第20話 魔女の休日3

 どのくらい走ったろうか。

 ほんの僅かに速度を出した程度での小走りであったため、特に息切れはしていないが、それでも全身にほんのりと汗がにじむほどの時間を走り、辿り着いたのが。

「到着じゃ!」

「……どこだ、ここ」

 町の中心からかなり外れたところに建つ、大きな家の前であった。

 もっとも、大きいと言ってもそれは普通の一軒家と比べれば大きいというだけであって、生垣で囲まれただだっ広いだけの庭と、石造りの縦長の平屋が一軒建つばかりであった。

「ふむ……ちと早かったかの」

 そう言いながらもパナヴィアの足は止まることなく、そのまま生垣を抜けて広々とした庭の中へと入ってゆく。

「勝手に入っていいのか?」

「構わん構わん、妾はこの国の女王じゃぞ?」

「……他人の家にズカズカ上がりこむ女王さまは、タチが悪いと思うんだが」

「他人の家ではない。ある意味、妾の実家のようなもんじゃからな」

「はぁ?」

 よく分からないことを言う。

 パナヴィアの実家、というのはどういうことだろう。

 あの屋敷は実はパナヴィアにとってはただの仕事場で、あそこで寝泊りしているのはここに帰ってくる手間が惜しいからだとでもいうのだろうか。

 それとも……。


「あーっ! ナヴィちゃんだーっ!」


 他に何か別の理由があるのだろうか……と考えていたアスラルの思考を遮るように、やたらと元気のいい声が飛んできた。


「ホントだ! ナヴィ姉ちゃんだ!」

「みんなーっ! ナヴィちゃん来てるよーっ!」


「おぉ、妾じゃ! 皆、元気にしておったか!」


 その声に続いて次々に元気な声が飛んできたと思ったら、すぐ隣からそれに負けないくらいに元気……というより威勢のいい声が放たれた。

 声のしたほうを見ると、建物の窓からいつの間にか十数人の子供たちが顔を出していた。

 しかも、ナヴィ『姉ちゃん』と来た。

 もしかして、ここは本当にパナヴィアの実家で、あの子たちはみんな……。


「よーし! 今日も全力で遊ぶぞ! クロスよ、妾に続けぇっ!」


 困惑するアスラルを尻目に、パナヴィアは帽子を脱ぐとそれをアスラルに押しつけ、そのまま駆け出していってしまった。

 すると、それに倣うように子供たちもまた窓から顔を引っ込め、すぐに出入り口からわらわらと出てきたではないか。中にはそのまま窓から這い出して来る者もおり、あっという間にパナヴィアは子供たちに取り囲まれてしまった。

