第16話 疾矢、鋼盾、豪斧、そして双剛刃

 パナヴィアの策は、もはや策などと呼べるようなものではない、単騎突撃であった。

 漆黒の長槍を携え、双角の馬に跨り敵の最前線へと駆けてゆくその姿は、自殺行為以外の何物でもなかった。

 少なくとも、まともな神経の持ち主のやることではない。

 しかしパナヴィアは躊躇うことも、臆することも無く、敵陣めがけてただ真っ直ぐに駆けてゆく。その後を追って国境警備兵を含めたルーセシア軍2千5百が続く。

 対するメリカール軍は、陣を広く展開し、こちらを包囲して一気に殲滅するべく待ち構えている。自陣の被害を少なく、一方的に敵を壊滅させるための布陣は、アスラルの学んできた兵法の基本と一致していた。

 だというのに、パナヴィアはその包囲網の真っ只中へと飛び込んでゆく。

 まるで後続の兵たちをすべて置き去りにするかのような一騎駆けに、アスラルは己の足ひとつでひたすら追いかけていった。


『此度の一戦に騎馬は使わぬ。全員、徒歩かちにて付いて参れ』


 戦が始まる前にそう命令したのは他ならぬパナヴィアであったはずなのに、当の本人が騎馬とは一体どういう了見か。

 だが、文句を言っても始まらないし、もはやそのような段階ではない。

 馬の足に追いつくことなどできはしないことなど分かってはいるが、それでも走り続けるしかなかった。

 ――その目で、しかと見極めるがよい

 それが、パナヴィアがアスラルに与えた、ただひとつの命令だったからだ。


 ザァァ、と。

 突如、驟雨しゅううのような耳障りな音が響き渡った。

 大きく広がった包囲陣の左右から、何千という矢が一斉に放たれたのだ。

 狙いは先頭のパナヴィアではない。それに続く2千5百のルーセシア兵たちだ。

 直後、幾つもの巨体が先陣に立ち、特大の盾のバリケードを築きあげる。この中にいれば、いくら何千と矢を射かけてもそうそう損害は出るまい。


 だが。

「待て! くそっ、待つんだパナヴィア!」

 アスラルがそこに身を隠すわけには、いかないのだ。

 盾の鉄壁が完全に構築される前にそのあいだをすり抜けると、アスラルは独りパナヴィアを追った。

 後ろから静止を促す声が聞こえた気がしたが、構ってなどいられない。

 それに、もし今この瞬間に足を止めれば、全身をあの矢の雨に射抜かれることになる。

 一番安全なのは、このまま一気にパナヴィアの後を追って走り抜けることだ。


 背負った二刀の重剣を振りかざし、可能な限り矢を打ち払い、突き進む。何本か腕や足を掠めたが、動けなくなるほどの致命的な一撃は奇跡的に貰わなかった。

 全速力でパナヴィアを追い掛けたおかげで、ギリギリのところで矢の集中豪雨をかわすことができたらしい。


 しかし、後続はそうはいかない。

 身を守るために足を止めたせいで、ますますパナヴィアとの距離が離れてしまった。

 これでいよいよ、総大将を守る者は誰一人としていなくなった。


 確かに昨日の一戦を思えば、そうやすやすと討ち取られることはないだろうことは分かる。

 だが、昨日は砦を背後にした、多数の味方を従えての防衛戦。

 今回は、全方位を敵に囲まれた状態での単騎突撃だ。

 メリカール軍としては、これほど美味しい相手もいるまい。

 しかし、それでもなおパナヴィアは止まらない。

 当然、包囲網は一気に狭まり、わざわざ罠のど真ん中に飛び込んできた獲物を狩るべく、幾多の凶器がパナヴィアめがけて突き付けられる。


 間に合わない。

 ならばせめて、自分が辿り着くまで耐えてくれ。

 アスラルがそう願った、その直後。

 アスラルはもちろん、メリカール軍の者は皆、信じられない光景を目の当たりにした。


