第11話 犬と女王の戯れ
軍議を終えての道すがら、パナヴィアは終始ご機嫌な様子だった。
理由は……探るまでも無い。
「のう、クロスよ。もう一度言ってはくれぬかえ?」
「……言わない」
「つれないことを。減るものでもあるまいし」
「減るから言ってるんだ。……俺は、ただ事実を事実として述べただけだ」
「じゃから、もう一度その事実を事実として述べてくれればよいのじゃ。それで妾の機嫌はすこぶる良くなるぞ?」
アスラルの数歩先を歩きながら、パナヴィアはさっきからずっとこの調子だった。
パナヴィアの身を案じたつもりなど、一切無い。ただパナヴィアの命が危険に晒されるようなことがあっては、アスラルもまた命の危機に直面する。
ただそれだけの理由で発した、無意識のひとことに過ぎない。
しかし当のパナヴィアはそれがいたく気に入ったようで、アスラルとしては何とも居心地が悪い思いだった。
「それより気になることがあるんだが、訊いていいか?」
「そちが先ほどの告白をもう一度してくれるというのなら、幾らでも」
「茶化すな……俺を軍議の席まで同行させて、盾として使うと言ったな」
「ん? ああ、あれか。気にするでない、そちを手元に置いておくための、ただの方便じゃ」
「本当にそうだとするなら俺としても有難い話だ。……が、大臣がたがそれで納得したということに、いまひとつ納得がいかないんだ」
「……何が言いたい? ただ分かりにくいだけの回りくどさは、あまり好かんぞ?」
「なら、率直に聞く。お前、刺客に襲われたことがあるのか? それも、一度や二度ではなく」
その問いかけは、アスラルとしては気が気でないものだった。
もしパナヴィアの言うとおり、本当に彼女の戯れだけで自分をペットにしたというのならば、それはそれで構わなかった。
だが、あのような……少なくとも、国家の命運を決める大事な場に、いくらペットとはいえ何処の馬の骨とも分からない者を同席させることが、ああも簡単に受け入れられたことがアスラルとしては疑問だった。
だが、もしそれが戯れなどではなく、本当に刺客による暗殺の危険性があり、過去にその襲撃を受けた経験があるとするなら、あれ以上言及しなかった大臣たちの対応にも頷ける。
リースを救うためには、アスラルはどうしても生き延びなければならない。
そして生き延びるためには、パナヴィアにも生きていてもらわないといけない。
しかしそのパナヴィアが、終始暗殺の危険に晒されているような日常を送っているのだとしたら、アスラルとしては覚悟を決めておかねばならないと思ったからだ。
「メリカールがなにゆえあれほどの大国としてその名を轟かせておるか、分かるかえ?」
が、そんなアスラルの懸念に対してパナヴィアから答えは無く、代わりに別の問いが投げかけられる。
「……質問の意味がよく分からないな」
「言葉どおりじゃよ。メリカールがあれほど広大な国土を支配するに至った理由は何か、と問うておるんじゃ」
言い直されても、やはりアスラルにはパナヴィアの質問の意図が理解できなかった。
そもそも、そんな理由などが分かっていれば、もっと色々と手の打ちようがあるではないか、と思う。
そしてそうであったのならば、もしかしたらエストリアは今も……。
「さぁ、見当も付かないな。ただ、現メリカール王は軍事、政治センスに優れた人物だと聞いている。そんな王が治める国なら、自然と強くなりもするんじゃないか? 他国を侵略してまで領土拡大したがるなんて、人間的には間違っても尊敬したいと思わないが」
今は亡き故郷に思いを馳せそうになり、アスラルは慌てて意識を現実に引き戻す。その意味も込めて、思いついたことを適当に言ってみせた。
「……ま、三割くらいは当たっておるであろうな。王の実力、才能、人柄は国の盛衰に大きな影響を与える。そこは間違っておらぬ」
くるりと踵を返し、パナヴィアはアスラルへと向き直る。そしてニマリと口の端を上げて、悪戯っぽく笑ってみせた。
「じゃがそれが理由だとするならば、我がルーセシアは今頃この大陸の覇者となっているはずじゃと思うのじゃが、如何に?」
「……は?」
「じゃから、王の優劣が国の優劣に直結しておるなら、メリカール王より優秀な妾が治めるルーセシアは、もっと大きな国になっておらんとおかしいじゃろう、と言うておるのじゃよ」
「……さて、俺はメリカール王を直に見たことが無いんでね、比較のしようが無い」
「比較なぞせんでも、妾を見れば一目瞭然であろう? ほれほれ、よう見てみよ」
