第22話 魔女の涙
その後、大人数で遊べるものとして『攻城戦ゴッコ』が行われるはこびとなり、子供たちはパナヴィアの号令のもと、一斉に建物のほうへと戻っていった。
どうやら遊びの準備らしいが、それにしても攻城戦ゴッコとはまた物騒な名前の遊びもあったものだ。
「ほれ、いつまでしゃがみこんでおる? 座ったままでは、みなと遊べぬぞ」
そんなことを思いながら苦笑するアスラルの前に、それは何気なく。
そう、あまりにも自然にアスラルの前に差し出された。
だからアスラルはそれを手にすることに何の疑問も抱かなかったし、そもそも疑問の生じる余地すらないほど、何気ないものだった。
気付いたのは立ち上がったとき。
いつものように頭ふたつ分は上からパナヴィアの姿を見下ろしたときであった。
「す、すまん」
「ん? なんじゃ、急に」
「い、いや……断りも無く、ご主人さまの手を取ってしまうのは、ペットとしてどうなのかね……って」
自分の手にした真っ白なもの。
まるで古木か石ころのようなゴツゴツした感触の、戦士の手。
アスラルのものとそう変わらぬ、無骨なはずの、手。
けれど今、どういうわけだかそれを握っているということが、妙に恥ずかしく感じてしまったのだ。
「なんじゃそんなこと。手を貸したのは妾なのじゃから、そちが気にすることではなかろう」
「そう、なんだが……」
アスラル自身、訳が分からなかった。
疲弊していたとはいえアスラルに致命傷を与え、戦場では幾人もの敵兵を血祭りに上げた、漆黒の長槍を操るこの手が、今はなぜだか、とても小さなものに感じてしまった。
それが言いようもないほどにむず痒いような気分で、アスラルは慌てたように自身の手を引っ込めた。
「…………ははぁ、読めたぞ。そち、さては女子の手すら握ったことがないのであろう?」
傍から見れば明らかに挙動不審なアスラルに何を勘違いしたのか、パナヴィアはいつもの意地悪そうな笑みを浮かべてアスラルににじり寄ってきた。
「ち、違う、そういうのじゃない」
不名誉な誤解に、アスラルは思わず声を荒げて否定する。
下級とはいえ、曲がりなりにも貴族の家に生まれ、異例の若さで王女殿下の護衛騎士に任命されたアスラルは、エストリアの宮廷でもそれなりの待遇を受けていた。
当然、縁談のひとつやふたつあったし、他家の息女ともダンスをしたこともある。女性の手など、そのときに嫌でも触ることになるのだから、免疫が無いなんて言わせない。
「隠すな隠すな。そちのような無愛想、まともに相手をしてくれる女子などおらんかったのであろ? やれやれ、不憫よなぁ。友人もおらず、好いてくれる女子すらおらんとは、そちはさぞ不遇な幼少期を過ごしておったようじゃ」
「だから、そうじゃない! 同じだが、違う手で……だから、驚いたんだ!」
勝手な想像で一人盛り上がるパナヴィアに、アスラルは先ほどよりも大きな声で否定の言葉を口にする。
その拍子に、つい自分の……無自覚だった感情を吐露してしまった。
自分でも何を言っているのか分からなくなってしまっているのは、からかわれて混乱してしまったからだろうか。
握りしめたパナヴィアの手から伝わった固さは、アスラルもよく知っているものであった。
幼い頃からずっと自分の身の丈に合わぬ双剣を振り回してきたせいで、何度も皮が剥けて、
それこそ寝る間も惜しんで武芸に励んできた自分とそっくりな、パナヴィアの手。
なぜか。そんなこと考えるまでもない。
自分と同じく、パナヴィアにも守るものがあり、そのために戦っているのだと。
女王として、戦士として、戦場の最前線に立つ者が、武芸の鍛錬を怠るはずがない。
アスラル以上に身の丈とミスマッチな得物を操るパナヴィアの重ねてきた鍛錬がどれほどのものなのか、押して知るべしだ。
けれど、もしかしたら。
パナヴィアが強くあろうとする理由は。
彼女の守るべきものとは。
もしかしたら、ここにいる子供たちなのではないかと。
国を守るため、自ら戦いの中に身を置こうとするその根底にある思いは、傍にいる者を守りたいと願った、アスラルと同じものではないのだろうか、と。
そんなふうに、感じてしまって。
