第13話 ルーセシア1

 使えるものはそのまま利用させてもらおう、ということで、逃げ延びていったメリカール軍の武具や、的を外れて地面に刺さっただけの矢などを回収してからであったため、パナヴィアたちが国境線の砦に入ったのは、勝利の勝ち鬨から暫く経ってからであった。

 それでも砦の中の歓声は未だ止むことなく、パナヴィアは国境警備隊隊長を名乗る初老の男の歓待を受けつつ軍議の間へと赴いたのであった。


「僅か2千で、よくぞ守り抜いてくれたな。感謝するぞ」

「勿体無いお言葉です。それに、守り抜けたのは全て陛下のお陰。我ら警備隊、必ずや女王陛下が来てくださると信じていたからこそ、誰一人として兵力差に絶望することなく戦えたのです」


 パナヴィアの前に跪く警備隊長の言葉からは、心底パナヴィアを信じていることが容易に汲み取れた。

 だからこそ、アスラルにはそれが不思議だった。

 女王陛下が来て下さるからこそ……まるで、パナヴィアの救援が当たり前であるかのような口ぶりだ。

 一国の女王が、こんな危険な最前線に赴いてくることに、彼は疑問を抱かないのだろうか、と。


「恐らく明日には諸大臣がたがさらに増援を連れてきてくれるはずじゃ。……が、それでも単純な兵力差は如何ともし難い。それは分かるな?」

「無論でございます。正面からぶつかれば、双方多大な損害が出るのは必定」

「うむ。そしてその損害が出た直後に、さらに奴らは第二波、第三波と攻め込んでくるであろう。こちらが疲弊したときを狙って、な。じゃからこそ勝負は一気に、短期間でつけねばならぬ。

 そこでじゃ、済まぬが僅かのあいだ、妾に指揮を任せてはもらえぬか? 隊長であるお主を差し置いて、というのは少し気が引けるのじゃが……」

「何を仰られますか! 陛下のもとで戦える栄誉を拒むことなど、誰ができましょうか。それに、兵たちも皆きっとそれを望んでおります」

「うむ、そうか。お主の忠義、嬉しく思うぞ」

 そう言ってパナヴィアは満面の笑みを浮かべて警備隊長の手を取る。

 その笑みはまさに聖女か救いの女神……少なくとも、警備隊長の目にはそう見えたのだろう、一瞬呆けたようにパナヴィアを見つめた後、涙を流さんばかりの勢いで深々と平伏したのであった。


                    ○


 その後、見回りをしておくよう命じられたアスラルはパナヴィアと別れ、独り砦内を散策していた。

 本来ならペット風情が一人で歩き回っていい場所ではないのだろうが、そこは女王陛下お抱えの愛玩動物ともあれば、多少の融通はきいた。

 それに、アスラルにはそれをしておかなければならない理由があったのだ。


「あった、これか」


 ある程度アタリをつけて探索していたため、それは数時間とかからずに見つけられた。

 兵たちの多くが巨漢揃いなせいだろう、アスラルの知っているものと比べて随分と大きな剣や槍が所狭しと置かれたそこは、武器庫であった。

 おかげで、アスラルが得意としている重剣クレイモアと似たような剣が簡単に手に入ったのは思わぬ収穫だったが、アスラルの目的は武器ではない。


 その武器の森の向こうに隠れるようにして造られた、小さな扉。

 明らかに出入りに用いるものではないだろうそれは、緊急用の脱出路であると予想された。


 扉を開けて確認しようかとも思ったが、この手のものは一度使うと壊れる、あるいは後続が追ってこられないような仕掛けが作動する可能性があるため、それは控えておいた。

 けれどこれで、万が一のときにはパナヴィアを連れて逃げることができる。

 もしかしたら敵前逃亡などできないと同行を拒むかもしれないが、そのときは縛ってでも連れて行く必要がある。

 むしろ、先ほどの戦闘での無鉄砲ぶりを思い返すに、その想像はかなり信憑性を帯びてくるのではないだろうか。

 たとえ窮地に追い込まれても、一兵でも多く逃がすために自分は最後まで砦に踏みとどまる、くらいのことは言い出しかねない。

 いざとなれば、殴って気絶させてでも連れて逃げるくらいの心構えはしておくべきだろう。


(女王の命を救うために使う暴力に、あの術は作用するのかね……?)