赤い髪をふぁさっと掻きあげ、それからその場でクルリと回ってそう言うパナヴィアに、アスラルは半ば呆気に取られてしまった。
「ま、半分くらいは冗談として、じゃ」
「半分は本気なのか?」
「っはっはっは、どうであろうなあ? まあ、若さと可愛さなら、妾の圧勝であろうな。民からの人気も、きっと妾のほうが上に決まっておる」
「……それとこれと、何の関係が?」
「なんじゃつまらん。ペットのくせに尻尾が無いんじゃから、こういうときは世辞のひとつでも言って愛想を振りまいてくれてもよかろうに」
ふん、と鼻を鳴らし、パナヴィアは少しむくれたようにアスラルを睨む。が、やがて大きなため息を吐いて、やれやれと苦笑交じりに肩をすくめた。
「……メリカールが大国として名を馳せる理由。それは、豊富な人的資源によるところが大きいじゃろう」
「人的資源?」
「うむ。軍事、政治両面において、才能のある優秀な臣下が多いということじゃな。もっとも、そういう優秀な者たちも王のカリスマ性に惹かれて集ってくるのじゃろうから、そちの言うことも間違ってはおらん。ゆえに三割は正解と言った」
「……そう、か。まあ、言ってることは分からなくはない。だが、それとこれとどういう関係が……」
「大ありじゃろうが。どうしてメリカールは、こうも的確なタイミングで攻めてこられるのか。何ゆえ奴らは、妾たちがそっとしておいて欲しい時期を狙って侵攻してこられるのじゃろうか。王の才覚ゆえか?」
パナヴィアの言葉に、アスラルは背筋に薄ら寒いものが走るのを感じた。
「密偵か」
「さよう。しかも恐らく、ただの密偵ではないぞ。敵の中に潜み情報を漁る……その程度では終わらぬじゃろう。敵の中に味方を作り、腹の中から食い破る。そういう策略を得意とする者を、何人も飼っておるんじゃろう。そして、そういった者どもを利用すれば……そちの言う、刺客を潜り込ませるのも容易であろうな」
パナヴィアの言葉に、思わずアスラルは周囲に警戒を飛ばした。
やはりパナヴィアの周囲には、彼女の命を狙う刺客が潜んでいるということか。
いいやそれよりも。今のパナヴィアの言葉には思い当たることがある。
敵の中に味方を作り、腹の中から……。それはまさしく、たった一夜で祖国が滅んだときの、そのままの光景ではないか。
「っぷ、っはっはっは! なんじゃいきなり? 心配せずとも、そう易々と妾は殺されんよ」
「……そんな話を聞いて、はいそうですかって素直に納得できるわけ無いだろう?」
「心配性じゃなぁ。安心せい、屋敷の中で襲われたことは、さすがに無い」
「屋敷の外でならあったってことだろう!? だとしたら、ここには来ないなんて言いきれないはずだ!」
「そうかもしれぬが、それをさせんためにこの屋敷には近衛が常駐しておるし、メイドの中にも武芸の心得がある者もおる。それを信じて任せるのも、主の度量というものじゃよ」
「それでもだ! 戦場で死ぬならまだ納得もできる。けど、そんな卑怯な手を使ってくるなんて……許せるわけがない!」
ギリ、と無意識に奥歯を噛みしめてしまう。
脳裏に過ぎるのは、祖国エストリア。
まともに戦うこともできず、国内の……それも臣下の裏切りにあって敗北した苦い思い出がアスラルの脳裏によぎった。
そんな惨めな負け方なんて、もう御免だ。
そんな風に思いながら項垂れるアスラルだったが、パナヴィアは「え?」と少し驚いたような声を上げて、
「くく……っ、ははは、あははははは……ッ。やぁ、すまぬすまぬ、ちと想定外であった。なかなかに可愛いことを言うではないか。クロスよ、どうやらそちは愛らしいほどの阿呆なようじゃの」
なんとも不名誉な評価と共に、盛大に笑い飛ばしたのだった。
「な……ッ。わ、笑うところじゃないだろう!? 俺は真面目に言ってるんだ!」
「笑いもするわ。そちは兵法のひとつもまともに知らんとみえる。そういえば、剣闘奴隷じゃったか? そのような身では兵法なぞ学ぶ機会も無かったろうからな、致し方なしか」
笑いを抑え、パナヴィアはこほん、とひとつ咳払いをしてからアスラルの顔を睨むように見つめた。
「よいか。国を挙げての戦いというのは、あらゆる手段が正当化される場であると心せよ」
「……あらゆる、手段が?」
「さよう。たとえば此度の例……敵の中に味方を作る、というのは至極真っ当な兵法であろう。『城を攻めるは下策、心を攻めるは上策』とな」
「心、を?」
