第47話 エピローグ そして、そのさきへ
「わたくしが、希望……?」
唐突なパナヴィアの願いに、リースは目をぱちくりとさせて、耳慣れぬ言葉を繰り返した。
「うむ。……いや、済まぬ。有体な言い方をすると、晒し者じゃな。
メリカールの捕虜となった亡国の姫が、それでもなお生きることを選びメリカールと戦う……とまあ、こういった美談のヒロイン役を演じて貰いたいのじゃ」
敢えてこういう意地の悪い言い方をしてしまうのは悪い癖だなと思うパナヴィアだったが、彼女の……同盟国の代表相手に建前だけで話をするのは、パナヴィアの誇りが許さなかった。
「妾とて一国を預かる女王。であるならば何よりも先ず、自国民が安寧と平穏を得る道を選ぶのが第一。それは分かるな?」
「……耳が痛いですわ。わたくしは、それを放棄したも同然の行いをしていたのですから」
後悔だろう、多分に苦いものの混じった笑みを浮かべるリースの表情は、見ているだけで憐憫を誘う。
が、それでもパナヴィアはリースから目を逸らさず言葉を続けた。
「そんな妾が、何ゆえそちを助けたか。……すべては、ルーセシアが『人間の国』であると証明するためじゃ」
……などと思いつつも、ここは敢えて建前を押し出した。
アスラルを失うのが怖かった、なんて正面切って公言するのはさすがに具合が悪いし、決して嘘を吐いているわけでもない。
むしろ、誰よりも女王たらんとするパナヴィアが「アスラルを救いたい」などという私情を挟むことができたのも、ひとえにこの目的があればこそであった。
「人間の、国?」
「さよう。お主とて聞き及んでいよう? このルーセシアの風評を」
「……血染めの魔女が治める、妖魔悪鬼の国……ですか?」
「不本意ながらの。以前は、別に気にするものでもないと思うておった。……いや、違うな。言いたい者には言わせておけ、みたいな投げやりなものかの。
で、メリカールのようにそれを理由に攻め込んでくるヤツは徹底的に叩き潰してやればよい……とまあ、そんなふうに考えておった」
じゃが、と続けて、パナヴィアはリースから僅かに視線を逸らす。
「此度の戦を経て、の。妾も、思うたのじゃ。相対する敵をすべて討ち滅ぼした先にあるのが平和じゃと言うのなら、平和というのは何とも血生臭いものじゃと……メリカールの言う、統一を旗印にした侵略戦争と変わらぬのではないか……とまあ、そんな風にの」
それはかつて、アスラルと交わした問答の中にあった、アスラルの台詞そのものであった。
無論、パナヴィアも納得というか、腑に落ちたからこそ用いたわけなのだが、口に出すとどうしてもその青臭さゆえに気恥ずかしさが先に立ってしまう。
「ごほん。そこでじゃ、妾もこう、考えたのじゃ。ならば大々的に喧伝しよう、と。
エストリア女王を救い、メリカールに虐げられた者たちの心の拠り所となるべく立ち上がった国こそルーセシアである、と」
「……それを、わたくしに?」
「『血染めの魔女』の妾が言うても、あまり説得力が無いじゃろうからな。じゃが、誰よりもメリカールに虐げられた者であるお主の言葉ならば、多くの者が信じてくれよう。ましてや『エストリアの宝石』などと評判の姫君とあれば、なおさらじゃて」
きしし、とからかうように笑うパナヴィアに、リースも照れ臭そうな、けれどようやく明るい色の混じった笑みを浮かべた。
「ここは悪魔の国ではない、人間の国じゃ。だからこそエストリアの女王を救い、同盟を結んだ。そして、これ以上エストリアのような悲劇を生まぬよう、エストリア・ルーセシア両国を盟主にした一大同盟を築き上げよう……とまあ、こういう謳い文句の旗頭として先頭に立ってもらおうと。つまりはそういうわけじゃ」
「一大、同盟……ですか?」
「さよう。実を言うとな、それがこの同盟の最終目的じゃ」
ぽん、と膝を叩き、パナヴィアはずずずいっとリースに顔を近づけた。
「経済防衛圏の確立、と言って分かるかの? エストリアとルーセシアの同盟をきっかけにして、メリカールの脅威に晒されておる国をどんどん味方に引き入れていこうと思うのじゃ。そして同盟国同士で交易をし、その利益で国が富めばメリカールの傘下に入る必要も無くなるであろう?
