第17話 凱歌

 我に返った――そんな感覚であった。

 気が付いたときアスラルがいたのは、幾度も踏みつけられたせいなのだろう泥まみれになった大きな天幕の前であった。

 見覚えがあるそれは、メリカールの将校が本陣に設営するものだ。


 なぜこんなものが目の前にある?

 気づかないあいだに、敵本陣の真正面まで来てしまっていたのか?


 となれば、すでに周囲は敵兵に囲まれている……はずなのだが。

 そこにあったのは異形の者たち。

 オーガ、人狼ヴェアヴォルフ、トロール。

 ともすれば醜いとも言える顔をさらに歪め、天を仰いで歓喜の声を上げている。


 我らの勝利に祝福を!

 祖国ルーセシアに栄光を!


 その化物どもの口から溢れてくるのは、ごく当たり前の……手垢の付いたような、お決まりの定型句だ。

(……終わった、のか……?)


「ようやったな、クロス」


 アスラルの脳裏を飛び交う疑問を打ち払ったのは、涼やかな声だった。

 振り向くとそこには、泥と返り血で薄汚れた、しかしそれでもなお自身を純白と言って憚らない戦装束に身を包んだ、パナヴィアの姿があった。

「見よ、言ったとおりであったろう? 妾たちの勝利じゃ」

「……勝利?」

「うむ。敵包囲網を食い破っての一点突破、そちがおらねば少々苦労したやもしれぬ。まさに鬼神のごとき戦いぶり、見事であったぞ」

「……俺たちが、勝った? 誰に?」

「メリカール軍に決まっておろう。何じゃ、あまりの快勝に言葉も無いか」

「快勝? 3万に? 2千5百が? どうやって?」

「じゃから、言うたではないか。敵の中央を一気に突破して、大将首を……」


「馬鹿な!!」


 ほとんど反射的に、アスラルは叫んでいた。


「正面から突っ込んでいって、そのまま中央突破して大将首を挙げた!?

 それは何だ、どんな子供の喧嘩だ!?

 一体俺は何と戦った!? 羊の群れでも相手にしたのか!?」


 突然の絶叫に、周囲の歓声が止む。同時に、幾つもの訝しげな視線がアスラルに突き刺さった。

 けれど、アスラルにはまるで気にならなかった。

 そんなことよりもたった今、自分の手で成し得たそれが……勝利が、信じられなかった。

「戦術も無しに……ただ正面からぶつかっていって勝てるような数じゃなかったはずだ。それともメリカール軍は紙の兵隊でも雇っていたのか? 俺が斬ったのは人じゃなくて、木偶人形か何かだとでも言うのか?

 それじゃあ……どうして……ッ!」

 どうしてエストリアは……自分の祖国はあんなにも簡単に滅んでしまったのか。こんな玩具の兵隊を前に、なぜあんなにも呆気なく降服してしまったのか。

 あのとき、それこそエストリア軍全員が自らの命を惜しむことなく戦っていれば、祖国は守られていたのではないか。

 そんな想いが、アスラルの胸を食い破って零れ出そうになる。

 喉が焼け爛れるほどに熱い。

 勝利の歓声など、どうして上げることができようか。


「簡単じゃよ。敵が妾たちを、人じゃと思うておらんかったからじゃ」


 ぽん、と。

 何を当たり前のことを、とでも言わんばかりの言葉が、アスラルを悔恨の泥の中から引き上げる。

「周りを見よ。どうじゃクロス、そちはここに居る者たちをどのように思う?」

 言われてアスラルは周囲を見る。

 やはりそこにいる者たちは異形の者。

 犬や狼の顔をした、毛むくじゃらの人狼。

 くすんだ緑色の肌と、額に短い二本の角を持つオーガ。

 全身の筋肉が肥大化し、人間の大人より一回りも二回りも大きな体をもつトロール。

 他にも、両腕だけがトカゲのように変異した者や、顔だけが猿のように変わった者もいる。

 程度の差はあれ、どこを見ても化物だらけで、『まともな人の形』をした者といえば、目の前にいるパナヴィアくらいだった。

 ……けれど。


「どのようにって……決まってるだろう、先頭切って突っ走る無鉄砲な女王さまを守って戦った、命知らずのつわものたちだ」

「この……自分の飼い主になんという言い草じゃ」


 アスラルの答えに、パナヴィアは苦い笑みで応える。

 が、すぐにその笑みが柔らかく弛んだ。


「メリカールのヤツらが皆そのように考えておったとしたら、妾たちはもっと苦戦を強いられておったろうな。じゃがヤツらは妾たちと〝戦う〟つもりなどない。あるのはただひとつ、殲滅のみ。化物どもを一匹残さす駆逐するための狩りじゃと考えておる。

 ゆえに妾たちが勝つ。当然であろう、手柄欲しさにのこのこ狩りを楽しみにきた連中に、祖国のために戦う兵隊たちが襲い掛かるのじゃぞ。負ける道理があるまい」


 鼻を鳴らして笑ってみせるパナヴィアに、アスラルもまた、自然と頬が弛むのを感じた。

 分かっている。そんな精神論で片付くような問題ではない。

 単純なことだ。

 ここにいるのは剣の一太刀、矢の一本ではそうそう死なない化物どもだ。

 そんな相手を一匹残らず殲滅しようと思ったら、自軍の被害を覚悟した上で、幾重にもわたる陣を敷いての波状攻撃を仕掛けるしかない。

 被害を抑え、敵を一方的に叩き潰すための包囲網を組んで防衛線を薄くすれば、中央を一気に食い破られるに決まっている。

 敵はその愚を犯し、パナヴィアはその隙を突いた。

 きっと、ただそれだけのことなのだ。


 だというのに、不思議とパナヴィアの言葉がストン……と胸の奥に落ちてゆくような、そんな心持ちだった。


 敵を侮り、驕りたかぶった雑兵が何万人集まろうと、祖国防衛に燃える勇猛な戦士たちの前には、嵐の前の塵芥ちりあくたに等しい。

 パナヴィアは我が身をもってそれを示し、ルーセシア兵はその勇敢な女王に続けと、命を武器に突き進む。

 剣を交える前からすでに、メリカール軍は気持ちで負けていたのだ。ゆえに、何万のメリカール軍が来ようと、ルーセシアが負けるはずは無い。


 ……そんな子供じみた精神論が、至極当然のことのように思えてしまうのは、無意識のうちに頭が勝利の美酒に酔いしれてしまっているからだろうか。


「皆の者、勝ち鬨をあげよ! 妾たちの、ルーセシアの勝利じゃぁ!!」


 アスラルの自問に答える者は無かった。

 ただ、再び周囲から湧き上がる勝利を謳う声が、パナヴィアを讃える声が、なぜだか妙に誇らしく感じたのだった。

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