「うむ。十と十の力が真っ向からぶつかり合えば、敵味方両陣営に多大な被害を出す。しかし相手を心理的に疲弊させ、本来の力を出させないようにしてしまえば、味方の被害は少なくなる。損害は少なく戦果は大きく……戦いの基礎の基礎であろう」
「そ、それは……いや、そのとおりだ。だが……」
「同じじゃよ、城を落とすのも、国を落とすのも。ゆえに、それを卑怯と罵ることは、自らの心に油断を生むだけじゃぞ。……もっとも、胸糞は悪いがの」
そう言うと、パナヴィアは再び口の端を上げて笑った。
先ほどのそれとは違う。圧倒的実力差のある格下の敵を前に、笑みだけで威嚇するような不敵な表情で。
まるで、アスラルの心に生じた怒りと、その根底に根差す恐怖を見透かしているかのようだった。
「じゃから、そのような小賢しい策略など意味は無いと思い知らせる。このルーセシアを落としたいのならば、まさにその正々堂々真っ向勝負以外に道は無いと、勝利に酔いしれたメリカールに教えてやる。そのために、妾がおるんじゃ」
そう、はっきりと。
何の気負いも、憂いも無く。
アスラルの心にある恐怖を根っこごと引っこ抜くかのような強い意志のこもった瞳で、パナヴィアはそう言い切った。
一体この自信はどこから来るのか。そこまで言うからには、すでに必勝の策でも備わっているというのだろうか。
野葡萄色をした、パナヴィアの瞳。
それが今は純度の高い紫水晶のごとく見えてしまったのは、彼女そのものを示すかのような、底の見えぬ紫暗の輝きを感じたからだろうか。
……が。
「それにの、もしそんなにも妾が心配じゃというのなら、そちは四六時中妾に付いておらねばならなくなるではないか」
「……生きるためだ。それしか方法が無いなら、やむを得ない」
「ほほう、それは殊勝な心がけ。ではこれからは、妾の湯浴みのときは、きちんと共に来るのであろうな?」
「ゆあ……って、ど、どうしてそうなる!?」
一転して声の調子が変わったと思ったら、今度は予想外の方向から、予想外の返しが飛んできた。
「決まっておろう。湯浴みなのじゃから、妾は丸腰も丸腰、一糸纏わぬ無防備そのものの姿なのじゃぞ? そんな主人をひとり放っておいて、もし浴場で刺客に襲われでもしたらどうするつもりじゃ?」
ん? と下から覗き込んでくるパナヴィアの顔に、ついさっきまで浮かんでいた不敵な笑みは無い。
代わりにあるのは、つい発してしまったアスラルの失言をおちょくって遊ぶ、残忍な悪戯っ子のそれだ。
「いやぁ、妾としては願ったり叶ったりじゃが、さすがにいくらペットとはいえ、いい年の男に裸をまじまじと見られるというのは少々落ち着かぬのう。かといって、目を瞑っておっては湯煙に潜んだ刺客を見逃してしまうやもしれぬ。うぅむ、困ったのう?」
「……ば、馬鹿馬鹿しい。それこそ、その武芸の心得のあるメイドとやらに守ってもらえばいいだろう」
「ほう、まったくもってそのとおりじゃ。じゃが、そちは先ほど妾の屋敷の者を信じられぬとは言わなかったかえ? これでも近衛とメイドは、妾が直に見定めた選りすぐりなのじゃが、それをアテにはできぬと、言うておった気がするのじゃが……」
「あぁあ、済まない! 俺が悪かった! 信じる、信じるさ。屋敷の中の安全は、信じて任せる。……これでいいか?」
「やれやれ、腹を見せるのが早いのう。もうちょっと抵抗してくれんとつまらんではないか」
「だから降参したんだ、これ以上遊ばれてたまるか」
「ほ。なるほど逃げるが勝ちか、確かにそれも立派な兵法じゃの。これはしてやられた」
アスラルは苦々しいため息を残して、けらけら笑うパナヴィアを追い越して歩き出した。
「これ、主人を置いてどこへ行くか」
「お前が戦支度をしているあいだに、得物を取りに行ってくるんだ! 屋敷の玄関で待っていればいいだろう!?」
「はは、ようやく主人の気持ちを察することを覚えたか。ペットとして殊勝な心がけ、褒めてつかわそう。では、玄関での!」
からかい交じりの声を背に受けて、アスラルは散々おちょくられた悔しさと、はからずもパナヴィアを守ると繰り返し公言してしまった気恥ずかしさとを踏み潰すように、わざと大股でドスドスと歩いて行った。
そのせいで……。
いいや、そのおかげで。
メリカールへの怒りも、エストリアを失った後悔も薄れていることに、僅かばかりの感謝を心中で呟きながら。
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