「女の手くらい、何度か握ったことはある。けど、その手はみんなどれも、柔らかくて、温かくて、自分の節くれだった指で触れるのが申し訳無いくらいに、美しかった。けど、お前の……お前の手は、まるで俺と同じだ。ただ強くなるのに必死で、がむしゃらに武芸に打ち込んできた俺と、同じ手だった。なのに……」
と、そこで言葉を切り、アスラルは勢いで出掛かった言葉を飲み込む。
「その……驚いてしまったんだ。仮にも一国の女王と、ただの奴隷の手が、こんなにも似てるなんて……ってさ」
守るべき幼子のようで。
自分と同じものを目指した騎士のようで。
どちらにも思えてしまって気持ちの整理が追いつかなかった、だから恥ずかしくなってしまった……なんて、みっともなくて言えるはずもない。
そんなアスラルの心情を知ってか知らずか、パナヴィアはふっと笑みを浮かべた。
どこかアスラルを小バカにするような……けれど先ほどの意地悪そうなものとは違う、まるで親しい友人に対して向けるもののような、そんな笑みだった。
「そういえば、紹介がまだであったな。ここが妾の実家じゃとは言ったな。厳密に言うと……まあ、孤児院のようなものでの、身寄りの無い子供を引き取って育てておる。妾も
「そうか……いや、なんとなく想像はついていたが。でも、確かパナヴィアはここに流れてきたって…………というと、あの子たちも?」
「察しが良いのは好きじゃぞ。さよう、妾と同じように、故郷を追われ、ここに流れ着いてきた子供らじゃ」
そう言ってパナヴィアは視線を建物のほうへと……いいや、その建物の中にいる、多くの子供たちへと向ける。
「外見が違う。人とは異なる力を持っている。それだけの理由で国を追われ、ここルーセシアに流れ着いてきた。妾に言わせれば、人よりも僅かばかり背が大きいとか、少々特徴ある顔立ちをしているとか、その程度の違いでしかないんじゃがの」
不意に、パナヴィアの笑みに翳りが差した。
「それでも妾は幸せなほうでな。妾の父上も母上も、妾の持つ力のせいで悪魔の子を産んだと言われて国を追われたというのに、妾を愛してくれた。異能の者を受け入れてくれる国……ここルーセシアの噂を頼りに、食うものも食わずに妾をここまで連れて来てくれたのじゃ。……じゃが……」
「悪魔の子として、国どころか親にも捨てられた子もいる……のか?」
「察しが良すぎるのも困るな」
その翳りを見ているアスラルの視線に気付いたのか、パナヴィアはまたあっけらかんとした笑みに戻って、うーんと伸びをしてみせた。
「さっきの子……ハリィがまさにそうでな。狼の耳が生えておることと、他の子よりも少しばかり運動神経が良いというだけで周囲から疎まれたらしい」
「耳……? 運動神経って……?」
「先ほどそちの顔に跳び蹴りかましたであろ? ハリィがその気になれば、そちの背丈くらい軽々飛び越してみせるぞ。すごかろう?」
「すごいが……いや、ちょっと待て。それだけか? たったそれだけなのか? 狼の耳が生えていて、大人の背丈を飛び越せるくらい運動神経がいい、それは分かった。けど……」
「それだけで疎まれる理由になるのか……か? なったからこうしてここにおるんじゃろう? 実際、あの子がここに来たばかりの頃はいつもフードを目深に被って、絶対に自分の耳を見せようとはせなんだ」
「そんな……」
そんな馬鹿なことあるわけが……と、思わず零れそうになった言葉を、アスラルは飲み込んだ。
パナヴィアの言うとおり、そんな馬鹿なことがあったからこそルーセシアという国ができ、パナヴィアのような少女が……流民の娘が女王を務めているのだろう。
国境の砦で交わした問いの答えが、見つかった気がした。
『それでますます他国から恐怖の対象として扱われることになってもか?』
その答えが、きっとこの場所なのだろう、とアスラルは思った。
だからパナヴィアは自分と同じ手をしていたのだろう、と。
他の何かを傷付けることでしか、大切な何かを守ることのできない、不器用で、無骨な手をしているのだろう……と。
「そんな不当な差別を無くしたいという先代の……いいや、このルーセシア建国から連綿と続いている理念に共感し、妾はルーセシア女王になった。そして妾が女王である以上、妾と同じような目に遭う子供は絶対に出しとうない。……そう、思っておるのじゃが……」