 敵陣最前線と接触するかしないか、という地点で。

 パナヴィアは跨っていた馬の鞍の上にすっくと立ち上がったのだ。


 そして、ふわりと。


 そうするのが当たり前だと言わんばかりに、パナヴィアは鞍の上から軽々と舞い降りると、そのまま敵の頭上へと降下していったのだ。

 その姿に思わず見とれて足を止めてしまった者は不幸であった。パナヴィアの乗り捨てた馬はそのまま敵陣へと突っ込んでいき、立ち止まった愚か者を次々と蹴散らしてゆく。

 馬が駆けぬけ、僅かにできた隙間へと、パナヴィアの小さな体がストン、と降り立った。

 瞬間。


 赤い嵐が巻き起こった。


 少なくとも、アスラルの目には、そう映った。

 燃えるような真紅の髪が舞い、それに合わせるように周囲に幾つもの血飛沫の花が咲き乱れ、緋色の雨のごとく降り注いだのだ。

 それが、たった一人の少女の手によって起こされたものだと瞬時に気付いた者が、あの中に何人いるだろう。


「遠き者は音に聞けぃ! 近くばその目でしかと見よ!

 妾はパナヴィア! ルーセシア女王パナヴィア=ルーセシア! 妾の槍に掛かる誉れ、しかとその魂魄に刻み込み、冥府での土産話にするがいい!」


 聞き覚えのある仰々しい名乗りが戦場に響き渡る。

 その声に弾かれるように正気を取り戻したメリカール兵は、我先にとパナヴィアめがけて襲い掛かった。


 しかし、その全てがパナヴィアに届かない。

 突き出した槍が。

 振り下した剣が。

 すべてパナヴィアの体を避けるように空を切る。

 その流れをなぞるかのようにパナヴィアの持つ漆黒の長槍が、並み居る兵士たちの体を次々に突き刺し、打ち据え、薙ぎ払い、切り伏せてゆく。


 それは以前、パナヴィアが見せた槍術の型であった。

 流麗で、無駄の無い、しかし恐ろしく速く、実戦で活用できるよう改良の加えられた、複数の相手を的確に仕留めるための、殺人術である。

 昨日見せた馬上での槍術よりも、心なしか技の冴えが一段と際立っているように見えるのは、目の錯覚だろうか。


 ――抗いようの無い死を前にしたとき、命はただただ恭しく、刈り取られる前の麦のごとく頭を垂れるしかなくなってしまう……


 パナヴィアの言っていた言葉が鮮明に思い出されるのは、幾人ものメリカール兵たちが、まるで自らの命を差し出しにゆくかのように漆黒の槍の前に歩み出ているように感じるからか。


 ……だが、それでも。


「パナヴィア!」


 大地を蹴って低く跳躍すると、アスラルはその赤い嵐の中へ真っ直ぐに飛び込んでいった。

 そして、今まさにパナヴィアの背後から襲いかかろうとしていた敵兵めがけて、重剣クレイモアの一撃を叩き込んだ。

 鉄の鎧がへしゃげる感触と共にパッと赤が散り、真紅の嵐に巻き込まれてゆく。

 斬った。

 いや、もはや潰した、か。

 加速の勢いと、剣の重量。そしてそれを操るアスラルの技量が合わさって、鎧ごと敵を〝し斬った〟のだ。


 メリカールで剣闘奴隷をやっていた頃は毎日のように人を斬る感触を味わわされてきたから慣れたとばかり思っていたが、こうして暫く間を置いてみると、やはりダメだ。吐き気を催しそうになる。

 が、そんな苦しみなど知ったことではないメリカール兵の繰り出す槍の穂先が、アスラルの周囲に次々と群がってきた。

 そうだ、苦しみに膝を折れば、待っているのは死だ。


(俺は、死ねない!)


 もう一度リースに会うまでは。

 メリカールからリースを救い出すまでは、死ねない。

 突き付けられる何本もの槍を重剣の大薙ぎでまとめて打ち払い、続く二刀目でそれを扱う敵兵を切り捨てる。その光景に怯んだ相手めがけて、


「しァァッ!」


 突撃する!