 完全に置いていかれたアスラルだったが、続けと言われてもパナヴィアに倣ってあの中に飛び込むわけにもいかず、ただ帽子を握りしめて呆然と立ち尽くすほか無かった。


「ねーねー、ナヴィちゃん? あのお兄ちゃんなぁに?」

「ナヴィ姉ちゃんの友達? あ、もしかしてカレシか? 趣味悪いなぁ姉ちゃん」

「アホなことを言うでない。アレは妾のペットじゃ」

「えぇー、ペットぉ? なんか可愛く無ぁい」


 ここから建物の入り口までそれなりに距離はあるのだが、甲高いせいか遠慮が無いせいか、子供たちのよく通る声は十分アスラルの耳に届いた。

「ほれほれ、何をしておる。はよう来い、クロス! 妾が続けと言ったのじゃから、きちんと言うことを聞かぬか!」

 子供たちに囲まれ、けらけらと笑いながらそんなことを言うパナヴィアに、アスラルは盛大なため息を零しつつも、やっと彼女の目的を察した。

 なるほど、朝食のときに子供が好きかどうかなんて訊いたのは、こういう理由か。

 それにしても無茶を言ってくれる。確かに好きか嫌いかと訊かれれば好きだ、と答えはしたが、こういう状況に放り込まれて即座に対応できるような技能は持ち合わせていない。

「むぅ……ペットのくせに妾のことを無視するつもりか。それならば……」

 僅かに頬を膨らませると、パナヴィアはなにやら声を潜めて子供たちに何かを言って聞かせている。

 なぜだろう。なにやらとても嫌な予感がアスラルの背筋を駆け抜けた。


「全軍、突撃じゃ! あの生意気なペットを押し倒せ!」

「「おぉぉーーっ!」」


 と思ったときには、すでにその予感は現実のものとなって目の前に押し寄せてきていた。

「え? えぇえ!? ちょ、待て! ちょっと待て! これ、どういう状況なんだ!?」

 そう訊いたところで答える者などいるわけが無いし、一体パナヴィアに何を吹き込まれたのか正体不明の闘志に燃える子供たちが目の前に迫ってきていた。

 三十六計逃げるに如かず……とはよく言ったものだが、この状況で尻尾を巻くのは余りにもみっともない気がする。

 ならばせめて、飛び掛ってくるだろう子供たちを……


「ルーセシアいちの戦士! ハリィが一番槍貰ったぁーっ!」


 ちゃんと受け止めてやるのが大人の対応か、と再び溜息混じりの苦笑を零した隙を突くかのような絶妙のタイミングで、小さな影がアスラルの目の前に迫った。

 それが、子供たちの一人……ハリィと名乗った少年が驚くほどの跳躍力でアスラルの背丈まで飛び上がったことによるものだと分かったのは、


「ぐぶっ!?」


 完全に無防備なアスラルの顔面めがけて、鋭い蹴りが叩き込まれてからだった。

 余りのことにアスラルの体がぐらりと揺れて、倒れる。

「今じゃ、かかれぇぃ!」

 そこにすかさず聞き慣れた号令がかかるや否や、ハリィ少年に続いて子供たちが次から次に倒れたアスラルの上に飛び乗ってくると、それこそもう遠慮無しといった具合に……実に楽しそうに笑いながら、ぐしゃぐしゃと踏みつけてくる。

「い、痛い! 痛いから! ちょ、やめ、やめてくれって!」

「ははははっ、どうじゃ!? 妾の言うことを聞かぬとどうなるか、思い知ったか!」

 突撃に加わらなかった子供たちを率いてやってきたパナヴィアは、仰向けにぶっ倒れたアスラルを実に意地悪そうな笑みを浮かべながら見下ろす。

「わ、分かった、分かったから! 謝る、謝るって! 悪かった!」

「降参か?」

「降参! 降参だ!」

「よぉし、よかろう。皆の者、そこまでじゃ!」

 余りの事態に白旗を揚げるしかないアスラルに、パナヴィアは満足げに号令を掛ける。

 すると、それまでアスラルの上で飛んだり跳ねたり足踏みしたりしていた子供たちが、一斉に攻撃の手を止め、

「ぐふっ!」

 どすん! と。

 胸、腹は勿論、腕や足の上など、とにかくアスラルの体中に座り込んできた。

「ホントだ! よく躾けられてるんだなぁ」

「ねーっ。こんなにやっても全然反撃してこないなんて」

「な? 妾の言うたとおりであろ?」

 どうして自分がこんな目に遭うのか理解できなくて、怒りたくても怒る理由が咄嗟に思いつかないからだ……なんて言い返してやりたい気もした。

 が、胸の上に腰を下している男の子……位置的に考えて、恐らくアスラルの顔面に華麗な蹴りを叩き込んだのだろう、ハリィと名乗った少年の顔を見た瞬間、そんな言葉はあっという間に喉の奥に引っ込んでしまう。

「き、キミ。その耳は……?」

 代わりに出てきたのは、ごく自然な疑問の言葉だった。

 当然だ。

 パッと見たハリィの顔……目も、鼻も、口も、すべてが多分に小生意気さを含んだ少年のものだ。

 だが、ただひとつ、耳があるはずの位置に、こげ茶色の髪の毛と同じ色をした、毛むくじゃらの耳が生えていたのだから。

 その耳はどう見ても人間のものではなく、犬か、狼のそれだ。

「……オレの耳が、何だよ?」

「え? あ、い、いや……すまない。その……か、格好いいなと、思って。つい……な」

「へっ?」

 素っ頓狂な声を上げ、ハリィは目をぱちくりと瞬きさせる。

 何を言われたのか理解できない……そんな顔だった。

 が、ややあって口元が……多分、必死に平常を保とうとしているのだろうが、それでもニマリと歪んでしまうのを抑えながらハリィは、プイッとアスラルから顔を背ける。


「ヘッ! な、何言ってんだかコイツ! 命乞いしようったって、そうはいかないぜ!」

「あーっ、なんだハリィ? 照れてやんの!」

「いきなり敵にほだされてやがるぜ、だっせぇ!」

「てっ!? てて、照れてなんかねぇや! この、待てぇっ!」


 腹の上でわいのわいのと騒いだと思ったら、今度は子供同士で内乱が始まったらしく、ハリィは囃し立てる他の少年たちを追いかけて行ってしまった。

 それにつられるようにアスラルの上に乗っていた子供たちも、ある者はパナヴィアのところへ、ある者はまた別のグループを作ってと、めいめいに離れていったのだった。

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