第2話

「ところでマーサルよ。お主この《ムスクルス》には一人で来たのか?」


「はい」


えぇ、一人ですよ。

何の心の準備もなしに俺ん家の便所から、まるで拉致されたかのような強引さでこの城の風呂場にね!


ぎりぎりと歯ぎしりしながら爺さんを横目ににらみつける。

爺さんは無言で両手を合わせて『ごめーん。てへぺろ☆』って字幕が出そうなウインクを返してきた。


ムカつく。


「うむ、そうか。国境を越えた砦の町に、そなたと同じように現れた少女がおると、先ほど情報が入ってな。そなたと縁のあるものかと心配しておったのだが、まぁなに。

知らぬのなら別段気にする必要もないな」


「待って! もっと詳しく!」


王座にすわる白タイツの膝を、俺は思わず両手で鷲掴みにした。そばにいた近衛兵が、慌てて槍で俺の肩をおさえにかかる。

ヒザが摩擦熱で発火するんじゃないかという勢いですり寄ってきた俺に、さすがの王様もひるんだ。だが、必死さが伝わったのだろう。少し引きつつも詳しく話してくれた。


この国の北側、隣接する《オスクーロ》という国に《セグローク》という名の砦の町があるそうだ。

昔はずいぶんとやり合ったそうだが、今はお互いに落ち着いており、多少の国交もあるらしい。その砦の国に、突然空から女の子が降ってきたそうだ。


紺色の異界の服をまとい。

おさげ髪の少女は、捉えられて牢へ監禁されているらしい。


俺は少女の容姿を聞いてひとまず安心した。

ようすを見に来た母さんが、例の穴に落っこちてしまったのではと心配したのだ。小柄な母さんは歳の割に若く見られる。だから、少女と言われたくらいでは安心できなかった。


まぁ、いくら若く見られるとはいえ、少女に見えるとまでは行かないけれど、ここは異世界だから、どんな風に見られるかなんて分からない。でも、さすがにお下げ髪はしていないかった。


でも、母さんで無いとしたら。

一体だれが落ちてきたんだろう?


「爺さん……爺さん!」

「なに?」

「俺んの他に、あの穴が開いた所とかあるわけ?」

「あんな大魔法、そう何個もできるわけないでしょ!」

「爺さん以外にあの魔法を使える人いるの?」

「あのね。僕、こう見えてもこの世界の最高峰なのよ。失礼じゃない?」


ひそひそと話し合っているうちに爺さんが拗ねてしまう。子供のように口を尖らせてそっぽ向いてしまった。

しばらくは口をきいてくれなそうだな。


それじゃあ、誰が落ちてきたんだろう。

家には女の子なんていないよ?


ふと気が付けば、王様がきらきらと期待を込めたまなざしで俺を見ている。


え? なに?


王様は両手をすり合わせて俺に聞いてきた。


「お前の世界の娘であろう?」

「えぇ、たぶん……」

「ならば助けてやらねば可哀そうだな」


な? な? と同意を求めてくる。

どうでもいいけど、近い近い。そう言えば玉座ににじり寄った距離のまんまだった。なんかちょっと、あれな感じだけど一応聞いて見る。


「えーっと、王様が助けてくれるん……ですよね?」

「何を言っておる。国の娘を救出するのはその国の騎士ナイトと決まっておろう!」


も~嫌なフラグしか立たない気がする。

『へぇ、そうなんですか~』と、弱腰に逃げようとしたが、王様に両肩をつかまれ、それも叶わず。


「娘の国の男で今ここに居るのは、そなただけであろう? 即ち、マーサルが助けずして誰が助けるというのだ!」


はぁ!? 何言っちゃってんの?

だいたい俺は騎士ナイトじゃねえよ!

普通の高校生に、なに壮大な夢求めちゃってるんだよこのオッサンは!


「いやいやいや。無理ですって。危ないですから!」


『暴力反対~』とばかり主張してみる。しかし、そのゆるい感じが返って王様に火をつけた。どこぞの庭球選手テニスプレーヤーばりに諦めんなと燃え上がる。


「敵国の城の牢で麗しき乙女が囚われの身になっているのだぞ! これを助けねば男ではあるまい!」


この中二病発症者が!

夢は目を瞑ってみるもんなんだよ!

現実にありえないでしょ?

さっき転がり込んできたばかりの右も左も分からない小僧にどんな力を期待してるんだい!?

そういう旅行中のトラブルは、大使館のお仕事だって聞いたことあるぞ!

チクショーねぇよ大使館そんなもの

本当にここ何処だ!


