第28話 番犬、なればこそ

 何事かと思って声のしたほうを、見覚えのある男の子が手を振りながら近づいているのが見えた。

 犬か狼か、ふさふさした獣の耳が生えた少年は、パナヴィアと共に訪れた実家の孤児院で見かけた顔だ。

 たしかハリィという名前だっただろうか。


「よう、ペット! 今、ヒマか?」

「……暇そうに見えるかい?」

「見えねえ。けどヒマだよな?」

 小走りに近づいてきたハリィは、何やら会話になってない言葉を吹っかけてくる。


「なあ、いいからちょっと手伝えよ。お前、ナヴィちゃんのペットだろ?」

「……ナヴィお姉ちゃんのペットって理由が、キミを手伝うこととどう関係あるのか、訊いてもいいか?」

 正確にはもうペット役は解任となったのだが、それを言うと色々と余計なことまで説明しないといけないので、敢えてそのままにしておく。

「はぁ? 何言ってんだよ、ナヴィちゃんのペットなんだったら、その弟分であるオレの手伝いをするのは、当然だろ?」

 何を当たり前のことをと言わんばかりの発言に、アスラルは失笑してしまった。

 なるほど、ごく自然に相手をこき使うあたりは確かにパナヴィアの弟分だ。


「ハリィ、バカ言ってないの!」

 そんなハリィの後頭部が、ぺちん! といい音を立てた。

 ハリィを追ってやってきたのだろう、やはり見慣れた顔の少女がハリィの頭を景気よく引っ叩いたのだ。名前は……なんだったろうか。

「ってぇな! 何すんだよ!」

「なにすんだよ、じゃないでしょ!? あんまり失礼なこと言うもんじゃないの!」

 腰に手を当ててカッと一喝したと思ったら、今度はアスラルのほうにクルリと向き直り、それから申し訳なさそうに頭を下げる。


「ごめんなさい、クロスさん。ウチのハリィはホントもう、バカな子なんで……」

「ウチのってなんだよ! オレがいつからミュチャのウチの子になったってんだ!?」

「あら、間違ってないでしょ? アンタが弟分なら、アタシもナヴィお姉ちゃんの妹だもん。出来の悪い弟を叱るのは、お姉さんの役目だもんね」

「てんめぇ、サラッと姉貴気取りかよ! 誕生日会、オレと同じなクセして!」

「何言ってるの、10日よ10日? 10日も早く生まれたのよ? なら、アタシがお姉さんで間違いないじゃない。同じ月でお誕生日祝いが一緒だからって、そこらへんはキチンと理解しておいてよね?」