 以前、牢屋で味わった呪いの激痛。

 術者であるパナヴィアに危害を加えようとすれば発動する、生きようとする意志が強ければ強いほど増していくという、あの呪い。

 なんとも厄介な術を掛けられたものだ、と苦々しいため息が零れてしまう。

 そして、同時に。


「リース様……」

 ぽつり、と。

 忠誠を誓い、剣のみならず自らの心さえも捧げた女性の名が零れる。

 もしも。

 もしもあのとき、自分が戦場に出ることなく彼女の傍にいたとしたならば、同じようにできただろうか。

 ルーセシアが落ちた、あの日。

 そのとき傍に自分がいれば、リースを連れて城を脱出し、2人で逃げ延びることができただろうか……と。


 声に出してしまったことによって、何も無いはずの虚空に愛しい人の姿が像を結んでしまう。

 そういえば、と思い出す。

 幼い日のリースも、お傍付きのメイドや近衛騎士たちを放り出して、一人駆け出してゆくような人だった、と。


 上質な鉱産資源を用いた交易を生業としていたエストリアは、国のあちこちに多くの鉱山を抱えていた。

 だが、鉱山は危険な仕事場だ。ちょっとしたミスで事故が起き、多くの鉱夫たちが坑道に閉じ込められることも珍しくない。

 平時におけるエストリア騎士団の仕事といえば、そういった事故の救助作業であった。

 そして騎士見習いであったアスラルの役目は、事故と聞きつけるやメイドの制止を振り切って、真っ先に飛び出してゆくリースを追いかけることだった。

 今でこそ『エストリアの宝石』『大陸一の美姫』などと謳われるリースだったが、幼少時はとても活動的で、家庭教師の目を盗んではアスラルに脱走の手引きをさせ、こっそり城下に出向くことも少なくなかった。

 だからだろう。臣民からはとても愛されていたし、彼女も国のみんなが大好きだった。

 ゆえに民に何かあったとなれば、自分にできる精一杯を尽くそうとした。

 「わたしは何もできないから、せめて声だけでも……」と零していたこともあったが、とんでもない。

 いつ助けが来るかも分からない暗く狭い鉱山に閉じ込められている者たちにとって、リースの励ましの声は、きっと救いになっていたに違いない。


 そんな彼女が、戦況が芳しくないからといって一人で逃げることをよしとするだろうか。

 きっと首を横に振っただろう。

 自分だけ助かろうとして逃げるなどできない、と。

 きっとあのときも、我が身を犠牲に兵と民の命を救って欲しいと、メリカールに願い出たに違いない。

 そんな彼女を守りたいとアスラルが願っていても、いざとなれば殴ってでも……なんて、あのときできただろうか。


(けど、もしそうできていたなら、今頃エストリアは……)

(リース様は……)


「随分と鼻が利くのじゃな、もう見つけよったか。さすがは犬と誉めてやろうかの」


 不意に聞こえた声によって、アスラルの意識は郷愁の海から引き上げられた。

 いつからいたのだろう。何やら少し意地悪そうな笑みを浮かべたパナヴィアが、入り口近くからアスラルをジロジロと眺めていた。

「……なんで、お前がここに?」

「なぜ、とな? 武器は戦場での相棒であり、命を預ける戦友。自分で使うものくらいは自分で手入れしてやらねばと思っての、道具を借りに来たのじゃが……むふふ、随分と面白いものを見てしまったようじゃの」