しかし、王様は肩に置いた手に徐々に力を込めながら、ぐいぐい顔を近づけてくる。俺は半ば後ろに反りながら、半ばヤケになって王様の目を睨み返していた。


「でもさ、その女の子。君ん家の穴から落ちて来た以外考えられないわけでしょ? 本当に知り合いじゃないの?

君の家を訪ねた女の子が行方不明になったら、その子の家族は心配しない?

ここの世界でそんなことが起きたら、普通に問題になるよ」


爺さんの余計なつぶやきを聞いて俺は先程までの勢いをなくす。

そうだよな。そこしか入口ないのなら、間違いなく俺ん家が疑われる。

間違いなく警察沙汰になっちゃうよ。それはやばい。非常にやばい。


でも、今は異界への扉は閉じているらしいから、何の手がかりも無いだろうけど。それでも、俺ん家で行方不明になった少女がいるなんて、向こうの世界に帰った後、噂になっていたら嫌だな。


少し考え込んでいる俺の様子を見て、じいさんは畳み掛けるようにさらに言う。


「それにさ。もし、本当に君の世界から来た子なら、今の君みたいに帰りたいんじゃないかな」


爺さんがポツリとつぶやく。


しばしの沈黙。


そんな事を言われると俺の良心も痛む。

そうかぁ、そうだよな。

もしかしたら、誰にも分かってもらえずに、ひどい目に会っているかもしれないし。俺は運よく爺さんのそばに落ちたから助かったけど、もしそうでなかったら例の拷問官に殺されていたかもしれないわけだし……。

もやもやとした気持ちが広がっていく。


「あの、その砦までどのくらいかかりますかね」


周りが歓喜にどよめいた。


「よくぞ申した勇者マーサルよ! それでこそ私の見込んだ男だ! そなたがもし敵国の国境で事を荒立て、再び我が国と隣国が交戦状態となったとしても許すぞ! 許すぞマーサル!」


「いえ、迎えに行くだけなんで。事を荒立てることはしたくないんで」


まだ行くなんて言ってないぞ!

もう、騒ぎを起こしてもらいたいんだろう。このオッサンは。

退屈をこじらせた権力者ほどめんどくさい物は無い。俺の冷めた目をよそに王様が喜んでいる。


「ねぇ、爺さん。爺さんが移動魔法でちょろっと飛んで行ってその女の子を連れて帰ってくるわけにはいかないの?」

「駄目だよ。僕、顔が割れているからそんなことしたら国際問題になっちゃうじゃん」

「えー。すぐ帰ってくるだけなのに?」

「あっちにもそれなりの魔法使いがいるからばれちゃうの!」

「世界最高峰のくせに太刀打ちできないんだ?」


爺さんは悔しそうにほほを膨らます。


「あー。マーサルよ。老師はムリだ」

「え? どうして?」


俺の素朴な疑問に、王様は答え辛そうに『あー』とか『うー』とかうなっている。

そんなことで納得できるわけが無い。不満そうな顔を爺さんに向けると彼は観念したように言い捨てた。


「僕の奥さんが砦に出張ってきてるの!」

「奥さんって……。えっ? 奥さん?」

「そう、別居中の!」

「えぇぇぇ……」


ーーなにそれ……。


爺さん言う曰く。爺さんには若い奥さんがいて、といっても一方的に思いを寄せられて半ば強引に結婚させられたそうなのだが、その人と離婚話がこじれて逃げ出してきたらしい。そんな彼を追って奥さんは、国境ぎりぎりの砦まで来ているらしいのだ。


「だって話にならないんだもん。結婚だって騙し討ちみたいなことだったし」

「その奥さんと会わなければ問題ないでしょう?」

「その奥さんが、今や砦の領主で僕に次ぐ魔法使いなの!」


爺さんの奥さんは、お隣の国の魔法使いの長なのだそうな。

もう五十年も別居しているのだからそろそろ離婚に同意してもいいと思わない?

ローブの袖をこねくり回しながら弁解じみたことを言う。

どう言う経緯でそうなっているのか微塵も分からない俺には口を出す権利など一切ないが、夫婦問題を国レベルのもめ事にだけはしないでほしいと思う。


「男らしく話し合ったらいいじゃないですか?」

「それが出来たら五十年前にしているよ」


砦に近づこうものなら直ぐに捕捉されて大変なことになるという。

でも、そうしたら俺は一人で砦まで行かなければならないのか? そう思うとめまいがしてくる。行くなんて言わなければよかった。


「案ずるなマーサルよ。独りで隣国へ乗り込ませたりはせぬ」


威厳たっぷりな笑みを浮かべて王様がおもむろに頷いた。トランプの挿絵みたいな恰好をした王様が、妙に頼もしく見えたから不思議だ。


「頼りになるお伴を一人つけるゆえ心配せずともよい」

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