第4話 双剛刃《クロスクレイモア》と呼ばれた男3
そう、締め上げたのだ。
自らの使う
……はずなのに。
「うむうむ、良い具合じゃ」
少女は涼しげな顔で、アスラルを見つめていた。
「もう暫く後で試してみようとは思っておったが、先にそちらからしてくれたか。じゃが少々性急じゃな。がっつく男は嫌われるぞ?」
そして、自らの首に掛かった……いいや。
首に触れるか触れないかの位置でぶるぶると震えている手に、自らの手を添えた。
「ほれ、触るときはこう……優しくしてくれんと困るぞ? 死ぬほど苦しいであろ?」
にまり、と笑むその顔に、アスラルはようやく我が身に起きている異変に気付くことができた。
全身の筋肉がまるで凍り付いてしまったかのように、ピクリとも動かない。
いや、動かないだけではない。本当に氷付けにされてしまっているのではないかと思うほどの、冷たさを通り越した痛みが全身を駆け巡る。
さらに、痛みと連動するように、自らの心臓が、肺が、体中のありとあらゆる器官が……生命を維持するために、自らの意志とは無関係に動き続けるはずの存在が、その動きを全て止めてしまっていることが、〝分かる〟。
「可愛らしい
少女の言葉に、アスラルはもはや自らの意志ではどうにもならない……はずの手を、
引くことが、できた。
瞬間、全身の硬直が嘘のように解け、心臓が、肺が、やっと自らの使命を思い出したかのように、再び動き出したのが〝分かった〟。
それを何とか平常どおりに動かしてやりたいと願う肉体の本能なのか、アスラルは膝を折り、息も絶え絶えにその場に屈みこむ。
「ッが……っ!? ッゴふっ、ごフッ! ……な、にを……俺に、何をしたッ!?」
「まずは名を名乗れ。そうすれば妾もちゃんと話をしてやる。ほれ、早う」
思わず荒げたアスラルの声にも動じることなく、少女は……
いいや。
ルーセシア女王パナヴィアは、まるで手の掛かる飼い犬でも見るかのような目でアスラルを見下ろしながら、苦しむその様子など意に介した様子も無く淡々と告げる。
呼吸が落ち着くのに、それほど時間はかからなかった。
だが、今度は別の意味で落ち着かなくなる。
先ほどの戦いと、そして今。
手練れの戦士5人を同時に相手取って一太刀も浴びることなく切り伏せることのできるアスラルが、一対一で相対してなにもできずに地に伏すことになったのだ。無理もない。
「……クロスだ」
アスラル。そう名乗ってしまうのは簡単だ。
だがアスラルの中で、何かが引っかかった。その引っ掛かりが、アスラルの名を喉の奥に押し留めさせた。
「クロス?」
「そうだ。クロス……クロス=クレイモア」
「変わった名じゃの……まあ、よい。そうか、クロスか。クロス……ふむ、悪くはない」
引っ掛かりが何であるのかに気付くのは簡単だった。
名乗ったということは、その名で呼ばれるということだ。そしてアスラルは、自らの名を呼ばれたくはない、と。
自らに二度も地べたを舐めさせた相手に、敗者の名として呼ばれたくはないと。
そう願っているのだ、と。
ならば、押し付けられた名前のほうをくれてやるくらいが、ちょうどいい。
「しかしまぁ……じゃとすると、そちはどうやら相当に自己顕示欲が強い性分のようじゃな。あのような重剣を二振りも扱うなど、並大抵の鍛錬ではなかったろうに。まあ、気持ちは分からんでもないがな。そのような名を付けられておいて、扱っているのが軽剣の一振りでは完全に名前負けじゃからのう、くふふっ」
アスラルの名乗った名を疑うことなく受け入れたのだろう。パナヴィアはやはり勝手に話を進め、勝手に一人で納得して笑っている。
「名乗ったぞ。さあ、質問に答えろ。俺に何をした?」
「何をって……ああ、そうであったな。なぁに、別に大したことはしておらんよ。妾はそちの命を拾っただけじゃ」
「……助けたってことか?」
「違う、そちは耳が悪いのか? それとも頭の方か? 間違えるでない、拾ったんじゃ。拾ったということは、そちの命は妾のものということじゃ。分かったな?」
「……そう訊かれて、分かりました、なんて答えるわけがないだろう」
「おお、言われてみればそうじゃな。頭の方が悪いというわけではなさそうじゃ」
恨めしそうに睨みつけるアスラルを無視して、パナヴィアはぽんと手を打つ。そして暫く考え込むような仕草をした後、再びアスラルに視線を戻す。
「そちの命は妾が拾ったゆえ、妾のものにした。これからは妾が愛玩動物として飼ってやるから、光栄に思うがよいぞ」
「だから! お前の下らない冗談に付き合ってる余裕は……ッ!?」
屈託の無い笑顔で何の臆面も無くそう言ってのけるパナヴィアに、アスラルは苛立ちを込めた怒声を真正面からぶつけ……ようとした、瞬間。
