守りきれんかったらごめんやで

 女神すらも欺く術を思い付く男に、更なる知恵を与えたら──きっと、神智も越えた奇跡を起こしてくれることだろう。

「共に帰ろう、めふぃすと」

「待ってください!」

 赤い髪の愛玩機巧の背中を押し、連れ去ろうとする博士を、葉月は呼び止めずにはいられなかった。

「えっと……」

 何の言い分も持ち合わせていないのに。口籠ってしまうのに。身体ほんしんが勝手にそうさせたのだ。

 こちらを振り返ったツァーフは、葉月を穏やかな瞳に映し出す。

 彼の棲んだ眼球に映る自分はづきはとても弱々しく、息を吹き掛ければ飛んでいってしまいそうなほど小さく見えた。

 いつまで経っても続きを言おうとしない葉月に、ツァーフが感謝の言葉を述べる。

「君のおかげで、めふぃすとを殺さずに済んだよ。本当にありがとう」

 ──そうだ。彼は、ずっとめふぃすとを殺めようと画策していたではないか。

 どうして今まで忘れてしまっていたのだろう、と過去を顧みた葉月の脳内に、言葉の源泉が開く。

「めふぃすとを連れていかないでください!」

 ツァーフにはその言葉を。そして、自分自身には連れていかせてはいけないという言葉を。

 力強い思いには、真摯に答えてあげるのが筋というもの。

 ツァーフは、顔だけではなく身体も後ろに向けて葉月を説得する。

「めふぃすとは、自分の世界に返るんだ。そこで、幸せな人生を送らせてあげたいんだよ」

「自分の世界……ですか」

 機巧人は落命しない。であれば、異世界転生をする機会もない。

 広義では、ツァーフのいた世界はめふぃすとの世界であると言ってもいいのかもしれないが……正確には、ここがめふぃすとの世界──誕生の地であるはずなのだ。

「めふぃすとはどう思っているの?」

 葉月とツァーフ。異世界こちらに残るか、異世界あちらにいくか。

 この二択は、機巧人の頭脳を以てしても簡単には解けない難問だった。

 結局、めふぃすとは曖昧模糊な返答をするしかなかった。

 ただし、それは断じて彼女がいい加減な性格をしているからではない。

 その朧気な回答こそが、めふぃすとにとっては本心に他ならなかったのだ。

「もう少しこちらの世界を見て回りたいとは思いましたが、もう一つの世界も見てみたいんですよねっ……なので、私はどちらでも構いませんよっ!」

 一点の曇りもない、愛玩機巧の名に恥じぬ無邪気な笑顔だった。

 そして、どうやらめふぃすとは、その微笑みが葉月の進路を次々と落としていっていることに気が付いていないようだ。

 葉月は、ひび割れた道を破壊しないよう慎重にめふぃすととの距離を詰める。

「私と一緒に、世界を見て回ろうよ。別の世界にいくのは、それからでも遅くはないでしょ?」

「うーん……そうですねっ! そうしましょうっ!」

「じゃあ──」

「残念ながら、それじゃ遅いんだよ」

 地下に太陽が生まれた──葉月が眩しい笑顔を浮かべたのも束の間、ツァーフは曇り空となって光を遮った。

「どういうことですか……?」

 ツァーフにとって、話しにくいことなのではないか。自分を追い詰める愚問だったのではないか。

 葉月は、二つの意味で恐れを抱きながらそんな質問を投げ掛けた。

「……その様子だと、どうも私と君の住んでいた世界は別物のように思えるね。死の灰は世界中に降り注いでいるんだ、遅くはないなどという戯れ言を宣う余裕なんてあってたまるものか」

