第34話 決戦の時 ~メリカール~
ルーセシア前線砦陥落から、ちょうど15日目の、朝であった。
『ルーセシア軍に動きあり』
そんな報が、元ルーセシアの前線砦であるメリカール軍内を飛び交った。
その報に城外の兵は色めきだった。
いや、浮き足立った、のほうが正しいだろうか。
真正面から一戦交えて、彼らも気付いたはずだ。
砦を攻めていたときのルーセシア軍が、まるで本気を出していなかったことに。
メリカール軍の戦力を探るため、連戦連勝というイメージを植え付けて油断を誘うために仕組まれた、偽装だったことに。
ならば、本気を出したルーセシア軍が全力で砦を落としにかかってきたら、どうなるのだろうか。
兵力差は未だ健在。
攻城戦では3倍差でようやく互角……そんな常識がまるで通用しない相手を前に、兵士たちの気は重い。
しかも悪いのはそれだけではなかった。
城壁に整然と並んだ弓兵の群れ。
あの
もしも逃げ出せば、その矢は味方を射抜くことに何の躊躇いも無いだろう。
前にあるのは死。
そして後ろにあるのも、死。
そんな恐怖に支配されたままメリカール軍徴兵部隊は、恐ろしく統率の取れた陣形を組む化物たちを前に、自らに降り注ぐ死の予感とひたすら戦い続けるほかなかった。
もちろん、城内もまた、にわかに騒がしくなった。
今まで散発的な攻撃しか仕掛けてこなかったルーセシア軍が、いよいよ総攻撃といわんばかりの布陣を見せてきたのだ。
まさかこれもまた敵の策略であろうか……などと疑う暇は無い。
それに何より、それを疑う理由が、カリウスには無かったのだ。
「おのれ……っ、おのれ、おのれおのれおのれぇぇ……ッ!」
足音も荒々しく、カリウスは真っ直ぐに城壁の上を目指していた。
万が一ということを考えていなかったわけではなかった。
だが、いざその現実が目の前に現れてみると、事前の心構えなど容易く吹き飛んでしまう。
「こ、これは殿下! このようなところで、何を……」
「挨拶などよい! 貴様はクズどもの一匹も逃がさぬよう、目を光らせておくがよい!」
城壁の上に出ると、近くにいた弓兵たちが揃って敬礼をしてくるが、それすら今のカリウスには苛立ちを煽る材料にしかならなかった。
持ってきた遠眼鏡を使い、ルーセシア軍を見やる。
そして〝その姿〟を見つけた途端、カリウスは持てる限りの力で遠眼鏡を床に叩きつけたのだった。
オーガやトロールなどの化物どもに混じっているせいで、その姿はまるで子供か、ともすれば赤子のように見えた。
しかし、それゆえに見間違えるはずがなかった。
『ルーセシア軍の中に、ただの人間が混じっている』
その報告を受けたとき、はじめは冗談かと思った。
あるいは、魔女パナヴィアのことを指して言ったのではないか、と。
だが、実際に見てみればそれが冗談でもなんでもなかったことを思い知る。
顔など、とうに忘れてしまっていた。
踏みつけた奴隷の顔などいちいち覚えているほどカリウスは暇では無い。
だが、その背に差されたふた振りの
大人の身の丈ほどもある大太刀は、周囲の巨漢どもにとっては片手剣にも等しいだろうが〝人間が一人で扱う〟には余りにも常軌を逸している。
だが、それを一度にふた振りも操る常軌を逸した者の姿ならば、よく覚えていた。
「おのれぇ! おのれアスラル! よくも裏切ったな!?」
すでに用を成さなくなった遠眼鏡の残骸をこれでもか! と踏みつけながら、カリウスは奇声にも近い怒声を撒き散らした。
ルーセシアに忍ばせていた密偵からの報告では、アスラルはカリウスからの命令を確かに承諾した、とのことだった。
だが実際はどうだ。
化物どもの群れに混じって、いけしゃあしゃあとメリカール軍と対峙しているではないか。
いいや、あんな重剣を片手で、しかもふた振りも同時に操るような者など、もはや人間ではない。
むしろあちら側……化物どもの中にいるほうが、よほどしっくりくるではないか。
「はぁ……っ、はぁ……ッ! いいだろう……いいだろうアスラル! 貴様がそのつもりならば、余とてもう遠慮はせぬ!
