第39話 少女の祈り

(やはり、そうであったか。この阿呆め)


 まるで感情そのものをぶつけてくるかのようなアスラルの攻撃を捌きながら、パナヴィアは自身の無力を呪わずにはいられなかった。

(なぜ黙っておった……とは、もはや言うまい。阿呆なそちのことじゃ、どうせ足りん頭でアレコレ考えておったのじゃろうが、こんなもの下策も下策じゃ、この……愚か者め)

 ぐん、とパナヴィアの槍がアスラルの重剣を押し返す。

 それに弾かれて再び2人の距離が開いた。


(そうまでして死にたいのか? であればもっと殺気を乗せよ、妾を憎め)


 そう思いつつも、無理だろうなということは十二分に分かっている。

 なにせ、いっそ愛らしいほどに単純で愚直な男だ、そんな器用な真似ができようはずもない。



 最初は、さすがのパナヴィアも耳を疑った。

 最前線から聞こえてきた覚えの無い名前。

 しかしそれを紡ぐ者の声を聞き間違えるはずはなかった。

 悲痛な面持ちで飛び込んできた伝令からの知らせで、それは確定事項となった。


 クロス=クレイモアが、裏切った。


 もはや、覆しようも無い事実であった。しかもあろうことか、女王である自分に対して名指しで一騎打ちを申し込んできたという。

 ならば、自分はどうするべきか。


 女王として応えるならば、そんな申し出はキッパリ断るべきだ。

 そもそも断ったところで何の痛手も無い。むしろそのような一騎打ち、申し出るほうが恥知らずなのだから。

 痴れ者め、と罵り、百でも千でも矢を射かけて、討ち取ってしまえばいい。


 では一武人として応えるか。

 仮にも相手はクロス=クレイモア。半死人の身でありながら何十という同胞を切り殺した、比類なき剛の者だ。

 いざ決戦というときにいたずらに兵を減らすことは避けたい。であるならば、一人の武人としてその申し出を受け、正々堂々討ち取るべきか。

 確率は五分五分……甘く見積もっても六・四で分が悪いだろう。

 自らの力を過小評価するつもりは無いが、十全のクロスの強さは、先の国境線での一戦で嫌というほど実感した。

 これまで幾度と無く繰り返した単騎突撃だが、背中を任せてもいいという安心感を伴っての突撃は、あのときが初めてだった。


 とすれば、残るはひとつ。


 ――真実を、見極める。


 そう。クロスが……いいや、アスラル=レイフォードが裏切ったというのは紛れも無い事実。

 しかし、なぜ裏切ったのか、その真実は誰も知らない。

 ならば真実を見極め、そのうえで決めればいいのだ。

 女王として応えるか。

 武人として応えるかを。

 ……いいや、もしかしたら、それ以外の道があることを信じたかっただけなのかもしれない。


 子供たちを、ルーセシアを守りたいと。

 パナヴィアを守りたい……と。


 そう言ってくれた彼の言葉が嘘ではないと。

 この手に残った口付けの温かさは本物であると、信じたかっただけなのかもしれない。



 そんなパナヴィアの想いは、意外なほどあっさりと肯定されることとなった。

 最初の一撃を受けた瞬間、パナヴィアの手に違和感が伝わったのだ。

 正体はすぐに分かった。

 一体どういう細工をしたのか、アスラルの振り下ろした重剣には、刃が無かったのだ。

 正確に言うなら、どれほど酷使したのかと思うほどに刃が潰されていたのだ。もはやなまくらも同然、とても剣とは呼べないものであった。

 その証拠に、アスラルに〝打ち据えられた〟のだろう兵隊たちは、苦痛に呻きこそしているものの、誰一人として命に別状は無さそうだった。


 間違いない、アスラルはルーセシアを……パナヴィアを裏切ってなどいない。


 では、だとするならば何か。

 自らを裏切り者に貶めてまで、彼は何を求めているというのか。

 愚直なまでに誇りを重んじるこの男が、何の理由も無く汚名を被るはずがない。


 ……死、か?


