第37話 迷いの剣
アスラルにとって、それは賭けであった。
それも勝率の低い、分の悪い賭けだ。
まず、そもそも戦場に出られなければはじまらない。一度は近衛への誘いを断った身でありながら再び戦線に加えてくれなど、虫がいいにもほどがある。
それが通っても、今度は配置場所だ。パナヴィアの直衛にあてられれば意味は無いし、それどこか後方支援に回される可能性だってあったのだ。
そして、そのふたつを通せたとしても。
一国の女王であるはずのパナヴィアが、突如として自分たちに反旗を翻した裏切り者の一騎打ちを受けるなんて、ありえない。
そう。
それは、ありえないはずの、光景。
「……パナヴィア」
自然と、アスラルの口がその名を告げた。
戦場では目立って仕方ないだろう、純白の戦装束。あれはわざと敵の目を引きつけ、一人でも多くの兵を守りたいと願う彼女の想いが込められているのだと感じたのは、いつだっただろう。
灼炎のごとき真紅の髪は、祖国を愛する想いと、それを守ろうとする彼女の強い意志そのものが形をもって現れたかのようだ。
そしてそれらを束ね上げ、その上で相対する者を容赦なく貫く非情さを形にした得物。寸分の歪みも無く、何者にも染まらぬという決意を示す、漆黒の長槍。
見紛うはずもない、その姿は。
「遠き者は音に聞け! 近くばその目でしかと見よ! 我が名はパナヴィア! ルーセシア女王、パナヴィア=ルーセシア!」
聞き間違うはずもない、その仰々しい名乗りは。
「アスラル=レイフォード! 命を助けられておきながら恩を仇で返すようなその振る舞い、断じて許し難し!
しかし、その愚直なまでの忠義に敬意を表し、一騎打ちの申し出を受けようぞ! 貴様の剣と妾の槍! 互いの勇を以て、この戦いの趨勢を示そうではないか!」
自分の倍以上もある巨躯を掻き分け、眼前に単身現れたその姿は、アスラルのよく知っている少女、パナヴィアそのものであった。
(……どうして、出てきてくれるんだ、お前は……?)
望んでいたはずなのに。
こうなることを願ってここまで来たというのに、なぜかアスラルの脳裏には疑問が過ぎる。
ありえないくらいの確率だったというのに。
いいや、そもそもありえるはずのないことだというのに。
目の前には、アスラルが望んだとおり、パナヴィアとの一騎打ちの舞台が整えられていた。
……もしかしたら。
(こうなることを……俺がこうするって分かっていたのか、パナヴィア……?)
まさか、という思い。
同時に、さもありなんと、どこか納得してしまう思いとがアスラルの中を交錯する。
いくら考えても、答えは出そうもなかった。
そして、その答えを訊く時間もまた、無さそうだった。
(迷うな。もう、これ以上迷うな……)
そうだ、決めたではないか。もはや逡巡のときは終わった、と。
阿呆阿呆と散々罵られてきた頭で、それでも考えに考え抜いて出した結論を、この大一番で引っ繰り返せるものか。
どちらでも構わない。
パナヴィアがアスラルの覚悟に気付いていないなら、よし。
仮に気付いていたとしても、もはやこうなってはどうしようもあるまい。
心残りがあるとすれば、詫びのひとつでも残しておければというくらいか。
子供たちがそうしたように、置き手紙ならぬ遺書でも残しておけばよかったな、と思わなくもない。
しかし、それは甘さだ。
自分の覚悟を理解して欲しいと。
この思いに気付いて欲しいと願うのは、ただの甘えだ。
普通の男ならば、それでよかったかもしれない。想いを寄せる相手に自分の気持ちを分かって欲しいと願うそれを、人は愛と呼ぶことだろう。
しかし。
「アスラル=レイフォード! いざ、参る!」
騎士として生きると誓った以上、それはただの弱さだ。
彼女は……パナヴィアはルーセシア女王としての生き方を選び、自らのすべてをルーセシアに捧げることを誓った。
ならば、仮にもそのパナヴィアの近衛になるよう求められた者が、そんな弱さに負けてはならないのだ。
二刀の
2人の距離は、およそ三間。アスラルが本気を出せば、まばたきほどの間に無くなってしまう、僅かな距離。
「女王パナヴィア! その首、もらった!」
そんな距離を何の小細工も無しに、ただ真っ直ぐに駆け抜ける。
そしてやはり何の技巧も無い大上段からのただの振り下ろしを、
(カリウス、お前の思い通りになどなるものか。俺を捨て駒にするなら、すればいい!)
なんの迷いもなく、
(俺は堂々と、衆目の中、お前の卑怯さと愚かさをこの身で体現して!)
ただ一直線に、
――エストリアの騎士として、死んでやろう。
振り下ろす!
