第6話
俺の答えに満足そうな笑みをたたえ、抱えていたハムを手渡そうと近づいてくる女神の背後で水飛沫が上がった。広範囲で泡立つ水面に、これから姿を表すであろうモンスターの大きさを想像して身構える。
剣の柄を握りしめるものの、抜いたところで期待されるような剣の腕などはない。俺の刃物の扱いなんて、包丁でリンゴの皮を剥けると言うレベルだ。
「こんな夜中に娘を呼び出すなど! どこのど阿呆ぅだ!」
ザザーンと池を溢れさせながら姿を表したのは神!?
美術室の壁に飾られていた石膏像の写真で見たことがある。確か、ポセイドン?
白いトーガをまといて
その老人--老神?--が頭から湯気が出そうな勢いで怒っていた。
「何度も何度もチマチマチマチマ娘を呼び出しおって! 貴様娘に惚れておるな! 違うか! 惚れておるのだろう! だがやらん!やらんぞ! ニーネはずっとワシのところにいるんじゃからな!」
ものすごい剣幕で俺に詰め寄ってくる。
女神さま、ニーネって名前だったんだ。
「お父さま、私はお仕事をしているだけです。そんなこと言ったらマサルさんが困ってしまいます」
俺と
「マサル!? マサルと呼んだか!? お前らもう名前で呼び会う仲か!」
『許さん! 許さんぞぉぉぉ!』と、俺に向かって槍を振り回す。巻き起こる風にめちゃくちゃに翻弄されしりもちをついた。
「ネルの時もそうじゃった。テーベもエルロもシュネッラも……。みんなみんな嫁いで行きおってからに!
ワシは老後は可愛い娘と孫達に囲まれて暮らしたかったんじゃ!
嫁がせるなんて一言もいっておらんわーっ!」
再び槍を振り回される。
ーーえ? なんで修羅場?
なにかご家庭の事情があるらしい。
それは何とな~く分かったけれど、俺に怒られましても。でも、そんな正論も荒ぶる神の前では通用しなそうだ。
「マサル、今は逃げてください!」
収拾がつかないと感じてたのは女神も一緒で、ひとまず話が通じそうな俺の方に、場を離れてほしいと申し訳なさそうな顔でお願いしてきた。
俺もこれ以上話がこじれても困るので、ひとまず女神の言うとおりにした。女神のお父さんが落ち着きを取り戻した頃、誤解を解く機会が訪れることを祈りつつ池のほとりを後にした。
背後から『まだ話は終わっとらんぞぉ!』やら、『逃げるか腰抜け!』やら聞こえていた。
女神さま、お父さんに内緒の恋人でも居るのだろうか?
だとしたら、その恋人にとってお父さんの壁は厚そうだな。グットラック!
俺には関係ないけどな!
***
キャンプへ帰ってきた俺は愕然とした。
めちゃくちゃに荒らされていたのだ。
幌馬車が倒れ、壊れた木箱から荷物が放り出されて散らばり、踏みにじられた焚き火が煙をあげている。
何の液体なんだろう?
緑の粘り気のある液体が飛び散り、地面の所々を汚していた。そして、周りに折れた小枝が散らばる木の幹には、大振りの矢がまばらに突き立っている。
--何が起こったんだよ……ナットさんは?
先程までナットさんが寝ていた焚き火のそばには、薄汚れた毛布が打ち捨てられていた。
「ナットさん……。ナットさぁーんっ!」
--何だよこれ。
夜光性のきのこが黄緑色に辺りを照らすなか、俺はナットさんの姿を探し求めた。
と、何かを踏ん付けて情けない声をあげる。
踏んだのは何かの腕だった。浅黒い人型のモンスターで獣の皮の腰巻きをしている。こん棒を握ったまま額を矢に射られて死んでいた。
カッと目を見開いたまま、仰向けに倒れているモンスターはゴブリンのようだった。俺は本物のゴブリンを見たことはない。ないのだが、空想上の生き物として物語に出てくる姿くらいは知っている。それに似ていたからそう思っただけで、本当は違う生き物なのかもしれないけど。
気付けば、そんな死体があちらこちらに倒れている。明らかに襲撃を受けたのだろう。
ーーナットさん、俺がいないあいだに。
でも、モンスターが倒れているってことは反撃できたんだよね。
「ナットさーん!」
俺はだんだん心細くなってきた。
怪我して何処かで倒れていたらどうしよう。
「ナットさーん!」
ーー返事してよ。
「おい!」
「うわぁっ!」
突然背後から肩を捕まれ、俺はビクッと体を震わせた。咄嗟に手を振り払って逃げるも足がもつれて転ぶ。見上げればコルージャとは違うエルフ族が、戸惑ったように俺を見下ろしていた。
「驚かせてすまん。お前マサルか?」
周囲に溶け込む色合いのマントのフードをとれば、現れたのはまだ若そうな少年の顔だった。
「私はククー。モーニングスター侯から頼まれてお前を迎えにきた」
「ナットさん無事なの?」
「あぁ、多勢に無勢だったから手を貸した」
ククーと名乗るカラスが背負っている矢は、ゴブリンの死体に突き立っていたものと同じに見える。彼がナットさんを援護したのは本当なんだと思う。
「コルージャと私の野営地で休んでもらっている」
戦闘のあった場所に留まっていると、血の臭いに誘われて色々な獣やモンスターが寄ってくるから、夜は離れていた方がいいと言う。
「馬車は明日の朝引き起こす。今は一緒に来てくれ。それから……」
よかった。ナットさん無事だったんだ。
コルージャさんがちゃんと気に掛けてくれていたんだな。そんな肝心な時に俺いないとか。謝らなくちゃ。まぁ、居たところで役に立ったかはわからないけど。
安心したせいで色々なことが頭に浮かぶ。
「おい! 聞いているのか?」
「え、ごめん。なに?」
駄目だな人の話の途中で考え事しちゃうとか。
謝りながら聞き返せば、ククーは俺の方を指差して少し目をそらす。
「だから、ズボンのボタンはちゃんと止めといた方がいい」
はっと視線を下ろすと、俺の俺がしまってある社会の窓からシャツの端っこが
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