「死の灰……?」

 そんなものは、見たことも聞いたこともない。

 葉月は、ニュアンスからある程度の予測をしつつ、確認のため、それが何であるのかツァーフに尋ねた。

「放射性降下物と言えば理解できるかな? 君の世界に、放射性物質なるものが存在しているのかは知らないけれど」

 葉月の世界でも、原子力発電所の事故によって一部の地域が立ち入り禁止区域となっている。

 そのため、ツァーフのたった一言は、葉月に言葉の意味から事の重大さまでを理解させるに足る大きな存在となった。

 ツァーフは、たじろぐ葉月の同情を誘う目的で、更に凄惨な現実の話を付け加えていく。

「世界戦争によって、私の世界は核に汚染された。即座に息絶えた者も大勢いたが、一部の人間は死の灰との共存を強制されられた」

 戦争によって死ねなかった者は、穢れた戦後を生き続けなくてはならない。

 国と国の身勝手な争いに巻き込まれた一般人達は、戦争の後始末を強いられることになるのだ。

「死の灰には波があった。最初はだから何だって絶望もしたけれど、流石人智といったところか。すぐに周期は特定されて、事前に避難勧告が送信されるようになったよ。それでも、どうしても放射能の中に飛び込まなくてはならない時はある。そんな時、我々は重くて暑くて、それでいて信用しきれない防護服に頼らざるを得なかった」

 防護服は分厚く頑丈で、様々な刺激から肉体を守ってくれる。

 だが、本当にそんなことができるのか。相手は、生き物を蝕むことに特化した呪いのような産物だ。

 防護服など容易く通過して、明日には、明後日には身体に変調を来すのではないか──?

 当時のツァーフらが感じた恐れは、想像を絶する域に達していたことだろう。

「放射能に怯え、やりたいことをやりたいようにすることさえ許されない人生なんて、死んでいるも同然だ。だから私は、放射能に耐え得る人間──機巧人を作った。に働く新たな人類として」

 その後、ツァーフは機巧人の性質を簡単に語った。

「想定通り、機巧人は放射能をものともしなかった。これにより、死の灰が降ってきている間でも作業を進めることができるようになった」

 機巧人の性質は、全てツァーフによって決定される。

 彼が人間らしい皮膚を求めればそれができるし、放射能を無力化する肉体を求めればその通りになるのだ。

「そんな機巧人の活躍を見た人間共は、私が自分達の助けになる物を製作してくれたと認識したらしい。完全に誤っているわけではなかったから、私も言い返さなかったんだけれどね」