 そして、斬る! 斬る!! 斬る!!!


 周りにいる者すべてが敵という状況下での戦いは嫌というほど体験してきたため、狂戦士バーサーカーのごとき戦いぶりをしつつも、頭のどこかでは冷めた自分が戦況を見ていた。

 恐怖に怯んだ敵を斬り、動きやすい空間を作る。

 その空間を利用し、二刀の重剣クレイモアを振り回すことで敵からの次撃にムラを生じさせる。


 そして、そのムラが強い部分めがけて、飛び込み、

 斬り捨てる!


 まるで無差別大量殺人。

 しかしその実、敵の綻びを突くようにして仕掛ける計算された戦いである。その証拠に、アスラルの猛攻に怯むなとばかりに押し寄せてくる敵に対しては、無闇に飛び込まない。


「どこを見ておる! 大将首は妾ぞ!」


 飛び込む必要は、無いのだ。アスラルめがけて攻撃する敵の横っ面を張るかのように、パナヴィアの長槍がその出鼻を挫く。

 パナヴィアと、アスラル。二人の敵のどちらを相手にすべきかと悩んだその一瞬に、

「はあぁァッ!」

 再びアスラルが突撃し、躊躇する敵を迷い無く、斬って、斬って、斬りまくる!

 その勢いに、やはり敵はこちらかとアスラルに狙いを定めたメリカール兵たちを嘲笑うかのように、アスラルはその勢いをいなすべく後ろに飛んだ。


「見事じゃぞ、クロス! さすが妾のペットなだけはある!」

「褒めてるのか、それ!?」

 ほぼ真後ろから聞こえた声に、アスラルは怒鳴るように返す。

 常に気を配っていたため、ある程度の位置は把握していたつもりだが、どうやら背中合わせになるほど急接近していたらしい。

「褒めも褒め、ベタ褒めじゃぞ! 即席とは思えぬこの連携、まさに飼い主とペットの絆あればこそではないか!」


 まったく誰のせいでこんなことになったと思っているんだ。

 それになんだその珍妙な絆は。せめてもう少しマシな言い方は無いのか。


 心中で毒つきつつも、アスラルはその事実に驚いていた。

 ここは敵陣のほぼど真ん中だというのに、まるで背後から襲われていないことに。

 そして、自分でも意識しないうちに、パナヴィアと背中を庇いあうように戦っていたことに。

 パナヴィアを守るべく突撃したつもりであったが、どうやら自分もまた、パナヴィアにずっと背を守られ続けていたらしい。

 剣闘奴隷のときはもちろん、エストリアで騎士の修行に明け暮れていたときも、自分の背を誰かに任せるなんてことは一度も無かった。

 誰よりも強くあろうとし続けてきたアスラルにとって、肩を並べることのできる戦友など一人もいなかったのだから。

 戦うときは、常に一人だった。

 誰かに背中を預けたことなど、無かった。


 しかし、誰かに自分の後ろを任せる、この感覚。

 それがこんなにも、安心するなんて。


 見渡す限り、敵、敵、敵。

 身の丈ほどもある重剣を二刀も振り回すアスラルを、もはや人間として見ている者など誰一人としていない。

 化物。

 怪物。

 狂戦士。

 大量殺戮者。

 そんな恐怖と憎悪に彩られた視線が四方八方から降り注いでくるというのに、それがまるで気にならない。

 それどころか、むしろ。

「有り難いぞ」

「え?」

 まるで心中を代弁……いいや、勝手に推し量ったかのような言葉に、アスラルは思わず間抜けな声を出してしまった。

「周りを見よ、一面敵だらけじゃ」

「……そうだな。で? それが有り難いって?」

「うむ。そちが加わっていつもより派手に暴れたからのう、ここら一帯の敵の視線は、妾たちに釘付けじゃ」

「みたいだな。それで?」

「すぐに分かる。それより、ちと背中を借りるぞ。足を強く踏ん張っておれ」

