第10話 軍議

 屋敷の応接間に、ルーセシアの重鎮八名が出揃ったのは、夜が明けてから暫く経ってからのことだった。

 一本のオークから彫りだした大きなテーブルの左右に四名ずつ腰掛け、ある者はメリカールの襲撃に苛立ちを隠せぬ様子で、ある者は突然の襲撃に叩き起こされたせいだろう眠そうな目を擦りつつ、それぞれパナヴィアを窺っていた。

「……さて、朝っぱらから呼び出して悪いとは思うが、事態が事態なのでな。さっそくじゃが、軍議を始めるぞ」

 対するパナヴィアはその八名全員を見渡せる位置に置かれた、足の長い椅子に腰掛けている。

 普通の椅子だと、パナヴィアの座高では応接間全域を見渡せないから……と考えるのは不敬だろうか。


「その前に陛下、ひとつよろしいですか」

「何じゃ。軍議よりも重要なことか?」

「ある意味では。陛下、軍議の際には、ペットを連れ込まないようお願い申し上げます」


 顎に白い髭を蓄えた、恐らく八名の中で一番の年長と思われる老人が口を開く。

 その言葉に、パナヴィアのすぐ隣にいたアスラルも「もっともだな」と頷きそうになる。


 これから軍議があるから妾の傍に控えておれ、と言われて付いて来てはいたが、まさか応接間の中にまで入らされることになるとは思ってもみなかった。

 しかも、お付のルミエールを差し置いて、だ。

 入室してきた重鎮たちが、全員アスラルを怪訝そうに一瞥しながら着席したのをよく覚えている。

「気にするな。これは妾の護衛役じゃ」

「護衛役ならば、近衛の者をお使いください。それに、ここは陛下の屋敷、そして今は軍議ですぞ。何ゆえ護衛を必要となさるのか」

「何ゆえ? お主、一国を治める女王が自分の身の安全を確保するのがそんなにおかしいかえ?」

「そうは申しておりません、よき心がけかと存じます。ですがならば尚のこと、正規の近衛か、あるいは側近のルミエール殿を用いるべきかと」

「ルミエールは有能な側仕えじゃが、護衛役としては些か不安が残る。それに、あやつには先ほど妾の戦支度と、兵舎への伝令を申し付けたところじゃ。今ごろ近衛たちは大わらわであろう」

 それに、と付け加えて、パナヴィアはゆっくりと重鎮たちを見回す。

「妾の近衛たちは皆、優秀じゃからの。妾の意志を、妾以上によう体現してくれておる。実を言うとな……」

 そして、ニマリと。


「妾もこのような軍議なぞほっぽり出して、今すぐにでもメリカールの敵兵を八つ裂きにしに行きたいくらいじゃ。じゃが女王がそれでは他の者に示しがつくまい。あやつらは妾がいつでも戦場に飛び出しても付いて来られるよう準備しておるのじゃ、まっこと頼りになる者たちよの」


 試すような……ともすれば見下しているかのような笑みを浮かべるパナヴィアに、重鎮たちの喉からゴクリという音が聞こえた気がした。

「とはいえ、お主たちの気遣いも感謝しておる。そこで折衷案として、妾が手ずから調教を施した犬を置いておこうと、まあこういうわけじゃよ。仮に万が一のことがあったとして、犬ならば気兼ねなく盾に使うこともできよう。さて、話は終わりか? ならばさっそく軍議を始めたいのじゃが、構わぬであろう?」

「……畏まりました。女王陛下の、お心のままに」

「うむ、理解してくれて嬉しく思うぞ」

 満足げに頷くパナヴィアを見ながら、アスラルは見事なものだと感心した。

 自身の要望をゴリ押ししつつ、相手を立てることも忘れない。それでいてこれ以上食い下がれば、眼前に迫る敵より女王の足元に侍る犬一匹が重要だと言うようなものだ。

 それにしても、一体なぜパナヴィアはこうまで自分を傍に置くことに固執するのか……。


「では皆のもの、軍議を始める」


 アスラルの疑問は、一転してピンと張りのある声にかき消された。

「お主らも知っておると思うが、昨夜未明にメリカールが再度国境線を侵略しているとの報告が入った。先ほど届いた知らせによると敵の数は3万。前回より1万多く、しかも正規兵でのみ編成されていると聞く。すなわち、今回こそが本戦と言ってもよいであろう。