 ツァーフは、希望のない世界に眩い光を注いだ。

 その功績から、女神がツァーフを気に入ってしまうのも頷ける。

 彼ならば、こちらの世界もいい方向に変革してくれるかもしれないと思ってしまうのも無理のないことだった。

「私が作りたいのは、死の灰に怯える人間と機巧人が共存する世界ではない。死の灰に屈しない、在りし日と遜色ない機巧人だけの世界を創造したいんだ」

 朝起きて、ご飯を食べて、学校や仕事に赴く。

 近所の公園からは、子供達の笑い声が響いてくる。

 ツァーフは、機巧人を生産することで日常を取り戻そうとしていた。

 今を捨て、未来を拒んで、過去に向かって歩き出そうと目論んでいた。

 やり方は強引で、間違っているのかもしれない。

 ただ、ツァーフの考え方は葉月にも納得できなくはないものだった。

 しかしながら、ツァーフの物語には一つだけ疑問点がある。

「ツァーフ博士、あなたは人間なんですよね?」

 人類を滅ぼし、空いた枠に機巧人をはめ込む。ツァーフはそのように話した。

 だが、その理屈でいけばツァーフは滅ぼされる側だ。

 せっかく理想郷を完成させても、自分は死の灰に畏怖する現実を受け入れ続けなくてはならない。

 ツァーフは、その事実をどう慮っているのだろうか。

「ふむ、いい質問だ。私もいい回答を返さねばならないと思うと、胃が痛んでくるよ」

 ツァーフは一歩前に出て、おもむろにシャツを脱ぎ始めた。

「おぉ、研究者にしてはええ身体……ってなんでやねん! 脱ぐ必要なんてないやろ!」

 マジェンタのナイフのように鋭いツッコミに、葉月は苦笑を浮かべた。

「服を台無しにしたくないんだよ」

 半裸となったツァーフがその場で胡座をかくと、突如、彼の背後から──いや、彼の背中から、鉛色をした一メートル以上ある腕が四本出現した。

 ツァーフは金属の腕を器用に用いて服を拾い上げ、六本の腕でそれを丁寧に畳んでみせる。

「実はね、落命するまでに二体しか機巧人を作れなかったことが心残りだったんだ。だから、次こそは大量生産を成し遂げようと、手始めに自分を機巧人にしてみた」

 神の知識を与えた結果、天才は死という絶対的概念への下克上を成し遂げてしまった。

 ただ、ここにはもう一人その偉業を成し遂げた人物がいるため、それだけではいまいちインパクトに欠ける。

 重要なのは、増設された四本の腕と神の叡智の兼ね合いの方にある。

 革新的な発明品を創造する技術者が、単純計算で三人分の作業効率を叩き出すようになり、更には毒も放射能も老衰さえも無力化する不死身の身体を手に入れた。

 もはや、ツァーフは神に等しい存在となったと言い切ってしまっても問題がないほどに人間をやめてしまっていた。

 唖然とし、固まって動かない葉月の姿を視界に収めて、ツァーフは勝利を確信した。

 羽のような生え方をした四本の腕を体内に仕舞い込み、折った洋服を広げて袖に腕を通すツァーフ。

「もういかなくては」

 己の凱旋を邪魔する者は、もうどこにもいない。

 ツァーフは、胸を張って一歩ずつ前進した。

「──待ってください」

 弱々しい、今にも消えてしまいそうな小さな声が、またもや神の行進を遮ってしまう。

 二度目となると、大人のツァーフも苛立ちを隠せなくなってきていた。

「君、往生際が悪いよ。それで最後にしてくれたまえよ?」

「はい。端からそのつもりです」

 葉月はこれから、必勝の台詞を吐くわけではない。

 彼女も、もうめふぃすとの帰還を止めることはできないと薄々勘付いていたのだ。

 だから、ただ一秒でも長く共通の空間にいられるように。こうして、顔を合わせていられるように、時間稼ぎの問い掛けを始める。

「ツァーフ博士は帰った後、めふぃすとに何をしてあげますか?」

 遂に完成させた理想の機巧人に、どんな幸せを与えてあげますか──そう尋ねられたツァーフは、めふぃすとの性質を加味して最善と思われる答えを探す。

「そうだなぁ。めふぃすとは愛玩機巧だから、可愛がってあげたいよね」

 彼の複雑な脳内に、あれよあれよと情景が浮かんでは沈んでいく。

 そして、最後に一つ残った答えが──

「そうだ! 人類を滅ぼす力を与えてあげよう!」

 マッドサイエンティストは、それこそが最大級の喜びであると信じて疑わなかった。

「うんうん! めふぃすとは、平穏な日常を取り戻す正義の味方になるべきだ! 主人公になるべきなんだよ! だってこの子は、そうなるだけの功績を残してくれたんだから! まずは、人間型の腕を切り落として、りりすに内蔵した剣腕けんわんを装備させてあげよう。最高級の金属をふんだんに使った、骨をも一太刀で斬り裂く最強の手だ。めふぃすとも欲しいだろう?」