異なる文化を混じり合わせ、新たな技術を生み出せれば、メリカールに対抗できる力も作れるやもしれぬ。軍事的、経済的独立を果たすことでメリカールと肩を並べることができれば、戦うことなく相手を制することも可能なはずじゃ。下手に噛み付けば自身の身を滅ぼすやもしれん相手に、わざわざ喧嘩を吹っ掛けようなどと思うまい?」
捲くし立てるように言うパナヴィアの言葉を半ば呆気に取られたように聞いていたリースだったが、やがて、ぱぁっと……ずっと探していた宝物を見つけたといわんばかりに、頬を綻ばせた。
「……素晴らしい方策だと思います。戦争ではなく、商業や文化でメリカールと対抗しようと仰るのですね」
「うむ、そのとおりじゃ」
そう。
それはかつて、リースが自問したことの、答えだったのだから。
――戦う以外の方法で民を守ることは、本当にできないのか……と。
完全な正解ではないのかもしれない。けれどパナヴィアの掲げる理想は、リースの自問を真っ向から肯定してくれた。
できないのか、と問いながらも、そんな方法あるわけがないと、どこかで諦めてしまっていた未来に対して。
――戦う以外の方法で民を守ることも、できるのだ……と。
「大変尊いことだと思います。血を流し合うことばかりが戦いではありませんもの。よりよい国づくりを目指して競い合うことができれば、いつかすべての国と手を取り合える日が来るかもしれません。パナヴィア女王陛下のご慧眼、感服いたしますわ」
「そうであろうそうであろう! いやぁ、寝ずに考えた甲斐があったというものじゃ。……でじゃ、ここからが一番重要なのじゃが……」
そう前置きして、パナヴィアはリースの瞳を正面から見つめた。
野葡萄色の瞳と、湖面のような蒼い瞳が絡み合い、どれほどの時が経ったろう……と思うほどの沈黙のあと、パナヴィアの唇が、ゆっくりと動く。そして……
「ついては、アスラル=レイフォードをルーセシアの客将として迎え入れたいのじゃが」
ぽん、と。
冗談とも取れるような台詞を、真顔で。
何の臆面も無くキッパリと言ってのけた。
今度はリースが呆気にとられる番だった。ぽかんと口を開け、やがて思い出したように口元を抑えて堪えきれない笑いを零す。
「……っぷ! ふふふっ。もう、ナヴィちゃんってば……」
「にひひひ、悪いか? 妾はこれでも諦めの悪いほうでな。懐かぬ犬を見ると、是が非でも落としてみたくなるんじゃよ」
リースの反応にパナヴィアは「してやったり」と歯を見せる。
「無論、同盟の話もその目的も嘘ではないぞ? そうやって他国の交流が行われれば、自然ルーセシアにも人が来る。戦いにではなく、商売をしにの。そこで行商人たちが見るんじゃ、このルーセシアを。
姿形など関係ない、誰よりも人間らしい心を持った者たちが住む、温かで豊かな国であると。そういう噂が広まれば、もう誰もルーセシアを悪魔の国だなどと呼ぶことはなくなる。子供たちにも、そんな未来を与えずに済む。むしろ、のびのびと子育てするならルーセシアじゃと、各地からたくさんの家族が移住を求めてくるかもしれぬ。
ああ、そうなったらどんなに素晴らしいじゃろうなぁ!」
まだ見ぬ、しかし決して実現不可能ではない未来を思い描き、パナヴィアの頬は自然緩んでしまう。
そんな姿を微笑ましそうに見つめるリースの視線に気付き、パナヴィアは照れ隠しの咳払いを大袈裟にしてみせた。
「じゃ、じゃが、その同盟の盟主たる国の女王が、騎士のひとりも連れておらぬ流民の娘では、些か格好がつかぬであろう? 他国が安心して同盟に加われるよう、
「まあ……そんな大役、アスラルに務まりますかしら?」
「案ずるでない。あれほどの阿呆……もとい、あれほどの騎士はそうはおらん、国宝級じゃ。もしこのルーセシアに王家があったのならば、今すぐにでも騎士の見本として飾っておきたいくらいじゃて」
そんなパナヴィアの言葉を、リースは少し誇らしげな面持ちで聞いていた。そして目を閉じ、暫しの沈黙を置いてからゆっくりと首を縦に動かした。
「畏まりました。エストリア女王として同盟の話、謹んでお受けいたします。晒し者役も喜んでお引き受けしますわ」
「す、済まぬ。ちと言葉が悪かったかの」
「構いませんわ、事実ですもの。むしろ事実だからこそ説得力もあります」
「そうか、そう言ってくれると助かる。では……」
「勿論、アスラルはお預けいたします。恥ずかしながら、エストリアはもう国としての体を成しておりません。でしたら、守るべき民と国がある場所にこそ、騎士もまたあるべきかと存じます」
「うむ、見事な心がけ。同盟国の女王として、誇らしく思うぞ」
「……ですけど」
にこり、と。
「あくまで、貸してあげるだけです。アスラルはわたくしの騎士様ですもの、いくら大恩あるルーセシア女王陛下でも、差し上げるわけには参りませんわ」
天使もかくや、という笑みを浮かべてそんなことを言うリースに、パナヴィアは一瞬面食らってしまった。
「な、何を言うておるのか、さっぱり分からんのう。ほれ、その……アレじゃ、騎士の見本として借り受けたいと言っておるだけで、公務にかこつけて一日中侍らせたりとか、他国との交渉の際に連れまわしたりとか、そういうつもりは一切無いぞ?」
「うふふ、はいはい、そうですよね。考えすぎですわよね?」
「う、うむうむ、さよう。考えすぎ、考えすぎじゃ!」
完全に虚を突かれたため耳まで赤くなってしまうパナヴィアに、リースはころころと鈴のような……ある意味、パナヴィア以上に底の知れぬ笑みを零した。
「さぁナヴィちゃん、参りましょう。お勉強の続きをしないと。一日でも早く立派な女王になれるよう、わたくし頑張りますわ」
「う、うむ、善き心がけ……じゃが、たまには、休んでも構わぬのじゃぞ? ほれ、あまり無理をしすぎては、体に障るやもしれんからのう?」
「ふふ、ありがとうございます。ですがご心配には及びませんわ。『優れた臣下を求めるならば、その臣下が仕えるに値する主たるべく努めるのもまた王の義務』……でしたかしら、確か」
休憩という名の脱走の前に読んでいたものなのだろう、覚えのあるその一節はパナヴィアが課題として貸した本の中にある文句であった。
(むぅ……もしかして妾は、とんでもない相手に塩を送ってしまったのじゃろうか……?)
一瞬の後悔が脳裏を過ぎりそうになり、そんな考えを吹き飛ばすべくパナヴィアは大袈裟に笑ってみせるのだった。
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