「なんだとぉ!?」

「まあまあまあ、待て。分かった、分かったから」

 ああそうかミュチャという名前だったかと思いながら聞いていたらいつの間にか始まってしまった兄弟喧嘩を、アスラルは苦笑交じりに仲裁する。

「2人とも、ナヴィお姉ちゃんの弟で、妹だ。なら、2人は同じ兄弟だろう? どっちが上とか下とか、そんなことで喧嘩しないでもいいじゃないか」

「はぁ!? 分かってねえ、分かってねえよペット! 兄弟だからこそ、上下関係はキッチリしとかないといけないんじゃねえか!」

「そうです! クロスさんは黙っててください!」

「え、えぇえ……?」


 すっかり論点がズレていることに内心嘆息しつつも、だからといって目の前で始まった兄弟喧嘩を無視するというのも気が引ける。

「そ、そういえば、何だ? 俺に何か用事があるんじゃないのか?」

「あるけど、今はこっちが大事だ!」

「そうか。なら、俺は行くけどいいか? 見てのとおり、一応こっちも言うほど暇ってわけじゃあないんだが……」

「えっ!? あ、いや、ちょっと待て!」

 後ろの荷車を指さして困ったように笑ってみせる。すると、ハリィは暫し黙って、それからフン、と鼻を鳴らした。

「しゃーねえ、ミュチャとの決着は後回しにしてやるぜ。ペットに感謝するんだな」

「だから、もう! ペットじゃなくて、クロスさんって呼びなさい! 失礼でしょ?」

「構わないさ。それで、用事ってなんだ? すぐに必要なことか?」

 いや、構わなくはないのだが、それを突っ込むとまた不毛な兄弟喧嘩が始まりそうだったので、流しておくことにする。

「おう、すぐに必要だぞ。だから来い」

「だから……はぁ、もういい、ハリィは黙ってて。アタシからお願いするから」

 大きな溜息を吐き、けれと再びアスラルへと向き直ったミュチャと呼ばれた少女は、スカートの裾をちょんと摘んで、少し気取った礼をしてみせた。

「いきなりでごめんなさい。けど、もしクロスさんのお仕事が終わった後にお時間があるようなら、アタシたちの手伝いをしてくれませんか?」

「勿論、構わないが。手伝いの内容は?」


「ナヴィお姉ちゃんに届けるご飯を、運びたいんです」

「……ご飯?」


 言葉の意味が分からず、アスラルはそう問い返す。すると、ミュチャの表情が途端に曇った。


「また、メリカールが攻めて来たんです」

 その言葉を聞いた瞬間、アスラルは全身に緊張が走るのを感じた。


 いつかはまた来るだろうとは思っていたが、それにしたって早すぎる。

 3万もの大軍を投入して行われた国境での戦いからまだ一月と経ってないだろうに、もう次の戦争を吹っ掛けてきたというのか。

 いや、もしかしたらそれこそメリカールが大国である所以かもしれない。

 自国の兵はもちろん、アスラルのような敗戦国の民を半ば無理矢理編成して、圧倒的な物量で押し寄せる波状攻撃。

 まともに戦うこともなく敗れたエストリアだったが、仮に正面から戦っていたとしても、果たして勝てただろうか不安になる。

 が、次の言葉にアスラルの背筋か一瞬にして凍りついた。


「それで、国境のお城が取られちゃったみたいで……お姉ちゃんや兵隊さんたち、ずっと野宿しながら戦ってるみたいなんです」


 馬鹿な! と叫ばなかったのは、仮にも騎士であった自分が民の前で……それも、年端もいかない子供の前で取り乱すなどみっともない、という頭があったおかげかもしれない。

 しかし、それが本当だとしたら大変なことだ。

 記憶が確かなら、国境の砦を落とされたらもう後が無い。

 いや、厳密に言うならまだこの城下町をぐるりと囲む山々があるのだが、そこに陣を構えてしまえばその途中にある畑や牧場、牧草地は完全に無防備となる。

 パナヴィアがそんな愚を冒すとは思えないので、ミュチャの言う野宿というのは、文字どおり砦から程なく離れたところに陣を張って、我が身を盾に防戦の構えということなのだろう。


「それで、兵隊さんたちのご飯が足りなくなるかもしれないから、アタシたちの分を少しでも届けようってみんなで話し合って。それで、みんなで荷造りしてるところなんです」

「荷造りって……まさか、キミたちが運ぶ気か?」

「ったり前だろ? ナヴィちゃんが頑張ってるときに、何もしないでいられるかよ」

「そういう偉そうな口きけるんだったら、サボったりするんじゃないわよ」

「サボってねえよ、ちょっと休憩してただけじゃん。そしたらちょうどペットがいたから、こいつを仲間に加えてやろうって思ったんだよ。力仕事なんだから、大人がいたほうがはかどるだろ?」

 えへん、と踏ん反り返るハリィに、ミュチャは再び呆れたような溜息を零した。

「分かった、そういうことなら手伝おう」

「お、ホントか? さすがナヴィちゃんのペットだな、頼りにしてるぜ」

「だから、失礼でしょって言ってるのに。……ありがとうございます、クロスさん」

「いや、礼を言われることじゃないさ。むしろ、ハリィの言うとおりだ。国の一大事に何もしないでいられないっていうハリィの気持ちは、痛いほど分かるつもりだ。さすが、ナヴィお姉ちゃんの弟分なだけはある」

「な……っ、な、なに、言ってんだよ。あ、当たり前だろ!」

 こういう性格だから恐らく面と向かって誉められることに慣れていないのだろう、ハリィはプイッとそっぽを向いてしまった。

 しかし、彼の特徴でもあるふさふさの耳が、誇らしげにピコピコと動いているのを見る限り、まんざらでもなさそうだ。


「それと、もうひとついいか? キミたちが食べ物をナヴィお姉ちゃんに届けたいって気持ちは分かった。けど、砦が落とされたことが本当なら、あの山の向こうはいつ戦場になるか分からないんだ、子供が気軽に行っていい場所じゃない」

