第5話 双剛刃《クロスクレイモア》と呼ばれた男4
「ふむ。その顔じゃと、一応のところは理解できたようじゃの。なによりじゃ」
「……お前たちが悪魔だと思い出しただけだ。それに頼んでないぞ、そんなこと」
「いいや頼んだ。この耳でしかと聞いたぞ」
「頼むか! 敬虔とは言えないが、俺はエルカーサ様の信徒だぞ! 悪魔に魂を売り渡してまで延命を望むような真似、するわけがない!」
「ではなぜそちはそのように元気に喚いておられるのかのう? 妾の槍が貫いた肩の傷はどこへ行ったのかのう? それこそが、そちの言うところの〝悪魔に魂を売り渡した〟何よりの証ではないか?」
きっぱりと言い切るパナヴィアに、アスラルは反論を封じられる。
お前が勝手にしたんだろう!?
俺の命を弄んで何が楽しい!?
今すぐ元に戻せ!
そう叫んでやりたい気持ちはあるが、言葉が喉に引っ掛かって出てこない。
「いくら妾とて〝死〟を受け入れた者の命を繋ぎ止めることはできぬ。妾の術が効いたのは全て、己が生に浅ましくしがみ付こうとするそちの意志があればこそ。妾はその手伝いをしてやっただけに過ぎぬ」
「……そんな……ッ! 俺はそんなことを……ッ」
自分が今こうして生きているという実感が、アスラルの言葉を封じ込める。
「それにの。今にも途切れそうな声で、死にとうない、生きねばならぬとうわ言を繰り返すような者を捨て置いては、寝覚めが悪いではないか」
そう言って手を差し伸べ、アスラルの頭をよしよしと撫でるパナヴィアの態度は、まさに彼女の言うとおり人間が犬や猫などを愛玩するかのようだ。
だが、その手から伝わってくる温かさからは、不思議とそんな侮蔑の想いは感じ取れなかった。むしろそれは、力無い者を哀れみ、慈しむかのような、そんな温かさだった。
「……寝言を真に受けたっていうのか? それも敵の? 何の冗談だ」
けれど今のアスラルにとって、その温かさは侮辱の類義語に近い。自然、アスラルの声は苦渋に満ちたものになってしまう。
「敵? 確かにメリカールは妾たちの敵じゃが……さて、その敵に捨てられたそちは、果たしてルーセシアの敵かのう?」
そんな音はまるで聞こえないといったふうに、パナヴィアは再びすっくと立ち上がる。そして、ついさっき感じた温かさが錯覚であったかと思うほどの、高圧的で、ともすれば残忍に見える笑みを浮かべてみせた。
「雨の中、飼い主が戻ってきてくれることを信じて懸命に吠え続ける捨て犬を見たら、そちならどう思う? 何とも哀れで、愚かだとは思わぬか? そのようなことはやめて、新たな飼い主を探せばよいのだと、言うてやりとうはならぬか? よって妾が拾ってやろうと、こう思ったわけじゃ。妾も女子ゆえな、そういう愚かさを可愛いと感じたりもするのじゃよ。もっとも、素直に言うことを聞く様子ではなかったから、少しばかり打ち据えさせてもらったがの。どうじゃ? 何かおかしいかえ?」
まるでアスラルを人間とも思っていないような言動であったが、それはメリカールも同じで、パナヴィアたちルーセシアの者を人とは思っていない。
そしてアスラルもまた、今までルーセシアを妖魔悪鬼の国であると思っていたからこそ、躊躇い無く剣を振るったのだ。
「無論、哀れみと同情だけではないがの。知ってのとおり我がルーセシアは一方的な宣戦布告を受け、交渉の余地も無いまま開戦することとなった。使えるものであれば、たとえ敵の落とした武具や兵糧であっても、ありがたく使わねばな。ましてやそれが、敵にとって便利なモノであるならあるほど、使わぬ道理はあるまい?」
「……使えるものなら、打ち捨てられた死体からでも武具を剥がす、か?」
「平時であれば手厚く埋葬してやらんこともないが、今は戦時下。しかも、そうせねばならぬほどの状況に追い込んだ相手からというのなら、何の気兼ねも無いというものじゃて」
なにを当たり前のことを、と言わんばかりの態度に、アスラルは二の句を継ぐことができなかった。
