第31話 小さな訪問者
ルーセシア軍の野営地に奇妙な伝令が届いたのは、開戦から10日が経った、ある夜でのことあった。
「夜分に恐れ入ります。陛下に面会を求める者が来ておりますが……」
作戦会議も終わり、さてそろそろ休もうかとしていたパナヴィアの天幕へとやってきた猿顔の兵隊は、皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにしてそう告げた。
「面会じゃと? こんな時間にか? まさか、いよいよメリカールから停戦の使者でも来たかの?」
「いえ、それは無いかと」
「ははは、じゃろうな。言ってみただけじゃ。しかし、そうなると誰じゃ?」
「は……いや、その、なんと申しますか……」
「何じゃ、歯切れの悪い。いいから、言うてみよ」
「その……こ、子供、で、ございまして……」
「子供?」
僅かな逡巡の後、まさかとパナヴィアが顔を上げたそのときであった。
「お姉ちゃん!」
「ナヴィ姉ちゃん!」
「あっ、こ、こら、キミたち!? 外で待ってなさいと……」
天幕の入り口から、パナヴィアの見知った顔が次々と現れた。
あまりのことにさすがのパナヴィアも何事かと呆気に取られ、暫しのあいだポカンと口を開けてしまった。
「お、お前たち……どうして? いや、そもそも、どうやってこんなところまで来たのじゃ?」
年長であるミュチャやハリィはまだ分かるとしても、そこにいたのは孤児院の子供たちのほぼ全員であった。
まだ満足にハイハイもできぬ幼子はさすがにいなかったが、それでも今年で5つ6つになったばかりという子の姿まであるではないか。
そんな子達が、馬を飛ばしても丸半日はかかる国境まで歩いてきたというのか。
「自分が連れてまいりました」
聞き覚えのある声がパナヴィアの疑問に答えた。
その声に続いて天幕の布をかき分けて入ってきたのは、パナヴィアにとって久しく会っていなかったように感じる、懐かしい姿であった。
「……貴様、何をしに参った? ここは民間人が気安く立ち入れる場所ではないぞ、分際を弁えよ」
思わず、頬が緩みそうだった。
足が一歩、二歩、いや何歩でも前に出てしまいそうだった。
だが、そんな思いを押し殺し、パナヴィアは憮然とした態度でそう言う。
「無礼は承知の上です。しかし、その子たちにどうしても女王陛下のところへ連れて行って欲しいと頼まれたので、護衛役を引き受けた次第でして」
「うつけが! 何が頼まれたので、じゃ! その頼みを上手に断って、こんな危険な場所に行かぬよう説得するのが大人の対応であろうが!」
「普通の子供たちなら仰るとおりかと存じます。しかし、その子たちは仮にも女王陛下のお身内。一介の市民でしかない自分がその頼みごとを断るなど、どうしてできましょうか」
ぴしゃりと叱り付けたつもりのパナヴィアであったが、返ってきたのはしれっとした、まるで反省の色の無いセリフであった。
「ごめんなさい、ナヴィお姉ちゃん。けど私たち、どうしてもお姉ちゃんが心配で……」
「勝手にペットを使ったのはオレらなんだから、怒るならまずはオレらからにしろよ」
さらには何の冗談か、子供たちまでがこの無礼者を……クロス=クレイモアを庇うようなことを言う。
これではいくらパナヴィアといえども、頭ごなしに叱り付けるわけにはいかなかった。
「……はぁ、もうよい、分かった。ご苦労、大義である」
「お褒めに預かり、恐悦至極」
慇懃無礼、といった調子とは裏腹に、クロス……いいや、アスラルはなかなかサマになった礼をしてみせた。
「それで、お前たちはどうしてここに? 分かっておるとは思うがここは戦場じゃ、子供が軽々しく来て良いところではないぞ?」
抑え目に、けれど姉としてではなく、あくまで女王としての態度を崩すことなくそう問い掛けるパナヴィアに、子供たちは暫しのあいだ無言で応える。