パナヴィアの言葉の語尾が徐々に弱々しくなっていくのが不思議だった。
てっきり、「そのためなら、敵の百人や千人殺すことを躊躇ったりはしない」などと、腰に手を当てて自信満々に言ってのけるものとばかり思っていたのだが。
「その想いが、あの子たちを蔑んでいることにならないか……。そんな風に思えてならんときがあるんじゃよ」
そして次に出てきたのは、先ほどまでとあまりにかけ離れた言葉であったため、一瞬アスラルはその意味を理解しそびれた。
「……すまない、その……どういうことか、訊いてもいいか?」
「何をじゃ?」
「いや、どうして……パナヴィアは、その、つまらない理由で差別される子供たちを守りたくて戦っているんだろう? それがどうして蔑むことになるんだ?」
分からないままにしておくこともできた。
所詮は魔性の者の感性、人間には理解できないものだ……そう思って流してしまうこともできた。
けれど、アスラルは尋ねずにはいられなかった。
誰かを守るために強くあろうとした、自分と同じ手を持つ少女が、なぜそんなことを言うのか。
「分からぬか? ……いや、分からぬであろうな。妾も分かって欲しくて言ったわけではないゆえ。すまんの、聞き流してくりゃれ」
「そこまで言っておいて、それは無いだろう。教えてくれ、どうしてそれが子供たちを蔑むことになる?」
少ししつこいだろうかとも思ったが、アスラルは食い下がる。
パナヴィアは一瞬意外そうにアスラルの顔を見、反射的にそうしてしまったことを恥じたのか、僅かにむくれて口を開いた。
「ふん……まあ、なんじゃ。主人の思いを理解しようとするその心意気に免じて、特別に教えてやらんでも無い」
ぷい、と顔を背け、そのままそのままスタスタと歩いてアスラルから距離を取る。
それを追うことなく黙ってパナヴィアの背を見つめていると、やがて「ふぅ」と小さく吐息が零れる音が聞こえた。
「他人と異なるという理由で差別された者たちを守るべく戦う……確かに聞こえはよいし、何より戦争する際の大義名分としては立派なものじゃと思う。じゃがな」
そこで僅かに間を置いて、パナヴィアはもう数歩アスラルから距離を取った。
「それは即ち妾たちが……ひいてはあの子たちが〝蔑まれた者である〟という前提に立っておるからこそ成り立つ論法であって、それを掲げて戦うということは、自らの意思で自分たちを〝蔑まれた者である〟と認めているようなものではないか、とな」
背を向けたまま放たれるパナヴィアの言葉を理解するのに、アスラルは若干の時間を要した。
つまり、どういうことだ? 虐げられた者たちを守るために戦う、という理念そのものが、あの子たちに〝虐げられた者〟というレッテルを貼ることになるということなのか?
……だとしたら。
だとしたら、自分は。
「分かっておる、こんなもの所詮言葉遊びに過ぎん。その前提を撥ね付けておれば、妾はとうの昔に行き倒れておる。先代が妾や、妾と同じような境遇の者を哀れんで受け入れてくれたからこそ今の妾がある。それは分かっておる。じゃがな、それでも……」
「馬鹿なことを言うな!!」
ほとんど、それは無意識であった。
あるいは反射か。理由などアスラルにも分からなかった。
けれど、そう怒鳴っていた。
まるで子供を叱り付けるかのように、そう怒鳴ってしまっていた。
「蔑みだって言うのか!? 誰かを守りたいと願って戦うことが、蔑みだっていうのか! お前はずっと、あの子たちを弱者だと……虐げられた憐れな存在だから守ってやらなきゃならないと思って戦ってきたっていうのか! 侮蔑と憐憫を原動力にお前は女王にまでなって、戦場の最前線に飛び出していくっていうのか!
そんなこと……そんなこと、俺は認めない!」
そう、吐き出して、気付いた。
「そんな想いで戦ってきた奴が、そんな手をするか! 腹の底であの子供たちを化け物だと罵っているような奴が、そんなボロボロの手になるまで強くなろうとするか! いいや、なれるわけが無い! できるわけが無い!
この手は……ッ!