直後、ガツン! ……と。
「ッ!?」
思わず剣を取り落としてしまいそうになるほどの衝撃が伝わってきた。
そこには、信じられない光景があった。
「ぐ……っ、ぬぅぅ~~ッ!」
真っ直ぐに。
それこそ、武芸の心得も無いものであっても避けられるのではないかと思うほどの単純極まりない大上段からの振り下ろしは、パナヴィアの手にした長槍によってガッチリと受け止められていたのだ。
「な……ッ!? な、なん、で……?」
そう、受け止められていたのだ。
曲がりなりにも、それは重剣の一撃。
その重量と、上からの振り下ろしの勢いだけであっても、当たれば脳天が割れることは必定の、命を奪うべく放たれた一撃。
にもかかわらず、それは〝パナヴィアの手によって受け止められた〟のだ。
それはすなわち、もしもパナヴィアが防御をしなければ、間違いなくパナヴィアを殺していたということに、他ならない。
「ぬぅぅ~~……ッりゃあ!」
ぐっ、と強烈な圧力がアスラルの腕に掛かる。
その圧力でようやく我に返ったアスラルは、パナヴィアの槍に弾かれたように後方へと飛んだ。
馬鹿な。そんなはずは無い。
アスラルの頭を困惑が支配する。
死にかけたはずの自分はパナヴィアに救われ……違う、拾われ、命を継ぎ足されて生き永らえている。
そして、その主であるパナヴィアに危害を加えようとすれば、地獄の苦しみに苛まれるはずだ。
だが、今はどうだ? 苦しみどころか、パナヴィアに攻撃を防がれた手のほうが痛いほどではないか。
もしかして、今のでは足りなかったというのだろうか。
確かに余りにもわざとらしいといえばわざとらしいほどの、見え見えの一撃だった。
あれで命を取ろうなどというのは、さすがにおこがましいということか。
(なら……ッ!)
そうだ、何も迷うことはない。
自分にパナヴィアを殺すことはできない。
殺す気でかかっても、その攻撃がパナヴィアの命を奪うことなどできないのだ。
――そちの命は妾の命と同等の……
――つまり妾の死は、そのままそちの死と繋がっておると……
――妾を殺すということは、そちが自決することと同意であると……
パナヴィアの言葉が思い返される。
それを信じるというのならば、全力で、必殺の一撃を叩き込むのみ。
そうすればきっと。
(俺は、死ねる)
再び大地を蹴り、パナヴィアへと詰め寄る。
と、見せかけて、今度はパナヴィアの間合いギリギリで重剣を振るう。
もちろん、それは当たらない。今のは相手の視界を遮るための偽装だ。
本命は横。
踏み込んだ足を軸に、素早く敵の側面へと回り込む。
正面からの攻撃には強くても、左右からの攻撃には小回りの利かない槍では防御は間に合わない。そこめがけての攻撃ならば、確実に……。
「甘いわ!」
確実に届くはずの一撃。
だというのに、それはまたしてもパナヴィアの槍に阻まれる。
アスラルの回り込みに対して素早く回転したパナヴィアは、槍の柄で……遠心力を利かせた
大人の身の丈以上もある長槍だから小回りが利かない?
とんでもない。
パナヴィアにかかれば、あの槍の旋回半径すべてが、彼女の絶対防衛圏だ。
「どうした!? 大見得切って挑んできたわりには、ヌルいではないか! その程度の腕で、このパナヴィアの首が取れると思うてか? 侮るでないわ!」
侮ってなどいない。
むしろ、今のは本気で当てにいったはずだ。
それなのに、またしてもアスラルの攻撃はパナヴィアに〝阻まれて〟しまった。
そう、〝阻まれてしまった〟のだ。
なぜだ? なぜ、自分はまだ生きている?
主に剣を向け、危害を加えようとしているはずだというのに、なぜ生きている?
まさか呪いに有効期限でもあるというのか?
それとももしや、パナヴィアのペット役を解任された時点で、すでに術は解かれていたとでも?
考えても答えなど出ようはずもない。
分かっているのは、パナヴィアに攻撃したはずなのに呪いの激痛が発生せず、死ぬことができないという事実。
ただそれだけだ。
(……どうして……ッ!? なぜ死ねない!?)
おかしな自問。
散々生きたいと願い、その生への執着ゆえにパナヴィアに命を救われたというのに、今はその命が恨めしい。
こうして生きているだけで、この命はメリカールに……カリウスに利用され続ける。
そしてそれはすなわち、主君であるリースがカリウスに利用され続けるということに他ならない。
エストリアの騎士として生きるということは、エストリアの騎士として死ぬということ。
今まではこの命にリースの命が乗っていた。
メリカールからリースを救い出せるのは自分しかいないと、ずっと思っていた。
だが、今は違う。
大国メリカールがこれほどまでに恐れる血染めの魔女、パナヴィア。
けれどその真実は、違う。
自信家で見栄っ張りな少女は、どのような者であっても分け隔てなく愛し、受け入れる、ルーセシアの女王なのだ。
彼女になら、敬愛する主君を任せることができる。
リースもきっと、ルーセシアでなら幸せに生きることができる。
――だというのに、なぜ。
ようやく……ようやくエストリアの騎士として、リースの騎士として死ねる場所を見つけたというのに。
(なぜ、死ねないんだ……ッ!?)
答える者の無い自問に、脳髄が焼きつき、思考が途絶える。
できることはただ、愚かしいほどの雄叫びと共に、パナヴィアへの攻撃を繰り返すのみだ。
しかし、そのどれもが当たらない。すべてパナヴィアの槍に捌かれる。
あるときは正面から受け止められ、またあるときは勢いをいなされ石突での反撃を貰い、倒れる。
いっそひと思いに心臓なり頭なりを突き刺してくれればと思うのだが、パナヴィアからの反撃は柄での横薙ぎや石突での強打ばかりで、本命であるはずの刺突がまるで無い。
……一向に、死に至らない。
「なぜだ……なぜだぁぁーーーーーっ!?」
端から聞いていた者からすれば、それは何度攻撃しても当たらぬパナヴィアの鉄壁の防御への叫びに思えたことだろう。
だが、真実はまるで正反対だ。
なぜ死ねないのか。
どうして殺してくれないのか。
そんな思いの込められた大上段からの一撃は、再びパナヴィアの槍によって受け止められたのだった。
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