 国境砦の兵たちはよく守ってくれておるようじゃが、先の一戦から時間も経っておらぬゆえ、物資の補充もまだ満足に整ってはおらぬ。

 知ってのとおりルーセシアは小国。砦を突破されれば、あとはこの町を取り囲む山々まで敵を阻むものが無く、その途上には田畑や牧草地が広がっておる。

 そこを戦場にするわけにはゆかぬが、国境を破られれば妾たちはこの……」

 樫の大テーブルにパナヴィアは勢いよく地図を広げる。

 ルーセシアを中心に描かれた地域地図だが、その分だけ情報が事細かに記載されている。

 パナヴィアの言葉のとおり、ルーセシアの城下町は北方を中心に、三方を小高い山に、残る一方を海に囲まれた天然の要塞となっていた。

 確かに守るに易い地形だが、その分だけ田畑に割ける面積は少なく、山を越えた北方の平原地帯を拓いていくほかない。

「北のモルカウ山に陣を敷き戦うことになる。そうなれば、ここいら一帯の田畑は好きに蹂躙され、民草はもちろん、収穫にも大きな被害が出るであろう。それは避けねばなるまい。

 ゆえに、水際で何としても押し返さねばならぬ……ここまでは、皆に反対意見は無いな? あえて懐深くまで誘い込むが良策、という者がいれば今のうちに言っておけ。妾が全力をもってその論、叩き潰しにかかるゆえな」

 意地悪そうに言うパナヴィアの言葉に、反対意見など出ようはずもない。

「よって国境線に援軍を送り、砦の兵と協力して敵を退けるべきと妾は考える。皆の意見は、如何に?」

 これも反対意見は出るはずも無かった。守らねばならぬところへ兵力を投入するのに、何の疑問もあるはずがない。

 城下ががら空きになる、という懸念も無くはないが、国境を破られたら城下が危険に晒されるのはもちろん、田畑に被害が出ることは先ほどパナヴィアが説明したとおりだ。反対する理由は無い。

「皆も同じ意見で嬉しく思うぞ。では援軍じゃが、先発隊として妾の近衛を含めた5百をまず送ろうと思う。その間、お主たちは兵を整え半数を援軍に、残りを万が一に備えて農地の防衛に配備せよ。逃げ出した敗残兵が略奪を働かぬとも限らぬからの」


「ちょっと待て。それは、お前が前線に出るってことか?」


 瞬間、重鎮たちの目が一斉に一点を射抜くように凝視した。

「……そうじゃが? 何か問題があるかえ?」

「あるかえ……って、あるから訊いてるんだ。国境線に王自らが出向くってだけでもどうかと思うのに、そこで踏み止まるつもりか」

「控えよ! 犬風情が軍議に口を出すとは何事か!」

 テーブルの一角から圧し付けるような声が飛ぶ。しかしアスラルはその声に切り殺すような視線をもってのみ応えると、再びパナヴィアへと向き直る。

「信頼できる部下に指揮を任せるべきだろう。どうしてもお前が、っていうならそれこそ、その半数の援軍とやらを伴って行けばいい。違うか?」

「……妾はそちに発言を許したつもりは無いのじゃがの」

「許された覚えも無いな。だがこのまま黙っているわけにもいかないだろう。前の戦のときも思ったが、女王が最前線まで出てきて、しかも敵の一兵卒と一騎打ちか? 自分の命を何だと思ってるんだ」

「心配してくれておるのかえ? それは意外じゃな」


「心配するに決まっているだろう! お前が死んだら、俺も生きていけない!」


 怒鳴りつけるようなアスラルの台詞に、パナヴィアは一瞬きょとんとした様子で目を丸くする。そしてニマリと哂うと、

「公衆の面前でよくもまあ、熱烈な告白じゃのう。気恥ずかしさなど、久方ぶりに味おうたわ」

 僅かに頬を染めながら、それでも「してやったり」といった意地の悪そうな笑みを浮かべる。その笑みに、アスラルはやっと自らの発言がどのように解釈されたのかを理解した。

「皆も聞いてのとおり、拾ってきてからこのかた、こやつは妾にゾッコンでの。全て妾の身を案じての無礼ゆえ、許してやってはくれぬか」

 パナヴィアの台詞に、ところどころから失笑が零れる。それが聞こえてくるたびに、アスラルは顔の内側に熱湯でも流し込まれたかのような熱さを感じてしまうのだった。

「じゃが、方策は変えぬ。妾が先発隊を指揮し国境線を守りきるゆえ、お主たちも急ぎ兵をまとめ、援軍を寄越してくれ。意見質問が無ければ、これで解散とする。今は一刻が惜しいときゆえな」

 ふっ、と微笑むように告げるパナヴィアに、重鎮たちのあいだから張り詰めたような空気が和らぐ。その瞬間を狙い澄まして、パナヴィアはもう一度全員をぐるりと見回し、


「皆の忠誠、嬉しく思うぞ。では解散!」


 有無を言わさぬ雰囲気で、軍議を締め括ったのだった。

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