「……背中?」

 アスラルがそう尋ねた、そのときだった。

 2人を囲む敵兵の一角で、悲鳴が上がった。それはすぐに2つ、3つと増え、あっという間にそこかしこで聞こえるようになった。


 理由はすぐに分かった。敵兵を掻き分けるように飛んできた、狼の顔をした者たち……ルーセシアの人狼ヴェアヴォルフ兵だ。

 後続が追いついたのだ。

 敵の隙間を縫うように駆け、鎧の継ぎ目を鋭利な爪で引き裂いてゆくその戦いぶりは、パナヴィアとアスラルの2人に集中しきっていたメリカール兵にとっては奇襲もいいところだ。

 それに続いて、今度は地響きのような足音が近づいてくる。わざわざ見るまでもない、視界の端に映るその巨躯は、紛うこと無いトロール兵の一隊であった。

 2人の大立ち回りに気を取られ、人狼たちの突入で混乱したメリカール兵が、トロールたちの体当たりで石ころのように蹴散らされてゆく。

 突然の強襲にメリカール兵の注意が逸れた、そのときだった。


 蹄の音と、いななききが聞こえた、

 瞬間。

 どんっ、と。


 アスラルの背中を、何か小さなものが踏みつけるような衝撃が走った。

 見なくとも分かった。この状況でアスラルの背に一撃入れられる者など、一人しかいない。

 ……だが。

「どうっ!」

 振り向いたそこにいたのは、アスラルの背を蹴って高く飛びあがり、戦場を駆け巡って今まさに戻ってきた愛馬にひらりと跨る、パナヴィアの姿だった。


 仮にも女王だというのに、軽業師もかくやという身のこなし。

 敵の返り血を浴びに浴びて、もはや元の色を探すほうが難しいほど真っ赤に染まった戦装束。

 そして、いつもは胸元の近くにあるのに、今はアスラルを馬上から見下ろす野葡萄色の瞳。

 ……そのどれもに、ほんの僅かのあいだ、見入ってしまった。


「ラブリズ、突撃じゃ! 道を切り開け!

 シュテルン、アイガスはこの場に踏み止まり、敵を押さえよ!

 残りの者は妾に続け! 大将首は目の前ぞ!」


 敵陣のど真ん中だというのに、パナヴィアの指示で一瞬にして突撃してきた2千5百のルーセシア軍の陣形が組み変わった。

 トロール兵を中心にした巨漢揃いの『アイガス』が、人ひとり分はゆうにある大盾で防壁を形成する。

 その防壁を乗り越えようとした敵兵に、俊敏さがウリの人狼ヴェアヴォルフ兵たち『シュテルン』が襲い掛かった。

 そして、丸太のような剛腕に大型重量武器を手にしたオーガ兵『ラブリズ』が、敵正面に破城鎚はじょうついのごとく突撃する。


 即席の、しかし鉄壁を誇る防衛陣。

 その鉄壁を補佐する足自慢たち。

 そして、防壁に背を預けて後方の憂いを断った強力無双ごうりきむそうたちが、敵軍中央を力任せにぶち破ってゆく。

 その先に、あるのは――


「クロス、来い!」

 幼く、甲高い、しかし自信に満ちた凛とした声が耳朶を打つ。


 ――どこへ?

 そんな問い掛けは、もはや頭から消え去っていた。


 ――総大将がこれ以上突出するな。

 そんな戒めが口をつくことはなかった。


「ああ!」

 代わりに出たのは、短い応えだけだった。


 オーガ兵たちが切り開いた鎧兜の群れめがけて、アスラルは再び飛び込んでいった。

 目障りな敵兵を切り払い、ただひたすらに自分の前の走る真紅の風を追いかける。

 その行動に、不思議なほど疑問を抱かなかった。



 メリカール軍前線指揮官ベルナルドの喉笛に漆黒の長槍が突き刺さったのは、

 東の空に太陽が昇りきって、まだ間もない頃であった。

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