インテルメディオ ~カリウス~

 その言葉を、メリカール王子カリウスは瞬時に理解した。


「アスラル=レイフォードが生きている……そう、申すか?」


「は……っ。その、確証を持ってのことではないのですが……」

 恭しく……いいや、どこか怯えたように頭を下げる側近の言葉に、カリウスは震えを抑えることができなかった。

 恐怖ではない。


「くく……ふふふ、ははは……ッ! そうか、そうかアスラル! まだ生きていたか!」


 歓喜。

 あるいは狂喜か。

 その感情は何の飾り立てもなく、カリウスの口から零れ出た。

「な、なぜ、お笑いに……い、いいえ、そうではなく。あ、あくまで帰還した兵の言葉をそのまま伝えただけに過ぎません。その者がアスラル……双剛刃クロスクレイモアである保証など、どこにも……」

「見たと言うのであろう? 大人の身の丈ほどもある重剣を2本も振り回す男の姿を?」

「は、はぁ……そう、聞いております」

「そしてその男は〝人間の格好〟をしていて、しかも〝ルーセシアの化物ども〟の中にいたのだろう?」

「は……、そのように、申していた、ということであります。オーガやトロールどもの中にあって、2人だけ人の姿をした者がいたから、目立っていた、と」

「……片方は赤い髪の女だと言っていたな?」

「はっ。それは紛れも無く、魔女パナヴィアでありましょう。自ら最前線に立ち、狂ったように兵を殺しまくる血染めの魔女の姿は、見間違えるはずもないでしょうから」

「そしてもう片方が、男……。ふた振りの重剣を操る男、であるか」

「そう、申しておりました。ですが……」

「ならば疑う余地も無いではないか。大陸広しといえど、人の身で重剣をふた振りも操る者の名など、アスラル=レイフォード以外に聞いたことがあるか?」

「い、いいえ……それは……」

 一瞬、自国にいる名だたる将軍たちの名を思い出していったが、そんな化物じみた者の名など見当たらなかった。

「アスラルめ……死んだとばかり思っていたが、まさか悪魔に魂を売ってまで余に噛み付こうとは……よほど余が憎いとみえる」

 そう言いながらも、カリウスの顔から笑みが消えることは無かった。それどころか、言葉に出すたびにますます口の端が釣りあがってゆく。

 まるで、そのまま耳まで裂けてしまうのではないか……と思わずにはいられない狂気じみた笑みに、側近はさらに恭しく頭を垂れる。

 無骨なメリカール王とは似ても似つかぬ美男、と謳われるカリウスの整った顔が、さながら無力な獲物を前にした飢狼のごとく歪む様は、正面からまともに見ると自身もその狂気に飲み込まれてしまいそうになるからだ。


 だが、カリウスがそうなってしまうのも無理からぬことだった。

 数日前、父であるメリカール王、アメルクリス四世に謁見したとき、カリウスは文字どおり生きた心地がしなかった。

 無事生還すれば無罪放免という餌で釣った囚人たちと、同じく手柄を立てた者には望むままの褒美を与えると言いくるめた剣闘奴隷たちとの混成軍を囮に仕掛けた、ルーセシア平定の威力偵察では、押し切れぬまでも敵前衛に少なからぬ損害を与えての戦略的撤退、という報告であった。

 ならばそのときよりもさらに1万増やし、しかも今度は全て正規兵で統一し、相手に休息を入れる暇を与えずに仕掛けた本命の一戦は、指揮官ベルナルド将軍の討死、さらに2千余名の兵を失っての敗北であった。

 戦の規模のわりに兵の死者が少ないのが不幸中の幸いであったが、そんなものは何の慰めにもならない。

 当然、敗北の責任は最高指揮官であるカリウスに追及され、父王への申し開き……という名の死刑宣告を受けることとなったのだ。


 元々メリカールは、大陸南部に広がる平原地帯・ラスカーナ地方の一小国に過ぎなかった。

 だが、現王であるアメルクリス4世が即位するやいなや、性急という言葉すら生温いと思えるほどの軍拡政策により周辺諸国を次々と併呑していき、今やその平原の覇者となるまで登りつめていた。

 しかもそれだけでは飽き足らず、エストリアを飲み込んで装飾品交易を手中に収めたメリカールは、その力に物を言わせて、遥か東方の商業国家連合にまで侵略の手を広げていたのだ。

 そして、妖魔悪鬼の国ルーセシアの調伏は、メリカールの侵略戦争は悪ではなく、神に祝福された覇業であることを証明する、なによりも分かりやすい大義名分となる。

 ……はずであった。


 メリカール王にとって、一方的な敗北は許されざる大罪であった。

 その愚を冒した者は、たとえ長年メリカールに仕えてきた臣下であっても容赦なく極刑を言い渡すほどで、それは実の子であるカリウスと言えど変わらなかった。

 ……いいや、実の子であるからこそ、何よりの汚点であると感じたのだろう。

 だがカリウスは、すかさずその敗戦の責任を前線指揮官のベルナルド将軍に全て押し付け、自分の立てた作戦の意図を全く理解しなかった無能者として罵った。

 それに対してアメルクリス四世の下した裁決が、カリウス自身が前線指揮官として赴き、見事ルーセシアを落としてみせよ……とのことであった。

 愚かな将軍の勝手な指揮によって乱れた軍の再編を行い、必勝の策をもって出撃するとその場は切り抜けたものの、十倍以上の兵力差を跳ね返すような化物どもを相手にどのような策を用いればいいか皆目見当が付かなかった。


