第14話 ルーセシア2
そんなパナヴィアを追って、アスラルもまた武器庫を出た。
冗談だとは思いたいが、パナヴィアのことだ。ペットをからかう面白い遊びを見つけたとあれば、本気でやりかねない。
「そ、それより、聞かせてくれ。一体その自信はどこから出てくるんだ?」
「なんじゃ藪から棒に。言うたであろう、ルーセシア兵は精強揃い。ただ数ばかりが能の野犬なぞに……」
「そう、それだ。確かに個の力の差は圧倒的だ。あのトロールの巨体なら、メリカール兵なんてひと蹴りだろう。それは分かる」
「で、あろう?」
「だが、数の力は戦場では決して侮れないものだ。お前ほどの武芸者なら、それは分かるだろう?」
「む……?」
「たとえば、あのトロールに対して5人を犠牲に10人でかかったら? あの素早い狼頭たちに死にもの狂いでしがみついて足を止めたら? メリカールの物量があれば、それは十分に可能な作戦のはずだ」
アスラルにとって、まさにそれこそがメリカールの恐ろしさであった。
自画自賛するわけではないが、険しい山々に囲まれた地で鍛えられたエストリア兵もまた、精強揃いだった。
高価な宝石細工を狙ってきた山賊団を退治に出かけ、揚々と凱旋するエストリア騎士の姿は、子供心にひとつの目標であった。
しかし、そんなエストリア兵たちであっても、雪崩のように襲い掛かるメリカール軍には太刀打ちできなかったのだ。
が、そんなアスラルの心配を、パナヴィアはどこか呆気にとられたような顔で見つめていた。
「な、なんだ。なにか、変なことを言ったか?」
「んにゃ。至極真っ当な言い分じゃと思うてな。なんじゃ? 剣闘奴隷同士の殺人ショーには、1対多数の演目でもあるのかえ?」
パナヴィアの言葉に、アスラルは「ああ」と納得した。
「俺は……まあ、特別だったんだ。確かに普通は1対1だ。けど俺は、こんな得物だろう? 1対1で戦わせても面白くないとでも思われたんだろうな。気付いたら相手が2人になって、3人になって、最後は5人同時が当たり前になってた」
戦場で直に集団戦の恐怖を味わったことがあるからだ……とは言わなかった。
素性を喋るつもりはない。あくまでパナヴィアに振り回されているのはメリカールの卑しい剣闘奴隷、クロスクレイモアなのだから。
そんなアスラルの心中など知る由もないだろうが、パナヴィアもまたアスラルの言葉に「なるほどのう」と頷いてみせた。
「なかなかに瀬戸際を生き抜いてきたようじゃの。しかし……そうであるならば、そちがこのルーセシアに辿り着いたのも、運命なのやもしれぬな」
「うん……め?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「な、なんだって?」
「じゃから、そちがこのルーセシアに来たのは運命じゃったのかもしれぬな、と……」
「ぶふっ!?」
それが聞き間違いなどではなかったと分かった瞬間、アスラルは笑いが噴き出すのを抑えることができなかった。
「な、なんじゃいきなり!?」
「す、すまない! だが……お前の口から、運命なんて言葉が出るのが、意外というか、なんと言うか……」
「なんじゃと!? 可憐な乙女が運命を儚むことくらいあるじゃろうが!」
「可憐? あんな大仰な名乗りを上げて長槍振り回すような女傑に、可憐なんて……」
「お、おのれ、主人に対してなんて口の利き方じゃ! もう知らん、ふんっ!」
アスラルの物言いにブスッと頬を膨らませて、パナヴィアはアスラルを振り切るような
とはいっても、所詮はアスラルの胸元に届くかどうかという小柄な少女の速足だ、追いつくのは容易い。
「す、すまん。つい調子に乗りすぎた。それより教えてくれ、運命ってどういうことだ?」
「黙れ阿呆、もう知らぬ」
「だから、本当にすまない。今のは確かに、俺が迂闊だった」
「犬の言葉は聞こえんなぁ。わんわんわおーん」
が、追いついたはいいが取り付く島がなかった。
どうやら相当にへそを曲げてしまったようだ。
いつもはあんなに尊大で堂々としているのに、こういう態度を見ると外見相応、あるいは見た目以上に幼く感じる。
普段のアスラルであったなら、これ幸いと踵を返していたかもしれない。
けれど、今この状況下で……危険とあればいつでも連れて逃げたいというのに、当のパナヴィアから遠ざけられるという事態は、あまり好ましくない。
それになにより、あのパナヴィアの口から『運命』などという言葉が出たことが、アスラルは気になった。
「悪かった。確かに、年頃の乙女に向かって言っていいものではなかった。本当にすまない」
「知らぬと言うた」
「ならこれは独り言だ。クロス=クレイモアは、先ほどの失言を反省している。山々の緑に紛れてひっそりと咲く赤いユリを見て、あまりの鮮やかさに思わずおかしいと礼を失してしまったんだ」
