第12話 血染めの魔女

 パナヴィア率いる先発隊5百名が、ルーセシアの国境に建てられた小さな砦を見下ろす丘の上に辿り着いたのは、ちょうど太陽が南の空高くに昇ったころであった。

 夜が明けて間もなく始まった軍議からすると、少数とはいえ驚くべき素早さである。


「皆、それぞれ隣の者を見よ。落伍者はおらぬか!?」


 額に小さな角が二本生えた軍馬の上から、パナヴィアの声が響き渡る。

 ややあって、5百の人波のいたるところから「おりません!」「全員付いてきております!」と、次々に声が上がった。

「うむ、見事」

 その声を聞いて満足気に頷くパナヴィアの姿を見ながら、アスラルは思うのだ。

「無茶苦茶だ」と。


 あの後、戦装束に着替えて出陣を告げたパナヴィアの行動は余りにも早すぎた。

 愛用の槍を持ち、アスラルを連れて軍馬の置いてある厩舎へと向かう道すがら、擦れ違う者すべてに「武具をもち、妾に続けと皆に伝えよ!」とだけ告げてゆく。

 パナヴィアの愛馬なのだろう、大の男が乗るには少し小柄な一頭を連れてくると、厩番うまやばんの手を借りることもなく自分で鞍を着けてやり、そのままヒラリと跨る。


 そして次の瞬間には、

「クロス、付いて参れ! 出陣じゃ!」

 と言うが早いか、アスラルどころか兵の一人も連れぬまま駆け出したのである。


 もはやアスラルに文句を言う暇も、余裕も無かった。走りだしてしまった馬に付いていき、国境まで走りきるなんて無茶だ。

 予備の鞍をひったくるように借りると、アスラルは幅広の剣をふた振り背負っただけの着の身着のままも同然の姿で、パナヴィアの後を追いかけたのだった。


 町を抜け、町を囲む山を駆け上がり、振り落とされそうな速度で斜面を駆け下りた。

 点々と農地の見える平原をひた走り、前を走るパナヴィアを見失わぬようひたすら追いかけ続けて、そして現在。


 出陣はパナヴィア単騎であったというのに、振り向けばそこには5百名の軍勢がすっかり出来上がってしまっているのだ。

 何より驚くべきは、皆一様に息を切らしてはいるが、ヘバって座り込んでいる者など一人もいないということだ。

 しかも、乗馬しているものはその中の数十名であり、殆どの者が自らの足ひとつでパナヴィアの後を追いかけてきたのである。

 改めてアスラルは、ルーセシア兵の恐るべき体力に身震いする気分だった。


「見よ、皆が急いでくれたお陰で、まだ国境の砦は落ちておらぬぞ。が、警備隊は2千、対するメリカールは3万。いくら我らがメリカールの雑兵十人を相手取れる剛の者揃いとはいえ、さすがに分が悪い」

 じゃが! と強くひと呼吸置いて、パナヴィアはぐるりと5百の兵たちを見回す。

「妾がおれば3万など物の数では無い! 妾たちの強さ、奴らに見せ付けてやろうぞ!」

 冷静に聞いていれば余りにも馬鹿げていると思えただろう。

 だが、その堂々たる前口上をただの妄言だと思うことはアスラルにはできなかった。

 それどころか、本当にそんな気がしてきてしまうのは、痛みどころか傷痕さえも残っていない右肩がジクリと疼いたからだろうか。

 そしてそれは、5百の兵たちも同じだった。

 いや、パナヴィアと共に戦場に立ってきた者たちだからだろう、疑うこと無くパナヴィアの音頭に合わせて高々と声を上げている。


「ゆくぞ! 妾に続けぇっ!」


 その声に応えるように、パナヴィアの漆黒の槍が掲げられた。

 5百の怒号は何の躊躇いも無くパナヴィアの後を……いや、パナヴィアを追い越さんとする勢いで、砦を攻めているメリカール軍へと突撃していったのだ。

 一見すると、それは無謀であった。

 全軍ではなく、波状的に砦を攻めている先鋒部隊を相手にするだけとはいえ、ざっと見ただけでも3千は下らない。

 5倍以上の相手に、ただ闇雲に突っ込んでいって勝てるわけが無い。

 ……それが、交戦が始まる直前までの、アスラルの考えだった。だからこそアスラルはパナヴィアのすぐ傍にいようとした。

 パナヴィアの死が己の死と直結しているとあれば、何が何でも守らなければならない。しかしこの女王様は、まるで自分の命など惜しくないと言わんばかりに敵陣の真っ只中へ飛び込んでゆくのだから。

 その認識が過ちであることに気付いたのは、すぐだった。


「ルーセシア女王パナヴィア! 推参……じゃぁぁあらァッ!!」

 

 敵の先鋒部隊の横合いに、突っ込んだ、瞬間。

 パナヴィアの繰り出した槍の一撃が、メリカール兵の鉄兜を貫いた。

 騎馬の突進を活かしたとはいえ、女の……それも幼女と言っても差し支えないほどの細腕で、鉄兜を貫くほどの一撃を放つとは。

 しかもそれだけではない。

「どうっ!」

 小柄な体躯のおかげか、素早く方向転換する馬体のうねりを利用して、遠心力を利かせた槍の横なぎと同時に、貫いた敵兵を他の敵めがけてぶつける!

