ご逝去あそばせ
流石に時間を食い過ぎている──りりすは、想像以上の粘り強さを見せるヴァイオレットをどう言い包めようかと思慮を巡らせていた。
(やはり、肉体言語が一番手っ取り早いですわね)
長い時間を掛けて話し合いをするくらいならば、力に物を言わせた方がずっと早くて効率的だ。
しかし、彼女らを殺してしまってはいけないため、本気を出すことができない。
折るのは、骨ではなく心でなくてはならないのだ。
「やぁっ!」
両手に花。両手に刃。美しい花であろうと、更に美しい刃物であろうと、りりすにしてみれば同じようなものだ。
ただし、百合のような清純さと芯のあるヴァイオレットの斬撃と、ラフレシアに等しい葉月のお粗末なお遊戯の間には、確かな差が生じていた。
(斧の方は、よそ見をしながらでも捌けますわね)
何故、気高い騎士がこのような素人に武器を与えたのだろう。
りりすが、その道理を考察する。
(お粗末な太刀筋でも、わたくしの片腕と僅かな思考時間を奪っていっている……本命は、自分の攻撃が通る確率を上げるためでしょうか)
もう一つの可能性は、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるという、本命とは真逆のものだった。
だが、りりすには葉月の斧を全て弾き返せる自信があった。
そのため、もしヴァイオレットが後者を選択していたとしたら、それはとても悲しいことだと感じた。
「いい加減、不毛な接近戦も飽きてきましたわね」
「──もう終わりますよ……」
ヴァイオレットは回転し、威力の増した薙ぎ払いを放った。
しかし、既に何度も見せてきた手が通用するはずもなく、りりすは溜め息を吐きながらヴァイオレットの攻撃を刃で受け止めた。
金属同士の鋭い接触音が、脳に不快な感情を芽生えさせる。
(いえ、この音は──!)
それは、接触音などではなかった。
金属が金属を破壊する音──すなわち、りりすの手が斬り裂かれる音だった。
「雨垂れ石を穿つ──!」
顔に希望を宿した葉月が、歓喜の声を上げた。
りりすは、ここにきてようやくヴァイオレットの目的を知ることができた。
彼女は、最初からりりす本体に刀身をなぞるつもりなどなかったのだ。
全ては、厄介な刃を切断するため。りりすが攻撃を防ぐ前提で刀を振るっていたのだ。
ところが、ここで一つの疑問が浮かび上がってくる。
「わたくしの刃は、生半可な武器では壊せないはず……それこそ、神話の武器でもない限り、こんな状況には陥らないはずですわ!」
神話も、所詮はお伽噺。この世には存在しない空想物語だ。
故に、この世のものでりりすの武器が壊されるなどあるはずがない。
「それは、とんだ勘違いですよ……
「ただの刀であるはずがないでしょう! だって、こんな──!」
ヴァイオレットは、顔の前で手を合わせるような格好で次のような発言をした。
「そう言われましても、これが私の切り札ですとしか答えられないです……」
りりすは、久々に味わった動揺の感覚を、徐々に怒りへと変換していった。
「もう許しませんわ……! 天使の前に、あなた達から殺めて差し上げますっ!」
台詞が終焉を迎えると同時に、葉月とヴァイオレットの四肢が弾け飛んだ。
無尽蔵に吹き出す血液は、瞬きの間にもどんどん広がっていって、数秒後には赤の湖が完成していた。
「──はっ!」
幻覚──否。葉月とヴァイオレットは、確かに一度死亡した。
そうとしか思えない疼きが、全身を這い回っているのだ。
だが、葉月はまだこうして息を吸い、恐怖を感じることができている。
どのような因果が関わっているのかは誰にも分からないが、ちゃんと生きているということは間違いなかった。
「ご逝去あそばせ」
生を実感したばかりだというのに、もう眼前で死の門が開いてしまっている──葉月は、顔に張り付いた魔法陣が爆発するその時をただ待つことしかできなかった。
「葉月さん……!!」
ブレイジング・ヒートが炸裂し、葉月の愛らしい頭部が肉片と化した。
「あなたも他人事ではないでしょう」
呻くような低い声が、ヴァイオレットのすぐ側までやってきた。
事前に殺気を感じ取っていたヴァイオレットは、回避のためにりりすの影に潜り込もうと試みる。
しかしながら、振り上げられたりりすの足は、そう安々と逃してはくれない。
骨を破壊するほどの勢いで落ちてくる踵落としが、ヴァイオレットの額を直撃した。
脳を守る骨が、頭を支える首が、激痛によって悲鳴を上げ始める。
「あ、があぁっ……!!」
潰れてしまいそうに思えるくらい締め付けられた喉から、精一杯の悲鳴が飛び出した。
それ以降は、息が出たり入ったりするだけで騒音が放たれることはなかった。
おでこを押さえながらのたうち回るヴァイオレットの背中を、りりすが何度も踏み付ける。
そのたびにブレイジング・ヒートの魔法陣が出現し、幾重にも重なった模様はよりはっきりとした形を映し出していた。
五十を越える圧迫を受けたヴァイオレットの背中は、骨折を越える重症を負っていた。
ようやく冷静さを取り戻したりりすは、まだ揺れ動く心に言い聞かせるよう自分に言葉を呟く。
「おっと、わたくしとしたことが。体力は、天使との戦闘まで残しておかなければいけないんでしたわね……!」
ヴァイオレットの背から足を離し、バックして距離を取る。
「ここまでの重複です。もう少し離れた方が、より安心した状態で魔術を発動させられますわね……」
下がった道に、流れ落ちた汗が印を刻む。
葉月の肩に踵が接触したところで、りりすは後進を終えた。
「跡形もなく消し去って差し上げますわっ! ブレイジング・ヒー──」
りりすは何故か、宙から落ちるような感覚に陥った。
どういうわけか、世界が上昇していくように見えた。
重力に逆らえず、身体が地面に落下してしまった。
彼女が下半身の分断を認識したのは、その瞬間だった。
「どうして──!?」
何故、どのようにして脚が切り落とされたのか。
この場にはもう、瀕死の騎士しか生き残っていないはずなのに。
りりすの質問は、答えが直々に回答してくれた。
「あなたは私を殺せなかった」
首を後ろに回し、上を見る。
そこで蠢くは死人──再生した一般人だった。
(このままでは敗北してしまう──!)