そこで、ぴたり、と。
パナヴィアの足が止まった。
「非礼は詫びる。けれどもし、この手がまだそれを
「……見え透いた世辞じゃの。が、奴隷にしてはなかなか洒落ておるではないか」
ふぁさっ、と髪を掻きあげ、パナヴィアが向き直る。
「その美辞に免じて、特別に此度のことは不問としよう。ありがたく思え」
その顔には、先ほどとはうってかわって得意げな笑みがありありと浮かんでいた。
そういえば以前、振れぬ尻尾が無いなら世辞のひとつでも……などと言っていた記憶がある。
どうやらこの手の
「お許し頂き、光栄だ。なら、教えてくれないか。さっき言っていた、運命っていうのはどういうことだ?」
「……もうちょっと褒めてくれてもよいのじゃぞ?」
「え? なんだって?」
「な、なんでもないわ阿呆!」
ごほん! と大袈裟に咳払いをして、パナヴィアは再び……今度はアスラルと歩調を合わせて歩き出した。
「そちには言うておらんかったな。このルーセシアは、元々流民が建てた国なのじゃよ。
故郷を無くした者。
故郷を捨てた者。
故郷に追われた者……。
そういった者たちが逃げ込んできて、いつしか建国されたのが、このルーセシアじゃ。
何を隠そう、妾もそんな流民の一人でな」
「え?」
不意に放たれた言葉に、アスラルは思わずそんな声が零れてしまう。
「意外じゃったか? まあ、無理もなかろうな。流民の娘が女王をやっておる国など、大陸広しといえど、ここくらいしかあるまいて」
「流民の……? パナヴィアは、王女じゃなかったのか?」
「はは、分かりやすいから王と名乗っておるだけで、そもそもルーセシアに王家というものは存在せんよ。ルーセシアの王は代々、先代からの
「禅、譲……?」
「ああ、馴染みがないか。王が『これは』と見込んだ徳のある者に、自分から王位を譲ることを言うのじゃよ」
聞いて、アスラルは驚いた。
王を戴いている国であるならば、代々王家の者が王位を継ぎ、万が一子が途絶えたら、その血縁が王になってゆくのが当たり前だとばかり思っていたのだから。
現に、アスラルの祖国エストリアも、代々王家に名を連ねる者が王位を継いできたのであり、女子であるリース1人しかいなかったエストリア王家も、いずれは有力貴族の子息をリースの婿にと考えていたはずだ。
その隙をメリカールに突かれ、次期王の座をアスラルのような弱小の家に奪われまいとした貴族による謀反により、エストリアは一夜にして滅んでしまった。
「もしもそこに資格を求めるとするならば、ルーセシアに対する感謝と愛情かの。その想いが一番強い者が、次代の王となる。単純じゃろ?」
そして、と続けてパナヴィアは歩みを止める。
「妾は言うたな、ルーセシアは負けぬ、と。それが理由じゃよ。ある者はその姿を化け物と忌み嫌われ、またある者は人外の力を悪魔の所業と蔑まれ、このルーセシアへと落ち延びてきた。
そしてルーセシアは、そういった者たちを分け隔てなく受け入れ、今に至っておる。ルーセシアの民は、ただルーセシアで生まれたからルーセシア国民を名乗っているのではない。ルーセシアに救われ、受け入れられ、育まれた命。それゆえ、それを守るために自らの命を惜しむはずがなかろう。
人ならざる力を持った者たちが、己の命を武器に戦うのじゃぞ? メリカールの烏合の衆に易々と敗れるほど、軽いもののはずがあるまい」
初めて耳にした別世界の言葉を聞くかのように呆然とするアスラルに、パナヴィアは諭すようにそう言い切った。
確かに驚いた。
しかしそのときアスラルの胸にあったのは驚きよりも、羨ましさと、一抹の嫉妬であった。
もしもエストリアが、ルーセシアのように禅譲で次期王を選ぶことができていたら、今も健在であったのではなかろうか。
いいや、それどころか自分が……アスラルこそが、次期エストリア王となっていた未来もあったのではないか。
エストリアを愛する心ならば誰にも負けない自信はあるし、祖国のために労苦を惜しむつもりなど微塵も無い。
……そしてそれは、つまり自分が。
取るに足らぬ下級貴族であるアスラルが、エストリア王女リスティーナと――
「それじゃあパナヴィアにも、故郷があったんじゃないのか?」
そんな考えが脳裏を過ぎりそうになって、アスラルは自嘲の念と共に話題を変えた。
「……あったが、それがどうした?」
「その国は、どうしたんだ? ……もしかして、メリカールに?」
アスラルの問いに対して、パナヴィアは無言のまま再び歩みを進めた。
「……いや、追われたんじゃよ。メリカールの下衆どもが呼んでいたように、妖魔悪鬼の子としての。あのとき、そちも言うておったであろ?
