インテルメディオ ~パナヴィア~

 目の前に傷ついた者がいて。

 それを救いたいと願うことに、

 一体何の罪があるのだろう。



 丸2日降り続いた雨のせいで、川はいつもとまったく違う姿を見せていた。

 山のほうに行ったら、もっとすごいんじゃないか?

 何気なく放たれたのだろうその一言は、幼い少年たちの冒険心に火をつけた。


 きっとあぶないよ。やめておこうよ。


 少女の零した小さな願いは、しかし少年たちに届くことは無かった。

 ならいいよ、おれたちだけで行くから。

 女はこういうときめんどくさいよなー。

 弱虫はほっといて行こうぜ。

 子供たちの力関係を明らかにするための、無邪気で残酷な仲間外れ。

 じゃあもういいよって言えば、明日からはきっと仲間には入れてもらえない。


 わかったよ、いっしょにいく。


 孤立より群れを選ぶのは、力無い者の本能か。

 大人に告げることなく、子供たちは山へと出かけた。


 山の中で見る水の流れは圧巻であった。

 特に、いつもは筋のような水が流れるだけの小さな滝が、今日ばかりは岩さえ押し流しそうな勢いで、少年たちは否応なく興奮した。


 だが、少女は感じた。

 ここは嫌だ。

 理由は無い。何となくだが、ここにはいたくないのだ。


 けれど、少女が静止を促すよりも早く。

 無邪気な冒険者たちは、勇敢なる一歩を踏み出して。

 無謀な一歩を、踏み外した。


 あっ、と声が上がったときには、もう手遅れであった。

 小さな体はあっという間に急流に揉まれ、川下へと流されてゆく。

 慌てて追いかけたが、子供の足で川の流れに追いつくことはできない。


 それでも、どうにか追いつくことができたのは。

 少年の体が、流れの途中にある岩にしたたかに叩きつけられ。

 そのおかげで軌道が変わり、川岸に打ち上げられたからであった。


 しっかりしろ!

 おい、目を開けろよ!


 追いついた少年たちが必死に呼びかけるも、ぐったりとした体からは何の反応も無い。

 このままではまずい。

 おぶって帰ろうにも、ここから村まではかなりの距離がある。

 それまでに、きっとこの子は……。



 おねがい、かみさま。

 どうか、あの子をたすけて。



 少女の切なる願いに応えた者は、果たしていなかった。

 しかし、その瞬間。

 少女の目には、信じられない光景が映ったのだ。


 たとえるならそれは、水筒の水だった。

 ぐったりと倒れた少年が、まるで水筒のように見えたのだ。

 そして、その水筒の口から、中身がどんどん溢れ出ていくのが分かった。


 ならばどうするか。

 倒れた水筒を元に戻し、これ以上水が流れ出るのを止めればいいのだ。

 そして、すっかり零れ落ちて、底の尽きかけた少年の水筒に。


 自分の持っている水を、注ぎ、分け与える。



 村中に『奇跡の少女』の噂が広まるのに、それほど時間はかからなかった。

 動かなくなったあいつを抱きかかえたと思ったら、手の当たりがパアッと光って、そうしたらあいつ、元気になったんだ。

 興奮したような少年たちの言葉は、ほどなくして村の誰もが知るところとなった。


 あの少女は、うちの子の命の恩人だ。

 天使だ。

 聖女だ。

 いいや、生命と誕生の女神、エルカーサ様の再来だ。


 人々は口々にそう言い、少女もまた、自分が友達を救えたことを誇らしく思った。


 だが、その日々は、余りにもあっけなく終わりを告げた。



 エルカーサ様の名を騙る魔女と、魔女を産んだ悪魔を許すな。


 エルカーサ教の神官と名乗る男たちが村へやってきたと思ったら、口々に少女を断罪した。

 はじめは、その神官たちの唱える、僅か数名の声だった。

 けれど、いつの間にかそれはひとつ増え、ふたつ増え、気付いたときには、村の誰もが少女をそう呼ぶようになった。


 魔女、と。

 命を弄ぶ、赤い魔女……と。


 大人たちは侮蔑と嫌悪を込めた言葉を。

 子供たちは、その感情を形にして少女にぶつけた。


 魔女が出たぞ!

 それ、魔女退治だ!


 無知な正義感に酔った少年たちは、少女に石を投げつける。


 ほら、お前もやれよ。

 できるわけねぇよ。こいつ魔女に助けられたんだぜ。

 なんだ、それじゃあこいつも魔女の仲間か。


 できるよっ!