再びアスラルは、自らの体に走る激痛に苛まれることになった。
喉が苦しい。呼吸がままならない。そして、心臓を鷲掴みにされているような、自らの力では抗いようの無い苦痛が身体を支配する。
先ほどの痛みに比べれば幾分かマシではあったが、それでもそれが耐え難い苦しみであることには違いなかった。
「うむうむ、驚くほど従順に仕上がってくれたようじゃの。何よりじゃ」
そんなアスラルに、パナヴィアは実に満足気な笑みを浮かべながらゆっくりと膝を折り、視線をアスラルと同じ高さに合わせる。
「言ったであろう? そちは妾が愛玩動物として飼ってやる、と。そして飼うからには、きちんと『躾』をせねばなるまい?」
そして、にこり、と。無邪気な笑顔を浮かべながら、再び冗談のような台詞を口にしたのだった。
だが、もはやそれは冗談では済まないことを、アスラルは苦しみの中で感じていた。
「確かにそちは死んだ。厳密には少々意味合いが違うのじゃが、そう言ってやれば物を知らぬそちでも理解できよう?」
乱れる呼吸を整えながら、アスラルは黙ってパナヴィアの言葉に耳を傾ける。
反論したところで状況が好転しないことはよく分かった。そして彼女の台詞は〝アスラルの予想範囲内〟の事実でしかなかったからだ。
しかし、その先が予想外だった。
「あのような場で散らすには惜しい命じゃと思ってな? 戦場の肥やしにするにはちと勿体無いと感じたゆえ、妾が拾ってやったのじゃ。放っておいても捨てられるだけなら、妾が有効に使ってやろうと……まあこういうわけじゃ」
「……何が〝こういうわけ〟なんだか。つまりは死にかけてた捕虜を手当てして、自分の手駒に加えようっていう腹なんだろう。残念だが、俺はお前に仕える気は無い」
「仕える? じゃから何度も言わすでない、助けたのではなく拾ったんじゃ。そちに給金なぞくれてやるつもりはない、せいぜい餌と寝床くらいじゃて。ゆえに、愛玩動物にしてやると言うておるのに……何ゆえ理解できんかのう」
再びすっくと立ち上がると、パナヴィアはまたも大袈裟に考え込むような仕草をしてみせた後、納得したように「ふむ」と頷いた。
「こう言えばどうかの? そちの命は壊れかけておった。そのまま放っておくと壊れきってしまう。じゃから妾の命を継ぎ足して修理したんじゃ。よってそちの命は妾の命と同質のものゆえ、妾の命を妾がどう扱おうと、妾の勝手であろう?」
次の瞬間、パナヴィアは無邪気な表情のまま、なにやら酷く物騒な言葉を口にした。
命が、壊れかける?
継ぎ足して、修理?
まるで理解できない。だがその中で、アスラルにも理解できる箇所がひとつだけあった。
「いのちを、つかって? いや、ちょっと待て。お前は……」
「さっきから馴れ馴れしいぞ、お前お前と。妾はそちの拾い主じゃぞ、ちゃんとご主人様と呼ばぬか。女王陛下とか、主様でも構わぬぞ? もっとも、そちがどうしてもと言うなら、ナヴィ様、と愛称で呼ぶことを許可してやらんでもないが」
「じゃなくて! 今お前、何て言った!? 自分の命を使って俺を生き返らせたって言いたいのか!?」
楽しそうに言ってのけるパナヴィアの言葉を無視して、アスラルは強引に話を続ける。
「じゃから厳密には違うと言うたであろう。一度消えた命を復元することは妾にもできぬ。
じゃが、死へと流されそうになる命を留める
「な……っ!? そんな、バカな。そんなことできるわけない! 人間の命を自由に扱うなんて神が……エルカーサ様がお許しになるはずがない!」
「じゃから、そちたちメリカールの者は妾たちを妖魔悪鬼と罵るのであろう?」
しれっと放たれたパナヴィアの言葉に、思わずアスラルは口をつぐんだ。
目の前の少女は当たり前のことを、ただ当たり前だとばかりに言った。ただそれだけだった。しかし、それがかえって、アスラルに現実を直視させる。
物の本で読んだことがある。自らの命を代価に死者を操る、
御伽噺か、あるいは生命と誕生の神『エルカーサ』信仰に、より大きな説得力を持たせるための作り話だとばかり思っていたが、とんでもない。
そうではないか。
まるで子供……幼女であるかのような外見と、その外見相応といったふうな、子供の冗談としか思えない言動を繰り返していても。
彼女は……パナヴィアは、大国メリカールが『妖魔悪鬼の国』と呼び、神罰と浄化の名目を掲げて滅ぼそうとしていた、ルーセシアの女王なのだ。
神々から与えられた唯一無二の命を平然と弄ぶ、
天に背いた者たちの国の、女王なのだ。
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