いやぁ、見事だったよ!

 確かに、神は二人の人間に愛を捧げた。

 どちらも、人間の器では抱えきれないほど大きな愛だった。

 ただ、文字にすると同様である両者だが、実際のところは僅かに重さが違った。

 その差は、拮抗しているようで一方的な、愛しき子供達の争いにも顕著に現れていた。

「ぐはっ……!」

 葉月の蹴りを腹部に受けて、ツァーフは息と血を吐きながら吹き飛ばされた。

 受け身すら取れないまでに脱力した身体をなお起こし、降り掛かる侮蔑の目に不屈の瞳を返す。

「りりすやばあるの方が、あなたよりもずっと手強かったですよ?」

「クソがっ……!」

 体力の有無による影響を受けない偽造の腕を足として、ツァーフは立ち上がる。

 彼がまだ諦めていないことを察した葉月は、自分の影から飛び出てきた槍に手を接触させる。

 一瞥すらせずに行われた一連の動作によって、槍には回転するエネルギーが加算された。

 円を描きながら浮かんでいく槍が上昇をやめたまさにその瞬間、葉月が後方宙返りをして槍の柄を足の甲で蹴り飛ばした。

 弾丸よりも速く宙を駆ける槍は、ツァーフの右脇腹を掠って硬い地面に突き刺さった。

「……狙いが逸れたみたいだね」

 だったら、次の攻撃に移るだけだ──葉月は、着地と同時に身体を百八十度回転させ、ツァーフの方を向き直った。

「っ──!」

 それと同時に、機械の刃──りりすの腕に用いられていたものと同様の技術によって変形させた腕を、ツァーフが投げナイフのように葉月へと投擲していた。

 右腕と右足に貫通したまま息絶えた刃は、死してなお葉月の再生を阻害し続けている。

 葉月は、傷口が広がることも深くなることも気にせずに、乱雑な手捌きでそれらを引き抜いた。

 その時、無事だった血管が裂けて血液が溢れ出してきたが、その程度の変化など葉月にとってはないも同然だった。

 葉月が刃を落とし、金属特有の高音を洞窟中に響き渡らせる。

「まだ倒れるなよ!」

 ツァーフが刃に変化させたのは、人間で言うところの手の部分に当たる。

 そして、そこと繋がっていた手首からは、骨ではなく金属の管が顔を覗かせていた。

 深淵を覗いても闇が広がるばかりで、奥に潜む何かも覗き返してくる目も外側からは認識することができない。

自分の方に向けられた穴──それは、この世界では際立って意識が向いたあの道具を思わせる。

 葉月の想定通り、ツァーフは銃弾の弾幕を創造した。

 渦を巻くようにツァーフの周りを駆け回って弾との接触を避けようとする葉月だったが、それら全てを回避するのは、雨粒を躱すように困難なことだった。

 飛来する金属の塊が葉月の肉を抉り、血を撒き散らす。

 痛みは最小限に抑えられているものの、身体の機能の方は正常にパフォーマンスを低下させてしまう。

 一秒程度の僅かな間ではあったが、葉月は転倒するように膝を付いた。

 葉月に生まれた弱みを、ツァーフは正確に射止めていく。

(再生よりも負傷の方が早いか……!)

 セミオートマチックの実銃に匹敵する発砲を前に、葉月は防戦一方だった。

「まだ倒れないか……ふむ、君の能力が見えてきたぞ!」

 知識を獲得する快感に、ツァーフの身体は興奮を覚えずにはいられなかった。

 その感情を、如何様に発散すべきか。彼の出した答えは、もう二本分弾幕を濃くするというものだった。

 ある程度時間を稼いだこともあって、ツァーフの足には力が戻ってきていたのだ。

 自立に成功したツァーフは、足となっていた腕の手のひらを折り曲げて銃口を剥き出しにする。

(あれを追加されるのは流石にますいかも……!)

 葉月は、覚悟を決めて接近を試みることにした。

(被弾なんて気にするな……一発当てて、それからゆっくり回復を待てばいいんだ!)

 勢いで身体の均衡を保ちつつ、葉月はツァーフのすぐ側まで近付いた。

 長距離まで届く蹴りを出すにはバランスが悪過ぎるし、頭突きはリーチが短い。

 ツァーフまで到達できるかどうか微妙な距離であったが、今葉月が振るえる武器は拳しかなかった。

「届けぇぇぇ!!」

 外せば、きっとその時点で押し負けてしまう──葉月は己を信じ、神に願って全ての力を込めた右手を前方へと突き出した。

 何かを弾くような音と共に、ツァーフは顔面から地上へと叩き付けられた。

 葉月渾身の一撃は、ばあるの落下に勝るとも劣らない破壊力を有しており、岩肌には眼球の血管にも似た亀裂が無数に走っていた。

「ぐっ……!」

 今まで必死に堪えてきた足は縺れ、転倒した葉月の手首は潰れたトマトのようになった。

(骨が折れなかっただけ儲けものかな……)

 巻き戻しのように治癒していく傷跡を眺めながら、葉月は前向きに事を考えることにした。

 銃撃によって穿たれた穴も、既に塞がりつつある。

 葉月は、怪我のことなど忘れてしまったかのように動かなくなったツァーフを瞳に映した。

「勝ったみたい……だね」

 防衛本能は自分で突き刺した楔を引き抜き、眠っていた葉月を呼び起こして主人格を交代した。

 神の特権が作り出した安堵感は大きく、葉月はその場で大の字に寝転がった。

「疲れた~……」

 とても絶対悪とは決め付けられない、まだ善に戻ってこられるであろう相手との死闘だった。

 後味が悪いエピローグだが、葉月は心のどこかで清々しさのようなものも感じていた。

 それはきっと、信念と信念をぶつけ合ったからこそ生まれた感情なのだろう。

 どちらが正しくて、どちらが間違っていたのか。それを決することは、人間にとっては気持ちのいいものだった。

 ただ、大部分を占めているものが釈然としない気持ちであることに変わりはない。

 今回はツァーフが過ちを犯していたという結論になっただけで、実際は葉月の意見が過誤であった可能性もあるのだから。

「さてと……」

 充分に休息を取った葉月は、起き上がってツァーフに合掌しようと目を閉じた。

 直後、葉月が死体だと思っていたものが急速に膨張し、熱や音を交えた破壊作用を近くにいた者に齎した。

 体重が半分になったような感覚と共に、葉月は爆風によって随分遠くまで運ばれていった。

「葉月!!」

 咄嗟に叫び声を上げるマジェンタだったが、まだ破裂した鼓膜の再生が終わっていなかった葉月の耳には一文字たりとも届いていなかった。

 勿論、彼女を称賛する拍手の音も。

「いやぁ、見事だったよ!」

 我が身に起きた異変を微塵も理解できていない葉月の脳に、新たな情報が送り込まれる。

 何重もの謎に塗り固められた薄気味悪い死人ツァーフの笑顔という、眼の不具合としか思えない新報が。

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