第27話 流浪の騎士

 総勢10万にもおよぶメリカールの大軍勢がルーセシアへと侵攻を開始したとの報告は、ルーセシア全土に少なからず緊張を走らせた。

 これまで幾度と無く国境線での攻防を繰り広げてきたメリカールとルーセシアであったが、これほどまでの大軍勢が侵攻してきたのは初めてのことである。

 だが、ルーセシア女王、パナヴィアには微塵の揺らぎも無かった。


「敵はいよいよ追い詰められてきておる。これぞ、まさに勝機」


 メリカール軍侵攻の報を受けて屋敷へと集まった重臣たちに向かって、開口一番そう告げたのである。

「聞けばあのカリウス王子自らが軍を率いておるというではないか。遅々として進まぬ戦線に業を煮やしたよい証拠じゃ。ここを凌ぎ、カリウスを討ち取ることができれば、奴らもルーセシア攻略を諦めようというもの。皆、ここが正念場じゃぞ」

 パナヴィアの言葉に重臣たちは揃って頷く。

 これが最後の大勝負。その認識は、ここにいる者たち全員が共通して持っていた。

「しかし陛下、敵は10万。対するこちらは国境の兵を合わせても1万にも満ちませぬ。いくらルーセシア兵が猛者揃いとはいえ、これでは些か分が悪うございます」

「うむ、確かにそのとおりじゃ。じゃから妾としても、今回ばかりは真っ向から四つに組むのは避けねばならぬと考えておる」

「では、如何様な策を以って相対するおつもりで?」

「ふむ……まずは皆の意見を聞いてもよいか? 10万の敵を相手に、どのように戦い抜くのがよかろうか」

 ぐるりと重臣たちを見回し、パナヴィアは値踏みするようにそう尋ねる。するとあちらこちらから意見が出た。

 一番多かったのが砦での篭城であった。これを最後の一戦とするならば、あえて農地を犠牲に山に陣を敷いてはという案も出たが、それは苦笑交じりに却下した。

「大体は出尽くしたかの? では……」

 と、そこでパナヴィアの唇が止まる。

 そしてチラリと……傍に控えているルミエールを見やる。


「いや、済まぬ。では、妾の策を聞いてはくれぬか」


 そう。隣に控えているのは、ルミエールただ一人。

 すでにクロスは……アスラルは、この屋敷にはいなかったのだから。


                   ○


 ルーセシア市民の権利を得たアスラルは、数日の猶予の後パナヴィアの屋敷を後にした。

 近衛でもない、ましてやペットでもない〝ただの一市民〟に過ぎないアスラルが屋敷に留まる理由は無い、というのが側近のルミエールの言葉であった。

 代わりにアスラルには、一人で住むには少々広すぎるのではないかと思うほどの家を一軒与えられた。

 西側の山を越えて程なく進んだところにある農地の一角であり、そこでのアスラルの役割は農地で取れた作物を、山を越えて町まで運ぶ人足であった。

 そして、町の中心へと向かう道すがらにある孤児院に必要なものがあったらすぐに届けること……という項目も付け加えられている。

 なるほどペット役の次は子供を守る番犬役かと、パナヴィアの意図がなんとなくだが察せられた。

 大の大人が引くには少々大きな荷車に、2人がかりでも骨が折れるだろう量の作物を満載に積んで、それほど酷くはないがそれでも登るには些か苦労する山の斜面を淡々と進みながら、さらに考え事までできるのだから、なるほど確かにアスラルの体力は番犬にはうってつけだろう。


(いや、番犬だと思っていてくれれば、まだ救いか……)


 番犬……つまり、子供たちを守るという役割を与えられているのならば、まだパナヴィアはアスラルを戦士として扱ってくれているということだ。

 けれどそうではなく、子供たちと同じ、守るべき者として扱っているのだとしたら。


(俺はもう、パナヴィアと共に戦う資格は無いってことか……?)


 そんな考えが脳裏を霞め、アスラルの口から自嘲が零れた。

 いや、どちらかというと、無理に笑ってみせたような、そんな笑みだった。

「馬鹿か、俺は」

 そう、それでいいのだ。


 アスラルが剣を振るうのは祖国エストリアと、リースのため。

 パナヴィアはあくまで自分を拾った相手というだけで、命を助けられた恩を返す義理はあっても、忠誠を誓う義務は無い。

(飼い主とペット。そして、ペットとして不適切な俺は捨てられた。それだけだ)

 そう、それだけ。

 それだけのこと……だというのに。


(また、俺は……泣かせてしまってのか……?)


 あの時。倒れたパナヴィアを抱きとめたときに感じた、あの感覚が消えない。

 しかも今度は孤児院のときのような、驚きや懐かしさではない。


 悲しませてしまったから。

 傷つけてしまったから。


(……だからなんだ? あいつは俺を手駒にするために生かしていただけだ。そして俺も、生き延びるために仕方なく従っていただけに過ぎない。それだけの関係だったはずだ)


