第2話 双剛刃《クロスクレイモア》と呼ばれた男1
喚声が響き渡る。
アスラルをぐるりと取り囲む、何十、何百という人間が起こす狂気の渦が、津波となって襲い掛かってくる。
アスラルには分からなかった。
それが自分に向けられたものなのか。
それとも眼下に転がる、かつて自らが同胞と呼んだ者たちの骸へのものなのか。
「勝者!
興奮を隠し切れない声が呼び水となって、押し寄せる喚声が何倍にも膨れ上がる。
誰に向かって投げかけているのだろう。
アスラルが勝ったことにか。
それとも、祖国を同じくする者たちが殺しあう、その様にか。
もしくは、その両方か。
あるいは目の前で人が死んだ、ただその事実に対してか。
どれであっても構わなかった。どれであっても……。
喚声に応えるように、手にした二振りの重剣を掲げる。そしてそれを、頭上で十字に交差させてみせると、津波は嵐へと変わり、この闘技場そのものを吹き飛ばすのではないかと思うほどに激しく巻き上がった。
……どれであっても。それが地獄の亡者どもの声であることに変わりは無い。
「見事であったぞアスラル……いや、今は
不意に、喚声が止んだ。
それに代わってアスラルの耳に届いてきたのは、少し高めの、男の声。
喚声の波よりも虫唾の走る、いますぐにでも自らの耳を引きちぎりたくなるくらいに、憎い、男の声。
気が付くとアスラルはどこかの部屋の中にいた。
一体ここがどこなのか。
そもそも自分はいつの間にこんなところに来ていたのか。
どれも分からないし、分かる必要も無い。
分かる必要も無いし、分かりたくも無い。
「これで50連勝……しかも今日は5対1だ。どうやったらお前は死んでくれるのであろうな? お前の最期を華々しく飾るにはどうすればよいのか、余には全く想像もつかん」
豪奢な装飾のほどこされた椅子に腰掛け、東方から運ばれてきたものなのだろう白磁のティーカップに口をつけるその男は、大仰に
用件は何だ?
下らない戯言しか吐けないのならば、今すぐにその下卑た口を閉じろ。
そう言いたいのに口が動かないことで、アスラルは自らの置かれた状況を理解する。
口に噛まされた
なぜか。考えるまでもない。
目の前にいるこの男こそ、彼らの飼い主であるカリウス……大国メリカールの王子、カリウスその人なのだから。
「だが、余にも分かることがある。50連勝……それほどまでに自らの命を危険に晒し、観客を楽しませてきたのだ。となれば当然それに見合う褒美が欲しい……そうだな? お前たちのような卑しい奴隷が何を欲しているかくらいは想像がつく」
にやり、とカリウスの口がいやらしく歪む。
もし何も知らない者が見れば、端正な顔立ちをした青年が、まるで子供のような悪巧みでも思いついたかのような姿に見えなくもなかったろう。
だがアスラルの目には、それを悪魔の笑みと呼ぶ以外にどう形容すればよいのかまるで思いつかない、醜く、歪んだものとしか映らなかった。
「女であろう? お前たちのような下賎の者が欲するのは女の快楽であろう? それはそうだろう、明日も知れぬ我が身なのであろうからな、刹那の享楽を少しでも味わってから死にたいという願いは、想像できなくもない」
謳うように紡がれる言葉を、アスラルは黙って聞いていた。
馬鹿馬鹿しい……とは思わない。むしろ当然のことか、と納得できる。
この男の卑しい了見で理解できる範疇など、たかが知れている。
「そう、例えば……旧エストリア王女、リスティーナのような女を与えられるとしたら、お前たち奴隷にとっては生唾が垂れる思いであろう」
だが、その言葉を聞いた瞬間、アスラルは思わず目の前の憎い男の顔に拳を叩きつけずにはいられなかった。
しかし、その憎悪は空振りする。殴りかかろうと両腕を振り上げた格好のまま勢いよく両足の鎖を引かれ、庇うこともできなくなった顔面を強かに床に打ちつけた。
「ははは、そうであろうそうであろう。思わず飛び上がりたくなるほどであろう、そうだろうと思っておった……が」
無邪気に、実に面白おかしそうに哂いながら、カリウスはアスラルへ……地べたに這い蹲った格好のため、ちょうどカリウスの足元に転がったアスラルの頭へと、口にしていたティーカップの中身を降らせた。
「奴隷風情にくれてやるには過ぎた女であることもまた事実。『エストリアの宝石』と謳われたほどの
そして二度、三度と。アスラルの頭をカリウスの足が踏みつける。
「残念であろうなぁ? お前のような奴隷風情にはどう足掻いても手の届かない高嶺の花……とはいえ、何の機会も与えられぬというのも哀れではある。そこでだ、余はお前たち奴隷風情にも、リスティーナを好きにすることのできるチャンスを与えようと思う」
チャンスだと? 撒き餌の間違いだろう?
そう反論したいアスラルだったが、口には猿轡を噛まされているからそれも叶わない。
何より、たとえこの憎い男の気まぐれとはいえ、機会が手に入るというのならばそれを聞き逃すわけにはいかない。
「父の
にまり、と哂ってカリウスはアスラルの顎を蹴り、そのまま足の先に乗せるようにして顔を引き上げた。
「余の食いさしでよければ、愛しの姫君をくれてやろうではないか、
……いいや、元エストリア近衛騎士、アスラル=レイフォード殿?」
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