 得意の暗殺はすでに4回、刺客が返り討ちにあっている。

 内部から瓦解させようと潜り込ませた密偵は、女王を中心とした一枚岩の権力体制にあって身動きが取れず、正体を隠し続けるだけで精一杯だという。

 さらにカリウスにとって恐ろしいのは、女王であるパナヴィア自身が『まるで泥水を啜って生きてきたかのように鼻が利く』ということであった。

 ルーセシア市街の片隅に隠れることはできる。

 けれどあの魔女の傍だけはどうやっても隠れることができない。

 それが密偵、そして命辛々逃げ帰ってきた刺客の言であった。

 敵の中に味方を作り、刃を交えることなく相手を降服させたエストリア攻略戦では、面白いように決まる自らの策に笑いが止まらなかった。

 けれどその策略が、ルーセシア相手にはまるで通用しなかった。

 結果、初戦は戦略的撤退。

 続く本命の一戦は、正規兵2千余を失う敗北となり、そして三度目である次の一戦は自分が前線指揮官である。

 もしそこで破れでもしたら、今度こそ容赦無く処刑されることだろう。


 もはや打つ手無しか。

 そう思っていたところに、この報である。


 アスラル=レイフォードが、生きている……と。


 気に入った女ならば平民だろうが女中だろうが、敗戦国の姫であろうが誰彼構わず抱き、犯し、万が一子を孕んでも、全ては神の思し召しと謳うための、形式だけの『生命と誕生の神エルカーサ』信仰であったが、このときばかりは神の意思、あるいは運命の巡り合わせに感謝しそうになった。


 やはり神は自分の命を見捨てるような真似はなさらなかった。

 それどころか、これ以上無いほどの生贄をご用意してくださったのだ。


「いかがいたしましょう。兵のあいだではすでに動揺が走り、双剛刃クロスクレイモアの亡霊とまで噂する者がいる始末です」

「ほう、そんなにアスラルは……いいや、双剛刃は有名なのか」

「そのようですな。わたくしめも、一度闘技場で見たことがありますが……。50連勝も成し遂げるような化物でございますから、兵たちはもちろん、市民のあいだでもそれなりに通った名でございましょう」

「なるほど、それほどまでとは……くくくっ、面白いではないか」

「わ、笑い事ではございませんぞ。我が軍には降服した敗戦国の兵もかなりおります。その者たちが反旗を翻す……とは申しませんが、士気に影響が出ぬともかぎりませぬ」

「そうかもしれん……が、それが必勝の策となるやもしれぬ」

「ひ、必勝の策、でございますか」

「そうだ。よいか、密偵に伝えよ。はかりごとはもうよい。その代わり、何としても潜入を続け、魔女パナヴィアとアスラルの情報を可能な限り報告せよ、と」

「報告、だけで?」

「なんだ、ついでに暗殺でもしてくれると申すか? それならばそれで、余の手間が省けるというものであるが」

「め、滅相もございません。その命、しかと承りましてございます」

「うむ。兵たちの噂もそのままでよい。いいや、むしろ適度に流させて、尾ひれが付いたほうが面白いやもしれぬな……くく、ふふふ……っふっはっはっはっはッ!」

 すでに側近の言葉など、カリウスの耳には入っていなかった。

 これから張り巡らせる必勝の策。

 それをもってすればルーセシアなど……アスラルなど恐れるに足りぬ。

 いいやむしろ、そのアスラルの存在こそが自分の勝利をより確実なものにしてくれるのではないか。


「くくく……まさか貴様が余の歩むべき覇道を敷いてくれるとはな。神の思し召しとはいえ同情するよ、アスラル=レイフォード」


 まるで愛しい者に囁くように慈しみを込めてその名を呼ぶカリウスの頭には、すでに自分の足元にひれ伏すアスラルの姿がありありと描き出されていた。


 剣ひとつで……自らの積み上げてきた力をもって何かを成せると思っている者を、蹴散らし、踏み躙り、地べたに這い蹲らせる瞬間。

 それを想像するだけで、カリウスは込み上げてくる笑みを抑えることができなかった。

 そう、それはつまり父王アメルクリス四世を。

 剥き出しの武力でもって諸国統一を成し遂げる父王を、知略でもって戦う自分が、超えるという図式に他ならない。


 獅子のごとく勇猛なメリカール王と、蛇のごとく狡猾なカリウス王子。

 それが、諸大臣がよく口にする2人の戦いぶりを形容する文句であった。

 彼らにとって、それは多分に嘲笑の意味合いを交えたものだった。

 武勇に優れ、一代でここまで国を大きくしたメリカール王の子が、まともに戦場に出ぬ青瓢箪あおびょうたんでは格好がつかぬのではないか……と。

 はじめはカリウスもそれを気にしていた。いつかは自身も戦場に出て、剣を取り戦うことを考えていた。

 だが、密偵を用い、情報を集め、敵を内部から切り崩すことで、剣を交えることなく勝利を収める戦い方を学んでいったカリウスは、次第にその評価を賞賛であると捉えるようになっていった。


 結構ではないか、と。

 この知略を武器に戦功を立て続け、いずれは自分こそが真の強者としてメリカール王の座に君臨するのだ……と。


 だが、カリウスは気付いていなかった。

 その勝利を重ねるたびに、身も心も蛇蝎のごとく陰湿で残忍なものへと変わってゆくことに。

 そしてそれが、ますます周囲からの嘲笑と忌避とを増してゆくのだということに。

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