「……腹、減ってないかと思って」
沈黙を破ったのは、どこか要領を得ないハリィの言葉だった。
「その、アレだろ? メリカールのクソ野郎どもに、城、取られたっていうじゃねえか。それじゃあ、まともに飯も食えてねえんじゃないかって思って、ほら、差し入れっていうの?」
「バカ! 陣中見舞いでしょ!?」
「どっちだって一緒じゃねえか! とにかく、アレだ! 姉ちゃんや、兵隊の人たちに食べてもらおうと思って、持ってきたんだ」
そう言ってハリィは背負っていた鞄を下し、得意げに中を見せる。見てみるとそこには、なるほど自慢げにするのも頷けるといった量の干し芋が詰まっていた。
そんなハリィの姿に我も続けと言わんばかりに、子供たちは次々に背負ってきた鞄を下し、中身を見せてきた。
干し芋だけではない。
冬の貯蔵分として作られた燻製肉や、保存の利く堅パン。
そして子供たちにとっては大切なおやつであろう干しブドウをはじめとするドライフルーツが山ほど入っていたのだ。
「お前たち……」
それを見て、パナヴィアはどう言えばいいのか必死に言葉を探す。
孤児院に遊びに行くときの気取らぬパナヴィアであるのならば、心からのお礼と共にみんなの頭をくしゃくしゃになるまで撫でてやったに違いない。
しかし、今のパナヴィアは女王であり、一軍を率いる総大将なのだ。
子供が戦場に出てきたことを咎めないわけにはいかない。
それに、恐らくはこの子たちなりに持てる精一杯の量だったのだろうが、所詮は子供の持てる範囲内の精一杯だ。
ここまで歩いてきたことできっと腹も減っているだろうこの子たちがお腹一杯に食べれば、それだけで大半は無くなってしまうだろう量の食料に、どう感謝をしてやればいいのだろう。
「おお、こいつはご馳走じゃないか」
そんなパナヴィアの思考は、まさにあっけらかんとした調子のアスラルの言葉に中断させられた。
「なあ、あんた。せっかくの陣中見舞いだ、これを兵のみんなに配ってきてやってくれないか?」
「は?」
何事か、と思うパナヴィアの言葉を待たずに、アスラルは子供たちを案内してきた猿顔の兵に声をかけ、勝手に話を進める。
「こ、これクロス、何を……」
「祖国のために戦う兵隊さんたちのためにって、子供たちが持ってきた差し入れだ。ほんのちょっとずつでもいい、できるだけ多くの兵に行き渡るよう配ってやってくれ」
だが、次に紡がれたその言葉に、パナヴィアは思わずハッと目を見開いた。
「は……は、はい! 分かりました!」
「頼んだぞ。ああ、それと。もちろん、あんたもひとつまみでいい、ちゃんと食べてやってくれ」
「畏まりました、ありがたく頂きます!」
キィッ、と歯をむいて笑った猿顔の兵隊は両手一杯に……それこそ抱えるどころか両腕に背に腹にと、子供たちから受け取った鞄の帯を引っ掛け、軽い足取りでパナヴィアの天幕を出て行ったのだった。
「……こんな感じで、構わないか?」
そんな兵を見送って暫くしたところで、アスラルはパナヴィアへと向き直り、僅かに肩を竦めて笑ってみせた。
「ふん。まあ及第点というところかの、誉めてつかわす」
ぷいっと顔を背け、パナヴィアは嬉しさ半分不満半分、といったふうに応えた。
戦いも知らぬ子供たちが前線で戦う兵隊を気遣って、なけなしの食べ物を持って来てくれた。それは、そうそう代えの利かぬ美談である。
ならば子供を叱るのは二の次にして、それを十二分に活用するのが一軍の総大将としての対応であろう。
どんなに取り繕ってみても、この子たちの前ではどうしても女王や指揮官よりも、姉貴分としての自分が出てしまう。
そんな事実を他でもないアスラルに思い知らされるとは。
「じゃが、だとしたらもう遠慮は要らぬな」
そう言うとパナヴィアはつかつかとアスラルの傍へと歩み寄る。
そして、
「こンの、阿呆が!」
ごきゃ!
