第33話 騎士道

 突然のアスラルの行動に、パナヴィアは暫し呆然としていたが、やがてハッと我に返ると、やおらあたふたとしだす。

「い、いや、そのような仰々しいモノではなくてじゃな……っ!? と、というか、よいのか? そちは、その……忠義を誓う、主君がおるのであろう? なのに、妾に……」

「もちろん、ございます。私の忠誠は今も祖国と、我が主君のためにあります。たとえこの身を千の刃に貫かれようとも、この想いは変わりません」

「……で、あろうな。しかし、であるならば、それは何じゃ? ひょっとして、妾をからかっておるのか……?」

「とんでもございません。今の私は騎士として貴女の前におります。婦女子をからかうなど、騎士道に反すること。……ですが」

 そう言ってアスラルは顔を上げ、困惑した様子のパナヴィアを見上げる。

 そして、できるだけ優しいものになるよう心がけながら、ゆっくりと頬を緩めた。


「騎士には、このような美徳もございます。誓いを立てた主君とは別に、高貴な立場にある婦人のために剣を振るうことも、また騎士の道……と」


「な、なんと……ほう、そのような……」

「私が騎士として誓った忠誠はどのようなことがあっても揺るぎません。ですので、ルーセシアに仕えるつもりもありませんし、ルーセシア女王の騎士になる気もございません。

 けれど、パナヴィアという一人の女性を守るためなら、喜んで剣を振るいましょう」

 と、そこで言葉を切ってアスラルはニヤリと。

 まるで普段のパナヴィアを真似たかのような笑みを浮かべてみせた。


「本来は戦う力の無い、か弱い貴婦人のために振るうものなんだけどな」


「な……っ!? ふ、ふん、強うて悪かったな!」

 今度はハッキリと分かるほどにブスッと頬を膨らませて、パナヴィアはそっぽを向いてしまった。

「……なんじゃ、今さらそんな……。であるなら最初から、そう言うてくれれば……」

「ん? 何だ?」

「なっ、なんでもないわ、阿呆! それよりほれ、仕切り直しじゃ! もう一度最初からやってたもれ」

「最初から?」

「そちが跪いて、キザな台詞を言うてくれるところからじゃ」

「…………省略していいか?」

「う、嘘、嘘。冗談じゃ。じゃが、こういうのは形が大事じゃろう? ささ、ほら立たぬか。さあ、最初から、丁寧にじゃぞ?」


 どこかウキウキしている様子のパナヴィアに、アスラルは多分に苦いものの混じった笑みを浮かべてしまう。

 けれど、元々自分で吐いた唾なわけだし、ルーセシアのために戦おうという意志に嘘は無いので、アスラルは再びパナヴィアの足元に跪いてみせた。


「貴女と、貴女の愛する国と民を守るため、今一度私に剣を振るう機会をお与えください」

「……うむ、よかろう。そちの想い、しかと受け取った。よくぞ決心してくれたと、嬉しく思うぞ」

 アスラルの言葉に、パナヴィアは緩みそうになる頬を引き締めながらそう応えた。そして、そっと手をアスラルへ。

 今もきっと悩みの渦中にあるのだろう、それでもルーセシアのために戦うと言ってくれたことへの褒美と感謝の意味合いを込めて、アスラルの頭を撫でようと手を差し伸べた。


 ……ところで。



「勿体無いお言葉です」


 アスラルはパナヴィアの返答に顔を上げると、目の前に差し出された手を自然に取った。



 そして。


 ちゅ……と。


 パナヴィアに言われたとおり、丁寧に。

 騎士の作法に則って、その手に小さく口付けをしたのだった。



 あまりに突然の出来事に、野葡萄色の双眸が驚きに見開かれる。

「な……っ!? なっ、ななななっ!? い、いきなりなにをするか、無礼者っ!?」