 びちゃり! と血しぶきが舞い、純白の戦装束を穢した。

 しかし、それをまるで自身の勲章であるかのように見せ付けると、いきなり味方の死骸を叩きつけられて怯んだ敵兵めがけて、再び馬を駆る。

「アイガス、城門を固めよ! シュテルンは右翼の綻びを補え!」

 突撃と同時に号令が飛ぶ。

 それに従い、パナヴィアと共に突撃した5百の手勢のうち数十名が、まるで矢のようにパナヴィアを追い越していった。そして敵の中に突っ込んでゆくや否や、決して四つに組むことなく、しかしすり抜けざまに相手の手や足、上手くすれば首など、鎧の隙間を狙って痛手を与えてゆく。

 取り囲もうとすれば、後から来たものが包囲の後ろから飛び掛り、囲まれそうになった者はまるで獣のような身のこなしでヒラリと宙を舞い、包囲の頭を軽々と超える。

 いや、獣のような、ではない。

 見るとそこに飛び込んでいった者たちの顔は、さながら猟犬か狼のものへと変貌していたのだ。

 そしてその姿のとおり、人の手には負えぬような速度で敵陣をかき乱す。

 それだけではない。パナヴィアと狼頭たちの襲撃に敵が気を取られた隙に、気付けば城門前にはトロールの巨体がずらりと並んで、人ひとり分はゆうにありそうな大盾を構えて、文字どおり人の壁を築いていた。


「残りの者も右翼へ! 押し返せ! 警備隊はそのまま! 立て直しに専念せい!」

 乱れた敵陣の中へと飛び込んでいったパナヴィアは、混乱する敵を漆黒の長槍で薙ぎ払いながら次々と号令を飛ばす。

 恐ろしいのは槍術だけではない。まるで乗り手の意志をすべて汲み取っているかのように、パナヴィアの駆る小さな馬はその体躯を活かして次々と方向転換を繰り返し、そのたびに槍の反対側にいる敵を蹴り飛ばしていった。

 そしてパナヴィアは、目まぐるしく変わる視界をものともせず、それどころかそれを利用して城門前の戦況を随時把握しながら号令を飛ばす。

 それでいて攻撃の手は一切緩めない。

 まるで魔術でも使っているのかと思うほどにパナヴィアと馬の繰り出す同時攻撃が、次々と敵兵を貫き、蹴散らしてゆく。


 気付くとパナヴィアの纏う純白の戦装束は返り血でべっとりと濡れ、深紅の髪と相まって、まるで頭から血の雨でも浴びたかのような様相であった。


「ま、魔女だ……っ!」

「魔女だ! 血染めの魔女だぁっ!?」


 敵兵の中から、恐慌に駆られた悲鳴が上がる。

 それを受け、パナヴィアはニィ……と。

 まさに、魔女の汚名に相応しい残忍な笑みを浮かべてみせた。


「いかにも! 妾はパナヴィア! 貴様らメリカールの下衆どもが魔女と唾棄せしルーセシア女王、パナヴィアなるぞ! 我が槍を恐れる者よ、この場より疾く去るがよいわ!」


 聞き覚えのある大仰な名乗りも、この場ではこれほど有効に働くのか。

 もはや敵の目は、突如として現れたパナヴィアたちたった5百の援軍にくぎ付けだ。

 そして、そのせいで敵は気付いていなかった。

「今じゃ、放てぇっ!」

 パナヴィアの持つ漆黒の長槍が高々と掲げられる。

 直後、空を裂くような音と共に、城壁から矢の雨がメリカール軍めがけて降り注いだ。

 パナヴィアたち援軍のおかげで城壁に取りつかれる心配が無くなれば、後は矢でもなんでも射ち放題だ。

 もはや、決着はついた。

 立て直すことは不可能と悟ったのだろう、メリカール先鋒部隊のいたるところで撤退を促す声が上がる。突然の奇襲に崩れきった戦線を立て直すより、一旦引いてから改めて攻め直すことを選んだのだろう、見事とは言わないがいい引き際だ。


「勝ち鬨を上げよ! 妾たちの勝利じゃ!」


 逃げるメリカール兵の背を蹴りつけるかのように、5百の兵たちはもちろん、砦を守っていた警備兵たちも自らの勝利を声高に叫んだ。

 もちろんそれは、決して勝利ではないことは分かっている。単に押されていた状況を押し返したというだけで、本番はここからなのだ。

 しかし、こうして高らかに勝利を謳うことにより味方の士気を高めると同時に、敵の次の一手を躊躇わせる。

 そういう意味では、パナヴィアのよく通る甲高い声は、実に戦場向きだな……などと考えながら、アスラルは自身の得物をろくに振るうことなく終わった初戦を、少し冷めた目で見つめていた。


 こんな統率のとれた化け物どもが相手では、集団戦闘の訓練をまともに積んでいない剣奴隊が全滅したのも当然のことか、と。

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