流石の私も怒るよ
「人間を軽く粉砕する程度の爆発だったはずなんだが……少々距離が離れ過ぎていたかな」
膝から下を失った葉月を見下ろし、ツァーフは彼女のことよりも爆発の威力にご執心だった。
本来ならば冷酷だという非難の声が浴びせられそうな所業だが、当の葉月も気にしていないのだから、別段おかしなことでもないのかもしれない。
葉月は、瞬きも呼吸も忘れて、ツァーフをじっと視認し続けていた。
「何で……?」
死んだはずの人間が元気に動き回っている──その異様さから、目が離せなくなってしまったのだ。
口のある死人は、その場にしゃがみ込んで葉月と向き合うような形で言葉を発する。
「考えてもみなよ。神の知恵があるからといって、いきなり自分の肉体を改造するのは恐ろしいことだろう?」
狂人で、冷静さを欠いた男だと思っていた相手が、恐怖と不安というもっとも過ぎる意見を述べたことに、ただでさえ滑りが悪かった葉月の脳はますます回転速度を緩めていった。
「だから私は、実験体として自分自身を作り出した。今まで君が命懸けで戦ってきた機巧人がそれだ」
悠々と解説を続けていたツァーフはすぐに
、葉月の身体が異常なまでの早さで復活していることに気が付いて、逸る気持ちを心の内に留めておくことに決めた。
「君の再生能力は厄介極まりない。薬によって無力化させてもらおう」
そう言って、ツァーフはポケットから木製のケースを取り出す。
彼が箱の蓋を開けると、収納されていた小型の注射器が顔を出した。
「本来は、機巧人をより人間足らしめるために打つ薬品なんだけれど……君に投与すれば、自慢の再生能力を無力化できるはずなんだよねぇ……」
「へぇ……先週の私に教えてあげたら、泣いて喜びそうな代物だね」
「あくまでも虚勢を張り続けるか……それもまたよし。私も、気兼ねなく君を殺めることができるよ!」
そう言って、ツァーフは注射針を葉月の腕目掛けて慎重に運んでいった。
その先端部分が、少女のきめ細やかな肌と接触するかしないかのところで、今まで黙認を続けてきためふぃすとが、溜め込んできた音を一斉に放ったかのような大声で静止を促した。
「待ってくださいっ!!」
めふぃすとの願いは聞き届けられた。
「めふぃすと……!?」
葉月の驚きの声には耳を傾けようともせず──いや、そんな余裕さえなかったのかもしれない。
めふぃすとはマジェンタの横をすり抜けて、葉月に覆い被さるような姿勢でツァーフに顔を向けた。
その力強い手からは、注射器の握られたツァーフの右腕を断固として前進させないという意気込みが感じられた。
「どういうつもりだい、めふぃすと?」
優しさと冷淡さが織り交ぜられた落ち着いた声が、めふぃすとを一瞬だけ畏怖させる。
「葉月さんは、私の大切なお友達ですっ。だから、もう傷付けるのはやめてくださいっ!」
「……めふぃすと。君は父よりも友を選ぶというのかい?」
もしそうなのであれば、当初の予定の再決行も辞さない──ツァーフは、静かに愛玩機巧の返答を待った。
「父であるからこそですっ! 葉月さんも博士も、どちらも大切だからこそ、傷付け合ってほしくないんですっ! それは、とても悲しいことだからっ!」
態度の急変。発言内容。彼女の脳に、エラーでも発生してしまったのだろうかとマジェンタは感じていた。
「なぁ、ちっこいの。あの子、さっきまでの死闘を無言で眺めてたよな……?」
「だぁれがちっこいのですの、このピンク頭! 恐らくですが、めふぃすとは最初から、博士が本物でないことに気が付いていたのでしょう」
「仮にそうやとしても、この変貌っぷりは大袈裟やろ! 葉月と博士が殺し合ってたんは事実やし、葉月の側は下手すりゃ死んでたかもしれん──いや、それはないか……」
「その辺りは、本人に聞いてみないと何とも言えないところデスワね」
何はともあれ、めふぃすとが戦場に赴いた以上、追加の被害が出ることはなくなっただろう──マジェンタとりりすは、部外者らしく遠方から三人の行く末を見守ることにした。
ツァーフは、めふぃすとの愛に感銘を受けた。だからと言って、降り掛かる火の粉を払わない理由にはならなかった。
「……退くんだ、めふぃすと」
ツァーフの声には、以前よりもずっと多量の憤怒が混じっている。
なお抗おうとするのであれば、引き剥がすことも、壊すことも厭わない。
この最終警告は、父の甘さであり優しさでもあった。
しかしながら、自立し、親に頼ることをしなくなった子供にとって、その甘ったるさは飴にも鞭にもならなかった。
「退きませんっ!」
はっきりとした口調で必要なことだけを返してきためふぃすとに、とうとうツァーフの堪忍袋の緒が切れた。
「黙れ!!」
ツァーフは、めふぃすとの頬に渾身の一撃を与えた。
目に涙を溜め、口内を血の味一色に染めながらも、めふぃすとは不動のままツァーフの目を見続けた。
「退きませんっ!」
「っ──! そうかよそうかよ! いいんだな、それで? 僕を敵に回したらどうなるかを分かった上で発言しているんだな!?」
血走った目をしたツァーフが、さながらカマキリが獲物を掴む時のようにめふぃすとの細い首を手で締めた。
彼の腕を流れる力は尋常ではなく、うつ伏せ状態だっためふぃすとを仰向けに押し倒してしまう。
「んぐっ……!」
葉月の上に寝かされためふぃすとは、必死に足をばたつかせて危険を排除しようと試みる。
だが、たかが愛玩機巧の抵抗では成人男性を退かせることなどできるはずもなかった。
「愚かなめふぃすと! 可哀想なめふぃすと! 黙って僕に従っていれば、安寧を保障されたというのに! ゲヒャヒャハァ!」
葉月は、彼の笑い声に聞き覚えがあった。
残酷で、子供っぽくて、狂気に満ち満ちたあの顔を、声を、忘れろという方が無理難題だ。
名前は何と言ったか。葉月は、三十の軍団を指揮する悪魔に付けられた名前をぼそりと呟いた。
「あんどらす……!」
倒したはずの彼が、何故ここにいるのか? 何故姿を変えて現れたのか?