という音がしたのではないかと思うほどに強烈な蹴りを、アスラルの向こう脛めがけて繰り出したのだった。
「~~~~~~ッッッ!? が……っ、お、おま、い、いきなり、何を……ッ!?」
「それはこっちのセリフじゃ! いきなり来たと思えば子連れじゃと!? しかも妾に何の相談も無しに! どれだけ妾の気を煩わせれば気が済むのじゃ、この阿呆!」
「相談って……馬鹿言うな、そんなことどうやって」
「伝令でもなんでも使えばよかろう! もしくは輸送係に頼んで手紙のひとつでも寄越せばよいではないか!」
「それこそ冗談だろ、俺はもうお前のペットでもない、ただのルーセシア市民だ。そんな権限あるわけ……」
「権限? そんなモンに権限なんぞ要らぬわ! 代筆屋に頼んで前線に出ている夫や息子に手紙を送るなど、誰でもできるわ!」
「な……っ。し、知らなかったんだ、そんなこと。仕方ないだろう?」
「知らんで済んだら法律は要らぬわ、この阿呆!」
脛を蹴られた痛みに蹲るアスラルの頭を景気よくペシンと叩くと、パナヴィアはくるりと子供たちに向き直る。
瞬間、子供たちのあいだに緊張が走った。
アスラルの惨状……もとい、ペットが叱られるのを見てしまったせいだろう、次は自分たちの番だと思っているに違いない。
「まったく……よくもまあこんなところまで来おって。大変だったであろう」
だが、もちろんパナヴィアに子供たちを叱るつもりなど無い。
本来なら一度は思いっきり引っ叩くくらいのことはしただろうが、それは全部アスラルにぶつけたため、ある程度は溜飲も下がった。
代わりに出てきたのは身内の安全を心から喜ぶ、姉貴分としての想いだった。
「遠かったであろう? 怖くはなかったか?」
「……ほんの少し。けど、クロスさんがちゃんと守ってくれてたから、何にも無かったよ?」
「そうか。ところで、院長先生がよう許可したのう?」
「黙って来たに決まってんだろ? あ、けど心配すんなよ、ちゃんとナヴィ姉ちゃんに会いに行ってくるって、手紙は書いてきたんだからな」
「なんと……仕方のないヤツらめ。帰ったら散々叱られることは覚悟しておくのじゃぞ」
中腰になり、子供たちの顔をひとりひとり見つめながら、パナヴィアは彼らの頭を優しく撫でていった。
きっとここまで歩きづめだったのだろう、髪を撫でるとカサカサとした砂埃の感触が指に絡みつく。
普段は薄紅色の頬も今はすっかり煤けてしまっており、嬉しそうな表情の中にも疲労感が滲み出ているようだった。
「そうじゃ。お前たち、腹が減っておるじゃろう? きっとまだそこかしこで飲み食いしておるであろうから、行って分けてもらうがよい」
「ホントか!?」
「バカ、がっつかないの。私たちが食べちゃったら、何のためにご飯を持ってきたのか分からないじゃない」
「はは、構わん構わん。いくら言うても所詮は子供、食う量もたかが知れていよう。それにここには、お前たち全員が腹一杯になる飯を一人で食べてしまう大食らいが何人もいるでな、心配はいらん。……誰か! 誰かおらぬか?」
天幕の外に放り投げるようなパナヴィアの声に、暫しの間を置いて一人の兵隊が駆け込んでくる。
「お呼びですか?」
「ああ、すまんがこの子たちに何か温かいものを食わせてやってくれんか」
「おお、この子らですか。聞きましたよ、パナヴィア様を心配して陣中見舞いに来たとか……いやあ、泣かされますなぁ」
「よ、余計なことはよい。早う行け」
「はっ、畏まりました。……さあ、オジサンについておいで。ちょうど、今からみんなで牛の丸焼きを食べようかって言っていたところなんだ」
「丸焼き!? すげえ、ご馳走じゃん!」
「だからもう、がっつかないでって言ってるでしょ!?」
「じゃあいいぜ、お前は食べなくってもさ? おいみんな、こんな意地ッ張りはほっといて、行こうぜ!」
「あ、ちょっとコラ! もう、待ちなさいよ!」
軽口を叩きつつもビシリと敬礼してみせたその兵は、人懐こい笑みを浮かべて子供たちを先導する。
なんだかんだ言っても腹が減っていたのだろう子供たちは、普段ではなかなかありつけないご馳走を前に、行軍の疲れなど吹っ飛んだというふうな軽い足取りで天幕を出て行ったのだった。
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