「……なんのことだ?」

「隠すな。脱出路の確認か? 負けたときの算段でもしておったのかの?」

 見られていたのか、と内心で舌打ちしたが、考えてみればパナヴィアは女王であると同時に、兵たちから絶大な信頼を得ている戦士でもある。

 この砦には何度も来たことがあるのだろうし、そうなれば砦内の構造もきちんと把握しているのだろう。

「……万が一のときのことを考慮しておくのは、当然だ」

「ははは、無い無い。妾たちルーセシアのつわものたちが、メリカールごときに遅れを取ることなど、万に一つもありえんわ。心配することはないぞ」


 パナヴィアの言葉に、アスラルは思わず苛立ちを感じた。

 たしかに先ほどの戦いでの圧倒ぶりには驚いたが、それでも所詮は奇襲。それも、砦攻めをしていたところを横合いからいきなり殴りつけたような格好だ。

 そんな形の勝利を得たくらいで得意になってもらっては困る。

「あまりメリカールを侮るな。確かにお前たちルーセシア兵のような化物はいないがその分、数は半端じゃ無い。それこそ、掃いて捨てるほどいるんだぞ? 物量の差は圧倒的だ」


 祖国が落ちた日が思い出される。

 エストリアの都を覆いつくすのではないかと思うほどのメリカール兵が、津波のように襲い掛かってきた、あの光景。

 結局、打ち合ったのはほんの数時間ほどで、開戦から程なくして家臣の……いいや、メリカールと内通した裏切り者の手によりエストリア王が殺され、戦争は呆気なく終わった。

 しかしその僅かなあいだであっても、初陣であったアスラルの脳裏には、あのときの戦いが焼きついている。

 1人が死んでも2人、3人と襲い掛かる集団戦法。

 躊躇うことなく十人の味方を捨て駒にして、百人の敵を殲滅する人海戦術。

 あのまま戦い続けたら全滅が先か、エストリア兵の心が折れるのが先か、どちらが早かっただろうか。


 だが、そんなアスラルの心配を他所に、パナヴィアはなおも得意げに鼻を鳴らす。

「ふふん、物量物量というが所詮は量でしかあるまい。烏合の衆という言葉を知っておるか? どれだけ数を集めても、寄せ集めではこのルーセシアを落とせぬよ」

「……その根拠は? そこまで大口を叩くからには、根拠でもあるっていうのか?」

「根拠? はッ、そちの目は節穴か? 野犬が千匹群れようと、完全武装した百の兵隊には敵わぬであろう? それと同じじゃよ」

「だから、そうやって敵を侮るなと言っているんだ! メリカールの恐ろしさを知らないわけは無いだろう!?」

「……ふむ。確かに、潰しても潰しても次々に群がってくるあのしつこさたるや驚嘆に値すると言えぬでもない……が、それだけじゃ」

 そう言ってパナヴィアはスゥ……と目を細める。まるで鋭利なナイフのようなその輝きに、思わずアスラルはたじろぎそうになった。


「そちこそ、あまりルーセシアを舐めてもらっては困るな。妾の率いるルーセシア軍がメリカールごとき野犬の群れに蹂躙されるなぞ。心配を通り越してむしろ侮辱じゃの、それは」

 目の前に鋭利な……まさにパナヴィアの振るう長槍の穂先が突きつけられているかのような緊迫感に、アスラルは身動きがとれなかった。

 彼女の言うとおり、確かにパナヴィアは敵を侮ってなどいない。それ以上に、揺ぎ無い自信があるのだ。

 ルーセシア兵の強さと、それを率いる自分の力に。


「……とはいえ、まあ無理もないかの」

 と、そこで不意にパナヴィアは格好を崩す。

「そちのような化物以上の化物にかかっては、さしもの妾たちも些か分が悪いと言わざるを得ぬな。やれやれ、あまりに強すぎるとルーセシア兵もメリカール兵も共に、同じ程度にしか見えぬということか」

「な……っ!? ち、違う! そういうつもりじゃない!」

「ハァ……まったく百人殺しの剣豪サマは言うことが違うの、恐れ入るわ。おお、そうじゃ。せっかくじゃからその弁、皆に伝えて回ろうではないか。自分がいれば千人の敵を倒してやるから安心しろと言うてやれば、きっと皆も沸き立つであろうて」

「だから違う! そうじゃない! バカ、やめろ!」

 またからかわれた、と分かったときには、すでにパナヴィアは目当ての道具の物色を済ませて、すたすたと武器庫を後にしていた。

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