第15話 将ふたり

 メリカール軍先鋒隊迎撃から、明けて翌日の早朝。

 パナヴィアの部屋に、伝令の兵が駆け込んできた。

 メリカール軍に動きあり、と。

 見るからに攻城戦の構えを見せ、短期決戦を狙っている様子……との報告が、国境線砦での目覚ましであった。


「まぁ、そうするのが妥当であろうな。こちらの援軍が来ぬ内に数を以って攻め、この砦をそのまま利用して増援を迎え撃つつもり、かの」

 偵察からの報告を受け、パナヴィアは悠長にも聞こえるふうに呟きながら、うんうんと頷く。

「随分と呑気だな」

「まぁの。このくらいは想定内……というか、むしろ当然のことであろうな。わざわざ援軍の到着を待ってくれるような阿呆が前線指揮官とは思えぬ」

「ならどうするつもりだ? 2千5百対3万じゃ、勝負にならないだろう」

「普通に篭城すれば、そうであろうな。敵は動けぬこちらを幾重にも包囲して、何千と矢を射掛けてくるじゃろう。徹底抗戦すれば、あわれ矢衾。身を隠そうと立て篭もれば、あっという間に梯子を掛けられ城壁を占拠されよう」

 そう言うわりには、パナヴィアに焦りの色は微塵も見えなかった。

 立場的には他人でしかないアスラルに心配する義理など無いのだろうが、パナヴィアの命が自分の命と直結しているとなれば話は別だ。

 昨日の話を聞いて、パナヴィアとルーセシア兵の強さを信じないわけではないが、いくらなんでも分が悪い。

 最悪の場合彼女を抱えて逃げることも頭に入れておかなくてはならないだろう。


「よし、では行くか」


 そんな覚悟を決めるアスラルを尻目に、パナヴィアは軽い足取りで部屋を出て行こうとする。

「待て、行くって何処へ?」

「戦場に決まっておろう。この状況で、まさか帰るとでも?」

「戦場……って、ちょっと待て! 戦いに行くのか?」

「無論じゃ。それ以外の何がある?」

「作戦は!? 篭城して援軍を待つにしても、それまでに数で押し切られ……」

「何を寝惚けたことを言っておる。こちらから仕掛けるに決まっておろう。ごちゃごちゃ言わずに、そちは黙って妾に付いてくればよい」

 事も無げに言ってのけるパナヴィアに、アスラルは一体誰と、何について話をしているのか一瞬分からなくなる。

 が、放棄しそうになる思考をどうにか繋ぎとめ、パナヴィアに先回りして部屋の入り口に立ちはだかる。


「待てと言ってるんだ! 3万の敵に2千5百で? しかもこっちから仕掛ける? 自殺でもしに行く気か!?」

「物騒なことを申すな。短期決戦、一点集中。ただそれだけじゃ。戦なんぞ、つまるところ力の差を見せ付けて戦意喪失させるか、大将首さえ取ってしまえばそれで終いであろう。昨日は一気呵成に畳み掛けることによって相手の戦意を奪った。で、此度は大将首を狙う。そうであるならダラダラと篭城などしておられぬ」


「それは分かる! けどだからって、どうして打って出ようなんて結論になるんだって訊いてるんだ! 10倍以上だぞ、分かってるのか!?」

「……10倍、の」


 瞬間、パナヴィアの口が不敵に歪んだ。

「のう、クロスよ。そちは昨日、妾が何と言うたかまるで覚えておらんのかえ?」

 そしてフン、と鼻を鳴らし、肩に掛かる髪の毛を仰々しく払ってみせる。


「2千5百? 結構ではないか。それだけおれば烏合の衆3万など、物の数では無いわ。大袈裟な作戦を立てるために頭を捏ね繰り回してやる必要すら感じぬ、ただそれだけのことじゃ」


