第2話

まぁ、良いですけど。

ポストに入れておくだけですよと前置きをして引き受けた。


真っ直ぐに帰宅の途につく。

部活など所詮はクラスの人間関係の延長にすぎないので入いらない。学校にいる時間は出来るだけ短い方がいい。


その代わり帰りに本屋に寄る。

楽しみに読んでいる小説の続きがそろそろ発売される頃だ。


たぶん、この世に素晴らしい人間関係は実在する。と、思う。でもそれは、私から遠い世界の出来事に違いない。だから友情も恋愛もみんな本が教えてくれた。現実に手に入らなかったとしても心を育むことは出来る。

そんなことはあり得ない。経験こそが全てと言う人がいるのなら、私の知った感動は何なのか説明してほしい。


偽物って言うのかな?


先に書類を届けることにしてウチダ宅を訪ねる。

特に関わりのない男子だ。クラスの無関心に振る舞う人のひとり。

下手に関わるのも面倒だから、封筒をポストにねじ込んでおしまい。そう考えて門に近づくと急に玄関が開いた。


「あらぁ~。待ってたのよ。ルべさんでしょう?」


小柄でショートの茶色い髪。クリッとした目の女の人がエプロン姿で現れた。ウチダくんのお母さんかもしれない。クラスの男子が『ウチダの家の母ちゃんは若い』と言っていたから。


「わざわざごめんなさいね。マサルがちゃんと持ってきたら良かったのに。ホットケーキ焼いたから上がって休んで行かない?」


と、ちょっと強引に玄関へ連れ込まれる。


--不味いな。


クラスメイトの家に上がり込んだことが他の女子に知れると、面倒くさいことが増えるんだけど。


「ごめんなさい。トイレだけお借りしても良いですか?」


私なりの長居しない最善の方法。

招いた方も断られた訳ではないし、親切をしたから心残りはない。ちょっと変わった子だと思われるのはこの際気にしない。


トイレだけ借りてさっさと退散しよう。

そこだけは、本当にちょっと切羽詰まっていたので助かった。


学校では余りトイレにいかない。

入ったとたんノックやドアノブを鳴らずなどして急かされたり、水が降ってきたりするからだ。我慢は体に悪いよとか言うけれど、そんな目に遭うのとどっちが体に悪いと思う?


「あら~、そうなの? 2階のトイレを直したばかりで、そっちの方が綺麗だから使ってね」


と、勧められる。

言われるがままに、私は2階のトイレに入った。


***


気付けば、私は睡蓮の花咲く噴水の中びしょ濡れで立ち尽くしていた。

何があったかなんて、うまく説明できそうもない。


トイレに入った私は足を滑らせて穴に落ちた。そんな場所にあるはずも無いと思うけど、あったとしか言いようがない。私はそのまま穴を滑り落ちて、何にもできずにこの噴水へ放り込まれたのだ。


トイレの問題は忘れてほしい。

高校生にもなって……、いえ、本当に忘れてほしい。

落ちたのが噴水のなかで、ある意味助かったのかもしれない。


お下げ髪は乱れて眼鏡が曇ってよく見えない。セーラー服はびしょびしょで体に張り付いて気持ち悪い。水草まみれになっているのを、行き交う人々はどんな気持ちで眺めているのやら。驚いて立ち止まったまま見守っている。


--ひとまずここを出ないと。


体についた水草を払いながら噴水からでた。

ここは何処なんだろうと周りを見渡す。レジャーランドの一角のように作り込まれた町並みはとても綺麗だ。丸い噴水を中心にして地面に模様を書くように石畳が広がっている。ストーンヘンジのような花の蔦が下がる石の柱に囲まれて、更にその外側に色とりどりのテントがたち、マーケットが広がっていた。


--公共の広場なのかな?


私が場所を確かめようと、歩きを止めてこちらを見ている人々へ声をかけようと視線を向けた途端。


「女神の泉から女の子が現れたぞ!」

「いや、空からだ! 俺は見てた! 空から降りてきたんだ!」


私を見ていた人たちが騒ぎ出した。

その騒ぎを聞き付けて、人だかりが出来ていく。


そのとき、曇りがちの空が割れ、一筋の光が噴水一帯の広場へ陽光を注ぐ。それを待っていたかのように、私の背後にあった噴水が勢いをまして吹き出し、辺りへ虹の輪を描いた。


「おぉ、女神からの使者だ!」


神々しくも光に包まれた私を見て、やじ馬たちはひざを折り何やら祈りを捧げ始める。通常ならあり得ないこの状況に、私は慌てた。


--嘘でしょ!? 何なの!


悪目立ちしたくない。大体ここは何なの? 絶対にニホンじゃない。

見える建物や人々の服装、漂う気配が私の知ったそれとはだいぶ違う。

なにより、私を見る人々の視線が恐ろしく--ある種崇拝めいた視線--その場を逃げ出した。


--私は空気。私は空気。


呪文のように唱えながらマーケットの人混みへ紛れ込む。

背後で『泉の乙女が消えた』と大騒ぎになっていたが、知ったことではない。


--交番か、係員の人を探さなきゃ。


けれど、この格好じゃ目立ちすぎる。

その時、私が身をひそめたテントで干した果物を売っているおばさんに声をかけられた。


「何だいあんた? こんな所に座りこまれたんじゃ商いの邪魔だよ」


「すみません。私、迷子になってしまって。案内所か交番を教えてほしいんですけど」


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