第32話 騎士と少女の邂逅

「……ふう、やれやれ。本当に仕方のない子たちじゃ」

 子供たちが出てゆくのを見送り、パナヴィアは困ったようにも、安堵のようにも取れる溜息を零した。

「口のわりには、嬉しそうだな」

「たわけが。可愛い弟や妹の陣中見舞いを受けて、喜ばぬ姉がどこにいる」

「そりゃごもっともだ……それで、本当なのか?」

「何がじゃ?」

「兵糧だ。そんなに余裕があるものなのか? それに牛の丸焼きだって? 戦場のど真ん中で、何の冗談だ?」

「戦場のど真ん中? 何を言うておる、国境線とはいえここはれっきとしたルーセシアの領内じゃぞ? いくらドンパチの最中とはいえ、自国内での戦でそうそう補給が途絶えるものか。それに、肉は途中にある農地の者たちが気前よく譲ってくれたものじゃ。早々と食べてしまわぬと、逆に勿体無いであろう」

 それに、と加えてパナヴィアは不敵な笑みを浮かべてみせる。


「こうして豪勢に食って騒いでみせるのも、作戦の内よ」


 その言葉の意味が分からず眉間に皺を寄せるアスラルに、パナヴィアは得意げに笑ってみせて自らの戦略を語って聞かせた。


 国境の砦を敢えて取らせたのは、敵を油断させると同時に、軍を城の外と内の二箇所に分断する作戦であること。

 先んじて放った偵察からの報告により、10万もの大軍勢は、その大多数が奴隷や敗戦国の人間で構成されていることを知ったパナヴィアは、わざと砦を明け渡すことによってその差を誰の目にも明らかになるよう仕向けた。


 当然のように、砦の中にはメリカールに忠誠を誓う正規兵が、外には寄せ集めの兵隊が集うことになり、彼らの中で立場の差が明確化された。

 また、その中心となる正規兵のあいだにも、砦の中にいる者、外の寄せ集めを見張る者という差が生じ、そこにもまた不満の種が生まれる。


 同時にルーセシアの主力8千を敢えて5千と3千に分け、5千をパナヴィアの指揮する国境防衛にあてた。

 残った3千は用途に応じてさらに小分けにし、機動力を活かした遊撃隊としてメリカール領内へと侵入させ、敵の輸送部隊を襲わせる。

 さらには、奇襲によって輸送隊の戦力が削がれたという情報を各地の野盗や山賊団に流し、即席の共同戦線を張ってメリカールの補給線を細切れに刻んだ。

 これによってメリカール軍は兵糧攻めに遭い、ルーセシア軍は物資不足で困ることなど無くなるという寸法である。


「自国の領内で戦えるからこそ使える作戦じゃがの。敵を本国から遠く離れた地に釘付けにして干上がらせてしまえば、後はどうとでもなる。逃げるならよし、強引に突破を図るようなら出鼻を挫いて気勢を削いでしまえばよい」

「なら、豪勢に食事をしてみせるというのは?」

「もっと単純なことじゃよ。腹ペコの相手の前で美味そうに飯を食ってみろ、相手は食っている相手を憎むよりも、その食料を奪うことを考えるようになるであろう? 戦う目的を侵攻から略奪に挿げ替えてやっただけじゃ。

 その証拠にやつら、妾たちの陣に攻め込んできたとき、敵を討つより食料を奪うことに必死じゃったからの。パンを抱えて背中を晒して逃げるなんぞ、討ってくれと言うておるようなもんじゃ」


 さも当たり前といった風に語ってみせるパナヴィアに、アスラルはただ驚嘆するしかなかった。

「普通なら、砦は守るもの。取ったら何としても死守して、そこを拠点に戦うもの……そう考えるよな」

「間違ってはおらぬよ、むしろそれが常道じゃろう。じゃが、いつも正解とは限らぬ。砦もあくまで戦いのための道具に過ぎず、それを状況に応じて如何に使うかというだけの話じゃ。剣も斬るばかりではない、時には突き、時には盾の代わりとして攻撃を打ち払うためにも使うであろう。それと変わらぬ」