 パッと奪うようにパナヴィアは自分の手を引っ込め、それを胸にかき抱く。

「何って……誓いの口付け、だが?」

「へっ? ち、誓い……の?」

「あ、ああ。その、お前が言ったんだぞ? 最初から、丁寧にしろって。だから、きちんと丁寧に最後までしたんだが……まずかったのか?」

「ばっ、ばばっ、馬鹿者! そういうことは、ちゃんと最初に言わぬか!」


 怒りか、それとも別の理由なのか、顔を真っ赤にして怒鳴るパナヴィアだったが、やがてシュン……と俯くようにアスラルから視線を逸らした。

「そ、そちは、さっきからズルいぞ。このような不意討ちを二度も……騎士の風上にも置けぬ行いではないか」

「……すまん、気に障ったのなら謝る。けど、言い訳するわけじゃないが、これはいわゆる儀式のようなものだからな……」

「い、いや! いやいやいや、違う、違うぞ! 気に障ったわけではない! ない……のじゃが……」


 視線をさ迷わせ、うろたえるようにそう言うパナヴィアは、やがて気を取り直したとばかりに大袈裟に咳払いをしてみせる。

 そして軽くフンと鼻を鳴らして、ちょいちょいと地面を指差した。


「も、もう一度じゃ。妾もきちんと心構えをするゆえ、もう一度最初からするがよい」

 そう言うパナヴィアの頬は、まるで上質な紅でも引いたかのような淡い桃色に染まっていた。

 肌の色白さゆえにそう感じるだけなのだろうが、そんなものを見てしまっては、どうしても気恥ずかしさが先に立ってしまう。

「だ、駄目だ。もう最後まで済ませてしまったからな、これでおしまいだ」

「なっ、なんじゃとっ?」

「私的なものとはいえ、これも騎士の誓いだからな。何度もすると、誓いに重みが無くなるだろう? 一度の誓いに、儀式は一度だけ。次の誓いをするならば日を改めて、また別の内容で……っていうのが決まりだ」

 勿論、そんな決まりなど無い、その場凌ぎの取って付けた言い逃れだ。

「むぅ……そ、そうか。そうであるならば、仕方ないな。また別の機会にしよう、うむ」

 けれど、そんな事情など知らないのだろうパナヴィアは、渋々……というより、若干安堵の混じったような落胆の声を零した。

「それじゃあ、こ、これでいいだろう? これが俺の戦う理由だ。納得してくれたか?」

「え? あ、ああ、そう、そうじゃな。う、うむ、よかろう。望みどおり、そちを志願兵として我が軍の戦列に加えることを約束しよう。詳しい沙汰は追って伝えるゆえ、今宵はもうゆるりと休むがよい。ここまで子供たちを連れてきたのじゃ、そちも疲れておろう」

「そう……だな。じゃあ、遠慮なくそうさせてもらおう」

「う、うむ、そうするがよいぞ」

 どことなくぎこちない会話を終え、アスラルは心中でホッと胸を撫で下ろしながら踵を返し、パナヴィアの天幕を出ようとした。


「クロス」


 そんなアスラルの背に、不意に声がかかる。


「その……なんじゃ。このことは、2人だけの、秘密じゃぞ?」

「え?」


 2人だけの秘密。

 その言葉に一瞬、ドキリと心臓が高鳴った。


「ほ、ほれ。今の妾は、仮にもルーセシア軍を指揮する総大将じゃ。その妾が、自分を小娘じゃ、などと……弱音というにも、些か不謹慎であろう?」

「あ、ああ……そっちか。安心しろ、誰にも言うつもりも無い。それに、これは俺の勝手な想像だが、きっとみんな分かってるだろうさ」

「分かって、おるじゃと?」


「ああ。お前は女王であると同時に、子供たちにとってはナヴィお姉ちゃんで、そのナヴィお姉ちゃんが……普通の女の子が女王を務めているんだってことくらい、みんな分かっているさ。ここにいる奴らはきっと、それを分かった上で、それでもお前と共に戦おうって思っているんだ。……俺も含めて」

