第2話
「やれやれ。癇癪の起こしかたまで変わらないなんてね」
ルシャンは本を閉じ、かけていた鼻眼鏡を外した。
疲れた目元をつまんで再びため息をつく。
エテルニュマン・アトス・ド・スタルヌート。
アトス三世の名で知られる今の王の教育係りを、ルシャンが頼まれたのは、彼が未だ6つの王子の時だった。
病気がちの少年は賢くありながらも、体が弱いせいでその旺盛な好奇心を満たせずに鬱ぎがちであった。見かねた先の王は、友であるルシャンに息子を託したのである。
偉大な魔法使いであり、癒し手として申し分のない腕を持つ彼なら、弱い息子に無理をさせることなく導いてくれると信じていたからだ。
友の頼みである。
ルシャンは一も二もなく了承して、スウィニード郊外の不思議の森から隠者の生活を捨てて城へとやってきた。
ルシャンが初めて王子に会ったとき、アトスの両親も家臣も彼が丈夫でないことを理由に、あれも駄目、これも駄目と言った具合に伸び盛りの王子の行動を制限してばかりだった。
そこで老師は机の上の勉学だけではなくアトスを外へ連れ出すことにした。はしゃぎ過ぎて熱を出すたび、擦り傷や打ち身を作って城に戻る度に、ルシャンは避難の矢面にたたされた。
それでも彼は根気よく周りの者と話をし、王子が通常体験して然るべき子供時代を過ごせるように骨身を砕いた。
初めは回りへの遠慮から大人しかったアトスも、やがて老師を信用して自我を見せるようになり、あれがしたい、ここに行きたいと自分から話すようになっていった。
ある日、城で騎士団長を選ぶ御前試合が行われた。
屈強な戦士が戦うさまを初めて目の当たりにしたアトス王子は、どうして彼らはあのように強いのだと羨ましげにルシャンに尋ねた。
『日頃の鍛練の賜物でしょ?』
彼らとて1日で強くなったわけではない。
見えないところで努力して努力して、今があるのだ。
『私も強くなるかな』
『アトス君なら大丈夫でしょ!』
次の日、王子は騎士団見習いの少年たちのなかにいた。それを知った家臣から老師への避難はごうごうたるものだった。しかし、ルシャンは。
「体力作りの一環ですから」
と、止めさせることはなかった。
魔法で体を強化することは容易い。
けれど、王子は1度もルシャンにそれを頼むことはなかった。今の国王の姿しか知らない者は誤解しがちだが、彼は大変な努力家だった。
自分よりも年若い騎士見習いに模擬戦で負ける辛酸を何度も味わいながら、ただひたすらに強くなりたいと精進を続けたのである。
そういった成長のなか、アトス王子はやがては騎士になり隊を率いることになるであろう未来の候補生たちと親しくなり、打ち解けていった。
ルシャンはそんな彼の姿に悩ましく思い煩っていた問題の答えを見いだせた気がした。
今までは自分が王子を保護し、導くことによって新たな世界を見せようとしてきた。その甲斐あって彼は様々なことに興味を持ち、目を向けるようになった。
しかし、そのせいかルシャンを頼りにし、その存在に重きをおくようになってしまった。
一人の人物にのみ固執する。
それは将来王となるものとしてはどうなのだろうか?
その日を境に、ルシャンは少しづつ王子を人の輪の中へ促すようにした。
政治に関する勉学は、実際に国を取り仕切る大臣たちに任せ。剣術や体力作りは軍を司る騎士たちに任せた。
王はより多くのものに耳を傾け、国を動かす者たちとコミュニケーションを取る必要がある。そう思い、見守ることに徹した。
月日は流れ、高齢だったルシャンの友は死んだ。
未だ成人もしていなかった王子が、とうとう国王に即位する日が来たのである。
ルシャンの役目は終わった。
また、不思議の森の奥深く草庵に帰って隠遁生活に戻ろう。そう思っていたのだが、国王のたっての願いで城にとどまることになった。
その時、怒りの表情と共に放たれた言葉を今でも覚えている。
『何故、皆予を置いていってしまうのだ!』
***
白昼夢を見るように、遠い過去を思い出していたルシャンは、不意に現実に戻り困ったような笑みを浮かべた。
「まったく。幾つになっても……」
椅子から立ち上がり背を伸ばす。
「さて、研究費を取り上げられては大事だ。仰せの通り扉を開く準備を始めようかね」
誰に言うでもなく一人呟いた。
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