機巧人の常識を人間が理解するのは難しい。
彼らは、人間にできることは勿論のこと、できないことも平然とやってのける、新時代の人類と形容するに相応しい存在であるからだ。
ツァーフの形をしたあんどらすは、めふぃすとを絞め殺そうとしているらしい。
雰囲気からそう悟った葉月は、神の特権による強化を受けた胴体を翻し、めふぃすととあんどらすを宙に浮かせた。
すると、あんどらすは反射的に腕に込めた力を抜き、握っていた手を開いた。
「げほっげほっ……!」
落下しためふぃすとは噎せ返り、酸素を確保しようと全身をポンプのように上下させる。
「めふぃすと、大丈夫!?」
靴を失ってしまったため、裸足で駆け寄ってくる葉月に、めふぃすとは右手を挙げて無事を知らせた。
動作の意味を把握した葉月は、歯を食い縛ってあんどらすに強い眼差しを向ける。
「どういう仕組みなのかは知らないけれど、ツァーフ博士の身体を使ってめふぃすとを攻撃するなんて……!」
しっかりと大地を踏み締め、葉月があんどらすに接近していく。
「ま、待て! 話せば分かる!」
突き出した両手を振り、焦りを顕著にするあんどらす。
その額は、頬は、まるで豪雨に見舞われたかのように汗で湿っていた。
「弁明を聞かせてもらおうじゃん。内容次第では、流石の私も怒るよ?」
防衛本能に頼らぬ、葉月としての怒り。
それはなかなか見られるものではなく、生前は説法扱いされるほどだった。
一メートル程度離れたところで立ち止まった葉月を見上げ、あんどらすは上擦った声で必死に心を訴え掛ける。
「僕は──僕は悪くない! 博士に命令されたんだ! めふぃすとの周りにいるやつらを殺せって! めふぃすとの首を絞めたことは謝る! だから許してくれぇ……!」
博士に命令──機巧人になったりあんどらすになったりと、もはや葉月にはツァーフ博士という人物のことが理解できなくなっていた。
倒した博士でもあんどらすでもないツァーフが、この世に存在しているというのだろうか。
考えれば考えるほどこんがらがっていき、葉月は知恵熱を起こしてしまいそうになった。
「嘘だよ! 死んどけっ!」
難解な問題に思考能力を費やしていた葉月は、あんどらすの不意打ちに対応することができなかった。
貫通しそうな勢いで、葉月の腕に注射器が刺される。
血管の場所も注入する速度も、あんどらすの眼中にはない。
薬を葉月に注射できればそれでよかったのだ。
冷たいものが体内に流れ込んでくる感覚に嫌悪感を覚えてももう遅い。
葉月が注射器を弾き飛ばした頃には、既に中身は抜け、器だけとなっていた。
「ゲヒャヒャハァァァ!! 僕の勝ちだァ!」
「くそっ……!」
神の特権に外傷への対策が施されていることは既に実証済みだ。だが、毒や病気といった内から這い出てくる負傷は、まだ試したことがなかった。
それを学べる機会が生まれたことは大変喜ばしいのだが、それが実戦の場であったことには嘆きの感情しか湧いてこない。
葉月は、すぐに身体の異変を察知した。
ただし、察知したものは薬による身体能力の減衰ではなく、その影響が全く発生していないという異変の異変だった。
神の特権──七十年の生存保障には、毒への耐性機能も備わっていた。
人体に害を及ぼすものを完全排除する能力なのだから、実験する必要も考える必要もないことだったのだ。
葉月の体内を流れる異物は即座に効力を剥奪され、毒にも薬にもならないただの液体へと変換される。
「な、何故だ……!? 畜生っ、畜生がァ!!」
完全勝利を確信したから接近したのに。もう、反撃が飛んでこないと思ったから笑ったのに。
あんどらすの推定は、次の瞬間には夢物語へと変貌していた。
葉月の強烈な拳が、あんどらすの顔の中央に炸裂する。
鼻の骨は折れ、歯も数本飛び散った。
揺れる脳みそは停電したように機能を喪失し、手足は仕事を忘れてされるがまま揺れ動くだけだった。
「がはっ……!」
口を全開にしたまま、あんどらすは微動だにしなくなった。
「博士っ!」
もう、彼はツァーフではないというのに、それでもなおめふぃすとは横たわる男性を博士と呼んだ。
「……もう、おしまいだよ」
あんどらすを介抱しようと小走りになっためふぃすとを手で遮り、葉月は少し離れたところから観念するよう口にした。
「まだ、だ……僕にはまだ、成すべきことがある……! ヒャヒャ……そうだ。僕にはあるじゃないか。神の特権──神の叡智がッ!!」
直後、あんどらすの肉体は葉月のそれよりも数倍迅速に再生した。
「治癒魔法、聖なる希望 《ホーリー・ホープ》──神様は、こんなものも使えるんだなァ?」
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