第46話 エピローグ これまでと、これから

 アスラルの背を見送りながら、パナヴィアは再び「フン」と鼻をひとつ鳴らした。


「やれやれ。ほんっっっっに! あやつはお主にばっかり甘いのう」

「……羨ましいですわ」

「羨ましい?」

 どこか憧れるような音を含んだリースの言葉に、パナヴィアは訝しげにそう返す。


「ええ。わたくし、子供の頃からずっとアスラルを見てきましたけれど、あんな風に軽口を言う姿は見たことがありませんでしたもの。きっとナヴィちゃんのことを信頼しているのでしょうね」

「む……そう、なのか? ま、まあ、なんじゃ。妾とあやつは……アレじゃ、飼い主とペットの、固い絆で結ばれておるからのう」

「まあ。ふふっ、ナヴィちゃんにかかったら、エストリア近衛騎士も形無しですわね」

 ころころと鈴のような笑みを零すリースに、パナヴィアも若干の照れ臭さを隠すべく苦笑を浮かべてみせた。


「そ、それで、本当に大丈夫なのか?」

「……大丈夫、とは?」

「体のことに決まっておろう。い、いやいや、違うぞ。さっきのアレが芝居であることくらい、百も承知じゃ。じゃが、いつもそうとも限るまい。どうなのじゃ? 体調が優れぬということはないか?」

 パナヴィアの言葉にリースは一瞬「え?」というふうな表情を見せ、それから頬に手を当てて溜息を零した。

「そうですわね……ここ最近、気分の優れない日が多いですわ」

「そ、そうか……無理もあるまい」



「それもこれも全部、このお屋敷のご飯が美味しすぎるのがいけないのですわ。おかげでもう……こんなに太ってしまって。いつかアスラルにブタさんと呼ばれてしまうのではないかって思うと、気が滅入りそうです」


「……なぬ?」



 ぽかん、と呆気に取られたパナヴィアは、やがて盛大な笑い声をあげた。


「っかっかっか! いやはや、済まぬ。妾もアスラルに毒されたかのう、余計な心配じゃったようじゃ。さすがはエストリアの女王陛下であらせられる、肝が据わっておるわ」


 笑いながらパナヴィアは僅かに視線を落とした。

 最近、服の上からでもうっすらと分かるくらいに膨らみはじめた、リースの下腹部へと。

 もちろんそれは、彼女の言うような食べすぎによるものなどでは断じてない。


 新しい命をその身に宿す、母の証明であった。



 あのとき、死へと流れ行くリースの命を救えたのは、ひとえにこのおかげだったのだ。

 死にたくない、と。生きたいと強く願う、赤ん坊の本能。

 そこに働きかけ、その子を救うために母体であるリースの命を繋ぎとめることで、パナヴィアの術は発動したのだ。


 恨まれることは、覚悟の上だった。

 そこにあるのは、2人にとって憎んでも憎み足りぬだろう男の血だ。

 アスラルを狂気の渦へと投げ込み、リースにはさらなる絶望を与えるような行為ではないかと思っていた。


 けれど、パナヴィアは見捨てることができなかった。

 いいや、怖かった、というほうが正しいかもしれない。

 今までリースのために生き、戦ってきたアスラルが、リースを守れなかったというその現実を前に、自身も後を追ってしまうのではないか、と。

 誰よりも彼女の騎士であろうとし続けたアスラルがその道を選ぶことが、余りにも自然なことのように思えてしまった。


 だから、リースを救うというより、アスラルを救いたかったのかもしれない。

 たとえ絶望の中であっても、アスラルに生きていて欲しいと願ったからなのかもしれない。

 結局これは、救済の名を借りた独り善がりな偽善で、2人を苦しめるだけなのではないかと思いもしていた。


 そんなパナヴィアの思惑とは裏腹に、リースは驚くほど素直にその現実を受け入れた。

 そして、主君であるリースがそう在るならばと、アスラルもまたこの現実を受け入れた。


 ……いや、アスラルの場合、まだ完全には受け入れきれてはいないだろう。

 日に日に少しずつ母の顔をするようになっていくリースを、愛おしげに、けれど少し寂しそうな遠いまなざしで見つめることを、パナヴィアは知っている。


 ……だが、それでも。


「決めましたもの、生きようって」

「うん?」

「今際の淵に、エルカーサ様に言われたんですもの。生きなさい、と。生きて罪を償いなさい、と」

「ん……ああ、ああ、そうじゃな、そういえばそんなこともいっておったのー……」

 並々ならぬ決意を秘めた表情でそう告げるリースに、パナヴィアは思わず視線を逸らす。


 そう、唯一明確な後悔があるとするなら、これか。

 生死の境をさ迷うリースに向かって怒鳴り散らしたパナヴィアの台詞は、リースの中では彼女が信仰する『エルカーサ様の御言葉』として受け入れられてしまっているらしい。

 無理もないと言えばないのかもしれないが、思い返しても恥ずかしいその言葉を、あたかもご神託であるかのごとく解釈され、しかもそれを事ある毎に引き合いに出されるというのは背筋が痒くなって仕方がなかった。


 そして皮肉だなとも思う。

 命を冒涜する魔女として故郷を追われたというのに、信仰厚いリースがパナヴィアの言葉を『エルカーサの御言葉』と勘違いしているのだから。


 けれど、だからこそ確信が持てるのだ。

 きっともう、リースは大丈夫だと。


「血筋や生まれは関係ありません。何が正しいか、何が尊いのか。それをきちんと教えて育てれば、どんな命も等しく素晴らしいものになるのだと、この国の子供たちを見て思えたんです。だから、わたくしはこの子を育てます。決して、悪魔の子にはさせません」


 同時に、驚かされる。

 母になると決めた女性は、こんなにも強く、美しくなるものか、と。


「……まったく。阿呆のくせに、主君を選ぶ目だけは一人前か」

「はい?」

「なんでもない。それより、その覚悟見事であるぞ。妾としても、そのような女王と同盟が結べるのは実に誇らしい」


「同盟……ですか?」

「うむ」

 こほん、と軽く咳払いをして、パナヴィアはリースを正面から見つめる。

「もちろんまだまだ未熟であると思うが、これからもきちんと勉学を重ねて女王に相応しい見識を身につけてくれると見越して、じゃ。……リスティーナ=エスリーゼ」

「……はい」



「ルーセシア女王、パナヴィアが正式に申し出る。エストリア女王として我がルーセシアと同盟を締結し、メリカールの脅威に怯える国々の希望となってはくれぬか?」

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