第3話

ドスの効いた低い声。物陰から聞いただけだったから、勝手におばさんだと思っていたけど、こちらを見下ろしていたのは綺麗なお姉さんでした。少し暗めの小麦肌に青い瞳、縮れたボリューミーな髪を頭に巻た布で押さえた。スラリとした黒猫のような女の人。


「迷子? 噴水のどっち側から来たの?」


両手を腰に当てながら、びしょ濡れの私を値踏みするように頭から足先まで眺める。


「見ない衣装だね。出身は?」


私が自分の住んでいる地域名を言うと、お姉さんは首をかしげる。なので更に県名を足し、国名まで足したのにお姉さんにはピンとこないようだ。


--なんで?


困惑をめいいっぱい表情に出してしまっているのだろう。

硬い表情だったお姉さんは、少し気の毒そうに苦笑する。


「あんた、ここのマーケットにはどうやって来たの? 馬車? 歩き?

それとも飛行型モンスターに乗って?」


さすがに最後のは、冗談を交えた飛行機の表現だろうと察して少し微笑む。


「それが、どうしてここにいるのか分からないんです」

「困ったねぇ、それじゃあお手上げだよ」


するとお姉さんは、テントの奥で袋を運んでいた赤毛の少女に呼び掛ける。


「ミティ! ミティ! あんたの服この子に貸してやんな」


今日の仕事が終わったら、回りのテントに聞いてあげるからしばらくそこに居ろと言う。


「ひとまず服が乾くまで他のもの着てな」


お姉さんがあごで指す先を見れば、先ほどの女の子がテントの入り口で手招きしている。大丈夫だろうか。混乱のあまり全然知らない人を安易に頼ってしまったけれど。今さらながら不安がよぎった。まぁ、声をかけたのは自分だけど。


「何してんの。そんなずぶ濡れでそこで待っててもらちが明かないだろ? ひとまず奥で着替えてきなよ。そんな恰好で店先をうろつくんじゃない。第一風邪引くよ」


少し負けろと交渉を持ちかける客との会話の合間に、お姉さんは私を急かす。有無を言わさぬその勢いに、私はテントの中へ入っていった。


「はいはい~。着替えた着替えた~」


赤毛を細かな三つ編みにしてボブに揃えた青い目の女の子が、なれた手つきで私の服をひっぺがす。恥ずかしいと騒ぐまもなく、私はバルーン袖のへそ出しシャツとショートたけのズボンに着替えさせられた。どちらも鮮やかな空色だ。

普段の私なら絶対に選ばない短い丈の服を着せられ、ヘソを隠そうとシャツの裾を伸ばしてみたり、膝が見えないようにズボンの折り返しを伸ばしてみたりして無駄な抵抗をする。

赤毛の子はそんな私のズボンのすそを直しつつ、靴を履いていない足元を見て革のサンダルを貸してくれた。


「名前、何て言うの?」

「ルベ ハナコ」

「あたしミティ」


ミティさんは白い大きなストールをくれた。

『そんなに恥ずかしいならこれを腰にでも巻いておきなよ』と、笑う。


この空色の服は、色が気に入って衝動買いしたけど、赤毛のミティさんには似合わなかったのだそうな。新しいまま手放す機会もなく、ハディさん--お姉さんの名前--に無駄遣いだとお小言を言われていたらしい。


「この服は、この日の為にあたしに買われたんだよ!」

「何いってるの。たまたまでしょう?」


聞こえていたのか、店の表に立っていたハディさんが『散財の理由になんかならない』と、すれ違いざまミティさんの頭を小突く。


「休憩するから、ミティ商品を足しといて。終わったらまた店に立つから」

「ハディは働き者ですね~」

「当たり前だろ! 稼ぎ時だよ」


空き箱の上にどっかと座り、水差しからコップに飲み物を注ぐ。2つ注いで1つを私にくれた。喉を潤しながら一息つく。


「焼き印も入れ墨もないから、奴隷市から逃げてきたわけではなさそうね」


安心した。とコップをおく。

水煙管みずぎせるのランプに灯をともして吹かし始める。甘く爽やかな臭いが立ち込めた。《奴隷市》の言葉を聞いてぎょっとした私を見て不可解な顔を見せる。


「ん? まさか奴隷市を知らないの?」

「そんなものが有るんですか!?」

「はぁ~。どこのお嬢様が逃げて来たんだか? それとも悪者にでも攫われてきたのかい? まぁ、どっちにしろ大人しく返す気はないけどね」


表情に影が差すのを見て一瞬怖くなる。

ハディの言葉を私が悪く取りそうになっていると、ドライフルーツの袋を取りに来たミティが補足する。


「ハディは人攫いも奴隷商人あいつらも大っ嫌いだもんね」


ハディは煙を吐きながら同意するように片眉をあげて頷いた。


「そんなに金儲けがしたいなら、自分の魂でも売っちまえっての」


人の人生狂わせて旨い汁を吸うウジ虫どもが地獄に落ちろ。に始まり、こちらがポカーンとしてしまうような毒をはく。

悪口を聞きなれた私だが、これはもう芸術の域だろうと思う。理解のはるか上をいく罵詈雑言にもはや痛みすら感じない。感心するのみである。


「うんうん。そうだ、そうだ~」


ドライフルーツの麻袋を担ぎながら、いつものことといった様子でミティが合いの手をいれながら、さっさと荷を運び商品を手際よく並べる。

ハディさんの前で固まっている私に、近づいてきて一握りのドライフルーツを渡した。


「これが始まると長いから、おやつでも摘まんで適当に聞き流して」


耳元で囁くと、私の背を叩いてまた居なくなる。

その間もハディさんは途切れることなく毒を吐き続けていた。席を立つことも出来ないまま、仕方なく貰ったドライフルーツをつまむ。


--甘いなぁ。


「ハディ! 商品の充填完了!」


ミティの声を合図に毒がピタリと止まった。

水煙管の吸い口を戻し。


「さて、もう一稼ぎと行きますか!」


膝を叩いて気合いをいれると立ち上がった。


「あんたはここでもう少し待ってな」

「は、はい!」


さっきまでの障気は何処へやら、すっかりお仕事モードになったハディさんは売り場へ戻る。

入れ違うようにミティが箱に座って水煙管を手に取った。


「ビックリした? ハディの悪い癖なの。でも奴隷商人には深ーい怨みがあるから仕方ないみたい。聞き流しておいてね」


「はい」


いつもなら悪口ばかり吐く人の話を永遠聞かされていると、たぶん自分も他所ではこのように言われているかもな、などと思って少し凹む。

粘着質な悪意を感じてしまう。

人の耳をゴミ箱にしてはばからない、図々しさである。


本当に困った上で愚痴をこぼす人と、自分の優位性を示したいたげに人を蔑もうとする人の言葉の違いは、聞いているものには分かってしまうものだ。

そしてその蔑みは、そのまま毒を吐いた人への印象に繋がる。何故分からないのか。不思議だ。


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