「……恐れ入るよ」

 口で言うのは簡単だが、それを実戦で応用してみせるパナヴィアの手腕は大したものだった。


 ……そう、大したものだ。

 だからこそ、アスラルは確信した。

 兵力差など関係無い。この戦、パナヴィアが……ルーセシアが勝つ。

 メリカールが負けるというわけではない。

 ただ、この魔女が率いるルーセシアに勝つことは、どうやってもできないだろう。


 ――まともに、やれば。


「それで? そちはいつまでここにおるつもりじゃ? 改めて言うがここは軍の野営地じゃ、民間人がノコノコ観光に来てよい場所ではないぞ。子供たちの護衛役として来たというのならば、明日あの子たちをまた街まで送ってやってくれ。ついでに負傷兵の護送も引き受けてもらえれば、一石二鳥なんじゃがの」

「……それだけじゃないさ。本音を言うと、護衛役は建前だ」

「ほう、と言うと?」

 値踏みするようなパナヴィアの言葉にアスラルは僅かに逡巡し、それからゆっくりと口を開いた。


「志願兵として戦列に加えてくれ。俺は、この戦いを終わらせたいんだ」


 アスラルの言葉に答えたのは、幾ばくかの沈黙であった。

「……随分と大きく出たのう。たかだか民兵一人が戦線に加わった程度で、この戦いが終わるとでも?」

「終わる。いや、終わらせるんだ。確かにお前の言うとおり、俺一人じゃあどうしようもない。けど、お前ならできるだろう? この戦いを終わらせることができるだろう?」

「無論」

「なら、それに俺を使って欲しい。俺を使って、この戦いに終止符を打ってくれないか」

「何の冗談じゃ? 今のままでも、この戦いは妾たちが勝って終わる。そこにわざわざそちを加える必要は無かろう?」

「だが、被害は減らせるだろう? 俺が戦えばその分、他の兵たちが戦うことが減る。死ぬ者も、傷付く者も減る。そうすれば、彼らを待っている家族の悲しみも少しでも減らせるはずだ」

「それこそ冗談じゃの。民兵一人の犠牲で、正規兵百人分の被害が減ると?」


「減る。いや、減らせるさ、俺なら」


 きっぱりとそう言い切るアスラルの言葉に、さしものパナヴィアも僅かに目を見開いた。

「……そこまでして戦いに身を投じる理由は何じゃ? 復讐か? それともやはり、祖国への忠義じゃと言うつもりか?」

「どちらもだ。復讐のために生きてきたつもりは無かったが、どうもそうはいかないらしい。祖国を滅ぼされた憎しみを忘れられるほど、俺は聖人じゃないみたいだ」

 けど、と続けて、アスラルは真っ直ぐにパナヴィアを見つめる。

「それだけじゃない。いや、もうそれはあくまで要素のひとつだ」

「要素、とな?」


「ああ。守りたいものがある。そのために戦う」

「……具体的に、訊いてもよいか」

「ひとつは、あの子供たち。あの子たちが安心して暮らせる国を守りたい。この戦に負けたらあの子たちは俺と同じ……いいや、もしかしたらもっと酷い扱いを受ける奴隷にされるかもしれない。そんなことは、絶対にさせない。だから、戦う」

「ひとつ……ということは、他は?」

「もうひとつは……約束だ」

「約束?」


「忠誠……と言いたいところだが、お前に言われて考えたよ。そのとおり、俺は守るべき国と民を失った、ただの敗残兵だ」

「……済まぬ。あのときは、その……なんじゃ、少し言いすぎたやもしれん」

「謝るな。おかげで、俺も冷静になれた。けど、だからといって俺はまだ祖国への想いを失ったわけじゃない。だからこれは、俺の約束だ。メリカールと戦うのは、祖国のために生きると誓った俺自身の約束を守るためだ」


 そう告げるアスラルの言葉に、迷いは微塵も無かった。

 だからだろうか。

 言い方を変えただけで、結局はルーセシアに仕える気はない。

 そう言っているというのに、なぜだか不思議とパナヴィアはその理屈をすんなりと受け入れた。


「……まったく、そちには驚かされるな。妾に説教くれたと思ったら、次は遊説家のごとく主君の心構えを説きおる。そして暫く会わん内に、今度は一人前の騎士の顔をするようになりおってからに」