 艶やかな真紅の髪の毛が、ぶわぁっと広がる。それはまるで、燃え盛る炎のようにも見えた。

「それでも妾の言葉が信用できぬと言うのなら、なおのこと付いて参れ。そしてその目で、しかと見極めるがよい。分かったらそこをどけ、時間が惜しい」

 何の躊躇も、気負いも無く。当然のことだとばかりに言ってのけるパナヴィアの姿は、もはや何を言っても無駄だ、とアスラルに悟らせるには十分なものであった。

 気圧されたからなのか、もしかしたらこれもパナヴィアにかけられた魔術の影響なのか、アスラル自身にも分からない。

 しかし現実として、アスラルは無言のままパナヴィアに道を譲り、満足気に頷いてスタスタと歩いてゆくその背を追いかけたのだった。


 状況は絶望的だが、やるしかない。

 アスラルが生き延びるためには、3万もの大軍に囲まれたパナヴィアを守りきらなければならない。

 槍の一突き、矢の一本すら、パナヴィアに当てさせるわけにはいかないのだ。

 いざとなれば、この身を盾にすることさえ覚悟しなければならないだろう。

 まったくもっておかしな話だが、それこそアスラルが生きるための、唯一の道なのだから。


                   ○


『ルーセシアに動きあり』との報がメリカール軍本陣に届けられたのは、それからすぐのことだった。

 だが、ルーセシア討伐軍前線指揮官であるベルナルドは、その報の不可解さに眉をしかめた。

「もう一度報告を。見たことをそのまま、正しく伝えよ」

「は、ははぁっ。メリカール軍に動きあり! 敵は我が軍の前方、平原地帯に展開! 数、約2千5百」

 ベルナルドの問いに、伝令兵は若干緊張した様子で、しかし先ほど述べたものと一言一句変わらぬ報告をした。

「……よい、分かった。ご苦労である」

 嘘を吐いているわけではないことは分かっていたし、自分の聞き間違いでもないらしいことを確認したベルナルドは、そう言って伝令兵を帰した。

 そして深く溜息を零すと、ベルナルドは自らの目でその報の正誤を確認すべく本陣に設営された天幕から外へと出た。


 今年で37を迎えるベルナルドは、果敢な攻め手を得意とする猛将として名を馳せていた。

 だが、大国メリカールにはベルナルドの他にも戦上手が数多く揃っている。並の小国なら大将軍になれるほど才覚を持っていたとしても、メリカールでは一武将止まりであった。

 だからこそ、このルーセシア討伐では、誰の目にも明らかな戦果を挙げなければならぬ……そう息巻いていたところに、先の砦攻めで喫した敗退は、彼のプライドを少なからず傷付けた。

 その傷を修復するためにも、圧倒的勝利をもって前線砦を落とすしかない。

 そう考えて間髪入れず攻城戦を仕掛けようとしていた矢先に、この報である。


 兵力差を考えれば、ルーセシアは篭城して援軍を待つのが妥当である。何せ向こうはメリカールと比べて内地からの補給も援軍も受けやすく、地の利もあるのだから。

 その妥当な策を取るであろうことを見越した上での波状攻撃を考えていたベルナルドからすれば、出鼻を挫かれた格好だ。

 だが、もし本当ならばこれほど楽なことはない。

 10倍以上の兵力差に、獲物がわざわざ飛び込んできてくれるのだから。


 果たしてベルナルドはその口をニマリと歪めることとなった。

 前線へと赴いたベルナルドの目には、伝令兵の報告どおりの光景が広がっていたのだから。

 巨大、とは言えないものの、落とすとなればそれなりの被害を覚悟しなければならなかったろう堅牢な砦の前に、ルーセシアの旗が幾つも翻っていた。

 しかもその最前線には、大将旗である真紅の旗がたなびいているではないか。

「全軍、三日月包囲陣を敷けぃ! 戦力差を活かし、一気に殲滅するのだ!」

 この機を逃すわけにはいかない。

 恐らく、挙げた戦功の殆どは最高司令官であるカリウス王子に持っていかれるとはいえ、敵の総大将を討ち取ったとあれば訳が違う。

 恩賞、出世はもちろんのこと、妖魔悪鬼の国ルーセシア平定、悪名高い血染めの魔女討伐の第一の功としての栄誉は、英雄ベルナルドの名と共に大陸中へ駆け巡るだろう。

 そうなれば、大国メリカールにおいて、彼の地位は絶対的なものになるに違いない。

 そう考えたベルナルドは、野太い大声で怒鳴りつけるように檄を飛ばしながら本陣へと戻っていった。



 ルーセシア軍2千5百の中から小さな影が飛び出していったのは、その直後であった。

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