 囃し立てられ、少年は石を手に取る。

 孤立よりも群れを選ぶ、力無い愚者の本能。



 だが。



 魔女め、出ていけ――


 その言葉が、少年の口をつくことは無かった。

 代わりに出たのは、身の毛もよだつ、絶叫。

 全身に針を突き刺されたかのような、聞く者すべての腹の底が縮み上がるほどの悲痛な叫びと共に、少年は倒れた。


 そのときは、まだ命に別状は無かった。

 だが、それから数日のあいだ。

 少女を魔女だと。

 僕は魔女に呪われたんだと。

 そう零すたびに襲い掛かる、原因不明の激痛に苛まれながら、少年は苦悶の表情を浮かべたまま、息を引き取った。



 もう、少女を魔女と呼ぶことを躊躇う者など、誰一人いなかった。

 子供たちは石を投げなくなった。

 代わりに少女の姿を見るや、悲鳴と共に逃げ去るようになった。


 大人たちは、皆一様に口を噤んだ。

 代わりにエルカーサ教の神官に、悪魔祓いをするよう懇願した。



 少女と、その両親が村から姿を消したのは、エルカーサ教の神官たちが少女の家に火を放とうとした、

 ちょうどその前の日の夜のことであった。





「それで、自分は生きてる資格はねぇっていうのか?」


 低くしゃがれた、しかし未だ張りを失わない声に、少女は力無く頷いた。


「バカ言ってんじゃねえよ。そりゃあ確かに、そいつらを恨むなって言ったのは儂だ。けどだからって、なんで今度は自分が悪いって発想になるんだ?」

 だって、あの子たちは悪くないんでしょう?

 なら、悪いのはあたしじゃないの?


「だから、それがバカだっつってんだよ。おぇがやったことはなんだ? 言ってみろや」

 ……友達に呪いを掛けたこと。


「違う、そうじゃねえだろ。お前ぇはどうしてそのチビ助に術をかけた? そいつが憎かったのか? いつも自分を仲間外れにしようとした腹いせに、殺してやろうとでも思ってたのか?」

 違う、そんなわけない!

 あたしは、あの子を助けたかったの!


「ほら見ろ、そうじゃねえか。それがなんでお前ぇが悪いって話になるんだよ。そぉら、説明してみな」

 ……じいさまは、いっつもいじわるばっかり言うのね。


「意地悪だぁ? 結構じゃねえか。自覚も無ぇバカに自分がバカだと分からせてやることを意地悪って言うんなら、儂はいくらでも意地悪してやるぜ」


 むちゃくちゃ言ってる、と思った。

 けれどその人の言うとおり、本当は自分も、自分が悪いことをしたなんて思ってはいない。

 あのときの、あの子を助けたいって思った気持ちは、ウソなんかじゃない。


「なら、どうだ? 悪いのは誰か、分かったか?」

 ……だれも、悪くない。

 悪いのは、悪いことをしていない人を、悪いって決めつけること、そのもの。



「……ま、及第点ってことにしといてやろう」


 そう言って皺くちゃの手で、少女の赤い髪をくしゃくしゃと撫でる。


「いいか? お前ぇは正しい。

 目の前で消えそうな命を助けたいと願ったお前ぇは、誰よりも正しい。

 だからお前ぇは、お前ぇ自身と、お前ぇに授けられた力を絶対に悪く言っちゃあいけねえぜ。

 儂との約束だ。守れるか?」

 ……やぶったら、またいじわる言うんでしょう?


「分かってるじゃねえか!」


 けらけらと笑うその声に、少女もまたつられて、可笑しそうに微笑わらった。


「それとな。こいつぁできれば、でいいんだけどな」

 まだなにかあるの?


「もしこの世に本当に神様なんてもんがいるんだとしたら、そいつぁ紛れも無く神様がお前ぇに授けたもんだ。

 お前ぇなら正しく使ってくれるだろうって、信じて与えてくれたもんだ。

 だからよ。この先、お前ぇが自分の正しさに何も恥じることがなくて。

 お前ぇが心から救いたい、助けたいと思うヤツがいたとしたら。

 その力を使うことを、迷ったりしねえでくれよ。

 助けられたのに助けなかったって後悔は、他人から傷付けられた痛みより、ずっと長く残っちまうもんだからな」

 ……じいさまにも、そんなことがあったの?


「ハッ、考え過ぎだ、マセガキ。

 とにかくお前ぇは、お前ぇが正しいと感じたことを素直に信じろってこったよ。

 生まれも、育ちも、

 できることも、できないことも。

 なんもかも含めて、お前ぇなんだからな」

 ……うん。わかった、じいさま。



「よぉし、いい返事だな。ナヴィ」

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