲笑する余裕もなく、ルナは鎖を構えさせられる。

 対応を遅らせないために、集中して杭が鎖の間を通る様を見守るルナ。

 その一瞬が隙となり、ヴァイオレットがルナの影に溶け込んだ。

「おま──!?」

 人体の透過──影に入るというヴァイオレットの能力なしでは不可能な挙動だった。

 ルナの背後に立ったヴァイオレットは、姉よろしく不意打ちの一手でヴァンパイアの心臓に杭を突き刺した。

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