第41話 双剛刃の最期
半ば呆然と、アスラルはその光景を見ていた。
目の前で起きたその光景が、果たして本当に現実のものなのか、理解できなかった。
そして、それを目の当たりにした時の、自分の心が。
理解できなかった。
ずっと会いたいと思っていた人が。
今日まで守り続けてきた誓いと共に、もう一度また共に生きることができたらと願っていたその人が。
――目の前で、散った。
そのはずなのに。
敬愛してきたその人が。
忠誠を捧げた主君が斬られたというのに、アスラルの心には嘆きも、怒りも、何ひとつ湧いてはこなかった。
あるのはただ、虚ろ。
何も考えることができない。
何も感じることができない。空虚。
そんな中にぽつん、と。
遮るものの無い荒野にひとり佇んでいるかのようにあったそれは、感動だった。
いや、恐らくそれは正確な表現ではない。
本当に美しいものを見たとき、人の〝『感』情は『動』いたりしない〟。
ただただ静かに、その手の届かぬ何かに対して、膝を折り、頭を垂れるのみ。
そう。アスラルは、リースが散ったその光景を、美しいと感じてしまったのだ。そんな想いを一体なんと呼べばいいのか、アスラルには分からなかった。
不敬だろうか。
主君が斬られたというのに、頭に血の一滴も上らない自分は、不忠者なのだろうか。
今まで散々忠義だ忠誠だと言っていたこの口は、嘘と欺瞞に満ちた不義のものだったのだろうか。
……いいや、違う。きっと、これは……。
「クロス!」
パシン、と弾かれたような声がアスラルを思考の海から引き上げる。
いや、ような、ではない。本当に弾かれていた。
パナヴィアの小さな手が、アスラルの左頬をしたたかに打ち据えていたのだ。
「何を呆けておるか! ようやっと直々に君命が下りたというのに、なんじゃその腑抜けた顔は!? シャンとせい!」
見上げたそこには、見慣れた顔があった。
幼子のように見えるくりくりとした野葡萄色の瞳と、薄紅色の頬。
けれどそれがキリリと引き締まるとき、一国を治める女王の顔になる。
――ああ、そうだ。
「……済まない。少し、ボンヤリしていた」
「はぁ!? この阿呆が! 呆けるのはすべて終わってからにせい、今は戦いの途中じゃぞ! そら、立たぬか!」
手は、差し出されない。ただ立てと命じられるのみ。
けれど、それが心地よかった。
――あの人も、守らなければいけないだけの『力無き者』ではなかった。
――泥を啜ってでも。悪魔に魂を売ってでも、また会いたいと願ったその人は。
――自分が、心から敬愛する、その人は。
「行くぞ! 妾に続け!」
――自身の剣を捧げた、その人も、また。
――強く、気高い、女王なのだと、分かったから。
「ああ!」
そう応えて、アスラルは剣を握り締めた。
今の今まで散々パナヴィアと打ち合っていたというのに、疲れはまったく無かった。
立ち上がる足に力が戻る。
君命を果たせとばかりに、アスラルの中にある騎士の心が、全身に力を漲らせる。
大地を蹴る。
迷いなど無い。
躊躇いも無い。
その想いは、遠く離れた砦への距離も、無きに等しいものに変える。
城壁から降り注ぐ矢の雨が驚くほど
どこを行けばいいのか。どれを打ち払えばいいのかが、手に取るように分かる。
駆ける。
跳ぶ。
そして、斬る!
人と武器が入り乱れる戦場だというのに、さながら無人の野を行くかのようだった。
気がつくと、いつの間にかパナヴィアを追い越していた。
いけない、彼女を守らなければ。
そう思い足を止めそうになった、そのとき。
「
どん、と背中を押されたかのようだった。
止まりそうになった足が、再び大地を蹴る。まるで足の下から地面が跳ね上がるかのような錯覚は、アスラルにとって錯覚ではなかった。
ぐんぐんと砦が近づいてくる。
ルーセシア側……すなわち自国領に向いた城門は、正門と比べて幾分か小さいが、それでも堅牢と呼ぶには十分だ。
巨漢のオーガ兵が束になって、自分の体の何倍もの大きさの丸太を抱えて幾度と無く突進を繰り返していることからも容易に分かる。
しかし、アスラルには〝見えた〟。
堅牢な城門も、無敵ではない。
度重なる攻撃を受けて、いくつもの綻びが生じている。
そこめがけて剣を繰り出せば、斬れる。
いいや、打ち砕ける。
ルーセシア兵を斬らないようにと、石で散々刃を潰しきった
重量と質量と、突進の勢い。
そこにアスラルの腕の振りを合わせて打ち込むそれは。
剣の形をした、
オーガ兵たちの抱える丸太の上を駆け抜け、城門めがけて低く跳躍した。
そして、全身のバネを目いっぱいに利かせた一撃を、
綻びめがけて、叩き込む!!
強烈な衝撃がアスラルの腕に走った。
しかしその衝撃のとおり、繰り出した重剣の一撃は、その綻びのひとつに見事に食い込んだ。
さらに、刺さった剣をへし折らんばかりの勢いで、間髪いれずにふた振り目を振り下す。
いいや、へし折らんばかり、ではない。
「砕けろ、
メリカールに与えられた、その名。
アスラルの誇りと、誓いとを捧げた、騎士の
蔑み、
あらん限りの力で、叩き斬った。
瞬間、砕けた一太刀目の剣とは別に、城門の向こうで〝何かが折れた〟のが分かった。
アスラルが飛び退いたのと、丸太を抱えたオーガ兵たちが突撃したのが、ほぼ同時だった。
楔のように突き刺さった重剣と、それを押し込む大槌の一撃。
修復の隙も与えぬ連続攻撃に、堅牢を誇った城門はとうとう打ち破られたのだ。
開いた城門から、雪崩をうってメリカール兵が出てくる。
門が破られたとあれば、あとは自らの体を盾にして侵攻を食い止めるのみ。
たちまち城門前は敵味方揉みくちゃの乱戦となった。
そんな中、アスラルはただ一点を目指し、駆け抜けた。
城門に食い込んだままへし折れた重剣を捨て、無手のまま走った。
敵味方が入り乱れるこの状況では、重剣は却って味方を危険に晒してしまう。
それに武器なら、目の前に山ほどあるではないか。
敵兵の繰り出した剣を受け流し、それを奪って斬る。打ち込まれる槍の穂先を切り落とし、それをもう片方の手に持って突き刺す。
襲い掛かってくる敵の武器がすべてアスラルの武器へと変わってゆくその光景は、さながら自分を殺してくれと武器を差し出しているようだった。
メリカール兵のみならず、味方であるはずのルーセシアの者たちでさえ恐れ
それもそのはずで、アスラルの辿り着いたそこは武器庫であった。
砦の奥まった場所にあるそんなところに、それも城門が破られたというこの一大事に、わざわざ足を運ぶ者など、いようはずも無い場所であったからだ。
……ただ一人の人物を除いて。
「カリウス!」
そう。アスラルがそう呼んだ、その男は。
武器の影に隠れるようにして造られた、緊急用の脱出路であろう扉にまさに今、手をかけようとしている、その男こそ。
祖国エストリアの。騎士アスラルの。
主君リスティーナ=エスリーゼの怨敵、カリウスその者であった。
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