「それは元から一人前だ」

「たわけが、忠義の意味も知らぬ阿呆じゃったクセによく言う」

 きしし、と悪戯っぽく笑うパナヴィアに、アスラルもつられて笑う。


「それと……」

「ん? まだ何かあるのか?」

「あ……いや、いい」

「なんじゃ、歯切れの悪い。言いかけてやめるなど、気持ち悪いではないか」

「個人的な事情だ。忘れてくれ」

 しまったなぁ、という風に顔を背けるアスラルに、パナヴィアの中にある無邪気な嗜虐心がやおら首をもたげる。

「阿呆が、それならばそちの約束とやらも個人的な事情であろう。それは言えて、これは言えぬという道理はあるまい?」

「別に、いいだろう。そのふたつだけでも、戦う理由としては十分なはずだ」

「いいや、足りぬな。というか、隠し事をしたまま妾の軍に加われると思うその根性がいかん。妾は女王であり、この軍の総大将じゃぞ? 正規兵ならいざしらず、隠し事をする民兵を戦線に加えるというのはなあ?」

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、わざと下から覗き込むような仕草でパナヴィアはアスラルへと歩み寄る。


「んん、どうした? 言わぬというならそれでもよいぞ? そちにはあの子たちの保護者役という、重要な使命もあることじゃからな。なにせ〝女王陛下のお身内〟を護衛するのじゃ、前線に民兵ひとり増やすくらいなら、こっちを守ってもらったほうがよほど妾も安心して戦えるというものじゃて」

「……ズルいぞ、子供たちを引き合いに出すなんて」

「ズルいとは心外じゃな、妾はそちの言葉をそのまま使うておるだけじゃぞ?」

 ぐ……と言葉につまったアスラルを、パナヴィアは面白そうに眺める。さてさて、次はどんな格好良い文句が出てくるのやら、と……。

「……え、だ」

「んん、なんじゃ? よう聞こえぬな?」



「……お前だ」



 それは、ほんの一瞬。

 時間にすれば、僅か一秒も無かっただろう、一瞬のこと。

 けれど確かに、その一瞬。

 冗談めかして耳をそばだてるような仕草のまま、パナヴィアの体は凍りついたように動くのを止めてしまった。


「……………………済まぬ、よう聞こえんかった。もう一度言うてくれぬか?」

「嘘だ、今のは絶対聞こえたはずだ」

「いんや、聞こえんかった! まったくもって、これっっっっっっぽっちも! 聞こえんかったな! というわけで、もう一度、ハッキリと、妾の目を見て言うてくれんかの?」

「そういう反応をするってことは聞こえたんだろう!? からかうのもいい加減に……」


「からかってなどおらぬ!」


 思わず出てしまった大声に、パナヴィアは自分自身が一番びっくりしたというふうに口を抑える。

 が、それも今さらかと開き直ると、少しバツが悪そうに視線を逸らした。

「……そちも見たであろうが。女王を務めてはおっても、妾とて可愛い弟や妹に陣中見舞いを受けたら喜ばずにはいられん小娘じゃ。子供が許可も無くこんなところに来たのならば、身内として先ず一番に叱らねばならぬ立場であるはずじゃ……と頭では分かっておっても、腹の底では嬉しゅうてかなわんのじゃ」

「それは、分かるつもりだ。多分、俺もお前の立場だったら、きっと同じように感じるだろうと思うから」

「で、あろう? じゃから、それと同じじゃ」

「同じ?」

 どこか要領を得ないパナヴィアの言葉に、アスラルはそう聞き返す。


「……頭で分かることと、腹の底に落とし込むことは別じゃと言うておるんじゃ、阿呆」


 僅かばかりの沈黙のあとに俯きながら呟いたパナヴィアの姿は、なるほど彼女の言うように、歳相応の少女のようであった。

「……すまない。その、何と言うか……」

「謝罪は無用じゃ。妾は、そのような台詞が聞きたいわけではない」

 少し頬を膨らませてそう言うパナヴィアにアスラルは小さく苦笑を浮かべる。

 そして、ふぅ……と。

 自分の中にある見栄や恥じらいや、その他諸々の感情を吐き出し、アスラルはパナヴィアの足元へと……。



 本来ならこんな場所にいるべきではない、子供たちと一緒にあの穏やかな孤児院で戦が終わるのを待っているであろうはずの少女。

 けれど少女は、女王である道を選んだ。


「俺が……いいえ、私がこの戦場に立つのは、貴女をお守りするためです。貴女と、貴女の愛する国と、そこに住む民を守るため、この私に剣を振るう機会をお与えください」


 王家に生まれたわけでもない。

 この国で生まれたわけでもない。

 ただ、自身の愛する者たちのため戦場に立つ道を選んだ、気高い少女の足元に、恭しくひざまずいた。

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