命を自由に操れる者など、人間では無いと」
背を向けたまま呟くようにそう告げるパナヴィアに、アスラルは言葉を失くした。
「同じように言われて、妾は7つの誕生日を迎える少し前に一家揃って国を追われた。流れついてきたのが、ここルーセシアじゃよ。そんな妾たちを先代のルーセシア王は快く受け入れてくれたのじゃ。
その恩義に応えるべく、妾はルーセシアの女王になった。この国を守るためなら、妾は何でもやってみせるつもりじゃ」
そう言ってくるりと振り返ったパナヴィアの顔に、先ほど感じたような子供っぽさも、得意げな笑みも、もはや無い。
あるのはただ、この国を蹂躙しようとする外敵を屠る、戦士の目だった。
漆黒の長槍を振りかざし、返り血に塗れた『血染めの魔女』の汚名も厭わない。
アスラルの命を繋ぎとめ、同時に縛り付ける異能の力は、かつて自身の祖国を失った忌むべきもののはずだ。
それであっても、第二の祖国を守るためなら、使うことに躊躇いは無い。
そんな確固たる思いが、彼女の野葡萄色の瞳から伝わってくるようだった。
だが。
「……それでますます、他国から恐怖の対象として扱われることになっても、か?」
「無論。妾たちルーセシアがその風評に折れ、頭を垂れてみよ。妾のような者……いや、メリカールの定義する人間の枠に当てはまらぬ者たちは、全て異端として追いやられることじゃろう。少なくとも妾は、そのような国の中で生きとうはない」
その気持ちは、アスラルにも痛いほどに分かった。
だが、もしパナヴィアの話が本当であるとするならば、このルーセシアにそのような不名誉は、あまりにも似合わないのではないか。
……そう感じてしまうのは、アスラルが名誉を重んじる騎士という身であったからだろうか。
「分かったであろう? この戦、妾たちが負けるわけにはゆかぬのじゃ。いいや、負けぬ、では足りぬ。下手にルーセシアに手を出せばタダでは済まぬことを、徹底的に教えてやらねばならん」
「……魔女の汚名をかぶってでも?」
「その程度のことで守れるなら、安いものじゃ」
パナヴィアははっきりとそう言い放った。
それは恐らく、一国の主としてごく当然の言葉なのだろうということは、アスラルにも分かった。
自国の民を守るため、自国の誇りと尊厳を守るために他国と戦い、必要とあらば滅ぼすことも辞さない。
それは確かに真っ当なことなのだということは分かる。
……けれど。
「何じゃ、不満でもあるのか?」
顔に出てしまったのか、訝しげな表情でパナヴィアはアスラルをじぃっと見つめる。
「……別に。ただそうやって自分に敵対するものを叩き潰していって、その先にあるのが平和だというのなら、平和っていうのは随分と血生臭い言葉なんだなと思ってな」
傷ついた者を受け入れ、最も祖国を愛する者が王となる、アスラルにとって理想かもしれない国。
そんな国であっても、それを守るためには戦いがつきまとうのか……と。
「え?」
一瞬、アスラルが何を言っているのか分からないといったふうに、パナヴィアはきょとんと首を傾げた。
「……優しいんじゃの、そちは」
暫くしてやっと理解したのだろう。
少し苦いものの混じった笑みを浮かべたパナヴィア口から出た声から、張り詰めた何かが消えていた……ような気がした。
「そして愛らしいほどに阿呆じゃ。
「……褒めてるのか? 貶してるのか?」
「半々じゃの。じゃが仕方なかろう、妾の周りには有能な者が多いからの。一人くらいは単純なヤツがおったほうが、面白みが増すというものじゃて」
が、次の瞬間に口をついたのは、いつものおちょくるような音だった。
「あぁあ、やれやれ。つまらん話をしてもうたのぉ。ま、捨て犬が主人に
そして、底意地の悪そうな笑みを浮かべながら、軽やかな足取りで踵を返し、アスラルを放ってさっさと歩いていってしまった。
いけない、せっかく機嫌が直ったのだから、できるだけ近くにいなければ。
危なくなったら、すぐにでも抱えて逃げられるようにしなければ。
そう思いながらも、暫くアスラルの足は、その場から動くことができなかった。
少しずつ遠ざかっていく小さな背中が、今はやけに大きく、
儚げなもののように、
見えてしまったから……かも、しれない。
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