「むぅ……それは、喜んでいいのか、複雑じゃな」

「誇らしいことだと思うけどな。女王に従ってるんじゃない、お前に従ってるんだから。いや、従うというより、肩を並べてるって感じか? 子供たちを大事に思う〝ナヴィお姉ちゃん〟と一緒に戦えることは誇らしいって、きっとみんなそう思っているだろうさ」

「そう……か。うむ、そうか。そう考えれば、少しは誇らしい気分かのう」

 少し戸惑ったような、それでも明るい笑みを浮かべるパナヴィアに、アスラルもつられて微笑んだ。


「じゃあ、俺はこれで。お言葉に甘えて、休ませてもらうよ」

「うむ、そうするがよい。頼りにさせてもらうぞ、クロス」

「……ああ」

 短くそう答えて、アスラルはパナヴィアの天幕を後にした。

 そして、ふぅ……と。


「これで、いいんだ……これで……」


 恐らくはまだそこかしこで兵たちが飲み食いしているのだろう、遠くから聞こえる野太い声の中に紛れ込ませるように、アスラルはそう呟いた。

 誰が聞いているともしれないのだから、声に出すべきではないと分かっている。

 けれどそうでもしないと、腹の中にのたくっている激しい後悔と迷いを吐き出すことなど、できそうもなかった。


 カリウスから下された、望まぬ命令を果たすための準備は、これで全部終わった。

 いいや、本当のところ、まだ完全ではない。

 それどころか多分に穴の開いた、子供たちの立てた食糧の極秘輸送作戦よりも不確かな、博打に近い準備でしかない。

 けれど、それでよかった。

(俺は、騎士だ。密偵でも、暗殺者でもない。騎士にできることはすべてやった。あとは騎士として、神の采配に委ねるだけだ)

 そう自身に言い聞かせて、アスラルは僅かに振り返り天幕を……その向こうにいるだろうパナヴィアを見つめる。


 ――パナヴィアという一人の女性を守るためなら、喜んで剣を……。


 一体、どの口がそんな偉そうなことを言ったのだろう。

 その誓いを捧げた少女を、舌の根も乾かぬ内に裏切ることになるというのに。


(許してくれ、なんて言わない。信じてくれ、と願うのも勝手が過ぎるか)


 自嘲と、後悔と。

(けど、騎士の誇りにかけて誓おう。俺は……)

 そして懺悔と、僅かばかりの感謝。


(エストリアの騎士として、ルーセシアのために戦う。それは、絶対だ)


 様々な感情が綯い交ぜになった心を抱えながら、アスラルは踵を返した。


『頼りにさせてもらうぞ、クロス』


 パナヴィアは、そう呼んだ。

 クロス、と。

 クロス=クレイモア、と。


 本当の名前ではない。

 それどころか、メリカールの剣闘奴隷として扱うために与えられた、忌まわしいはずの名前。

 そのはずなのに、なぜか今はその名が余りにもしっくり来るように思えてならなかった。


 ――片方に誓いの剣を持ち、もう片方に裏切りの剣を隠し持つ……


 幼い頃に言われ続けた、半ば定型句化した苦言が、これほど重く感じられる瞬間が来ようとは思ってもみなかった。

 ……けれど。

(本来ならエストリアが落ちたときに失っていた命だ、今さら惜しむものでもない)

 夜空を見上げ、アスラルは決意を固める。

 そして懐から、あの密偵から手渡された小瓶を取り出し、握りしめた。

 その小瓶を。

 一度もその栓を開けることのなかったそれを、誰にも見えぬよう静かに足元へと落とすと。


(この命を以って、リース様への忠誠と、パナヴィアへの誓い。どちらも貫き通してみせる。それが、騎士であることの誇りだ)


 力のかぎり、踏みつけたのだった。



 先の見えぬ未来を表すかのように、見上げた夜空はどこまでも黒く、果てしなく広がっていた。

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