戦闘機巧りりすには、最低限の痛覚しか設定されていない。
痛みなど、ほんの僅かでも感じられれば危機感を覚えることができるからだ。
だから、りりすは必死に落ち着いた頭を回転させた。
現状を打開する、一発逆転の策を模索した。
葉月が、漆黒の斧を振り上げる。
殺意を擬人化したような少女に恐れをなしたりりすだったが、感情を圧し殺して鋭い眼光で葉月を睨み付けた。
だが、葉月は死ななかった。
真の強者は瞳で人を殺せる──りりすの魔眼は、圧倒的な強者の威圧感で相手に死を連想させるという能力だった。
それはつまり、自分が相手より強くなくてはならないということだ。
いくら戦闘機巧りりすであろうとも、両足と片腕を失ってしまっては分が悪すぎた。
殺人マシンも、動けなくなってしまってはガラクタに他ならないのだ。
「──認めましょう。わたくしの負けですわ」
りりすは、そっと瞼を閉じて電波を発信した。
(型番は違いますが。届かないかもしれませんが──わたくしの最期の声を、最期の力を……めふぃすと、あなたに授けますわ。どうか、最後まで足掻き続けなさい。最後まで、友を信じ続けなさい)
葉月の斧が振り下ろされる──りりすの顔の横に。
「……どういうつもりですの?」
りりすは、葉月に侮辱されたように感じていた。
「あなたは、めふぃすとに協力してくれた。だから殺さなかった。それだけ」
葉月の防衛本能が、勝手に口を動かす。
まだちょっぴり残っていた理性の声を、己の思いと交えて言葉にする。
「同情は結構です。人思いに首を落としてくだしまし──」
「私は、もう誰も殺したくないんだっ!!」
葉月は、そう絶叫してから斧を手放した。
「りりす──私と、お友達になろうよ……」
肉体を取り戻した本当の葉月が、本当の気持ちを伝えた。
「私は、りりすみたいに強くないし可愛くもない。きっと、頭もあなたの方がいいと思う。でも、それでも、困った時には肩を貸してあげられるような関係になりたいの。ダメ……かな?」
(殺し合いをして。実際に殺されて。仲間だって傷付けられたのに。わたくしの脚を切断してしまうほど憤怒に飲まれているはずなのに、何を寝惚けたことを吐かしているのでしょうか、この少女は──でも、その狂喜、実に面白いですわ)
りりすは、クスクス笑うだけで何も答えようとはしなかった。
「……拒否しないってことは、肯定と取っていいんだよね?」
「好きになさい。ただし、わたくしは戦闘機巧ですわ。まあ、比較的自由を与えられている戦闘機巧ですが……それでも、わたくしはあなたを殺そうとするかもしれません。そのことを忘れないように」
「──うんっ!」
鬼神のように強い人でも、話せば分かり合える人もいる。
命の奪い合いをしなくても、己の正義を貫ける瞬間がある。
葉月は、可能な限り和解という道を選んでいきたいと感じた。
「まったくあなたは……こんなにも無邪気な人間、見たことがありませんわ」
「覚えておいて。これが私だよっ!」
葉月がにっこり笑顔を浮かべると、りりすもクスクスと笑い返してくれた。
その笑顔を、葉月がしっかりと脳裏に焼き付けようとしたまさにその時、天から怒涛の暴風が降り注いだ。
「ば──あ、る?」
風に吹き飛ばされる葉月は、粉砕するりりすの姿を目撃してしまった。
爆音が鳴り響き、辺りに静寂が戻る。
「りりす、お前の最期の声は聞き届けた。よくもあんな穢らわしいノイズを俺に送りやがったな」
目的を果たしたばあるは、ゆらりと立ち上がって空へと消えていった。
「……何がどうなっているの──?」
動揺を隠せないでいる葉月に、もう一つ不安要素が覆い被さる。
「葉、月……さ……」
弱々しい声で葉月を呼び掛けたのは、青紫色の髪をした少女だった。
「ヴァイオレット──?」
もはや立つことすらできなくなっている少女を見て、葉月の思考は完全に止まってしまう。
「影……に……がはっ……!」
「ヴァイオレット!」
葉月が彼女の名を呼んだのと同じ時に、ヴァイオレットが葉月の影に飛び込んでいった。
「ダメ。何も分からない……今のはりりすがやったことなの……?」
自分だけ、何も知らない。
知らないことに対する恐れが、葉月の中でどんどん膨らんでいく。
(死にたくない。死にたくない。死にたくない……!)
死ねば、その分だけ過去に取り残されてしまう。
気付かぬうちに、仲間が傷付けられてしまう。
葉月は、無知の根底にある死を拒むようになった。
「ねぇ、めふぃすと……見ていたんでしょ? 私にも教えてよ……!」
キョロキョロと、葉月が辺りを見回す。
どこを見ても、葉月の目には無機質なものしか映りはしなかった。
この静寂の中には、三碓葉月を除いて生物という生物が存在していなかった。
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