第36話 裏切りの剣

「構えぇーーーーーーーーーーーぃ!」


 砦の上から、奇声とも取れるカリウスの声が響き渡る。

 いちいち言われなくてもそんなこと分かっている……。

 それが、砦の前に何重もの防衛陣を築いた、徴兵部隊の心情であった。


 まだまだかなりの距離があるというのに、押し寄せてくる異形の化物どもの殺気がもう伝わってくるようだ。

 しかも、真後ろの城壁に整然と並んだ弓の隊列。

 初撃こそ敵の鼻先へと降り注ごう矢の雨だろうが、恐怖に負けて逃げ出そうものならそれは一瞬にして照準をこちらの胴体へと切り替えてくる。

 それだけならまだ納得できなくもない。悲惨なのは混戦になったときだ。

 あの冷酷なカリウスのことだ、敵を倒すためなら味方の被害など構わず、もみくちゃになった戦場を矢襖やぶすまにすることだろう。

 いいや、そもそもカリウスにとっては敗戦国の人間など〝人間〟と見なす必要も無い存在なのだ。

 いっそ、いつ芽吹くか分からない反乱の芽を摘み取れるといわんばかりに、喜んで矢の雨を降らせてくるに違いない。

 ようは、敵に斬られて死ぬか、化け物に踏まれて死ぬか、味方の矢に射抜かれて死ぬか。

 ……死に方が選べるというだけの話だ。


 そうこうしている内に、いよいよ敵の最前列が近づいてきた。

 オーガの怪力から放たれる戦斧の一撃は、鎧ごと人間を真っ二つにする。

 幾重にも張り合わせた複合材のような肌を持つトロール相手に生半可な攻撃は通用しない。

 では、まともな武器も防具も与えられていない自分たち徴兵部隊が、あの化物に勝つ方法は何か。


 ……無い。何一つとして、思い浮かばない。


 できることといえば、神に祈ることくらいか。

 死ぬならせめて一思いに、安らかに。死した後、この魂に僅かでも多くの慈悲が与えられますように。

 そう祈ることで震える手足を何とか押さえつけ、いよいよ弓隊の射程圏内に入り込もうとする敵の最前線を迎え撃とうとしていた、そのときであった。


 彼らの目の前で、信じられない事態が起きた。



 ごきん! という鈍い音が聞こえたような気がした。

 続いて、どぅ……っ! と。



 大地を揺るがすのではないかと思うような音と共に、ルーセシア軍最前線の一角を担っていたはずの巨躯が、地に伏したのだ。


「……え……?」

 あまりに突然。

 予想だにしなかった突然の出来事に、誰もがその音のしたほうを見やる。


 そこに立っていたのは、小さな男だった。

 いや、あくまでルーセシアの怪物どもの体躯と比較した大きさであり、それは十分に人間の大人であるといえた。

 だが、その周囲に倒れる、男よりひと回りもふた回りも大きな化物たちの姿が彼らに錯覚を起こさせ、頭が理解を拒んでしまう。


 そんな中で一人。



「聞けぇ、皆の者!」



 己の身の丈はあろうかと思う大剣をふた振りも掲げたその男は、突然の事態に混乱する化け物たちに見向きもせず、両軍の間合いちょうどギリギリにまで走り出てきた。

 そして、クルリと。



「我が名はアスラル! メリカール剣奴隊が一人、アスラル=レイフォード! 祖国に誓った忠義に従い、ルーセシアに刃を向ける者なり!」



 ルーセシア軍の最前線へと向き直ると、まるで見得を切るかのような大仰な振る舞いでふた振りの重剣を構えてみせたのだ。



「この双剛刃クロスクレイモアを恐れる者よ、引くがいい! 我が求めるものはただひとつ! ルーセシア女王、パナヴィア=ルーセシアの首ひとつ!

 さあ、出てこい魔女パナヴィア! この剣とお前の槍でもって、この戦いの雌雄を決しようではないか!」



 認識が追いつかない。

 目の前の、さっきまで自分たちと相対していたはずのあの男は、一体何を言っているのか、理解が追いつかない。

 だが、その中でひとつ、誰の目にも明らかなことがあった。


「ふ、ふざけるなぁぁっ!」


 その男は、あろうことかルーセシア女王パナヴィアに、名指しで一騎打ちを申し込んだのだ。

 ただの一兵卒が敵総大将へ名指しの一騎打ちなど、その場で無礼討ちにされても文句の言えないこと……戦場という場所そのものに対する反逆行為であった。

 ましてやその男は……アスラル=レイフォードと名乗った男はなんの悪びれもせず、いっそ清々しいほどまでに同胞を裏切ったのである。


 一瞬にして頭に血が上ったルーセシア兵の数名が、アスラルめがけて攻撃を仕掛ける。

 野太い怒声と共に、アスラルめがけて四方から降り注ぐ幾つもの刃、槍、戦斧、棍棒。

 彼らからすれば子供程度の体躯しかない相手にくれてやるには、ご大層すぎる殺戮兵器。

 だが。


「邪魔を、するなぁーーーーーーーーーッッ!」


 そのすべてが、アスラルに届かない。

 体に不釣合いの豪剣が、丸太のようなオーガの腕を、トロールの足を、ことごとくへし折ってゆく。

 中軍から駆けつけてきたのだろう、足の速い人狼ヴェアヴォルフたちが続けざまに襲い掛かるも、まるで飛び交う蝿を払いのけるがごとく、アスラルの豪剣の腹が狼男たちを横薙ぎに吹き飛ばした。

 地面に叩きつけられた彼らはビクビクと痙攣を繰り返していることから息はあるのだろうが、恐らく骨の数本……下手をしたら体中のあちこちの骨が折れてしまったかもしれない。


「雑魚に用は無い! 来いパナヴィア! さもないとお前の大切な兵たちがどんどん使い物にならなくなっていくぞ!」


 その脅しがただの脅しでないことは、もはや誰の目にも明らかだった。

 当然だ。

 使い捨ての剣奴隊として最前線でこき使われ、殿という名の捨石にされたときであっても、アスラルは何十という敵を前に一分の遅れも取ることなく、むしろ圧倒していたのだから。

 半死人だった頃でも手が付けられなかったというのに、十全の状態のアスラルを相手に、一体誰が勝てるというのだろう。


「化物だ……」


 そう。

 何人もの化物を次々に叩き伏せてゆく、化物以上の化物。

 見た目は、ただの人間。

 しかし、その手に握られているのは、大の男が両手でひと振り扱うのがやっとの重剣クレイモアだ。

 それを軽々と2本も振り回し、襲い掛かる異形の怪物たちを次々と薙ぎ倒してゆく。自分たち人間を、まるでゴミのように蹴散らしていたはずの、怪物たちを。


 もしかしたら、勝てるのかもしれない。

 アスラルと名乗ったあの男がルーセシア兵を相手にしてくれているあいだに攻め込めば、もしかしたら勝機が見出せるのかもしれない。

 しかし、足が動かない。

 目の前で繰り広げられる異様な光景を前に、恐怖で足が竦んでしまう。


 ……無理も無かった。

 メリカール軍徴兵隊の者たちにとって、目の前で起きているその光景は一騎当千の英雄の乱舞ではない。

 化物同士の、醜い同士討ちでしかなかったのだから。

 そこに飛び込む勇気など、あろうはずもない。


 しかし、逃げる勇気も、また無い。

 進むことも、引くこともかなわず、ただただ呆然と佇み、事の成り行きを見守るほかない。誰もがそう思っていた、そのときであった。



「皆の者、引けぇい!」



 張り詰めた空気を切り裂くかのような、甲高い声が響き渡った。

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