 そう思い至ったのは、繰り返し受けるアスラルの攻撃によってだった。

 あのとき……初めて出会ったときのアスラルは、息も絶え絶えの半死人であったというのに、その攻撃には浅ましいほどの生への執念が満ちていた。

 だというのに、今はどうだ。

 攻撃の出掛かりも見え見えで、その後の隙も大きい。まるで今すぐにでも打ち返してくれといわんばかりの戦い方は、あの日のアスラルとは似ても似つかない。

 だが、それが望みなら……反撃されることこそが願いだというのならば、それも納得できる。


 いや、そもそも反撃など期待していないのだろう。

 主への反逆が即、死へと繋がる術によって生かされているアスラルにとって、パナヴィアへの攻撃は即ち自殺と同意なのだから。

 しかし、そこにはひとつ大きな落とし穴というか、抜け穴があったのだ。


(妾の術は想いに反応する。あのときが良い例じゃ。妾を叱ったときにはまるで無反応じゃった呪いが、あやつの主君を罵った妾を怒鳴りつけたときには見事に発現しおった)


 それは、パナヴィア自身でさえ驚いた事実であった。

 なにせ今まで……故郷を追われたあの日からほんの数えるほどではあるが、パナヴィアはアスラルに施した術と同じもので、幾つかの命を救った記憶がある。そしてその結果は、いつもふた通りしか無かった。

 パナヴィアに従って、生きるか。

 パナヴィアに牙を剥いて、死ぬか。

 こうして攻撃を受けているというのに一向に呪いが発動しないなんて、今まで無かったことだ。

 だが、確かに感じる。

 術の効果が切れたのではない。

 自身の命とアスラルの命。その2つが未だ繋がっているのだという感覚は、依然として感じ取ることができる。


 つまり今のアスラルには、悪意も、敵意も、一片の殺意さえも無いのだ。

 代わりに、攻撃を受けるたびに伝わってくるのは、戸惑いと、悲しみと、

 そして……。


(後悔……いや、懺悔か? 阿呆が。阿呆が、阿呆が! なぜ何の相談もしなかった!? なぜ妾を頼ってくれんかった!?)


 分かっている。

 それができていれば、最初からそうしているはずだ。

 パナヴィアに助けられたあのときに、自らの身の上を打ち明け、助けを求めていたはずだ。

 それをしなかったのも忠誠心ゆえか、それともただの頑固さのせいなのかは定かではない。


 分かっているのは、アスラルが死を望んでいるのだということ。

 衆目の集まる中、堂々と裏切りを宣言し、無礼にも敵の総大将へ一騎打ちを申し込み、そして意外なほど呆気なく死んで、終わること。

 そうなればルーセシア軍の士気は、否応無く高まるはずだ。

 無礼者を手討ちにした女王を讃え、もはや戦士の礼すら欠いたメリカール討つべしと、一丸になって戦うに違いない。

 また、メリカールにも同様の反応があることだろう。

 ただしこちらへの効果は、まったく正反対のものだ。

 勝手にはじまったものとはいえ、それを止めなかった時点でメリカールはアスラルとパナヴィアの決闘を認めた、ということになる。

 卑怯な手を使っての一騎打ちで、さらに敗れたとなれば、全軍とまではいわないまでも徴兵された者たちの戦意くらいは十分に削げるだろう。

 いや、もしかしたら正規兵の中にさえも、カリウスの卑劣漢ぶりに愛想を尽かす者も出るかもしれない。


 そういう効果を狙っての、このタイミングでの一騎打ちなのだろう。

 阿呆阿呆と罵ってきたが、足りぬ頭でよくぞここまで考えたものだろうと感心する。


 しかし。



(妾の気持ちはどうなる!? 大切な者を自分の手で殺さねばならぬ妾の気持ちはどうなるというのじゃ、この阿呆!)



 そう、殺すしか。

 エストリアの騎士として殺してやることしか、パナヴィアには思いつかなかった。

 そんなはずはない。それ以外にも必ず、道はあるはずだ。


(考えよ、考えよパナヴィア=ルーセシア! あやつを散々阿呆阿呆と罵っておいて、この大一番で阿呆と同等の答えしか出せんなど、断じて許さぬ!)


