一人でも多く生き残ってくれたんだから、とりあえずは喜んでおくとしよう
神の特権についての話を終えた一行は、日も暮れてきたため“ファーストレイ”に帰還することに決めた。
お見送りをしてくれるというオブリエルがホープネス大聖堂の扉を開くと、ちょうど訪ねてきていたらしいニコラが身体をぴくりと跳ねさせた。
「おお、ちょうどよかった。ちょっとばかし、近所で騒動が起きていたんだが……お宅は何ともないか?」
「ええ。見ての通り、全く問題ないわ」
「それはよかった」
ホープネス大聖堂の無事を知り、ニコラは安堵の表情を見せた。
「つかぬ事を聞かせてもらいたいんだが、空を飛び回っていたコウモリ共を追い払ってくれたのはオブリエルか?」
「そうよ。この子達が困っているみたいだったから、力を貸してあげようと思って」
そう言って、オブリエルは身体を横にずらした。
視線が通ったことにより、ニコラはようやく葉月達の存在に気が付いたようだった。
想定外の人物に出会った喜びを笑顔とし、陽気に手を振りながらニコラは三人に挨拶をする。
「やあやあお嬢さん方。元気そうで何よりだ!」
「お久しぶりです、ニコラさん!」
悲観的になっていた葉月のことしか存じ上げていないニコラは、自分ににこやかな笑顔を向ける少女に戸惑いを隠せないでいた。
しかしながら、それを言葉にすることはなく、あくまで堂々とした態度で葉月と会話を続ける。
「元気そうじゃねーか。もう死にたいとか言わなくなったのか?」
触れられたくない過去と化した自分について言及され、葉月は困惑の苦笑を浮かべてしまう。
「あはは……その節はご迷惑をお掛けしました……」
「多感な時期なんだ、色々悩んで当然さ。くれぐれも、俺みたいにはならないでくれよ?」
葉月との会話を自虐で締め括り、今度は部下へと視線を移すニコラ。
その目は、葉月に向けていた優しい形をしておらず、隊長としての威厳を宿した厳しいものだった。
「ヴァイオレット、詳細は兵舎で聞かせてもらうぞ」
「ひ、広場での戦闘のことについてでしょうか……? それとも──赤紐を無視してしまったことについてですか……?」
葉月の背後から顔だけを出し、震える唇を精一杯動かしてヴァイオレットはそう質問を投げ掛けた。
「どっちもだ」
「ひぇ……」
服の袖をぎゅっと握り締められ、そこから負の感情を流し込まれてしまった葉月は、ヴァイオレットを擁護するために彼女の活躍をニコラに伝えることにした。
「あの……ヴァイオレットがいてくれたおかげで、私達は命を落とさずに済んだんです。なので、彼女を責めるようなことは──」
「誰も責めるなんて言ってないぜ。結果論とはいえ、ヴァイオレットはよくやってくれたよ」
葉月が、ヴァイオレットの方を振り向いて親指を立てた手を見せる。
それをじっと見つめていたヴァイオレットは、少しだけ心に余裕ができたようで顔から陰を払拭した。
「ところで、そこの赤い髪のお嬢ちゃんは何者なんだ? 話の内容から察するに、結構な手練か幸運の持ち主のようだが……」
愛玩機巧であるめふぃすとに、戦闘技術は備わっていない。だが、如何なる博士であろうと調整することのできない、運のよさというパラメーターは高い数値を示していてもおかしくはないだろう。
そんな幸運の愛玩機巧めふぃすとは、まるでそう設定されているかのように初対面の相手向けの定型文を口にした。
「初めましてっ! 愛玩機巧めふぃすとですっ!」
「愛玩……?」
よく聞き取れなかったのか、はたまた意味を理解できなかったのか。ニコラは、訝しげにめふぃすとの発言を咀嚼した。
「……まあ、何でもいい。一人でも多く生き残ってくれたんだから、とりあえずは喜んでおくとしよう」
「やはり、被害は甚大でしたか……?」
「少なくとも、ここ数十年で最悪の事件と呼んでいいくらいにはな」
死傷者は、葉月達が戦場にいた時点で百名はいた。