「気軽? 気軽じゃありません! アタシたち、真剣です!」

「わ、分かった。いや、すまない、そういう意味で言ったんじゃない。言葉のアヤだ」

 思わず謝らずにはいられないほどの威勢のいい一喝は、なるほどミュチャもまたパナヴィアの妹分である。

 それはつまりこの2人が……いいや、恐らくあの孤児院に集う子供たちは、皆パナヴィアのことを姉と慕い、尊敬しているのだろう何よりの証拠だ。

 それを考えるに、この子たちが前線へ物資を届けたいという思いを断念させるのは相当困難であることが容易に想像できた。

「子供たちだけで行ってはいけない、と言ったんだ。誰か頼りになる大人が一緒であること、それが条件だ」

「頼りになる大人って……院長先生に頼むか?」

「無理よ、危ないから絶対にダメって言うに決まってるわ、先生なら」

 まあそれがごく真っ当な大人の対応だろうな、とは思う。

 同時に、この様子だとどうやら孤児院の院長にも黙って、子供たちだけで計画した輸送作戦らしいことも分かった。

 本当にこの子たちの家族愛というか祖国愛というかには、頭が下がる。


「……その、もしよかったら、だ。俺を護衛役に雇わないか?」

「へ? ペットをか?」

「ああ。勿論、他に心当たりがあるなら、そっちを頼ってもらっても構わないんだが」

 我ながらズルい言い方だなと思った。

 この子たちを誰だと思っているのだろう。

 生まれた国を追われた者もいるだろう、親を失った者もいるだろう。その果てに流れ着いたこのルーセシアの孤児院にいる子だ。

 彼らにとって頼りになる大人といえばパナヴィアひとりであり、そのパナヴィアを助けたいと願って、この無謀な計画を立てているのだ。

 頼りになる大人のアテがあれば、アスラルより先にそっちに声を掛けているはずだ。

「しゃあねえなあ、ペットがどうしてもって言うなら、使ってやらなくもないぜ?」

「もう、いいから! ハリィは黙ってなさい!」

 またしてもハリィの頭がペチンといい音を鳴らす。


「お願いします、クロスさん。私たち、少しでもお姉ちゃんの力になりたいんです。危険なことをお願いしてるのは分かってます。けど、どうか私たちを、ナヴィお姉ちゃんのところまで連れて行ってください」

 そう言ってミュチャは祈るように両手を組み、今にも泣き出しそうな瞳でアスラルを見上げた。

 もともと断るつもりなど無かったし、提案したのはアスラル自身なのだが、これを断ったらすごく悪いことをしたような気にさせる、そんな嘆願だった。

「ああ、もう分かったよ、頼みゃいいんだろ、頼みゃ! 頼む、ペット! ナヴィ姉ちゃんを助けたいんだ、オレらを手伝ってくれ!」

 続いて、今度はハリィが半ばヤケクソ気味に言って、頭を下げる。

 相変わらずの言葉遣いだが、恐らく誰かに頼みごとをする、なんて経験が少ないせいだろう。率直な物言いゆえに、その心意気は伝わってきた。


「分かった。というか、申し出たのは俺だ。協力するよ」

 アスラルの返答に、小さな歓声が2つ上がった。

 その後、パナヴィアに届けたい食べ物の量や、その運び方などを話し合い、大雑把な計画はアスラルに任せるということで決着がついた。

 正確に言うなら、子供たちだけで麻袋一杯に詰め込んだ芋なりなんなりを運ぶ気だったため、半ば強引にアスラルが引き受ける形になった、というべきか。

 現実性云々よりも気持ちが先走ってしまうあたり、なんのかんのと言ってやはり子供だな、と思う。

 大人には内緒で行くため大掛かりな荷車は使えない。

 各自、それぞれ自分の体にあった大きさの袋を背負い、その中に入る分だけ持っていくこと。

 出発は夜で、丸一日以上歩くことになるだろうから昼間のうちにキチンと体を休めておくこと。

 ……などなど、まるで引率の先生のように言って聞かせ、僅かながらの抗議を宥めつつ、やがて納得して孤児院へと戻っていく2人を見送った。

 恐らくは、これから子供たちで持っていくものの選別なりを始めるのだろう。

「ふぅ……」

 2人の姿が見えなくなってから、アスラルは力を抜くように溜息をひとつ零した。


 自分の発言に一番驚いているのは、他ならぬアスラル自身だった。

 なぜ、あんなことを言ってしまったのか。

 いいやそれどころか、子供たちだけで戦場に行こうなんて、正気の沙汰とは思えない。

 戦場がどれほど危険な場所かを教え、思い留まらせるのが大人の役目だろうに。

 何より、向こうには間違いなくパナヴィアがいるはずだ。今、一番顔を合わせたくない相手のところに、わざわざ自分から出向いていくなんてどうかしている。


 そう思う反面、どこか安心している自分もいた。

 騎士の位も貴族の地位も無くし、戦うことしか取り得の無いはずなのに、それすらも取り上げられてしまっては、後はダラダラと腐っていくだけだ。

 それならばせめて戦場に身を置いているほうが幾分かマシというもので、そのダシとして子供たちの話に便乗した――


 ……それだけのことだ。


(別に、パナヴィアを助けに行くわけではない。あくまで、子供たちの護衛役。万が一向こうで負傷者の代わりをすることになったとしても、それは穴埋めだ。断じてパナヴィアのためではない)


 それでも、再び荷車を引いて町の中心へと向かうアスラルの足は、先ほどよりも随分軽くなったように感じた。


「単に道が斜面でなく、石畳になったからだろう」


 そんなつまらない言い訳が、口をついて出るくらいには。

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