「えぇー……どうでしょうっ?」

「足は……いっそ、なくしてホバータイプにしてみようか。腕と違って、気に入らなかったらいつでも付け替えでき──」

「抑えてくださいっ……!!」

 ツァーフは、初めて耳にする声に釣られて後方を振り返った。

 視線の先には葉月しかおらず、彼は聞き間違えと思って顔を戻し始め、すぐに思い留まった。

 葉月を二度見し、ツァーフは脳が受信した情報に誤りはないことを知る。

 そして、面前に広がる異様な光景──自分の影に手を突っ込む葉月が偽りでない事実によって思考を硬直させられた。

「少しでも、あなたを信じてみようと思った私がバカでした」

 獲物に狙いを定め、接近する蛇のような低速で、葉月の右手が闇から何かを引き摺り出す。

 彼女が取り出したのは、ついさっき返品したばかりの黒い杭だった。

「……私とやり合うつもりかい?」

 ツァーフには、相手の表情一つで心理を推測できる才が宿っていた。

 なので、葉月の思考を手に取るように理解できたのだ。

 戦闘態勢に突入するツァーフから決して視線を外さないようにして、葉月は杭を少しずつ上に持ち上げていく。

 杭を握る手が胸の位置まで上り詰めた瞬間、彼女は鋭利な先端部分を迷いなく自分の胴体に突き刺した。

「……ほう」

 未来予知にも似た力を惜しみなく使用していたツァーフは、葉月の奇天烈な行動にも全く動じなかった。

 そんな彼に反して、真新しいことが大好きなりりすはサーカスでも見ているかのように、目をキラキラと輝かせながら葉月を見守っていた。

「さて──あの子は一体、何のトリガーを引いたんでしょうかね」

 りりすが残したクスクス笑いと重ねて、マジェンタが思わず次のような言葉を漏らしてしまった。

「あ、頭のネジが外れたんか……?」

 それが普通の反応だ──既知のめふぃすととヴァイオレットは、改めて何かを語ろうとはせず、黙って葉月の動向を見守り続けるという選択をすることにした。

「謝罪していただけませんかね、博士?」

 高圧的な態度ではあるものの、人間など、ツァーフにとっては恐れるに足りない相手だ。

 ツァーフは、嘲笑を浮かべながらわざとらしく肩を竦めた。

「……悪いけれど、思い当たる節がないよ」

「そうですか。では、私が教えてあげましょう──機巧人は道具じゃないんですよ!!」

 機巧人には人格があり、信念があり、感情がある。

 それらは人間が持つものであり、断じて物が獲得できる代物ではない。

「他でもないあなたが、機巧人を人間らしく作ったんでしょう? だったら、人間にするように接してあげるのが筋というものじゃないんですか?」

「君の言う通り、機巧人を生んだのは私だ。私であるからこそ、やりたいように接して何が悪い? 私のやり方が、機巧人にとって悪いこととも限らないだろうに」

「私には、機巧人も人間も同じに見えます。だから、あなたが折れるまで同じ主張を続けるつもりです」

「チッ……これだから人間は面倒なんだよ!」

 ツァーフはもう、服が裂けることなど気にしていられないほど苛立っていた。

 己の前進を遮るものは、繊維であろうと少女であろうと引き千切るのみ。

「めふぃすと、りりす、下がっていろ」

 腕が四本増えようとも、ツァーフの脳ならば難なく演算することはできる。

 ただ、娘達に万が一のことがあったら、親としての面目が丸潰れとなってしまう。

 素直な子供達が、逆らわずに後退したことを横目で見、最小の運動量で獲物を捕捉したツァーフは、腕を二本使って大地を叩き、足では出せない速度で一気に葉月との間合いを詰めた。

 対する葉月も、枷となる三碓葉月の意識を意図的に排除し、強引に発動させた防衛本能に未来を委ねた。

「不死身同士の争いを鑑賞しているだけなんて、この世で最も不毛な時間の過ごし方デスワね」

「クスクス笑ってる場合か! もっと距離を開いとかんと巻き込まれるぞ!」

 ミニりりすを拾い上げ、通り抜けざまにめふぃすとの腕を掴んだマジェンタは、二人を壁際まで連行してからモップを斜めに構えた。

「守りきれんかったらごめんやで……!」

 化物同士の舞踏会を目の当たりにしたマジェンタは、つくづく要請に答えた人物がオブリエルでなかったことを不運に感じていた。

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