 そう必死に言い聞かせる。

 しかし、そうすればするほど、後から後から様々なものが胸のうちを去来する。


 抱きとめたときの体の、なんと小さかったことか。

 あんな小さな体で女王などという大役を務め、今日までメリカールと戦ってきたのか。

 孤児院に行ったときに握った手は、自分のものと同じくゴツゴツしていて硬かった。

 少女としての喜びも、楽しみも、すべて捨てて、守るべきもののためただひたすらに強さを求めてきた自分と同じ、戦士の手。

 初めて出会ったときに感じた、抜き身の刃のごとき美しさ。

 しかし、日々の中で時折見せる無邪気な笑顔は、小柄な体躯と相まって女王とは思えぬほどに幼く見えた。


 その少女が、自分を。

 アスラル=レイフォードを。

 自らの騎士にと、求めたというのに。


「ああ、うるさい! 黙れ黙れッ!」


 周囲に誰もいないことが分かっているからか。

 それとも、誰もいないゆえに周りが静かすぎて、自分の心の声が嫌味なくらいにハッキリ聞こえてしまうせいか。

 どちらにせよ、アスラルはわざと声に出してそう言うことで、自らの迷いを振り切ろうとする。


 祖国が滅びても忠誠が無くなるわけではない。

 アスラルはエストリアの騎士であり、他でもないリースの騎士だ。

 そして、リースはまだ生きている。

 誓いを捧げた主君がいるのに、自分だけが忠誠を捨てるわけにはいかない。


 目を閉じ、必死に思い出そうとするのは祖国エストリアと、そこで過ごしたリースとの時間。

 リースがいたから、自分は強くなれた。

 リースがいたから、自分は誰よりも騎士であれた。

 彼女の騎士であることがアスラルの誇りであり、今も自分を生かし続けている心の支えなのだ。


 ……そう、言い聞かせる、たびに。



『――ただの感傷。自己満足』



(うるさいうるさいうるさい! 俺は……私はエストリアの騎士、アスラル=レイフォードだ! エストリア以外に、リース様以外の者に捧げる忠誠など、ありはしない! あるはずがない!)

 耳の奥でパナヴィアの声が木霊する。

 耳を塞げば余計に反響するかのように、その言葉が頭の中を飛び交った。


 アスラルとて愚かではない。

 仕えるべき王を亡くし、守るべき民も失った今のアスラルは、もはや騎士でもなんでもないことなど、分かっている。

 せいぜい元・騎士と名乗るのがいいところで、そういった類の者なら名のある傭兵団や、ともすれば野盗の中にさえ見つけることができる。

 畑を耕すことも、牛馬の世話もできない、主君を失った騎士が生きていく道など、そうそうあるものではない。

 そんな中でアスラルは、再び主君に巡り会う機会を得た。

 騎士としての誇りと矜持を保ったまま生きてゆくことのできる幸運を得ることができたのだ。

 それは、いたるところに溢れかえっているだろう元・騎士たちからすれば、羨ましい限りの話なのだろう。


 ……そう、頭では分かっていても。


「誓ったんだ……約束したんだ。私は……アスラル=レイフォードは、リスティーナ=エスリーゼに、生涯仕える騎士になる、と」


 声に出して呟いたのは、そうしないと揺らいでしまうかもしれない忠誠心を必死で推し留めようとする無意識のせいだろうか。

 ぐい! と強く荷車を引き上げ、アスラルは斜面の頂上まで登りきった。

 そして、顔を上げた、その瞬間。


 何かが揺らぐような音が、耳の奥で聞こえた気がした。


 目の前に広がる、ルーセシアの町並み。

 ろくな産業も無い、エストリアより少し広いだけの、取るに足らない小国。

 だが、それは傷ついた者たちを優しく受け入れる、温かな町だ。

 そしてそれを治める者は、誰よりもこの国を愛し、少女の喜びも何もかも捨てて、王たらんとする気高き女王。

 まだ年若く、小柄であることを気にしているようだが、それはまるでこの町そのもののようではないだろうか。

 小さな町と、そしてその向こうに微かに見える、青。

 遮るもののない、遥か彼方の空と繋がっているのではないかと思うような、広々とした、青。

 リスティーナの護衛役として他国へ随伴したときに一度だけ見たことがあるが、それでも山育ちのアスラルには、海の青は何よりも美しく映った。

 どこまでも続く。

 どのようなものも受け入れ、時には飲み込んでしまうような、青。


 そして、自分は。

 アスラル=レイフォードは。

 この町を、この国を。

 そして、そこに住まう人々を。

 守る栄誉を、与えられたというのに。


(私は……何のために――)


 ――もう、やめよう。


 項垂うなだれるようにうつむき、大きく息を吐いて、アスラルは自分の中から思考を追い出した。

 ここから先は下りだ。余計な考え事をしすぎていては、荷車を支えきれずに積荷を駄目にしてしまうかもしれない。


 どれだけ考えても、答えなど出ない。

 いや、答えなど、もう出ているのだ。

 アスラルは、エストリアの騎士として生きる。

 ただ1人、リスティーナ=エスリーゼを主とし、それ以外の者に仕えることは無い。


 ……そう決めた結果としての今があるというのならば、それを受け入れるしかない。


 諦めにも似た結論を出して、アスラルはゆっくりと斜面を下りて行った。

 下りは危険であるため、荷車の運搬に集中することが重要だ。

 そのおかげで、余計な迷いが湧いてこないのは、僅かばかりの救いであった。

 山を降りきり、町はずれへと入る。

 再び荷車を引いて、町の中心へと向かう道の途中にある商店に、品物を届けなければいけないわけだが……。

(さて、どういう道順で行くのがいいのかね……)

 まだルーセシアの町並みに不慣れなアスラルのためにと渡された、簡単な配達用の地図を見ながら進んでいく、そのときだった。


「あ、ペットだ! おーい、ペットぉーっ!」


 アスラルに、いきなり声が掛かった。

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