 だが、どれだけ考えてみても答えは出ない。

 いっそ、騎士の誇りなど捨ててしまえと怒鳴り散らせればどれだけ楽だろうと思う。

 けれどそれは、そのまま自分にも同じことが言えてしまう。

 女王の身分などに縛られず、一人の女としてアスラルと共に生きる道を選べばいい。


 ……できるわけがない。


 理屈ではそういう選択肢もあるのだとは分かっている。

 けれど、パナヴィアの心がそれを許さない。

 自分の肩には、ルーセシアの民全員の誇りと、尊厳と、矜持が掛かっているのだ。ここで自分が私情を優先し、アスラルと共に逃げる道を選べばどうなるか。

 恐らくルーセシア軍は総崩れとなり、メリカールの突破を許してしまうだろう。

 田畑は荒らされ、国土は蹂躙され、誇りも尊厳も奪われた民は死ぬよりも辛い生を与えられることだろう。


 目の前の、アスラルが、そうであるように。

 ルーセシアの民を……なにより、自分を姉と慕ってくれる子供たちにそんな未来を与えるなんて、どうしてできようか。


 なんと無力なのだろう。

 一国を治める王としての才を以ってしても。

 悪魔の力と忌み嫌われる、生命を弄ぶ秘術を操れようと。

 並の者では触れることすらかなわぬ無双の技を持っていても。


 大事な者一人、救えないではないか。


(許せとは言わぬ、恨んで結構。むしろ恨め、感謝などするな! 阿呆と同程度の答えしか導き出せぬ、愚かな女王と罵るがよい!)


 両手に鈍い痺れが走る。

 アスラルの剣を捌き、それでもまだ救う道はあるのではないかと敢えて打ち据えるだけに留めているこの槍を持つ手が、痺れる。

 相変わらず殺気は一切感じない攻撃。

 しかし、アスラルの振り下ろすのはただの剣ではない。大人の身の丈ほどもある、大の男が両手で持つのがやっとの重剣クレイモアだ。

 ただ振り下ろすだけ、ただ振り回すだけでも十分に凶器となる攻撃を、パナヴィアの小さな体ではこれ以上受け止めきれない。


(もはや、ここまでか……ッ!)


 それに、これ以上戦いを引き延ばすこともできないだろう。

 滑稽な自作自演の一騎打ちとはいえ、それを周囲に悟られてはアスラルの思いを踏み躙ることになる。

 エストリアの騎士として生きる道を選んだというのならば、その散り際もまたそうさせてやるのも、女王である自分の務め。


「この程度か……所詮は、この程度かぁッ!!」


 ……この程度の答えしか、出すことができないのか。

 取り落としそうになる槍を強く握りしめ、パナヴィアは裂帛の気合と共にアスラルの豪剣を弾き返した。

 その拍子にアスラルは大きくバランスを崩す。


 ……いいや、違う。崩した、のだ。


 その証拠に、ふ……と。


 微かに。

 本当に微かだが、アスラルの口元が緩んだのが、パナヴィアには分かった。


(この期に及んで、なんという顔をしてくれるのじゃ、阿呆!)


 やっとその気になってくれたか、と。

 これでやっと祖国への忠義を果たせる、と。

 そんな想いが伝わってきそうな、穏やかな、笑み。


 ……もしかしたら、これが。

 不器用な男が、主君と認めた相手だけに見せた、甘えなのではないか……?

 そんな想いがパナヴィアの脳裏に過ぎった。



(阿呆が! 阿呆が、阿呆が! そんなふうに頼られても、何も嬉しゅうなどないわ!)


 槍を握る指が緩みそうになる。大地を踏みしめる足が折れそうになる。


(頼む、誰でもいい! もしこの世に本当に神がいるというなら、その証拠を見せてみるがいい!)


 いっそ倒れてしまえれば。

 このまま崩れ落ちてしまえれば。


(誰か……っ! 誰か、この阿呆を救う方法を、教えてくれ……ッ!)


 だが、それは許されない。

 アスラルの誇りが、パナヴィア自身の想いが、それを、決して許さない。

 目頭が熱くなる。視界がぼやけ、目の前の景色が歪む。

 けれどそんな中であっても、いっそ憎らしいくらいにアスラルの姿だけは鮮明に見えてしまって、狙いを外すなんてできそうもなかった。

 手も、足も、パナヴィアの全身すべてが。

 女王として生きると誓った日から今日まで磨き上げてきたルーセシアへの想いが、個人のちっぽけな感傷ごときで揺らぐはすもなかった。

 パナヴィア自身の力では、もはやその一撃は、避けようもないほど正確無比に、アスラルの心臓めがけて一直線に貫く以外の道を走ることなど、できなかった。

 しかし。



「アスラル=レイフォード!」



 スン――と。


 鏑矢が空を裂くよりもずっと鮮明で、それでいて水晶のごとく透き通った声が2人のあいだに突き刺さった、そのとき。

 パナヴィアも、アスラルも。


 その動きを、完全に止めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る