その手は! 誰かを守りたいと願って強くなろうとした者の手だ!」
同じだったから。
誰かを守りたいと願い、けれどそのために強くなるということ以外できなかった不器用な手。
自分と同じ手をして、そして自分を倒したパナヴィアの強さが、弱者への蔑みと憐れみを糧に成し得たものだなどと、認められなかった。
もしそれを認めてしまえば、自分もまたリースを弱き者と、我が身すら守れぬ弱者であると蔑んでいたからこそ、自分が強くあろうとした……などというのは誇大解釈かもしれない。
けれど、そんなふうに〝言えてしまう〟ことが許せなかった。
そしてその言葉を、何よりパナヴィアの口から聞かされるというのが、どうしようもなく我慢できなかった。
「聞けてよかったよ、尋ねて正解だった! そんな馬鹿な話は、絶対に認めない! いいかパナヴィア! お前はここにいる子供たちを守りたい! 自分と同じような悲しい目に遭う子供たちを無くしたい!
いいや違う! あの子たちは人間だ! どこからどう見たって、ただの人間だ! けれどそれを『人間じゃない』『異能だ、化物だ』って言う馬鹿な奴らがいる! そんな奴らの下らない侮蔑や嘲笑から、あの子たちを守っているだけだ! そのために戦っているだけだ! 分かったか!? 分かったらもう二度と、そんな馬鹿なことを言うな、考えるな! 絶対だ!」
もう、最後は叱るというより怒鳴る……いいや、怒鳴り散らす、絶叫に近いものだった。
それを示すように、アスラルは肩を大きく動かして荒い息を吐き、額にはうっすらと汗を滲み出させていた。
呼吸が落ち着くのに幾ばくかの時間を要した。
そのあいだ……僅か十数秒ほどではあったものの、ただシンと静まり返った中に自身の荒い呼吸の音だけが聞こえるというのは、ひどく居心地が悪かった。
けれど、だからと言って口を開けば、またパナヴィアへの……罵声に近い否定の言葉しか出てきそうになくて、アスラルはただその沈黙に耐えるしか……。
「ナヴィ姉ちゃんを、苛めるなぁーーーーーーーーーーーッッ!」
耐えるしかなかった……と思っていたところに、突如として甲高い声が聞こえた。
変声期前の少年特有の、キンと通るがどこか筋が入っているように感じる聞き覚えのある声は、あの建物のほうから……。
「ぶふっ!?」
した、と思ったときには、すでに顔に影が掛かった。
それが小さな子供が自分の背丈以上に高く飛び上がったことによって生じたものであるとアスラルの頭が理解するより早く、こめかみめがけて鋭い蹴りが叩き込まれていた。
完璧な不意打ちを、しかも急所のひとつに叩き込まれてよく意識が飛ばなかったと我ながら褒めてやりたいが、それでも立ったままでいることなどできるはずもない。
「こいつ! よくもナヴィ姉ちゃんを泣かせたな!」
「何がペットだ! 酷いヤツじゃないか!」
「ナヴィちゃんを苛めるヤツは、オレたちがゆるさねえぞ!」
倒れたアスラルの上に一番に飛び乗ってきたのは、犬の耳をした少年、ハリィだ。その手には、恐らくこれからの遊びに使う予定だったのだろう木剣が握られており、それでアスラルの頭をこれでもか、と打ち据えてくる。
他の子供たちも同じように、アスラルめがけて容赦の無い攻撃を次から次へと浴びせかけてくる。
やめてくれ、違うんだ、誤解だ……そう言って、一秒でも早くこの子たちの誤解を解かなければならない。
頭ではそう思っていた。
けれどアスラルの耳は、ハリィの叫んだ〝その言葉〟をしっかりと拾ってしまった。
そしてそれは、アスラルの瞳をただ一点に定めて動けなくしてしまう。
倒れた格好のままで。
斜めになったままの世界で、アスラルはその少女から目を離すことができなかった。
「お姉ちゃん、もう大丈夫だよ」「悪いペットは、みんなでちゃんとおしおきするからね」「だからもう泣かないで」「ちょっとくらい辛くても泣いちゃダメって、ナヴィお姉ちゃんがいつも言ってるじゃない」
攻撃に参加しなかった女の子たちがめいめいに慰めているパナヴィアの背中。
斜めになった視界のせいなのか、それとも体中に降り注ぐ誤解からの暴行のせいなのかは分からないが、その少女の背中は震えているように見えた。
3万もの大軍勢に囲まれても、その敵だらけ戦場を一人駆け抜けても、ぶれることも揺らぐことも無かった背中が、小さく、震えているように、見えたのだった。
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