「今回はそれが犬であったというだけじゃ。そちは犬を拾ってきたら首輪を付けぬか? 噛み癖のあるものには口輪も付け、鎖に繋いだりはせぬか? それと同じことを、そちにもさせてもらった」
「首輪……? 鎖だと?」
「理解するまで何度でも言うてやるぞ? そちは妾の愛玩動物じゃ。ゆえに、妾はそちを存分に可愛がるつもりでいる。が、妾がいかに愛情をもって接しようと、ペットが飼い主に噛み付いてばかりでは、妾の周りの者がそちを罰せぬともかぎるまい。じゃからそちには、手を噛めぬよう躾をさせてもらった」
自慢げに鼻を鳴らすと、パナヴィアは自らの胸をトン、と指で叩いてみせた。
「そちの命は妾の命と同等のもの……つまり妾の死は、そのままそちの死と繋がっておるということじゃ。妾を殺すということは、そちが自決することと同意であると心せよ。それでもなお妾を殺そうとすれば、そちは激しい苦痛に苛まれることとなる。
その苦痛は、そちが『死にたくない』『生きたい』と願う思いの強さに比例して大きくなる……というのは、もう体感済みじゃな?」
そう言ってパナヴィアはアスラルへと手を伸ばし、今度はその顎をがっしりと鷲掴みにした。
瞬間、アスラルの腹の中から冷たいモノが湧き上がってくる。
パナヴィアの手……白魚のような見た目とは裏腹に、ギリリと頬に食い込むその指から、まるで古木か、ともすれば石ころのようなゴツゴツとした感触が伝わってきたのだ。
女王などと、とんでもない。
これは戦士の手だ。
幾多の鍛錬を重ねた末に作り上げられた、アスラルに瀕死の重傷を与えるほどの技量を持つ、戦士の手だ。
「物分りの悪いペットを躾けるのには繰り返し教え込むよりほか無い。ついでに、こうして痛みと共に覚えこませるのもよい方法じゃ。
さてクロスよ、そちの命を拾ったのは妾、パナヴィア=ルーセシアじゃ。ここまではよいな?」
ん? と首を傾げながら、パナヴィアは放り投げるようにアスラルの顎を解放した。
「もしそちが生きたいと願うのならば、妾の言うことに従うがよい。仮にもし逝きたいと願うなら、今すぐその薄汚れた手で妾を絞め殺してみよ。運がよければ、そちの心臓が破裂するのと同時に、この首をへし折れるやもしれんぞ」
そして踵を返し、苦しむアスラルを尻目にスタスタと牢の入り口へと歩いてゆく。その後ろ姿は完全に無防備そのもので、飛び掛って押し倒せば、彼女の言うようにそのまま絞め殺してしまえるのではないかと思うほどだ。
「理解できたのならば付いて来るがよい。妾は飼い主じゃからの、そちが言うことを聞くというなら、妾もそちを目一杯可愛がってやるゆえな」
だが、アスラルにはそれはできなかった。
できるはずもなかった。
不本意な形で拾った……いや、拾ったと思った命は、すでに目の前の少女、ルーセシア女王パナヴィアによって拾われており、自分はその『拾われた命をお情けで与えられる』ことによって、生かされているのだ。
さらに、こともあろうにその主は、たとえ十全の状態であっても真っ向から噛み付くには相当の苦労の強いられることが容易に予想できる相手だったのだから。
……だが、それでも。
「……分かった。お前の言うことに、従う」
悪魔の手によるものであっても、生きているということには違いない。
生きていれば逃げ出すこともできる。
復讐することもできる。
――誓いを守ることも、できる。
「本当か? 二言は無いな?」
「くどい、何度も言わせるな。それに……」
「それに?」
「……それに、逆らっても無駄なことがよく分かったからな。傍若無人な主に振り回されるのは、慣れている」
どうせすでに穢れた身だ……と口にしそうになったのを、アスラルは静かに腹の底へと押し込めた。
祖国を滅ぼされ、敵国で剣闘奴隷として生かされ、敬愛する主君を救いだす日を夢見て同胞を幾人も切り殺した。
そして餌に釣られて戦場に出て、捨石にされ、敵の敵に拾われ愛玩動物にされた。