この時点で、ただの通り魔や無差別殺人事件では到底叩き出せない大きな数字だ。
ニコラは、ルナによる殺戮を『ここ数十年で最悪の事件』と表現したが、実際は戦後最悪の事件と断言してもいいほど凄惨な出来事だった。
「私の傷が完治していれば、止めに入ることもできたのだけれど……」
元人類最強の少女が、悔しそうに言葉を漏らす。
「もしもの話は考えるだけ無駄だ。オブリエルは今できる全力を尽くしてコウモリを追い払ってくれた。俺からは、感謝の言葉しか出ない」
「……そうね。励ましてくれてありがとう、ニコラ」
「なぁに、おっさんも全力を出しただけさ!」
言っておくべきことを全て言い終えたニコラは、別れの挨拶を告げて兵舎の方に身体の向きを変えた。
それから、ヴァイオレットには葉月とめふぃすとを“ファーストレイ”に無事送り届けるよう念を押して言い聞かせた。
空が紫に染まり始めた頃、三人の少女達は“ファーストレイ”へと無事に帰還することができた。
店内を照らす暖色のライトの明かりは、葉月にどこか懐かしい感覚を思い出させる。
カラスが鳴いたわけでも、十八時を知らせるメロディーが空を覆ったわけでもなかったが、葉月の中には「今日の夕飯は何だろう」という疑問が浮かび上がっていた。
透明な扉を開いて、葉月は建物の内部へと入っていく。
ばあるによって破壊された屋根と床は、突貫工事によって穴を塞がれていた。
「おっ、帰ってきた!」
予想外の人物──シャルルが、三人を笑顔で出迎えた。
「ど、どうしてシャルルさんがここに……?」
「確か、用があるって“ファーストレイ”とは違う方向に走っていったよね?」
「用は済んだ! だから、次の任務を申請したんだー!」
シャルルは僅かに顔を横に向けて、数枚の板が打ち付けられた床の方を見た。
「あいつを止められるのは私だけ。だから、私がここにいれば二人は安全に朝を迎えられるってこと!」
「なるほどぉ……いい着眼点だと思いますっ!」
「でしょでしょー!? 私って天才かも!」
「天才というよりは、天災……でしょうか……?」
「ヴァイオレットって、見かけによらず結構毒を吐くよね……」
首を傾げるシャルルとめふぃすとを尻目に、唯一言葉の意味を理解した葉月が静かに指摘をした。
「こ、ここにはシャルルさんもいることですし、私は一度兵舎に戻らせていただきます……今日は、私なんかと共に行動してくださって本当にありがとうございました……!」
何度も何度も頭を下げながら、ヴァイオレットは葉月達に感謝の気持ちを伝えた。
「それでは、さようなら……!」
「はい! さよ──もういなくなっちゃいましたっ……!」
「ヴァイオレットは俊足だからねぇ……」
「そういう問題じゃないと思うけれど……」
無事“ファーストレイ”に帰ってくることができ、肩の荷が下りた葉月を疲労が襲う。
葉月は、凝り固まった身体を解すために大きく伸びをした。
「おっ、今の臍チラ超セクシーだった!」
「ちょ、変なところを見ないでくれる!?」
「見逃しちゃいましたっ! 悔しいですっ!」
「悔しがるなぁっ!」
顔を夕日色に染める葉月と、笑い声を上げる二人。
三人の様子は、どこからどう見ても普通の少女達の談笑だった。
そんな笑い声に釣られて、店の奥から店主のアランが顔を覗かせた。
アランに、店を破壊したことを責める様子はなく、いつものように──いつも以上に穏やかな表情で、葉月達の帰りを喜んでみせた。
「おお、帰ったか。もうすぐ夕飯が完成するから、席に着いて待っていてくれ」
「やったー! アランの料理は久々だから、すっごい楽しみだなー!」
両手を掲げてダイニングの方へと駆けていくシャルルに続く葉月とめふぃすと。
完成を目前とした芳醇な肉の香りが、少女の鼻孔を刺激した。
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