おい、そこの! えぇい、貴様だ!」
「は……? は、はっ! 自分で、ありますか?」
「痴れ者め! 王に呼ばれて、自分でありますかとはなんだ!?」
「は、ははぁ! 申し訳ございません!」
いきなり呼びつけられたのは、先ほどカリウスに挨拶をした弓兵のひとりだった。あまりに理不尽な物言いであったが、今のカリウスに意見したところで……いいや、普段であっても、たかだか一兵卒がカリウスに意見するなど、あってはならないことだ。
「ふん、本来ならこの場で手討ちにしてやるところだが時間が惜しい。貴様、今すぐあの女をここへ連れてまいれ」
「は……あの女、でありますか?」
「愚か者が! こんな場所に女が十も二十もいるものか! リスティーナだ! リスティーナ=エスリーゼ! すぐに連れてまいれ、今すぐだ!」
「は、ははぁっ! 畏まりました!」
弾かれるような敬礼をしたのもそこそこに、その兵は逃げ出すように砦内へと駆け出していった。
いや。ように、ではない。
飾り程度のものとはいえ、腰に差した剣に手を掛けたカリウスの前に立つなど、それこそ自殺行為にも等しい。
ましてや「女なら確か、世話役の女中が数名いたはずですが」……などという口ごたえは、絶対にしてはならなかった。
○
リースにとって、それはただひたすら悲しみに耐えるばかりの日々であった。
夢にまでみたアスラルとの再会への期待は、戦場の生み出す凄惨さの前にあっという間に掻き消えてしまった。
夜、眠るのが怖い。
アスラルの姿を探して城壁の上から見た戦場での光景が、瞼に焼き付いて離れない。
大人の男よりひと回りもふた回りも大きい、ルーセシアの異形の兵隊たち。
神に仇なす妖魔悪鬼の国とはよく言ったものだ。
そして、その化物たちに蹂躙されてゆく、メリカールの兵たち。
斬られ、裂かれ、踏み潰されてゆく、ついさっきまで人だった、もの。
1人が殺されるあいだに何とか2人が逃げ、その片方がどうにか自分だけでも助かろうと、もう片方を足蹴にする。
戦場とは、なんと悲惨な場所なのだろう。
こんなにも人間としての命が、誇りが、尊厳が、軽くなってしまう場所だというのか。
そして、散々に負けて帰ってきて、ろくに労われることもなく床に転がされる、傷付いた兵士たち。
せめて一声だけでも掛けたかった。
そんなことをしたところで何もならないことは分かっていても、せめて一言。
大丈夫、きっと国に帰れるから。
だから諦めず、精一杯頑張って……と。
それは、偽善なのだろうか。
かつて自分の故郷を滅ぼした者たちへ労いの言葉を掛けるなど、ただ目の前の悲しみから目を背けたいだけの弱さなのだろうか。
そんな自分にできることは、その恐怖に負けまいと自らの身を抱きしめ、必死に耐え続けることだけ。
無力。
なんと無力なのだろう。
傷付いた兵を労うこともできず。
敵に操られているのだろうアスラルを見つけることもできず。
遅々として進まぬ戦線に溜まる一方なのだろう苛立ちの捌け口を求めて押しかけてくるカリウスを押し返すのも、すべて世話役の女中に任せきり。
自分で断る勇気も、出てこない。
ただ戦地の兵糧を無駄に食い潰し、出会えるかどうかも分からぬ男を待つばかりの日々。
――もういっそ逃げ出してしまおうか。
そんな考えが頭の片隅をチラつくようになってから、暫くしたある日のことだった。
「カリウス殿下がお呼びです。至急、城壁までお越しください」
まるで命辛々逃げ込むようにしてリースの部屋にやってきた顔面蒼白の兵は、懇願するかのようにそう告げたのだった。
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