何と無様なことだろう。あまりにも無様すぎて、まるで笑えない。
だが、それを穢れた生き様だと……たとえ他人からそう言われたとしても、自分で認めるようなことだけは絶対にできない。
泥に塗れ、血に穢れ、苦汁を舐め、恥辱を味わわされようとも、それが忠義を捧げた主君のためならば、魂までは決して穢れはしない。
そう信じているからこそ今日まで生きてこられたのだから。
たとえ冗談でも、相手を皮肉るためであっても……いいや、そのような下らないことのために、自らの口で自らを貶めるような真似だけは、絶対にできない。
「心外じゃな、妾をメリカールの阿呆と一緒にするでないわ。妾はこれでも、下々の者には寛大な、大層お優しい女王様として有名なのじゃぞ?」
「……自分で言ってちゃ世話無いな」
「ち、違う! 家人の評判をそのまま言うただけじゃ! 自画自賛ではないぞ、嘘じゃと思うのならば聞いて回ってみるがよい!」
アスラルの反応に何を思ったのか、パナヴィアはくるりと向き直ると地団駄を踏むようにして文句を言う。聞きようによってはまるで言い訳をしているように感じて、思わずアスラルは笑みを零した。
「……ほう」
と、不意にパナヴィアが呆けたような声をあげる。
「何だ?」
「いやいや、妾の審美眼もまだまだ捨てたものではないと思うてな。なんじゃ、笑うと可愛い顔をするではないか、クロスよ」
アスラルは一瞬、何のことかと問い返しそうになったが、それが先ほどの……余りにも子供っぽく、年相応の少女のようなパナヴィアの振る舞いに無意識で零してしまった笑みのことを指しているのだと気付き、アスラルは口を噤んだ。
「くくく、照れた顔も可愛らしいではないか。これは思わぬ拾い物じゃ」
「……ふん。可愛いなんて、酷い侮辱だな」
「なんじゃ、照れ隠しか? よいよい。そういう
小走りにアスラルの近くまで戻ってきたパナヴィアは、顔を覗きこむようにして少し身を屈める。野葡萄を思わせるくりくりとした紫色の瞳に見つめられ、アスラルは思わず顔を背けた。
「くふふふっ。
そう言ってくしゃくしゃと頭を撫でるパナヴィアの小さな手に、アスラルは首筋がむず痒くなる思いだった。
相対した者の命を容赦なく奪う長槍を自在に操り、自分に辛酸を舐めさせた戦士。
自分の意に従わぬ者を威圧する不敵な笑みを浮かべる女王。
かと思えば、こうして年相応の……いいや。
嬉しそうに。無邪気に。
ずっと欲しかったペットをようやく飼うことができたとでも言わんばかりに、見かけよりもずっと幼く感じる笑みを浮かべて、アスラルの頭を撫でている、少女。
一体、彼女は何なのか。
どのパナヴィアが本当の彼女なのだろうか。
そんな風に考えてしまいそうになる自分が、何だか無性に恥ずかしくなって、アスラルは頭を振って考えを追い出すと共に、パナヴィアの手を振り解いた。
そしてすっくと立ち上がると、少し後ずさってパナヴィアと距離を取る。
「わっ、なんじゃ急に! もう少し触らせてくれてもよいではないか」
「俺は子供じゃないし、ましてや犬でもない。撫でられて喜ぶ趣味は無いんだ」
「むぅう、つまらんの。……まあ、よいわ。いきなり懐かれるというのも味気ないといえば味気ない。やはり捨て犬は、はじめは警戒心剥き出しくらいのほうが、後から懐いたときの可愛さもひとしおというものじゃて」
「……好きに言ってろ」
恐らくアスラルが懐いたところを……絶対に訪れて欲しくない未来を想像しているのだろう、パナヴィアは緩みそうになる自分の頬を、しきりに両手で押さえていた。
そんな態度に嘆息しつつ、アスラルはそっと自分の胸に手を当てた。
不本意極まりないが、こうして生きているということに。
地を駆け、刃を振るうことのできる手足があるということに。
自らの主君に捧げた命があるということに、感謝をしながら。
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